2025年7月5日、「おニャン子クラブ 結成40周年コンサート」のステージに、会員番号14番だった富川春美さんの姿がありました。SmartFLASHによると、富川さんは沖縄から参加。事前の全体リハーサルには参加できず、本番当日に振り付けや立ち位置を確認してステージに立っています。
何十年経ってもファンでいてくれるってすごいですね。
出典:SmartFLASH「【おニャン子クラブ結成40周年】大学教授になったレジェンドらが集結、ヒット曲に会場総立ちで“萌え”爆発!」(2025年7月9日)
会場で「お富さ~ん!」と呼ばれた富川さん。40年近い時間を挟んでも、その呼び名と会員番号14番はファンの記憶に残っていました。
その会員番号14番の始まりは、1985年春。「ザ・スカウト アイドルを探せ!」に挑んだ学生時代の富川春美さんでした。
千葉で暮らしていた少女は、どんな家で過ごし、学校生活とテレビ出演をどう両立し、おニャン子クラブへ入っていったのでしょうか。残されている本人の言葉や、当時を知る元メンバーの記録から、アイドルになるまでをたどります。
富川春美は若い頃どんな少女だった?千葉からテレビの世界へ
富川春美さんは1968年に千葉県で生まれました。後におニャン子クラブ会員番号14番として知られるようになりますが、芸能活動が大きく動き始めたのは1985年です。
当時の富川さんは学生生活の途中にいました。現在まで残る資料では、小学校や中学校でどんな部活動をしていたのか、どんな習い事をしていたのかといった幼いころの細かな話は多くありません。
一方で、少女時代後半の暮らしぶりについては、同じおニャン子クラブの内海和子さんが具体的な記憶を残しています。そこに出てくるのは、テレビの中のアイドルというより、友人が家へ泊まりに来る普通の日常でした。
富川春美の家族構成は?母親や藁葺き屋根の実家での暮らし
富川さんの少女時代の家族について、父親や兄弟姉妹まで含めた詳しい構成は広く公表されていません。ただ、母親と実家での暮らしについては、内海和子さんの公式ブログに印象的な場面が残されています。
内海和子が何度も泊まった藁葺き屋根の家
内海さんによると、富川さんとはおニャン子クラブへ加入する前のオーディションから親しくなりました。やがて家族ぐるみの付き合いになり、富川家の自宅へ何度も泊まりに行ったと振り返っています。
その自宅は、当時からメンバーの間でも知られていた藁葺き屋根の家でした。内海さんは富川さんの家へ泊まり、富川さんも内海家へ遊びに来る。二人で回転寿司へ何度も出かけたという話も残っています。
生放送のテレビ番組に出るようになってからも、家へ帰れば藁葺き屋根の自宅があり、友人と泊まり合う生活が続いていました。
母親の手作りおかきが内海和子の家にも残った
内海さんがもう一つ覚えていたのが、富川さんの母親が作っていたおかきです。餅を乾燥させて作るもので、内海さんは富川さんの母親から教わったその作り方を、後年も自宅で続けていると書いています。
おニャン子クラブという大きなブームの裏側に、友人が泊まり、家族と食べ、母親の味を覚えて帰る時間がありました。富川さんの実家をめぐる話が今も残っているのは、元メンバー自身がその家の日常に入っていたからです。
内海さんの思い出には、富川さんが内海家の親族行事へ加わった場面もあります。正月になると内海さんの祖父宅の庭へ親族が集まり、北海道から取り寄せたジンギスカンを囲むのが恒例で、その場に富川さんも来ていたといいます。
テレビ番組で顔を合わせるだけの関係ではなく、正月の家族の集まりにも混ざる距離でした。加入前のオーディションで知り合った二人の関係が、互いの家族まで含む付き合いへ変わっていったことが分かります。
富川春美の学歴は?高校時代の学校生活と芸能活動の両立
富川さんの出身高校の正式名称は、本人・学校・所属先などの公表資料では確定していません。一方、おニャン子クラブで活動していた時期にも学校生活があり、その学校側の事情が芸能活動に直接影響したことは本人が明かしています。
2022年10月、日本テレビ系「しゃべくり007」に出演した富川さんは、久しぶりにテレビへ姿を見せました。スタジオでは、昔と同じように会員番号を付けて自己紹介しています。
