キャンディーズの「ミキちゃん」として知られる藤村美樹。伊藤蘭、田中好子と並んだ3人の姿だけでなく、曲の中で重なる三声のコーラスを覚えている人も多いでしょう。
その美樹がアイドルになる前をたどると、東京で生まれ、福島で育った少女時代があります。家には音楽が身近にありましたが、歌手になりたいという希望に両親が最初から賛成していたわけではありませんでした。
音楽一家で育ちながら、歌手への道には両親の反対があり、伊藤蘭と田中好子より1年遅れて東京音楽学院へ入っています。
芸能界から距離を置いた後も、藤村はキャンディーズの仲間とのつながりを保ってきました。2019年、伊藤蘭の歌手活動再開に関連して自身の復帰を尋ねられたときは、短くこう答えています。
「アハハ。私はしないですよ」
出典:ウーマンエキサイト「伊藤蘭歌手復帰に藤村美樹エール 今も続くキャンディーズの絆」(2019年4月5日)
その美樹にも、「ミキちゃん」と呼ばれる前の時間があります。世田谷で生まれ、福島で育った少女時代からたどると、キャンディーズへ進むまでの道筋には学校やテレビ現場での具体的な場面が残っています。
藤村美樹は若い頃どんな少女だった?福島で過ごした幼少期
藤村美樹は東京都世田谷区で生まれ、幼少期を福島県福島市で過ごし、その後東京へ戻っています。「福島県出身」と紹介されることがありますが、出生地と育った場所は同じではありません。
少女時代の記録には、大きな出来事だけでなく小さな話も残っています。好きな数字は3と7。中学2年生ではドッジボールをしている最中に左手の小指を骨折したこともありました。
世田谷で生まれ福島市で育った少女時代
生まれたのは東京の世田谷区ですが、美樹の幼少期を語るうえで福島市は外せません。Sony Music Labelsが運営するotonanoの「キャンディーズ・ストーリー」には、世田谷区生まれ、福島市育ち、その後東京へ戻った経歴が記されています。
「出生地」「出身地」「育った場所」をひとまとめにすると、この時期の経歴が見えにくくなります。美樹の場合は、東京で生まれ、福島で子ども時代を送り、再び東京へ戻ったという移動があります。
一方、人物プロフィールでは「福島県福島市出身」と表記されることもあります。これは福島で育った経歴と矛盾するものではありませんが、「福島市で生まれた」とまで置き換えることはできません。出生については世田谷区、育った場所については福島市と分けるのが自然です。
1歳で洗礼を受けたカトリックの家庭
藤村家はカトリックの家庭で、美樹は1歳のときに洗礼を受けています。幼い本人が自分で選んだ出来事ではなく、家庭環境の中にカトリックの信仰があったことを示す記録です。
宗教に関する情報はそこから先を推測せず、確認できる範囲にとどめます。一方で、家庭にはもう一つ、美樹のその後と直接つながる要素として「音楽」がありました。
ドッジボールで骨折した中学時代の小さな思い出
中学2年生のころには、ドッジボール中に左手の小指を骨折しています。芸能界入りのきっかけとは無関係な出来事ですが、後年の略歴だけでは見えない、中学生として過ごしていた時期の具体的な一場面です。
同じ中学時代、美樹は運動とは別にダンスにも取り組んでいました。学校のダンス部で創作ダンスに取り組んだ時期と、歌手に憧れて東京音楽学院へ進む時期が、少女時代の後半に続いています。
藤村美樹の家族構成は?音楽に囲まれた家庭環境
公表資料で具体的に確認できるのは、父親と母親、そして美樹本人をめぐる話が中心です。兄弟姉妹の人数や構成については、本人・所属先の公式資料で確定できる情報が乏しいため、推測で家族を増やしません。
ピアノ講師の母と身近にあった音楽
otonanoの記録では、藤村家は「音楽一家」とされ、母親はピアノ講師をしていました。美樹にとって音楽は、芸能界へ入ってから突然出会ったものではなく、家庭の中にすでに存在していたものです。
