岩井由紀子(ゆうゆ)の若い頃は?家族構成や学歴、モデル時代からおニャン子加入まで

ひと目でわかるプロフィール
岩井由紀子
いわいゆきこ
模型誌でのモデル経験を経て『夕やけニャンニャン』のオーディションに合格し、おニャン子クラブ会員番号19番として活動を始めた「ゆうゆ」。
生年月日
1968年5月26日
出身地
神奈川県
所属・活動形態
おニャン子クラブ
活動時代
昭和アイドル
アイドル活動開始
1985年
活動開始時年齢
17歳
アイドルになったきっかけ
オーディション

おニャン子クラブ会員番号19番、「ゆうゆ」の愛称で親しまれた岩井由紀子。高井麻巳子と組んだ「うしろゆびさされ組」で覚えている人も多いでしょう。

テレビの中では小柄で愛らしい印象が強かった一方、その少し前には模型専門誌の誌面に「ユーユ」として登場していました。さらに時間を戻すと、木に登ってターザンごっこをするような子ども時代も見えてきます。

おニャン子クラブに入る前から、歌手への憧れを抱きながら雑誌モデルを経験していたことが、岩井由紀子の原点をたどる大きな手がかりです。

少女時代の遊び、家族とのつながり、学校生活、模型誌でのモデル経験。そして1985年6月、『夕やけニャンニャン』のオーディションに合格し、会員番号19番として番組に加わるまでを順にたどっていきます。

「岩井由紀子 声優」「岩井由紀子 コナン」と探す人もいますが、『名探偵コナン』で吉田歩美を演じているのは声優の岩居由希子さんです。読売テレビ公式のキャラクター紹介でも確認でき、「岩井」と「岩居」で漢字が異なる別人です。

岩井由紀子は昔どんな少女だった?横浜から千葉へ

岩井由紀子は1968年5月26日生まれ。神奈川県横浜市の出身として紹介され、その後は千葉県船橋市で少女時代を過ごしたとされています。

「横浜出身」というプロフィールだけを見ると、子ども時代をずっと横浜で過ごしたようにも見えますが、小学生の途中から生活の場は船橋へ移っています。出生地や出身地と、実際に長く育った場所を分けて見ておきたい人物です。

小学校4年ごろに転居したとする人物資料があり、そこから中学、高校へ進む時期は千葉で過ごしました。おニャン子クラブに入るころの岩井由紀子にとって、日常の土台になっていたのは船橋での学校生活でした。

芸能界に入るずっと前の姿を知る手がかりとして残っているのが、後年の雑誌で語った木登りの思い出です。

「ちっちゃいころ、よく木に登ってターザンごっこやってたから。」

出典:岩井由紀子資料アーカイブ「平凡1986年8月号」収録内容(公開日記載なし)

同じ回想では、ひもにぶら下がって遊んでいた様子にも触れています。テレビで知られた「ゆうゆ」の姿だけを見ると少し意外ですが、子どものころは外で体を動かして遊ぶ時間もあったようです。

こうした遊びの記憶が残る一方、少女時代から歌手への憧れはかなりはっきりしていました。1985年の『GORO』には、短いながらも本人の目標がそのまま伝わる言葉が残っています。

「夢はでっかく歌手になること。」

出典:岩井由紀子資料アーカイブ「GORO 1985年8月22日号」収録内容(公開日記載なし)

憧れていた歌手としてたびたび名前が挙がるのが松田聖子です。おニャン子クラブ加入後の1986年にも、その憧れを隠さず語っていました。

「将来の夢は聖子ちゃんみたいに大スターになること」

出典:岩井由紀子資料アーカイブ「スコラ 1986年3月13日号」収録内容(公開日記載なし)

歌手への憧れは、おニャン子クラブに入ってから急に生まれたものではありません。テレビのオーディションを受ける前から、本人の中には「歌手になりたい」という方向がありました。

ただし、子どものころから芸能活動をしていたわけではありません。学校へ通い、姉との日常があり、その延長線上で雑誌の撮影を経験することになります。テレビへ出る前に、まず小さな接点が一つ生まれていました。

