おニャン子クラブ会員番号18番として知られる永田ルリ子さん。1985年5月17日に「ザ・スカウト アイドルを探せ」の審査を通過し、『夕やけニャンニャン』の中へ入っていきました。
けれど、その少し前までの日常には、学校の課題や受験勉強、読みたい本、友人とのやり取りといった、ごく普通の高校生活がありました。テレビに出るようになってからも、学校を終えるとスタジオへ急ぐ日が続いています。
友人に誘われて受けたオーディションが、永田ルリ子さんを会員番号18番へとつなげました。
熊本とのつながり、家族との小さな出来事、高校時代の学校生活、そして1985年5月のオーディション。永田ルリ子さんがおニャン子クラブに入るまでを、本人が残した当時の言葉とともにたどります。
永田ルリ子は昔どんな少女だった?熊本につながる原点
永田ルリ子さんの幼いころについては、遊びや習い事、小学校時代の細かな出来事まで本人がまとまって語った記録は多くありません。一方で、自分の原点を示す言葉としてはっきり残っているのが熊本です。
1986年4月29日、『夕やけニャンニャン』は熊本工業大学から中継を行いました。その場で永田さんは、熊本について自分からこう話しています。
そして私にとっては、7年ぶりの生まれ故郷なんですよね
出典:瑠璃色の追憶「永田ルリ子年表-1986/4/1~1986/6/30」(公開日記載なし)
翌日の放送でも「久しぶりに九州に帰ってきました」と自己紹介しています。熊本が単なる仕事先ではなく、本人の記憶につながる場所だったことは、この二日間の言葉から伝わってきます。
ただ、「7年ぶり」という一言だけから、いつ、どの土地へ、どんな事情で転居したのかまでは決められません。永田さんの少女時代を追ううえでは、熊本を原点の一つとして置きつつ、その後の生活は本人が具体的に語っている高校時代から見ていくのが自然です。
永田ルリ子の家族構成は?母親との高校時代のエピソード
永田ルリ子さんの父親や兄弟姉妹については、氏名や職業、人数まで広く知られている公表情報は多くありません。家族の中で、当時の本人の言葉から日常の一場面が見えるのは母親です。
1985年8月の『夕やけニャンニャン』では、受験生として夏休みを過ごしていた永田さんが、自宅で母親からフラフープを借りた話をしています。
お母さんにフラフープを借りて、シェイプアップしようとしたけど、一回も回せず、断念。
出典:瑠璃色の追憶「永田ルリ子さんの想い出Vol3-2-4~終わらない夏休みの始まり」(公開日記載なし)
この年の夏は、おニャン子クラブに加入した直後でした。テレビ番組へ出る生活が始まっても、家庭では母親に身近な物を借り、うまくできなかったことまで笑い話にしていました。
「アイドルの家庭」という特別な話ではなく、母親からフラフープを借りる高校生の日常が、そのまま番組の中に持ち込まれていました。
芸能界入りを母親が勧めた、家族が応募した、といった経緯は確認されていません。永田さんがオーディションへ向かった直接のきっかけとして本人が挙げているのは、家族ではなく友人です。
永田ルリ子の学歴は?津田沼高校から短大進学まで
永田ルリ子さんは千葉県立津田沼高等学校に通い、おニャン子クラブへの加入後も高校生活を続けました。1986年3月31日に同校を卒業したとされ、その後は和洋女子大学短期大学部国文科へ進んでいます。
高校在学中の本人の言葉には、芸能活動の話だけではなく、授業や課題、受験に追われる日常が何度も出てきます。加入から約2か月後の1985年7月16日には、美術の課題を終えたことをうれしそうに報告していました。
今日、美術の課題を全部出してきました。みえ、どうもありがとね。
出典:瑠璃色の追憶「永田ルリ子年表-1985/5/18~1985/9/30」(公開日記載なし)
「みえ」が誰を指していたのかまでここで断定することはできませんが、一人で黙々と課題を片づけていたのではなく、学校の友人と助け合っていた様子がのぞきます。
夏休みに読みたかったのは三島由紀夫
同じ7月、永田さんは夏休みにしたいこととして読書を挙げました。名前を出したのは三島由紀夫です。
夏休みにはぜひ、三島由紀夫さんの本を読破しようと思っています。
出典:瑠璃色の追憶「永田ルリ子年表-1985/5/18~1985/9/30」(公開日記載なし)
