おニャン子クラブ会員番号9番として、『夕やけニャンニャン』の初回放送から出演していた名越美香さん。のちには樹原亜紀さん、立見里歌さん、白石麻子さんと「ニャンギラス」を結成し、独特の存在感を見せました。
ところが、名越さんは子どものころからアイドルを目指してレッスンを続けていたわけでも、芸能事務所のオーディションを何度も受けていたわけでもありません。
おニャン子クラブへつながる入口になったのは、高校時代に出演した『オールナイトフジ 女子高生スペシャル』でした。そこから番組スタッフに声をかけられ、1985年4月1日に始まった『夕やけニャンニャン』へ出演することになります。
名越美香さんのアイドルへの入口は、高校時代に出演したテレビ番組から思いがけずつながったものでした。
その前には、共働きの家庭で兄弟の世話をしていた少女時代があります。学校ではどんな生活を送り、なぜテレビ番組へ出演し、会員番号9番になったのでしょうか。
名越美香は昔どんな子だった?少女時代の素顔
名越美香さんは1966年4月13日生まれ、埼玉県出身です。おニャン子クラブ初期にはショートヘアの姿が印象に残っており、番組の外では眼鏡をかけることもあったと伝えられています。
テレビで見せていた姿には、よく笑い、メンバーとふざける一方で、感情がそのまま表情に出るところもありました。雑誌の文通コーナーでは、自分のことを「泣き虫チャン」と書いたこともあったとされています。
その「泣き虫」は単なるキャラクターとして作られたものではなく、『夕やけニャンニャン』でも実際に何度も涙を見せています。初期のコンサートやメンバーの節目、番組内の出来事などで泣く姿があり、のちには本人を語る昔話の一つになりました。
一方、家庭では早い時期から自分以外の人のことをする生活を送っていました。
名越美香の家族構成は?両親や兄弟との少女時代
名越さんは、両親が共働きの家庭で育ったとされています。父親や母親の氏名、職業などの詳しい情報は広く公表されていません。
ただ、家庭での名越さんについて残っている具体的な話があります。小学校1年生ごろから、兄弟のために食事を用意し、食べ終わった後には片付けもしていたというものです。
小学生のころから、兄弟の食事を用意したり後片付けをしたりする生活を送っていました。
学校から帰って自分のことだけをしていればいい生活ではなく、家では兄弟のことも見る。幼いころから、家庭の中に自分が担当することがありました。
おニャン子クラブでも後輩の面倒を見る存在に
おニャン子クラブに入ってからの名越さんにも、後から加入してきたメンバーを気にかける場面がありました。初期から在籍していたため、新しいメンバーに番組やグループのことを教える側になっていきます。
1986年に名越さんが卒業した際、後輩の白石麻子さんは、加入したばかりで何も分からなかったころに、名越さんからいろいろ教えてもらったことを振り返っています。
さらに白石さんは、自分が頭痛などで体調を崩したときにも名越さんが面倒を見てくれたことを語りました。テレビでは涙を見せる名越さんが、グループの中では後輩を支える側でもありました。
母親は「10年ごとに新しいこと」に挑戦する人だった
名越さんが後年、家族について語った中には母親の生き方に触れた言葉もあります。2022年の取材では、母親が節目ごとに新しいことへ挑戦する人だったと話していました。
「10年ごとに新しいことにチャレンジする」
出典:女性自身「結婚式の司会者、香港で銀行員になった人も…元『おニャン子』全54人の紆余曲折なその後」(2022年8月13日)
名越さん自身も、その母親をまねて新しいことを始めたいと話しています。のちに英語を学ぶため海外へ渡り、香港でも新たな生活を始めますが、家庭にはもともとそうした母親の姿がありました。
名越美香の学歴は?高校時代にテレビ出演
名越さんの学歴で、おニャン子クラブ加入までの流れと最も深く関係しているのが高校時代です。名越さんは東京都立代々木高等学校の定時制課程に在籍していたとする資料があります。
小学校や中学校については、具体的な学校名を確かな形で示せる公表情報が限られています。そのため、学校名を推測して補うことはできません。