岩井由紀子の家族構成は?両親と姉とのエピソード

岩井由紀子の家族構成
模型誌の編集に関わり、由紀子の誌面モデル活動のきっかけになったとされる
本人
岩井由紀子
二人姉妹の妹として紹介されている

家族について詳しく公表されている情報は多くありませんが、岩井由紀子は二人姉妹の妹として紹介されています。その中でも、アイドルになる前の歩みで大きく関わってくるのが姉の存在です。

父親や母親については、職業や詳しいプロフィールを裏付けられる公表資料が乏しく、そこを推測で埋めることはできません。一方、姉については岩井由紀子が芸能の世界と最初に接する時期に、具体的なエピソードが残っています。

「ゆうゆ」という愛称にも姉が関わっていた

後年の『ORICON WEEKLY』の連載で、愛称「ゆうゆ」の名付け親は姉だったというエピソードを明かしたと伝えられています。姉は模型誌の誌面で「ネーネ」と呼ばれており、妹の由紀子は「ユーユ」「ゆうゆ」と呼ばれるようになりました。

本名の「由紀子」から自然に生まれた呼び名ですが、この愛称はやがておニャン子クラブでも広く定着します。のちにソロ活動では「ゆうゆ」がそのまま名義として使われるほど、本人と強く結びつく名前になりました。

テレビ番組が作ったニックネームではなく、家族の中にあった呼び名が芸能活動でも残ったという点は、岩井由紀子のデビュー前とデビュー後をつなぐ小さなエピソードです。

姉とのつながりから模型誌のモデルへ

姉は模型専門誌『モデルグラフィックス』の編集に関わっていたとされています。そこで誌面モデルとして登場したのが、まだおニャン子クラブへ入る前の岩井由紀子でした。

国立国会図書館の書誌では、『モデルグラフィックス』は大日本絵画から1984年11月に創刊されています。岩井由紀子が登場したのは、雑誌そのものが始まって間もない時期でした。

一般的なアイドル誌のグラビアとは少し違い、模型やモデルガン、ミリタリー系の企画に合わせて誌面に登場する仕事でした。歌手を夢見ていた少女にとって、カメラの前に立つ最初期の経験のひとつになります。

姉とのつながりから始まった模型誌のモデル経験が、『夕やけニャンニャン』へ進む直前の岩井由紀子を知る重要な時期です。

岩井由紀子の学歴は?小学校から高校・短大まで

岩井由紀子の学歴
小学校
横浜市内の小学校から千葉県船橋市内の小学校へ転校
小学校時代の途中に船橋へ転居したとされる
中学校
千葉県船橋市内の中学校
高校
嘉悦女子高等学校
高校在学中の1985年におニャン子クラブへ加入したとされる
短期大学
嘉悦女子短期大学
中退とされる

岩井由紀子の学生時代は、横浜から千葉県船橋市へ生活の場が移った時期と重なります。小学校時代の途中に転校し、その後は船橋で中学時代を過ごしたとされています。

小学生のころ横浜から船橋へ

学校名については、横浜市立常盤台小学校から船橋市立葛飾小学校へ転校し、船橋市立葛飾中学校へ進んだとする人物資料が残っています。ただし、当時の学校生活を本人が詳しく語った公表資料は多くありません。

小学校を途中で移ったあと、中学校まで船橋で過ごしたとされており、おニャン子クラブへ入る以前の生活圏は東京の芸能界ではなく、千葉での学校生活にありました。

学校名以上に本人の輪郭が見えるのは、木登りの思い出や歌手への憧れです。外で遊んだ子ども時代があり、その後、テレビや音楽の世界への関心が少しずつ具体的になっていきます。

嘉悦女子高校時代に芸能界との接点が生まれる

高校は嘉悦女子高等学校へ進学したとする資料が複数あります。高校生だった1985年に『モデルグラフィックス』へ登場し、その同じ年に『夕やけニャンニャン』のオーディションへ進みました。