ただし、家庭に音楽があったことと、娘が職業として歌手になることは別でした。美樹が歌手に憧れるようになると、両親は当初その希望に反対しています。
歌手への憧れに最初は反対した両親
反対の具体的な理由や家庭内で交わされた言葉までは、公表資料に詳しく残っていません。分かっているのは、美樹が歌手に憧れ、両親の反対があり、それでも最終的には東京音楽学院へ進んだという順序です。
伊藤蘭と田中好子はすでに東京音楽学院へ入り、スクールメイツで活動していました。美樹の入学は2人より1年遅れます。3人が同じ場所にそろうまでには、この1年のずれがありました。
藤村美樹の学歴は?中学の創作ダンスから東京音楽学院へ
藤村美樹の出身校は聖ドミニコ学園と紹介する二次資料がありますが、本人や所属先の公式な公開資料では校名が明示されていません。学校名は断定せず、学生時代に具体的に確認できる出来事をたどります。
中学のダンス部で全国コンクール2位
中学時代、美樹はダンス部に所属していました。夏に行われた創作ダンスの全国コンクールでは2位に入賞した経験があります。歌手になる前から、人前で身体を使って表現する活動に取り組んでいたことが分かる記録です。
このころの美樹は、すでに歌手にも憧れていました。家庭では反対を受けていましたが、学校でダンスを続ける一方、芸能のレッスンを受ける場所へ進むことになります。
中学時代には創作ダンス全国2位の経験があり、その後、歌手を目指して東京音楽学院へ進みます。
歌手を目指し東京音楽学院へ
東京音楽学院は渡辺プロダクションが設立した養成機関で、その生徒から選抜されたメンバーがスクールメイツでした。歌や踊りを学ぶだけでなく、テレビ番組で歌手のバックに立つ機会もある場所です。
スクールメイツは、単にレッスンだけを受ける教室ではありませんでした。選抜メンバーは実際の歌番組へ出て、振付に合わせて踊り、歌手の後ろで画面に映ります。美樹も学院入学後、スクールメイツに加わり、テレビ番組の現場へ出るようになります。
美樹は東京音楽学院へ入ると、ほどなくスクールメイツに参加します。ここで伊藤蘭、田中好子と合流しました。のちにキャンディーズになる3人の接点は、偶然の街角ではなく、同じ養成機関での活動でした。
1972年にNHKの番組へ参加したころ、3人はまだ高校生でした。伊藤蘭の回想では、学校の授業と番組出演を両立するため、3人で出席と早退をローテーションしながら現場へ向かった時期もあったといいます。
藤村美樹が芸能界へ入ったきっかけはスクールメイツ
スクールメイツの仕事は、スポットライトの中央で自分の歌を歌うことから始まったわけではありません。歌手の後ろで踊り、コーラスを担当し、テレビ収録の流れを間近で経験する立場でした。
美樹にとっても、この時期は「藤村美樹」という歌手として売り出される段階ではありません。レッスンを受けながら、テレビの現場へ出るスクールメイツの一人として経験を積んでいきました。
伊藤蘭・田中好子より1年遅れて3人が合流
伊藤蘭と田中好子は同じ年にスクールメイツへ入り、美樹は1年後輩として加わりました。伊藤は後年、美樹と田中について、2人ともかわいらしく、最初から目立つ存在だったと振り返っています。
3人は年齢も入った時期も同じではありませんでした。それでもスクールメイツという同じ場所で活動し、のちにNHKの新番組で3人一組として選ばれることになります。
テレビのバックダンサーとして経験を積んだ時代
スクールメイツでは、歌手のバックダンサーとしてテレビへ出演する仕事がありました。振付を覚え、収録の進行に合わせて動き、本人が主役ではない位置から音楽番組の現場を経験していきます。
その延長にあったのが、NHK『歌謡グランドショー』です。3人が番組へ選ばれた後も、当初の役割は歌手として自分たちのレコードを売ることではなく、マスコットガール兼アシスタントでした。
