おニャン子クラブの歴史をたどると、メンバー一覧のいちばん最初に出てくるのが奥田美香です。会員番号は1番。1985年4月1日に始まった『夕やけニャンニャン』と同時に活動を始めた、最初期メンバーの一人でした。
ただし、奥田美香がおニャン子クラブに在籍した期間は長くありません。加入日は1985年4月1日、活動終了日は同年4月25日。グループがレコードデビューするより前の、ごく初期だけを知るメンバーです。
そのため「会員番号1番だった人」として名前は知られていても、おニャン子クラブに入る前にどんな学校生活を送り、何を好きだったのかまで知る機会は多くありません。
奥田美香は、1985年4月1日の『夕やけニャンニャン』開始と同時に、おニャン子クラブ会員番号1番として活動を始めました。
しかも、この「1番」は人気順位を示す番号ではありません。結成時の11人については会員番号がランダムに割り当てられ、その先頭が奥田美香でした。
奥田美香の出身地は、1985年の『DUNK』プロフィールでは「東京」、後年の人物資料では「埼玉県志木市」とする記載があります。出生地まで確定できる資料はなく、東京生まれ・埼玉生まれとは断定できません。
奥田美香は昔どんな少女だった?学生時代のプロフィール
奥田美香の学生時代を具体的に知る手がかりとして残っているのが、1985年の『DUNK』に掲載されたプロフィールです。生年月日や身長だけでなく、好きな教科、部活動、趣味、初恋、好きだった芸能人まで答えていました。
そこには、会員番号1番という肩書きだけからは見えてこない学校生活が残っています。好きな食べ物はたらこ。好きな色には白、黒、赤を挙げていました。
特技・資格の欄に書かれていたのは原付免許です。テレビに出始めた時期には、すでに原付を運転できる免許を取得していたことになります。
バレーボール部で過ごした学生時代
クラブ活動はバレーボール。さらに初恋については、中学1年生のときのバレー部の先輩だったと答えています。部活動と初恋が同じ場所に重なる、かなり具体的な学生時代の一場面です。
プロフィールの趣味欄に書いた答えは、とても短いものでした。
遊ぶこと
出典:ZAWAZAWA「おニャン子クラブ 喫煙組プロフィール」(『DUNK』1985年7月号82頁の転載)(2023年1月29日)
部活動だけで毎日を埋めるというより、友人たちと遊ぶ時間も好きだったのでしょう。当時のプロフィールには、友人との関わり方をうかがわせる自己PRも残っています。
好きな言葉の欄では、格言や座右の銘ではなく、自分に向けてもらいたい一言を選んでいました。
“Mikaちゃん大好きさっ”
出典:ZAWAZAWA「おニャン子クラブ 喫煙組プロフィール」(『DUNK』1985年7月号82頁の転載)(2023年1月29日)
好きな男の子のタイプについても、かなり率直です。
お金持ちでカッコよくてやさしいひと
出典:ZAWAZAWA「おニャン子クラブ 喫煙組プロフィール」(『DUNK』1985年7月号82頁の転載)(2023年1月29日)
初恋の相手を中学時代のバレー部の先輩と答え、理想のタイプもここまで具体的に書いているあたりは、当時のアイドル誌らしいプロフィールでもあります。
英語が好きで数学が苦手だった
学校の科目では英語を「好き」、数学を「嫌い」と回答しています。成績そのものは公表されていませんが、どんな授業に気持ちが向いていたのかは、この一問から見えてきます。
バレーボール部、英語、数学、原付免許。奥田美香について後から語られるときは、おニャン子クラブで起きた出来事に話題が集中しがちですが、その少し前までの日常には、こうした学校生活がありました。
自己PRでは、人と知り合うことへの積極性と、新しいことへ挑戦したい気持ちを前面に出していました。
チャレンジ精神いっぱいです。
出典:ZAWAZAWA「おニャン子クラブ 喫煙組プロフィール」(『DUNK』1985年7月号82頁の転載)(2023年1月29日)
同じ自己PRでは、誰とでも友達になりたいという趣旨の言葉も書いています。テレビに出演するようになったばかりの時期に、自分をどう見せようとしていたのかが残る資料です。
中森明菜と小泉今日子を目標にしていた
好きなタレントとして挙げていたのは吉川晃司です。一方、「目標とするタレント」には中森明菜と小泉今日子の名前を挙げていました。
中森明菜は1982年にデビューし、小泉今日子も同じ1982年組。奥田美香がおニャン子クラブへ入った1985年には、二人ともすでにテレビや音楽番組の第一線で活動していました。
好きな男性タレントと、自分が芸能活動をするうえで目標に置く女性タレントを分けて答えているのも当時のプロフィールの特徴です。少なくとも1985年の時点では、芸能人として具体的な目標を口にしていました。