1985年5月に誕生日を迎えたあと、6月にはオーディション合格者として名前が記録されています。まだ高校生活の途中にいる17歳の時期でした。

模型専門誌の撮影と、全国放送のテレビ番組では仕事の規模も環境も大きく違います。短い期間にカメラの前での仕事から生放送のスタジオへ進み、学校の外で過ごす時間が急速に増えていきました。

加入後も学生でありながら、夕方の生放送番組とアイドル活動を並行する生活になります。おニャン子クラブが「放課後」の雰囲気を持っていた時代に、岩井由紀子自身も実際に学生でした。

高校卒業後は嘉悦女子短期大学へ

高校卒業後は嘉悦女子短期大学へ進学し、その後中退したとされています。このころにはすでに、おニャン子クラブとうしろゆびさされ組での活動が日常の大きな部分を占めていました。

高校時代にオーディションへ合格したあとも進学という選択肢を持っていたことから、学生生活と芸能活動がしばらく並行していたことになります。短大在学期にはソロデビューも近づき、活動の幅はさらに広がっていきました。

おニャン子加入前は『モデルグラフィックス』の「ユーユ」だった

『モデルグラフィックス』は模型を中心に扱う専門誌です。国立国会図書館の書誌では、1巻1号にあたる創刊号は1984年11月。岩井由紀子が誌面へ登場していたのは、その創刊初期にあたります。

現在よく知られる「ゆうゆ」に近い「ユーユ」という表記で誌面に登場したとされ、創刊号からモデルを務めたとする資料も残っています。

誌面では模型作品の企画に合わせ、モデルガンや装備品を手にした撮影、アニメ作品を意識した衣装など、一般的な芸能誌とは違った撮影を経験しました。アイドルとして売り出すためのグラビアとは性格の異なる仕事です。

当時の『モデルグラフィックス』は始まったばかりの専門誌で、模型作品やホビーを主役にした誌面でした。その中に登場した岩井由紀子は、まだテレビで名前を知られる前。後の「おニャン子クラブ会員番号19番」という肩書もありません。

姉が編集に関わる雑誌だったことから生まれた仕事ですが、本人にはすでに歌手への夢がありました。モデル活動そのものをゴールにしていたというより、結果として芸能の世界へ近づく最初の経験になりました。

この時期の姿が興味深いのは、テレビデビュー前の岩井由紀子がすでに人前に出る経験を持っていたことです。それでも、次に待っていた『夕やけニャンニャン』は、雑誌撮影とはまったく違う生放送の世界でした。

『夕やけニャンニャン』のオーディションで会員番号19番へ

フジテレビ系『夕やけニャンニャン』は1985年4月1日に放送が始まりました。番組には「ザ・スカウト アイドルを探せ!」という、次のアイドル候補を探す素人オーディション企画がありました。

ポニーキャニオンの『夕やけニャンニャン おニャン子白書(1985年4~6月)』には、4月、5月、6月とオーディション合格者が記録されています。その6月の欄に、岩井由紀子の名前がはっきり残っています。

番組開始からまだ3か月ほど。すでに河合その子や内海和子、城之内早苗らが同じ企画を通じて加わっており、おニャン子クラブの人数が次々に増えていた時期でした。岩井由紀子も、その流れの中で新しいメンバーになります。

合格後に与えられた会員番号は19番。模型専門誌に「ユーユ」として登場していた高校生が、全国放送の番組で「ゆうゆ」と呼ばれるアイドルへ変わっていく地点です。

当時の『夕やけニャンニャン』は、完成されたアイドルを一人ずつ見せる番組とは少し違いました。オーディション、トーク、ゲーム、歌などが同じ番組の中に並び、加入したばかりのメンバーもその空間へ入っていきます。

岩井由紀子が合格した6月の映像資料には、「セーラー服を脱がさないで」のレコーディング風景も収録されています。翌7月以降の映像資料では、その曲のチャート順位を扱う企画もあり、番組内グループが短期間でレコードの世界へ広がっていった様子が残っています。

加入したばかりの岩井由紀子も、その急速に大きくなるグループの中へ入ることになりました。最初から中心メンバーとして始まったのではなく、オーディション合格者の一人として番組に加わったところからのスタートです。