高校では定時制課程に通っていた名越さん。そこで突然、アイドルへ一直線に進んだわけではありません。最初の接点は、フジテレビ系『オールナイトフジ』の女子高生を集めた企画でした。
『オールナイトフジ 女子高生スペシャル』へ出演
高校在学中、名越さんは『オールナイトフジ 女子高生スペシャル』に出演しました。この番組出演が、後に『夕やけニャンニャン』へ出る直接の入口になります。
当時の名越さんにとって、テレビ出演は「将来は必ずアイドルになる」という長年の夢をかなえる最終段階ではありませんでした。番組に出演したことでスタッフとの接点ができ、その先に別の番組の話が出てきた形です。
『オールナイトフジ 女子高生スペシャル』には、後のおニャン子クラブ初期メンバーにつながる女性たちも出演していました。名越さんもその一人として、1985年春に始まる新番組へ進んでいきます。
名越美香がおニャン子クラブに入ったきっかけ
『オールナイトフジ 女子高生スペシャル』への出演後、名越さんは『夕やけニャンニャン』のスタッフから出演の声をかけられます。
後に公開オーディションからおニャン子クラブへ入ったメンバーもいますが、名越さんはそのルートではありません。テレビ番組への出演をきっかけに、スタッフから次の番組へ誘われた初期メンバーでした。
しかも、本人は最初から長期間続けるつもりではなかったとされています。当時の気持ちを振り返った発言として、こんな短い言葉が残っています。
「1か月やる」
出典:WikiZero「名越美香」(『ログアウト』1988年4月号の発言として紹介)
お小遣いを稼ぐアルバイトに近い感覚だったとも伝えられています。「アイドルになるためにここまで来た」というより、まず短期間やってみるというところから始まった仕事でした。
1985年4月1日から『夕やけニャンニャン』へ
1985年4月1日、『夕やけニャンニャン』の放送がスタートしました。名越さんは初回放送から出演し、おニャン子クラブ会員番号9番となります。
名越さんの誕生日は4月13日。番組が始まった4月1日の時点では18歳でした。高校時代のテレビ出演から始まったつながりが、ほどなくして毎日のように生放送へ出演する生活へ変わりました。
『夕やけニャンニャン』は、メンバーが歌だけを披露する番組ではありません。トーク、ゲーム、ロケなどさまざまな企画に参加するため、メンバーの何気ない反応までテレビに映りました。
1985年7月5日には、おニャン子クラブが「セーラー服を脱がさないで」でレコードデビュー。名越さんが「1か月」程度と考えて始めた活動は、そのころには全国的に知られるグループの活動へと広がっていました。
おニャン子クラブ時代の名越美香は泣き虫だった?
名越さんについて残っているエピソードの中でも特に知られているのが、1985年夏の豊島園でのプールロケです。
その少し前の放送で、名越さんは自分の泳ぎについて話していました。
「息継ぎができないので、息が続くまでしか泳げません」
出典:WikiZero「名越美香」(1985年7月5日の『夕やけニャンニャン』での発言として紹介)
そして7月8日の豊島園ロケ。プールで行われたゲームの最中に足が底へ届かなくなり、名越さんは本当に溺れそうになります。
必死でプールサイドまでたどり着き、涙を浮かべた名越さんが「生きてて良かった…」と話した場面は、その後も番組の思い出として長く残りました。
プール事件には約28年後の続きがあった
この出来事には後日談があります。2013年7月、ニャンギラスの4人がタワーレコード渋谷店で再集結したトークイベントで、名越さんは当時のプールロケについて尋ねられました。
「今は1kmぐらい泳げるようになりました」
出典:クランクイン!「おニャン子『ニャンギラス』再集結!」(2013年7月28日)
本人によれば、あのときは本当に死ぬと思うほど怖かったため、その後は泳ぎを練習したそうです。テレビの中で泣いて終わったエピソードに、何年も後になって意外な続きがありました。
名越美香がニャンギラスのメンバーになるまで
おニャン子クラブでの活動が続く中、名越さんは樹原亜紀さん、立見里歌さん、白石麻子さんとともに派生ユニット「ニャンギラス」のメンバーになります。
