CUTIE STREETのピンク担当として、「ぱるたん」の愛称で親しまれている桜庭遥花。2024年8月、18歳でアイドルとして初めてステージに立ち、長く思い描いてきた場所へたどり着きました。
その原点は北海道・岩見沢で過ごした少女時代にあります。雪の中で遊び、地元の山でスキーをし、友達とは木登りやゲーム。家では父親の漫画を読み、中学ではバスケットボール、高校ではヒップホップのダンスに取り組んでいました。
芸能の道を目指す人が身近にいない環境で、仲の良い友達にもアイドル志望を言えないまま、桜庭遥花は複数のオーディションを受けます。2023年には「PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS」に参加しました。
高校2年で「最後の挑戦」と決めて日プへ進み、最終順位19位でデビューを逃したあとも、東京でもう一度アイドルを目指す道を選びました。
高校の単位不足、通信制での卒業資格取得、地元のラーメン店でのアルバイト、東京でのモデル活動。その先に待っていたのが、5日間のCUTIE STREET合宿オーディションでした。
桜庭遥花は昔どんな子だった?岩見沢で過ごした幼少期
桜庭遥花は北海道出身で、地元メディアのインタビューでは岩見沢出身と紹介されています。幼少期の思い出として本人が語っているのも、雪やスキーなど岩見沢の自然と結びついた場面です。
現在の趣味にも漫画が挙がっていますが、子どものころは家の中だけで過ごしていたわけではありません。北海道の季節の中で、外遊びと家での時間の両方を楽しんでいました。
雪遊びとスキーを楽しんだ北海道の冬
豪雪地帯として知られる岩見沢。桜庭遥花にとって、幼いころの冬は雪そのものが遊び場でした。地元の山へ行き、スキーもよくしていたと振り返っています。
「小さい頃は雪遊びが楽しかったです。」
出典:Sitakke「『北海道に帰ると心がホッとする』岩見沢出身のアイドル、CUTIE STREET桜庭遥花さんの素顔に迫る【前編】」(2025年1月25日)
成長すると冬の過ごし方も変わり、家でのんびり漫画を読むことが定番になりました。雪の外遊びから漫画の世界へ、同じ冬でも年齢とともに楽しみ方が変わっています。
木登りやゲームで遊んだ少女時代
友達との遊びでは、木登りをしたりゲームをしたりしていました。後年のインタビューで「いろいろ遊んでましたね」と振り返っており、一つの遊びに限らず、外でも家でも友達と時間を過ごしていたようです。
幼いころからアイドル文化にも触れていました。最初の入口として挙げたのはテレビアニメ『アイカツ!』。幼稚園のころにはAKB48が流行しており、渡辺麻友が好きだったと話しています。
「アイドルになる」という職業像を知る前から、桜庭遥花の日常にはアニメやAKB48を通してアイドルの存在がありました。
この時点で将来の進路が決まっていたわけではありません。木登りやゲーム、雪遊びをしていた子どもが、中学、高校と進む中で少しずつ自分からオーディションへ近づいていきます。
桜庭遥花の家族構成は?父親・母親とのエピソード
家族との具体的な話には、漫画好きの父親と、テレビ出演前に連絡をくれた母親とのエピソードがあります。北海道へ帰った際には、仕事の報告を両親へ直接伝えることもありました。
父親の『ONE PIECE』から始まった漫画好き
父親は漫画が好きで、桜庭遥花が漫画に夢中になるきっかけも父親が持っていた作品でした。小学生のころ、『ONE PIECE』を読んだことから漫画にはまったと本人が話しています。
後に好きな作品として挙げたのは、『黒子のバスケ』『進撃の巨人』『SLAM DUNK』『その着せ替え人形は恋をする』など。公式プロフィールにも「読書」「漫画鑑賞」が趣味として残っており、子どものころから続く日常の一部です。
母親から届いたテレビ出演前のLINE
CUTIE STREETとしてデビューした後、一人で初めてゴールデンタイムのテレビ番組へ出演することになったときには、北海道へ帰ったタイミングで両親へ報告。二人は驚きながら「大丈夫?」と反応したといいます。
「お母さんから『脚ちゃんと閉じるんだよ。映るからね』ってLINEきました」
出典:entax「CUTIE STREET桜庭遥花、一人で初ゴールデン『世界まる見え!』緊張の収録前」(2024年11月3日)
華やかなテレビ出演を前にしても、母親から届いたのは身だしなみを気遣う日常的なメッセージでした。父親との漫画の思い出と同じく、家族の話には北海道の家で続いてきた生活の距離感がそのまま残っています。
桜庭遥花の学歴は?中学校・高校から通信制まで
桜庭遥花は中学校、高校の正式な学校名を公表していません。学生時代について本人が具体的に語っているのは、中学のバスケットボール部、高校のダンス活動、オーディション参加による単位不足、そして通信制の学校で高校卒業資格を取ったことです。
中学校ではバスケ部でフォワードとポイントガード
中学時代はバスケットボール部に所属していました。部員数が少なかったためポジションは一つに固定されず、いろいろな役割を担当。本人によれば、主にはフォワードかポイントガードを務めていました。
