榎田道子は昔どんな女子高生だった?学歴や家族構成、おニャン子加入まで

ひと目でわかるプロフィール
榎田道子
えのきだ みちこ
『オールナイトフジ女子高生スペシャル』から会員番号2番へ進んだ、おニャン子クラブ最初期メンバー
生年月日
1967年5月4日
血液型
AB型
身長
160cm
所属・活動形態
おニャン子クラブ
活動時代
昭和アイドル
アイドル活動開始
1985年
活動開始時年齢
17歳
アイドルになったきっかけ
その他

おニャン子クラブの「会員番号2番」として名前が残る榎田道子さん。1985年4月1日に始まった『夕やけニャンニャン』へ初期メンバーとして出演しましたが、その活動期間は同年4月25日までと短いものでした。

そのため、榎田さんについて検索すると「喫煙」「現在」といった言葉が目立ちます。ただ、テレビに出る前の榎田さんには、バレーボールをしていた学生時代、そろばん3級、好きなお菓子や初恋の話など、当時のプロフィールに残された女子高生らしい断片があります。

榎田道子さんは『オールナイトフジ女子高生スペシャル』への出演を経て、おニャン子クラブ最初期の11人に選ばれたメンバーです。

この記事では、榎田さんがどんな学生時代を過ごし、どのようにテレビと接点を持ち、会員番号2番として『夕やけニャンニャン』のスタート地点に立ったのかを時系列で追います。

同時期に活動した元女優の榎田路子さんは、本名の旧姓名が「榎田道子」とされていますが、おニャン子クラブ会員番号2番の榎田道子さんとは別人です。

榎田道子は昔どんな少女だった?当時のプロフィールに残る素顔

榎田道子さんは1967年5月4日生まれ。1985年当時の『DUNK』掲載プロフィールでは、出身地は「東京」、身長160cm、血液型AB型と紹介されています。ここでいう「出身地」は出生地と同じとは限らないため、生まれた場所については分けて考える必要があります。

同じプロフィールには、クラブ活動としてバレーボール、特技・資格としてそろばん3級が挙げられていました。芸能活動の華やかな経歴というより、学校生活の横顔がそのまま並んでいるのが特徴です。

バレーボールとそろばん3級、好きなお菓子はコアラのマーチ

好きな食べ物はコアラのマーチ、好きな色はピンク。好きなタレントには片岡鶴太郎さん、目標とするタレントには松本小雪さんを挙げています。

趣味を聞かれたときの回答は、少しふざけた調子でした。

「勉強かなァ? うっそー」

出典:bijin「おニャン子クラブ 喫煙組プロフィール」(『DUNK』1985年7月号82頁の記載を転載/公開日記載なし)

プロフィールの短い回答ですが、整えた受け答えではなく、その場の調子が残る言葉です。好きな科目と嫌いな科目はいずれも「なし」と答えていました。

中学1年の初恋も当時のプロフィールで明かしていた

初恋については、中学1年生のころの出来事を挙げています。相手はバスケットボール部の男子だったという、かなり具体的な回答でした。

「中学1年のときバスケ部のYくんよ!」

出典:bijin「おニャン子クラブ 喫煙組プロフィール」(『DUNK』1985年7月号82頁の記載を転載/公開日記載なし)

好きな男の子のタイプについても、かっこよくて優しく、まじめすぎない人と答えています。一方で、暗く湿っぽく、せこい人は苦手としていました。

さらに「好きな言葉」という少し変わった質問には、次の一言を返しています。

「ふざーけんなっ」

出典:bijin「おニャン子クラブ 喫煙組プロフィール」(『DUNK』1985年7月号82頁の記載を転載/公開日記載なし)

数行のプロフィールでも、バレーボール、そろばん、コアラのマーチ、初恋、好きな芸能人と、当時の生活が見える材料は意外に多く残っています。

男の子の好みについても、優しいだけでなく「まじめすぎない」ことを条件に挙げていました。反対に苦手なタイプもはっきり答えており、当時のプロフィールは、デビュー後に整えられた人物紹介というより、女子高生への一問一答に近い内容です。

体重を尋ねられた欄では数値を答えず、断るような言い回しをしています。必要以上に数字で人物像を作るより、こうした受け答えそのものに、テレビへ出始めた時期の榎田さんの空気が残っています。

榎田道子の家族構成は?母親との関係

榎田道子の家族構成
2017年の番組で母親との生活が紹介
本人
榎田道子

榎田さんの父親や兄弟姉妹について、本人や信頼できる公表資料で具体的な家族構成は明らかになっていません。名前や職業を推測できる材料もなく、確認できる家族のエピソードは母親に関するものが中心です。