伊藤蘭は後年、3人は「何がなんでもデビューしたい」と願っていたわけではなかったと振り返っています。番組で「ラン、スー、ミキ」と呼ばれ、応援する人が増えるうちに、自分たちの曲を歌いたい、3人でレコードを出せたらという希望が育っていきました。
キャンディーズ結成!NHKのオーディションで3人が選ばれる
1972年、新しく始まるNHK『歌謡グランドショー』のマスコットガールを選ぶオーディションが行われました。スクールメイツから選ばれたのが、伊藤蘭、田中好子、藤村美樹の3人です。
ここで3人は初めて、番組の中で一つのユニットとして扱われます。ただし、合格した時点でレコードデビューが決まっていたわけではありません。まず与えられたのは、番組を支えるアシスタントの役割でした。
『歌謡グランドショー』のマスコットガールに
番組での仕事は、椅子やマイクを運ぶこと、歌手がカメラリハーサルに来られないときに代わって歌うこと、ステージでダンスをすることなど多岐にわたりました。3人だけで歌わせてもらう機会もありました。
『歌謡グランドショー』では、出演歌手のために用意された「今月の歌」をマヒナスターズと歌うこともありました。自分たちのレコードはまだありませんが、マイクを運ぶ裏方寄りの仕事と、人前で歌う仕事が同じ番組の中に並んでいた時期です。
伊藤蘭の回想では、沢田研二の後ろで踊ったこともあります。まだ高校生だった3人は、メイクの濃さに戸惑ったり、代理で歌う役から逃げようとしたりしながら、放送現場の仕事を覚えていきました。
番組プロデューサーが「キャンディーズ」と命名
3人で番組に出るため、ユニット名も必要になりました。自分たちでは「ヴァイオレッツ」「トリコロール」といった候補を考えましたが決まらず、番組プロデューサーの矢島さんが「食べちゃいたいほど可愛い」という意味を込めて「キャンディーズ」と名付けます。
名前が付いたことで、番組の中では「ラン、スー、ミキ」の3人として知られるようになっていきました。応援する人が増え、自分たちのオリジナル曲を歌いたい、3人でレコードデビューできたらいいという希望も少しずつ具体的になります。
転機になったのは、3人でいる姿を音楽プロデューサーの松崎澄夫が見たことでした。松崎は自分が担当したいと会社へ申し出ます。番組のために集められた3人が、レコードを出すグループへ進む道がここから開きました。
松崎はグループサウンズでの活動を経て渡辺音楽出版へ入り、音楽プロデューサーの仕事を始めていた人物です。NHKのオーディション合格だけで自動的に歌手デビューしたのではなく、番組で3人が活動する姿を見た松崎が担当を申し出たことが、次の段階を動かしました。
デビュー前に紅白歌合戦でバックコーラス
レコードデビューより前の1972年大みそか、美樹たちはNHK紅白歌合戦の舞台に立っています。主役としてではなく、橋幸夫が歌った「子連れ狼」のバックコーラスでした。
あの「しとしとぴっちゃん」の部分を、スクールメイツとして後ろから支えていたのが3人です。自分たちのデビュー曲をまだ持たない時期に、日本の大きな歌番組のステージをすでに経験していました。
出生から福島での幼少期、中学のダンス、東京音楽学院、スクールメイツ、NHKのオーディション、そして紅白のバックコーラスまで。ここまで来て、ようやく次に「キャンディーズのデビュー曲」が用意されます。
1973年「あなたに夢中」で17歳の歌手デビュー
1973年9月1日、キャンディーズはCBS・ソニーから「あなたに夢中」でレコードデビューしました。藤村美樹は17歳。NHKのアシスタントとして自分たちの曲を持つことを望むようになった3人に、初めてデビューシングルが生まれます。
「あなたに夢中」は山上路夫が作詞、森田公一が作曲、竜崎孝路が編曲を担当しました。番組の代理歌唱やバックコーラスで他の歌手の曲を支えていた3人が、今度は自分たちの名義で録音した曲を歌う側へ移ります。
デビュー時のメインボーカルは田中好子でした。ステージを客席側から見ると、左に伊藤蘭、中央に田中好子、右に藤村美樹。3人は衣装の形もそれぞれ違っていました。