こんにちは、会員ナンバー14番。富川春美です
出典:デイリースポーツ「懐かしい!元おニャン子 富川春美さん20年ぶりTV出演 現在は意外な職業に 羽鳥慎一が大興奮」(2022年10月11日)
この出演で話題になったのが、当時予定されていたソロデビューについての本人証言でした。富川さんにはソロでレコードを出す話があったものの、それが実現しなかった理由を自分の言葉で明かしています。
学校の都合で『夕ニャン』を休んでいたら、なくなってしまって
出典:デイリースポーツ「懐かしい!元おニャン子 富川春美さん20年ぶりTV出演 現在は意外な職業に 羽鳥慎一が大興奮」(2022年10月11日)
テレビへ毎日のように出演する人気グループの一員になっても、学生であることは変わりませんでした。学校へ通うことと芸能活動の両方が同時に存在し、そのバランスが崩れればテレビ出演にも影響する。富川さんの場合、その休止期間がソロ活動の話にも重なりました。
出身高校について「千葉県立松戸南高等学校」とする人物情報サイトがありますが、本人・学校・所属先などによる裏付けが取れないため、学校名は確定情報として扱えません。
1985年「ザ・スカウト アイドルを探せ!」に合格
富川さんがテレビの世界へ入る直接の入口になったのが、フジテレビ系「夕やけニャンニャン」の企画「ザ・スカウト アイドルを探せ!」でした。
ポニーキャニオンの公式映像作品「夕やけニャンニャン おニャン子白書(1985年4~6月)」には、1985年4月のオーディションが収録されています。公式の収録内容では、河合その子さん、内海和子さん、富川春美さんが合格者として記録されています。
ここで富川さんと内海さんが出会いました。後年、内海さんが「加入前のオーディションから親しくなった」と振り返っているため、後の家族ぐるみの交流も、この時期から始まったことになります。
ポニーキャニオンの収録内容には、合格者が水着で登場したことも明記されています。現在のようにSNSで候補者の情報が広がる時代ではなく、平日夕方の生放送番組の中でオーディションを受け、そのまま視聴者の前へ出ていく形式でした。
富川さんにとっては、学校へ通っていた生活の中に突然テレビ局での時間が入り込んだことになります。しかも番組は始まったばかりで、「おニャン子クラブ」という存在自体もまだ固定された形ではありませんでした。
会員番号14番として1985年4月5日に加入
USENのメンバー資料では、富川さんの加入日は1985年4月5日。割り当てられた番号は14番でした。
「夕やけニャンニャン」は同年4月に始まったばかりです。完成されたアイドルグループへ後から入るというより、番組とグループが形を作り始めた時期に、富川さんもその中へ加わりました。
ポニーキャニオンの同映像には、「セーラー服を脱がさないで」のレコーディング風景も収められています。オーディションを受けていた学生が、数カ月のうちにテレビ出演だけでなく、おニャン子クラブとしてレコーディングへ進んでいった時期です。
USENのメンバー一覧では、富川さんの在籍終了日は1987年9月20日とされています。加入した1985年4月5日からグループ解散時まで会員番号14番として在籍し、初期のオーディション組から最後のステージまでを経験しました。
その間には、先に卒業するメンバーもいれば、新しく加わるメンバーもいました。富川さん自身はソロデビューへ進まなかったため、名前の前に付く「会員番号14番」が活動を通して変わらない肩書きになっていきます。
富川春美にソロデビューの話があった?実現しなかった理由
富川さんについて長く語られてきたエピソードの一つが、「ソロデビューする予定だった」という話です。本人は2022年の「しゃべくり007」で、ソロデビューの話そのものがあったことを認めています。
ただし、レコーディング済みだった曲名や正式な発売予定日などについては、本人がこの出演で具体的に明かしてはいません。確実に言えるのは、ソロデビューの話があり、学校の都合で「夕やけニャンニャン」を休んでいる間に、その話がなくなったという本人の説明までです。