2017年12月放送のTBS系『爆報!THEフライデー』をまとめた記録では、当時、母親が入院しており、榎田さんがほぼ毎日病院へ顔を出していたと紹介されています。

同じ放送では、榎田さんがエステサロンで働いたあと、母親に代わってスナックを切り盛りしていた様子も伝えられました。少女時代の家庭環境そのものを示す話ではありませんが、後年まで続いた母娘の関わりを確認できるエピソードです。

番組では、エステサロンの仕事を終えてからスナックへ向かい、店内でネイルサービスも行っていたと紹介されています。母親の入院中に病院へ通うことと仕事を並行していた時期で、家族について公に確認できる数少ない具体的な生活場面です。

父親や兄弟姉妹については公表情報が乏しく、「父・母・本人の3人家族」などと人数を決めることはできません。

榎田道子の学歴は?中学校・高校時代を調査

榎田さんの学校生活については、1985年当時のプロフィールと、高校の同級生だったとする人物が後年に残した詳細な記録が手掛かりになります。

中学校名は公表資料で特定できない

中学校については、学校名を確実に示す本人発言や学校公式資料は見当たりません。ネット上には具体的な学校名も出ていますが、出典がはっきりしない情報だけで断定するのは避けた方がよいでしょう。

一方、当時のプロフィールからは中学1年時の初恋が確認でき、少なくとも中学時代の一場面は本人の言葉で残っています。学校名よりも、本人が語った生活の断片を優先して見る方が、当時の姿には近づけます。

高校は埼玉県立志木高校とする同級生の詳細な記録が残る

高校については、埼玉県立志木高等学校の同級生だったと名乗る人物が、榎田さんと同学年だったことを長年ブログに記録しています。その記録では、榎田さんは1年8組、2年7組、3年1組だったとされ、筆者自身は3年6月ごろに友人になったと書いています。

卒業生情報サイトでも榎田さんを志木高校の卒業生として掲載しています。ただし、本人の公式プロフィールや学校公式の卒業生紹介で確認できる情報ではないため、学校名は同級生証言を中心とする有力情報として扱うのが適切です。

この同級生による記録には、テレビ出演前後をつなぐ重要な話もあります。筆者が榎田さんの存在を知ったのは、『オールナイトフジ女子高生スペシャル』の美少女コンテストで決勝メンバーに選ばれたときだったというのです。

同級生の記録によれば、志木高校は当時1学年10クラスほどある規模で、同じ学年でも互いを知らないまま過ごす生徒が珍しくなかったといいます。筆者と榎田さんも1年、2年では別々のクラスで、接点ができたのは3年生になってからでした。

特に興味深いのは、筆者が榎田さんと友人になった時期を「高校3年の6月」と記していることです。榎田さんがおニャン子クラブを離れたのは4月25日ですから、その記録どおりなら、テレビ出演を終えたあとに学校生活へ戻った時期の姿を知る同級生証言ということになります。

同じブログでは、志木高校時代の休み時間にコアラのマーチを食べていた思い出にも触れ、榎田さんが雑誌で同じお菓子を好きな食べ物に挙げていたことを重ねています。雑誌の一問一答と同級生の記憶が、小さなところでつながるエピソードです。

オールナイトフジ女子高生スペシャルがおニャン子への入口

おニャン子クラブ最初期のメンバーは、後に番組内で行われた通常の新メンバーオーディションとは入り口が異なります。1985年2月23日と3月16日に放送された『オールナイトフジ女子高生スペシャル』の出演者から11人が選ばれ、4月1日の『夕やけニャンニャン』開始へつながりました。

榎田さんも、この女子高生スペシャルから出演したメンバーの一人です。現在のおニャン子関連資料でも、会員番号2番の榎田さんについて「オールナイトフジ女子高生スペシャルから出演」と整理されています。

高校生活の途中で出演した女子高生特番が、そのまま『夕やけニャンニャン』初期メンバーへの入口になりました。

同級生の記録にある美少女コンテスト決勝と、おニャン子クラブ11人への選抜がまったく同じ審査だったとまでは断定できません。ただ、榎田さんが番組の女子高生企画に参加し、その出演者の中から初期メンバーへ進んだ流れは複数資料で一致しています。

1985年の本人プロフィールでは、テレビに出たときの自分の話し方についても触れていました。

「ふだんはちゃんとしゃべれるんだけど」

出典:bijin「おニャン子クラブ 喫煙組プロフィール」(『DUNK』1985年7月号82頁の記載を転載/公開日記載なし)

続く自己PRでは、番組では情けないしゃべり方になってしまうと自分で気にしていたことも記されています。テレビに出始めたばかりのころ、自分が画面でどう見えるかを意識していた様子が残る回答です。