ところが、加入からそれほど時間を置かずに次の役割が与えられます。会員番号16番の高井麻巳子と2人で、グループ内ユニットを組むことになったのです。

岩井由紀子がアイドルになるまで
1968年5月26日
神奈川県横浜市出身
小学生時代
千葉県船橋市へ生活の場が移る
木登りやターザンごっこの思い出を後年語っている
1985年
『モデルグラフィックス』の誌面モデルを経験
「ユーユ」として創刊初期の誌面に登場したとされる
1985年6月
『夕やけニャンニャン』のオーディションに合格
おニャン子クラブ会員番号19番として活動を開始
1985年
高井麻巳子とうしろゆびさされ組を結成
『ハイスクール!奇面組』の主題歌を担当

高井麻巳子とうしろゆびさされ組へ

1985年、高井麻巳子と岩井由紀子の2人で「うしろゆびさされ組」が結成されました。ポニーキャニオンの公式資料でも、テレビアニメ『ハイスクール!奇面組』の主題歌を担当したおニャン子クラブ内ユニットとして、この2人の名前が記されています。

デビュー曲「うしろゆびさされ組」は、アニメのオープニングテーマとして使われました。おニャン子クラブの一員として番組に出るだけでなく、自分たちの名前を冠したユニットで歌う段階へ進んだのです。

ポニーキャニオンの1985年9~11月放送分の映像資料には、10月の出来事として「うしろゆびさされ組『夜のヒットスタジオデラックス』出演直前」と記録されています。6月にオーディションへ合格した少女が、その年の秋には2人組のユニットとして音楽番組へ向かっていました。

高井麻巳子と岩井由紀子は、雰囲気も見た目も同じタイプではありませんでした。二人を組ませたユニットは『ハイスクール!奇面組』と結びつき、その後も「バナナの涙」「象さんのすきゃんてぃ」など複数の楽曲を残していきます。

うしろゆびさされ組で活動していた1986年、岩井由紀子は雑誌で将来の夢を「聖子ちゃんみたいに大スターになること」と語っています。憧れていた歌手の世界へ、現実の仕事として足を踏み入れていた時期でした。

加入前に語っていた「歌手になる」という夢と、加入後に語った松田聖子への憧れは同じ方向を向いています。その間にあったのが、模型誌のモデル、テレビオーディション、おニャン子クラブ、そしてうしろゆびさされ組でした。

「ゆうゆ」として知られる存在へ

小柄で童顔な「ゆうゆ」という印象は、このころ多くの人に知られるようになります。一方、本人が雑誌で話していたのは、スターになる夢だけではありません。食べ物や趣味の話では、テレビとは少し違う日常的な一面も出ています。

「一日一ラーメン目標だす。」

出典:岩井由紀子資料アーカイブ「DUNK 1987年12月号」収録内容(公開日記載なし)

さらに後年、自分の性格について語った言葉には、好きになったものへの向き合い方が端的に表れています。

「なんか一回好きになると、とことん集めちゃう性格なんです。」

出典:岩井由紀子資料アーカイブ「Nissan Blue-B 冬号 第26号」収録内容(1991年11月1日)

1987年3月には「天使のボディーガード」でソロデビューします。ポニーキャニオンの資料でも、おニャン子クラブ会員番号19番、うしろゆびさされ組を経てソロへ進んだ経歴が残されています。

そこまでを振り返ると、最初の芸能活動はソロ歌手でもおニャン子クラブでもありません。姉とのつながりから始まった模型誌でのモデル経験が先にあり、そのあと『夕やけニャンニャン』のオーディションへ進んでいます。

木に登って遊んでいた少女が歌手への夢を口にし、創刊間もない模型誌でカメラの前に立つ。1985年6月に「ザ・スカウト アイドルを探せ!」を通過すると、会員番号19番となり、その年の秋には高井麻巳子と「うしろゆびさされ組」として歌っていました。

テレビで知られる「ゆうゆ」の姿ができあがる前には、横浜と船橋で過ごした少女時代、家族の中で呼ばれていた愛称、姉が関わった模型誌、そして歌手への憧れがありました。その一つひとつの先に、1985年のステージがありました。

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