奥田美香の家族構成は?両親や兄弟姉妹について
奥田美香の両親や兄弟姉妹について、本人が公に語った具体的な情報はほとんど残っていません。家族の氏名や職業、兄弟姉妹の人数まで裏付けられる公表情報も乏しい人物です。
1985年の本人プロフィールには、学校生活や趣味、初恋、好きだったタレントなど多くの項目がありますが、父親や母親との日常についての記述はありません。
『オールナイトフジ女子高生スペシャル』への出演や、その後のおニャン子クラブ入りについて、家族の誰が応募を勧めたのか、両親がどんな反応をしたのかといった具体的な証言も知られていません。
そのため、父親の仕事や母親の人物像、兄弟姉妹の有無などを推測だけで補うことはできません。家族については、本人以外を無理に人物カードへ加えない形が適切です。
奥田美香の学歴は?高校時代や当時の学校生活
奥田美香の在籍校として伝えられているのは、東京都立久留米高等学校です。現在の東京都立東久留米総合高等学校につながる旧久留米高校で、同校の出身者として奥田美香の名前も挙げられています。
後年の人物資料では、1985年春に高校2年生をもう一度やり直すことになり、最終的に1987年に同校を卒業したとされています。おニャン子クラブへ入ったのは、その高校生活の途中でした。
東京都立久留米高校に通っていた時期
『夕やけニャンニャン』が始まった1985年4月、奥田美香は高校に在籍していました。番組は月曜から金曜まで夕方に放送され、初期のおニャン子クラブは学校へ通うメンバーがテレビ番組にも出演するという形でスタートしています。
奥田美香の場合、学校生活について最も具体的に残っているのが『DUNK』のプロフィールです。バレーボール部に所属し、英語が好きで数学が苦手。中学時代の初恋もバレー部の先輩だったと答えていました。
学校名だけを追うと「都立久留米高校」という一行で終わりますが、当時のプロフィールを重ねると、部活や授業、友人と遊ぶ時間を持っていた姿まで見えてきます。
原付免許も持っていた高校時代
1985年のプロフィールでは、特技・資格として原付免許を挙げています。高校在学中の時点ですでに取得していたことになり、当時の生活を想像できる小さな情報の一つです。
芸能活動を始めたからといって、すぐに学校生活がなくなったわけではありません。奥田美香は『夕やけニャンニャン』への出演が始まった後も高校に在籍し、のちに卒業したとされています。
また、おニャン子クラブを離れた後の1985年夏には、としまえんでアルバイトをしていたとする後年の記録もあります。学校へ通いながら別のアルバイトも経験しており、テレビ出演だけが高校時代のすべてではありませんでした。
芸能界との最初の接点はオールナイトフジ女子高生スペシャル
奥田美香がおニャン子クラブへ入る前に出演したとされるのが、フジテレビの『オールナイトフジ女子高生スペシャル』です。『夕やけニャンニャン』は、女子高生を集めたこの特別番組の流れから生まれました。
1985年2月と3月に放送された女子高生スペシャルには一般の女子高校生たちが出演し、その出演者の中から新番組へ参加する初期メンバーが選ばれています。奥田美香もその一人でした。
これは、すでに芸能事務所へ所属して長くレッスンを重ねてからアイドルデビューする経路とは少し違います。高校生としてテレビの特別番組に出演したことが、そのまま次の番組への入口になりました。
『オールナイトフジ女子高生スペシャル』への出演が、学校生活から『夕やけニャンニャン』へ進む直接の接点になりました。
番組出演からおニャン子クラブへ
『夕やけニャンニャン』が始まってからは、「ザ・スカウト アイドルを探せ!」という公開オーディションが番組内で行われました。1985年4月には河合その子、内海和子、富川春美らが合格し、続く5月には城之内早苗、6月には岩井由紀子が加わっています。
ただし、奥田美香はこの通常オーディションで後から加わったメンバーではありません。番組開始時から在籍した最初の11人の一人です。
つまり、奥田美香がおニャン子クラブへ入った経緯を考えるとき、後期メンバーと同じ「夕やけニャンニャンの公開オーディションに応募して合格」という流れで説明すると時系列が合いません。
女子高生スペシャルへの出演から、新しく始まる夕方番組へ。その新番組の中で結成されたグループの初期メンバーになった、という流れで見るほうが実際の経歴に近くなります。
初期11人の会員番号は、人気順や実力順ではなくランダムに決められたとされています。その結果として奥田美香に与えられたのが、後に長く名前と一緒に語られる「会員番号1番」でした。