会員番号は樹原さんが6番、名越さんが9番、立見さんが15番、白石さんが22番。年齢も加入時期も異なる4人が組んだユニットでした。
ニャンギラスは1986年4月1日、「私は里歌ちゃん」でレコードデビューします。名越さんが『夕やけニャンニャン』初回からおニャン子クラブとして活動し始めた日から、ちょうど1年後でした。
「私は里歌ちゃん」でニャンギラスがデビュー
「私は里歌ちゃん」は、メンバーの立見里歌さんの名前をそのままタイトルに使った楽曲です。続いて「自分でゆーのもなんですけれど」も発売され、ニャンギラス独特のコミカルな立ち位置が定着しました。
名越さんはニャンギラスのアルバム『最初で最後』にも参加し、ソロ曲「恋の夕凪」も歌っています。『夕やけニャンニャン』で見せる賑やかな姿とは違う歌声を残しました。
4人の縁は、おニャン子クラブを離れた後も切れませんでした。2013年7月28日にはタワーレコード渋谷店で、樹原さん、名越さん、立見さん、白石さんの4人全員がそろったトークイベントが行われています。
さらに2026年3月にも、海外で暮らすメンバーが日本へ戻ったタイミングでニャンギラスの4人が集まったことを立見さんが公式ブログで紹介しています。結成から長い年月を経ても交流は続いています。
名越美香はなぜおニャン子クラブを卒業した?
1986年7月19日、名越さんは横浜スタジアムで行われたコンサートで卒業を発表しました。その後、9月26日の『夕やけニャンニャン』で行われた卒業式と、日本武道館での卒業コンサートをもっておニャン子クラブを卒業します。
高校時代に番組へ出演し、最初は短期間のつもりで始まったおニャン子クラブでの活動は、およそ1年半続きました。
人気のあるうちに離れたいという気持ちもあった
卒業から年月がたった2017年、名越さんは当時の気持ちを振り返っています。
「惜しまれて辞めるのはカッコいいなと思ってました(笑)」
出典:Smart FLASH「おニャン子『名越美香』アカペラユニットを組んで活動中」(2017年10月23日)
卒業後は女優として活動し、『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』などにも出演しました。しかし、女優を続けることだけに進路を決めたわけではありませんでした。
卒業後は英語を学ぶためイギリスへ
名越さんは、やがて英語を学ぶためイギリスへ留学します。2022年の取材では、そのころの進路について率直に話しています。
「女優は難しいなと感じて諦め」
出典:女性自身「結婚式の司会者、香港で銀行員になった人も…元『おニャン子』全54人の紆余曲折なその後」(2022年8月13日)
イギリスでは教会で後に夫となる男性と出会いました。夫は香港出身で、その後名越さんは香港で暮らすようになります。
香港へ移った当初は夫の両親が話す広東語を理解できなかったため、現地の大学の語学コースへ約1年間通ったことも本人が明かしています。その後は香港にある邦銀で総務や人事の仕事を7~8年経験しました。
香港でアカペラユニットSHEEPを結成
香港では教会で知り合った仲間たちと、アカペラユニット「SHEEP」でも活動しています。
「私はもともとクリスチャンなんです」
出典:女性自身「結婚式の司会者、香港で銀行員になった人も…元『おニャン子』全54人の紆余曲折なその後」(2022年8月13日)
SHEEPは日本語や広東語、英語などで賛美歌を歌うユニットで、主に香港で活動しています。名越さん自身も2017年と2022年の取材で、SHEEPの動画をYouTubeで見てほしいと紹介しています。
公式YouTubeチャンネルでは、現在もSHEEPのアカペラを聴くことができます。
1985年春、高校時代のテレビ出演をきっかけにスタッフから声をかけられた名越さんは、「1か月」のつもりで『夕やけニャンニャン』に入りました。
そこから会員番号9番、ニャンギラス、卒業、そして海外へ。現在も昔の仲間との交流を続けながら、香港を拠点に歌う活動を続けています。


























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