榎田道子がアイドルになるまで
1967年5月4日
誕生
1985年当時の資料では出身地を東京と記載
1985年2月~3月
オールナイトフジ女子高生スペシャルに出演
出演女子高生の中からおニャン子クラブ初期メンバーへ選ばれる
1985年4月1日
おニャン子クラブ会員番号2番として活動開始
『夕やけニャンニャン』放送開始時の初期メンバーとして出演
1985年4月25日
おニャン子クラブでの活動を終了

榎田道子はおニャン子クラブ会員番号2として活動開始

1985年4月1日、『夕やけニャンニャン』の放送が始まりました。USENのメンバー一覧では、榎田さんの加入日は1985年4月1日、会員番号は2番と記録されています。

初期11人は、学校の放課後にテレビへ出る女子高生を中心とした存在でした。番組開始時から在籍した榎田さんは、後から「ザ・スカウト アイドルを探せ!」で加入したメンバーより前の、グループそのものの出発点にいたことになります。

榎田さんがプロフィールで好きなタレントに挙げていた片岡鶴太郎さんは、『オールナイトフジ女子高生スペシャル』や『夕やけニャンニャン』初期を語るうえで欠かせない出演者の一人でした。また、目標とするタレントに挙げた松本小雪さんも『夕やけニャンニャン』に出演しています。

一方、おニャン子クラブのレコードデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」が発売されたのは1985年7月5日です。榎田さんのおニャン子クラブ在籍は4月25日までのため、会員番号2番ではあっても、このデビューシングルの時期にはすでにグループを離れていました。

榎田道子さんは「おニャン子クラブ初期メンバー」ですが、グループのCDデビュー前に在籍を終えています。

1985年4月、短かったおニャン子クラブでの活動

USENのメンバー資料では、榎田さんの卒業日は1985年4月25日。4月1日の番組開始から数えると、在籍期間は1か月に満たない短さでした。

きっかけになったのは、『週刊文春』に未成年メンバーの喫煙写真が掲載されたことです。榎田さんを含む複数のメンバーが番組から姿を消し、4月25日付で5人がおニャン子クラブを離れました。

この出来事は榎田さんの名前と強く結び付いて語られてきましたが、本人が後年、公の場で当時を振り返った機会もあります。2017年12月8日放送の『爆報!THEフライデー』では、同じ時期におニャン子クラブを離れた会員番号7番・友田麻美子さんと32年ぶりに再会しました。

番組内容を記録した記事では、榎田さんが当時友田さんを誘ったことについて謝罪し、友田さんのことをかわいく才能もあったと思っていたと話したうえで、次のように述べています。

「申し訳なかったと思いますね」

出典:テレビのまとめ「おニャン子クラブ喫煙事件の主犯格・榎田道子は今…友田麻美子との因縁再会」(2017年12月8日)

同じ記録によると、友田さんは榎田さんを恨んでおらず、当時誘われたこと自体も覚えていなかったとされています。1985年4月で止まっていた二人の関係が、2017年になって再びテレビの前で交わりました。

友田麻美子とMM27を結成し、2026年に初めてCDデビュー

2017年の再会からさらに時間がたち、榎田さんと友田麻美子さんは「MM27@ミチ公マミ公」として活動するようになりました。二人はそれぞれ、おニャン子クラブ会員番号2番と7番だったメンバーです。

2026年2月21日には、MM27@ミチ公マミ公名義の「若気のイ・タ・リ」を発売。榎田さんのソロ曲「午前0時のOFF CHANCE」も収録されました。1985年のおニャン子クラブではCDデビュー前に活動を終えていた榎田さんにとって、長い時間を経て実現した音源リリースです。

おニャン子クラブ関連資料では、2026年2月の活動を「友田さんと共にMM27@ミチ公マミ公のメンバーとしてCDデビュー」と記録しています。1985年7月の「セーラー服を脱がさないで」には参加していないため、榎田さん自身の音源史を見ると2026年のリリースは大きく位置づけの違う出来事です。

M.T.P. LABELの公式YouTubeでは、「若気のイ・タ・リ」のMVも公開されています。会員番号2番と7番だった二人が、今度はユニットとして並んで歌う映像です。

榎田道子さんが最初におニャン子クラブの一員として『夕やけニャンニャン』に立ったのは1985年4月1日でした。活動期間は短くても、その前には学校生活があり、女子高生スペシャルへの出演を経て会員番号2番になるまでの流れがあります。

そして2026年、会員番号7番の友田麻美子さんとMM27として歌う姿が公開されました。1985年には届かなかったCDデビューという地点に、二人は別の形でたどり着いています。

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