後年のプロフィール類でも三島由紀夫を好む内容が紹介されており、本を読むことは一時的な番組用の答えではなかったようです。アイドルとして動き始めた時期にも、本人の関心は学校生活や文学と並んでいました。
同じ夏には、一龍斎貞水さんの怪談を聞いて涙を見せた日もありました。別の日には、日曜日に時間ができて原宿へ出かけ、おいしい店を見つけたと番組で話しています。受験勉強だけで一色だったわけではなく、空いた時間には街へ出かける高校生らしい過ごし方もしていました。
こうした小さな話は、後年の経歴一覧にはほとんど残りません。けれど1985年の本人を時系列で追うと、学校の課題、読書、夏期講習、友人、原宿、そして夕方の生放送が、同じ数か月の中に並んでいます。
受験生として夏期講習へ通った1985年の夏
1985年8月の「おニャン子夏休み絵日記」で、永田さんは夏休みを思い切り遊ぶつもりだったものの、自分が受験生だったことを思い出したと話しています。実際の夏休みは「毎日お勉強」で、夏期講習に通って終わったという内容でした。
5月にオーディションへ合格し、7月にはグループのレコード活動も始まっています。その最中にも進学のための勉強を続けていたことになります。テレビ出演の予定だけで夏が埋まっていたわけではありません。
永田さんがおニャン子クラブへ加入した1985年5月時点では高校在学中でした。グループ活動と学校生活、さらに進学準備が同時に進んでいます。
学校が終わると『夕やけニャンニャン』のスタジオへ
『夕やけニャンニャン』は平日の夕方に放送される生番組でした。高校に通っていた永田さんにとって、学校と番組は別々の生活ではなく、同じ一日の中にありました。
1985年10月1日の日直では、スタジオへ着いたばかりの様子がそのまま自己紹介になっています。
今日も、都民の日だというのに学校からダッシュしてきました。
出典:瑠璃色の追憶「永田ルリ子年表-1985/10/1~1985/12/31」(公開日記載なし)
生放送に間に合わせるため、学校を出てスタジオへ急ぐ。テレビ画面の中ではおニャン子クラブの一員でも、その直前までは授業を受けていた高校生でした。
高校卒業が近づいた1986年3月には、自分の宝物についても短い言葉を残しています。
私の宝物は、ウサギのペンケースです。
出典:瑠璃色の追憶「永田ルリ子年表-1986/1/1~1986/3/31」(公開日記載なし)
ステージ衣装や芸能活動の品ではなく、挙げたのはペンケースでした。学校生活の終わりが近づく時期まで、学生として使う身近な物が本人の言葉に出てきます。
高校卒業後は和洋女子大学短期大学部国文科へ
受験勉強を続けた先に選んだ進路は、和洋女子大学短期大学部国文科でした。1986年4月1日に入学したと記録されており、おニャン子クラブを続けながら学生生活も次の段階へ進んでいます。
高校時代に三島由紀夫を読みたいと話していた永田さんが、進学先では国文科を選んだ形です。ただし、本人が国文科を選んだ理由そのものを詳しく説明した発言までは残っていません。読書好きという一面と進路を、理由を決めつけずに並べて見る必要があります。
入学から間もない1986年4月10日には、時間があれば「九州のおばあちゃん」のところへ花見に行きたいとも話していました。熊本を「生まれ故郷」と呼んだ同じ月の発言で、九州に祖母がいたことも本人の言葉から確認できます。
高校在学中、友人に誘われてオーディションへ
永田ルリ子さんがおニャン子クラブへ入る入口は、自分から何度も芸能オーディションを受け続けたことではありませんでした。
1985年5月、『夕やけニャンニャン』の「ザ・スカウト アイドルを探せ」に出場します。のちに公式本『あぶな~いおニャン子』のアンケートで、応募のきっかけを簡潔に答えています。
友達に誘われて、オーディションにでたら、受かってしまいました。
出典:瑠璃色の追憶「永田ルリ子さんの想い出Vol3-1-11~永田さん、おニャン子メンバーになる」(『あぶな~いおニャン子』からの引用掲載)
きっかけは、友人からの誘いでした。
「受かってしまいました」という言い方には、最初からおニャン子クラブ入りだけを目標に準備していた人物とは違う距離感があります。実際、オーディション登場時の画面では「女優志望」と紹介された記録が残っています。