スーがセンター、ミキは向かって右から始まった3人
「あなたに夢中」の衣装はライトグリーン系のギンガムチェックを取り入れながら、蘭はミニスカート、好子はパンタロン、美樹はホットパンツという別々のデザインでした。同じ衣装を3人でそろえるのではなく、最初から一人ずつ形が違います。
歌の組み立てもユニゾンだけではありません。冒頭は蘭が歌い始め、そこへ美樹が加わり、3小節目から好子を交えた三声のコーラスになります。スクールメイツで歌と踊りを重ねてきた3人が、レコードの中で初めて「キャンディーズ」の歌声を作りました。
公式チャンネルに残る「あなたに夢中」の映像では、当時の3人の立ち位置や衣装、声が重なる瞬間まで確認できます。美樹が向かって右側に立ち、歌の途中から声を重ねていくデビュー時の姿です。
50周年企画では、伊藤蘭と藤村美樹がそれぞれ思い出深い曲を選びました。美樹は選曲をすり合わせたときのことを、こんなふうに話しています。
「好きな曲に丸をつけていって、蘭さんとすり合わせたら、なんだか好みが似てるんだよね。」
出典:otonano「キャンディーズ『The Platinum Collection ~50th Anniversary~』伊藤蘭、藤村美樹 企画参加!」(公開日記載なし)
三声のコーラスとキャンディーズ最初の一歩
1973年の時点で、美樹がセンターだったわけではありません。それでも「あなたに夢中」の最初の数小節から、蘭の声に美樹が加わり、さらに好子が入るという三声の設計が置かれていました。
ずっと後の2023年、デビュー50周年企画で伊藤蘭と藤村美樹がキャンディーズの楽曲を選び直したとき、美樹は3人の声についてこう語っています。
「キャンディーズ・サウンドになるっていうのは奇跡だよね。」
出典:otonano「キャンディーズ『The Platinum Collection ~50th Anniversary~』伊藤蘭、藤村美樹 企画参加!」(公開日記載なし)
3人がテレビで活動した姿は、現在も公式アーカイブの告知などで見ることができます。ホームドラマチャンネル公式Xは、後年の『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』放送回を、伊藤蘭・藤村美樹・田中好子の名前とともに紹介しています。
キャンディーズ解散後の1983年、藤村は一時的に歌手として復帰しました。その会見で「普通の女の子に戻る」という言葉の意味を尋ねられたとき、キャンディーズのミキではなく藤村美樹個人に戻りたかった、と説明しています。
「自分の意思で生きられる生活を取り戻したかったんです」
出典:日刊ゲンダイDIGITAL「石破首相は“ミキ推し”を公言…超人気アイドルグループ『キャンディーズ』の魅力を振り返る」(2024年10月26日)
2011年、田中好子の葬儀で弔辞を読んだ美樹は、長い時間を経てキャンディーズ時代を振り返りました。そこで出てきた言葉は、活動年表の説明ではなく、3人で過ごした時間そのものについての短い言葉でした。
「本当にキャンディーズは楽しかった」
出典:スポニチ「藤村美樹さん『私たちは永遠にキャンディーズだからね』」(2011年4月26日)
スクールメイツで歌手の後ろに立っていた少女は、1973年9月、「あなたに夢中」で自分たちの名前を掲げたレコードを出しました。最初の立ち位置は向かって右。そこから聞こえる美樹の声は、蘭、好子の声と重なり、キャンディーズ最初の三声になりました。
福島で過ごした少女時代から東京音楽学院へ進み、NHKのアシスタントを経て歌手になるまで。その先の大きな人気より前に、藤村美樹の「アイドルになるまで」には、こうした小さな場面が積み重なっています。
























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