奥田美香がおニャン子クラブ会員番号1番になるまで
1985年4月1日、『夕やけニャンニャン』の放送がスタートしました。放送ライブラリーにも、同番組が1985年4月1日から放送されたことが記録されています。奥田美香のおニャン子クラブ加入日も同じ4月1日です。
番組開始直後のおニャン子クラブは、のちに知られる大所帯のグループとは人数も状況も違いました。最初の11人から始まり、番組内のオーディションを通じて次々と新しいメンバーが加わっていきます。
ポニーキャニオンの『夕やけニャンニャン おニャン子白書(1985年4~6月)』には、放送開始日の1985年4月1日から6月末までの映像がまとめられています。後から作られた再現ではなく、番組が形になっていく初期の映像をまとめた公式作品です。
1985年4月1日に活動開始
会員番号1番という数字は、奥田美香の名前と長く結び付くことになります。しかし活動開始時点では、おニャン子クラブが後年のようにレコードを次々と発売し、派生ユニットやソロ歌手を生み出す存在になることはまだ決まっていませんでした。
『夕やけニャンニャン』は平日の夕方に生放送され、おニャン子クラブもその番組の中で少しずつ知られていきます。奥田美香は、その一番最初の放送時期にいたメンバーです。
会員番号1番だからリーダーだった、あるいは最初のオーディションで1位だった、という意味でもありません。最初期メンバーに振られた番号の一つが「1」であり、それを持っていたのが奥田美香でした。
おニャン子クラブはその後、1985年7月に「セーラー服を脱がさないで」を発売し、グループとしての音楽活動を本格化させます。さらに多数のソロ歌手や派生ユニットを生み出しました。
ポニーキャニオンは結成30周年時に、各レコード会社から発売されていたおニャン子クラブ関連シングルを集めた復刻企画を実施しています。グループがその後どれほど多くの作品を残したのかを確認できる公式映像です。
奥田美香は7月のCDデビューより前にグループを離れているため、「セーラー服を脱がさないで」のレコード参加メンバーとして活動したわけではありません。
検索すると「奥田美香 曲」という言葉も出てきますが、少なくともおニャン子クラブの代表曲を歌うレコードメンバーとして活動した経歴とは分けて考える必要があります。奥田美香にとってのおニャン子クラブは、音楽活動が本格化する前の時期でした。
1985年4月25日に活動を終えた会員番号1番
奥田美香のおニャン子クラブでの活動は、1985年4月25日で終わります。同じ日に榎田道子、吉野佳代子、友田麻美子、佐藤真由美も活動を終了しました。
5人は、週刊誌に未成年喫煙を報じられたことを受けて番組から離れています。番組が始まってまだ1か月もたっていない時期でした。
この出来事によって、奥田美香には「会員番号1番なのに短期間で姿を消した」という印象が強く残ることになります。ただ、彼女自身については、その一件だけでは分からない学生時代の記録も残っています。
翌1986年には『GORO』のインタビューに登場し、『夕やけニャンニャン』との距離が変わったことを示す言葉が記事タイトルになりました。
今は夕ニャンも笑って見れるようになったの
出典:GORO「今は夕ニャンも笑って見れるようになったの」(1986年6月26日)
1986年にはほかにも「幻のNO.1は奥田美香」と題した取材や、「おニャン子の幻の会員番号NO.1」と題した雑誌記事が掲載されています。活動終了後も「会員番号1番」は、奥田美香を紹介する大きな手がかりとして使われ続けました。
在籍期間は短くても、1985年4月1日の番組開始日におニャン子クラブへ加わり、最初の11人の一人だったという記録は残っています。後に人数が増えていくグループの出発点に、奥田美香の名前があります。
おニャン子クラブは結成40周年を迎えた後も、再集結イベントやメンバー関連の活動が行われています。40周年コンサートの公式サイトから案内されている公式Xでも、現在まで関連情報が発信されています。
バレーボール部で過ごし、英語が好きで、吉川晃司を好きなタレントに挙げていた学生時代。そこから女子高生スペシャルへの出演を経て、『夕やけニャンニャン』のスタート地点へ進みました。
CDデビュー前にグループを離れたため、奥田美香がおニャン子クラブとして活動した時間は限られています。それでも、1985年4月1日の最初期メンバーであり、会員番号1番として名前が残ったことが、彼女のアイドルとしての原点です。


























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