永田さん自身も、のちの公式本で将来について役者への関心を口にしています。
役者の勉強をしてみたいな
出典:瑠璃色の追憶「永田ルリ子さんの想い出Vol3-1-11~永田さん、おニャン子メンバーになる」(公式本掲載発言の紹介)
オーディションを受けた時点で、本人の視線は「アイドル歌手だけ」に向いていたわけではありません。テレビに出ること、演じることも含めた芸能の世界に関心を持つ中で、友人のひと言が実際の応募につながりました。
ポニーキャニオンの公式映像作品『夕やけニャンニャン おニャン子白書』では、「ザ・スカウト アイドルを探せ」を「次世代のアイドルを発掘する素人オーディション」と紹介しています。芸能事務所の所属者だけを集めた審査ではなく、番組の中で一般の参加者が挑戦する企画でした。
永田さんがその企画へ出た時点では高校在学中です。友人からの誘いがなければ同じ日に同じ場所へ行っていたかどうかも分かりません。本人が後年、理由を長く飾らず「友達に誘われて」と答えていることが、入口の偶然性をよく残しています。
当時のスタッフ側からも、永田さんの進路は歌手一本という見方ではなかったようです。笠井一二ディレクターは公式本の中で、永田さんについて女優を目指すのではないかという趣旨のコメントを残しています。本人の「役者の勉強をしてみたい」という言葉とも重なります。
友人に誘われてテレビのオーディションへ出たことと、本人がもともと演技に関心を持っていたことは、別々の話として見ることができます。応募の直接のきっかけは友人であり、その先にある芸能への興味として「女優」「役者」という言葉が出ていました。
1985年5月13日に「ザ・スカウト アイドルを探せ」へ
永田さんが「ザ・スカウト アイドルを探せ」に登場したのは1985年5月13日です。結果発表まで数日間にわたり番組へ出演し、最終日の5月17日に108点を獲得しました。
USENの「おニャン子クラブメンバー一覧」でも、永田ルリ子さんの加入日は1985年5月17日、会員番号は18番とされています。ここから高校生活の横に、おニャン子クラブとしての時間が加わりました。
会員番号18番・永田ルリ子のアイドル生活が始まる
合格後の永田さんは、『夕やけニャンニャン』へ継続して出演するようになります。まだ高校を卒業していないため、昼間は学校、夕方はテレビという生活でした。
加入した1985年5月は、おニャン子クラブそのものが始まって間もない時期です。ポニーキャニオンが発売した『夕やけニャンニャン おニャン子白書(1985年4~6月)』にも、当時の「ザ・スカウト アイドルを探せ」や「セーラー服を脱がさないで」のレコーディング風景が収められています。
公式DVDの構成を追うと、1985年4~6月編にはオーディション企画や「セーラー服を脱がさないで」のレコーディング風景が入り、続く7~8月編には同曲のチャートを扱う企画が収録されています。永田さんが加入した5月は、番組発のグループがテレビのレギュラーからレコードを出すアイドルへ変わっていく途中でした。
7月になると、おニャン子クラブは「セーラー服を脱がさないで」でレコード活動を本格化させます。永田さんにとっては、友人に誘われてオーディションへ出てから、まだ2か月ほどしか経っていない時期でした。
学校の美術課題を終え、受験勉強を気にしながら、夕方には番組へ出る。アイドル活動の始まりは、学校生活を置き去りにして別世界へ移ったというより、日常の中へテレビの予定が急に入り込んできたような始まり方でした。
この音源は「Onyanko Club – Topic」で公開され、ポニーキャニオン提供と明記されている公式配信です。1985年のグループ初期を象徴する楽曲として、永田さんが会員番号18番になった直後の時代を伝えています。
永田ルリ子さんの出発点をたどると、最初に見えてくるのは、受験勉強をし、美術の課題を気にし、本を読みたがり、学校からスタジオへ走っていた高校生の姿です。
その日常の途中で友人から声をかけられ、1985年5月17日に会員番号18番となりました。そこから『夕やけニャンニャン』のスタジオへ立ち、「セーラー服を脱がさないで」の時代へ入っていきます。


























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