人気が出たから学校を離れる、という一本道ではありませんでした。テレビの仕事が大きくなっても、学校生活がそのまま残っていたことが、富川さんのアイドル時代の特徴の一つです。
会員番号14番・富川春美がおニャン子クラブで歩き始める
オーディション合格から会員番号14番になった1985年春。富川さんは「夕やけニャンニャン」の中でおニャン子クラブの一員として活動し、グループのレコーディングにも加わっていきました。
加入後の富川さんを近くで見ていた内海和子さんの記憶には、テレビ局の中だけではなく、互いの家を行き来した時間が残っています。藁葺き屋根の家、回転寿司、母親のおかき。会員番号14番になってからも、そうした日常が途切れたわけではありませんでした。
おニャン子卒業後、富川春美が沖縄へ向かったきっかけ
おニャン子クラブ解散後、富川さんはモデルの仕事を続けました。その後の生活を大きく変えた場所が沖縄です。
オクマビーチに魅せられてしまった。
出典:SmartFLASH「おニャン子クラブ『富川春美』夫は米軍施設のコック」(2017年10月18日)
本人によると、おニャン子卒業後に番組で沖縄を訪れ、オクマビーチに惹かれました。モデルを続ける以外の道を考えた富川さんは、22歳のころ、自分からホテルへ連絡しています。
募集してませんか?
出典:SmartFLASH「おニャン子クラブ『富川春美』夫は米軍施設のコック」(2017年10月18日)
その問い合わせからホテルのアルバイト採用につながり、寮へ入り、マリンスポーツの受付を担当。休日にはダイビングをする生活になりました。
まるでおニャン子に入ったときのようでした。
出典:SmartFLASH「おニャン子クラブ『富川春美』夫は米軍施設のコック」(2017年10月18日)
テレビのオーディションに合格した1985年春と、沖縄で新しい生活へ飛び込んだ時期。本人は、大きく環境が変わった感覚を重ねて振り返っています。
FM那覇は2018年、番組「だいすけさんの部屋」に富川さんがゲスト出演したことを公式サイトで案内し、前週の出演動画も公開しています。芸能界から離れた後も、沖縄で本人が昔を振り返る機会がありました。
富川春美の現在は?沖縄で宿を運営し40周年ステージへ
2017年のSmartFLASHインタビューでは、富川さんは29歳のときに結婚し、3人の子どもがいることを明かしています。その後、沖縄県国頭村で「Sunset Villa ACCORCLAW OKINAWA」という一棟貸しの宿に関わるようになりました。
富川さんが沖縄へ移った出発点は、芸能界の仕事を増やすためではありませんでした。番組で訪れたオクマビーチが忘れられず、自分からホテルへ電話をかけ、アルバイトとして働き始めています。テレビの世界から離れた後に選んだ仕事も、誰かに用意された進路ではなく、自分で問い合わせた一件から始まりました。
2025年の40周年コンサートでも、富川さん自身が国頭村で「アコークロー沖縄」という宿をやっていると紹介しています。宿の公式サイトも現在公開されており、「アコークロー」は沖縄の方言で「夕暮れ時」という意味だと案内されています。
西元めいささんは、自身の母親がおニャン子クラブの元メンバーだと公表しています。ただし、母親が誰なのかは明かしておらず、日刊スポーツもメンバー名は不明と報じています。富川春美さんの娘だと断定できる公表資料はありません。
1985年春、学校へ通いながら「ザ・スカウト アイドルを探せ!」に出た富川春美さんは、会員番号14番となり、おニャン子クラブの初期からグループの時間を過ごしました。学校の都合でテレビから離れた時期もあり、予定されていたソロデビューは実現しませんでした。
それでも会員番号14番は残り、2025年には沖縄から40周年のステージへ戻りました。藁葺き屋根の家で友人と過ごしていた学生が、オーディションを経てアイドルになり、長い時間を経てもう一度「お富さん」と呼ばれる場所へ立ったことになります。


























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