バスケットボールは現在の公式プロフィールでも趣味の一つに挙げられています。中学の部活動で終わった思い出ではなく、その後も本人の好きなものとして残りました。
高校では友人に誘われヒップホップダンス
高校では、以前からやってみたいと思っていたダンスに挑戦しました。きっかけは友人から誘われたこと。大会へ出るような活動ではなく校内での活動が中心で、踊っていたジャンルはヒップホップでした。
一方で、学校の外ではアイドルオーディションを受けるようになっていました。通っていた高校は校風が厳しく、周囲に芸能の道を目指す人はいなかったため、アイドルになりたい気持ちは仲の良い友達にも言えなかったと明かしています。
学校ではダンスをし、誰にも言わずにオーディションを受ける。高校生活の中で二つの時間が並行していました。
オーディションで単位が足りず高校を中退、通信制で卒業資格を取得
芸能活動との両立が難しくなったのは、オーディションへの参加が続いた時期です。学校の単位が足りなくなり、芸能活動に伴う免除についても在籍校では前例がないとされ、高校を中退することになりました。
そこで学業を終えたわけではありません。桜庭遥花は通信制の学校で学び、高校卒業資格を取得しています。本人は後のインタビューでも、その経緯を明かしています。
2025年3月19日には、自身のXでも「高校卒業しました!!」と報告しています。CUTIE STREETとして活動を始めた後まで続いていた学生生活が、このタイミングで一区切りとなりました。
高校2年で「最後の挑戦」日プへ
高校時代、桜庭遥花は「PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS」だけを突然受けたわけではありません。それ以前から、いろいろなアイドルオーディションへ応募していました。
2023年の番組参加時、本人の認識では高校2年生。進路を決めなければならない時期に入り、何度も挑戦を続けるのではなく、一度ここで区切りをつけるつもりで大きなオーディションへ向かいました。
「これが最後の挑戦だな」
出典:Real Sound「CUTIE STREET ソロインタビュー Vol.5:桜庭遥花『手の届かない遠くの存在でありたい』」(2025年7月11日)
PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLSで最終順位19位
公式プロフィールには、グループバトル、ポジションバトル、コンセプトバトルからファイナルまで8本の評価映像が残っています。桜庭遥花は最終回まで進み、公式の最終順位は19位でした。
デビューメンバーには入れませんでしたが、それまでとは環境が大きく変わりました。個人カメラが公開されると、自分を見てコメントを寄せる人がいることを知り、初めて大勢から注目される経験をします。
ただし、番組が終わった時点では次の所属先もアイドルデビューも決まっていません。高校のことも含め、ここから進路を改めて選ぶ必要がありました。
日プ終了後は地元のラーメン店でアルバイト
オーディション終了から約1カ月。何かを始めなければと考えた桜庭遥花は、友人に勧められた地元のラーメン店でアルバイトを始めました。担当はホールで、本人は当時の仕事を「すごく楽しかった」と振り返っています。
このアルバイトをきっかけにラーメン自体にもはまり、好みは醤油ラーメン。デビュー後、1日だけ休みができた際には北海道へ日帰りし、当時のアルバイト仲間に会いに行ったこともありました。
全国規模のオーディションのファイナリストから、地元のラーメン店のホールへ。次の道が決まっていない時期に、桜庭遥花は再び北海道の日常へ戻っていました。
北海道を離れてもう一度アイドルを目指した桜庭遥花
日プが終わった後には、東京へ出る道だけでなく、学校へ進んで就職する道も考えていました。すぐに芸能一本へ決めたのではなく、北海道に残る未来と東京でもう一度挑戦する未来の間で迷っています。
それでも、オーディションで出会った参加者たちの姿が残りました。かっこいいと感じ、尊敬できる人たちと出会ったことで、「また挑戦してみたい」という気持ちが生まれ、東京で頑張ることを決めます。
アイドルが自分の「救い」だった
桜庭遥花がアイドルを目指した理由には、華やかな職業への憧れだけではない感情がありました。自分が暮らしていた狭い世界や環境から抜け出したい気持ちと、好きなアイドルに支えられてきた経験が重なっていました。
本人は、アイドルという存在が好きで自分にとって「救い」だったから、自分も誰かを救える人になりたいと思ったと話しています。高校で周囲に夢を言えなかった時期にも、画面やステージの向こう側に目標がありました。
LARMEモデルからASOBISYSTEM所属へ
東京へ活動の場を移す中で、ファッション誌『LARME』にも登場します。2024年6月17日にはASOBISYSTEMへの所属が発表され、同日発売の『LARME 061』では単独表紙を務め、レギュラーモデルになることも決まりました。
事務所所属時点の発表では、今後はモデルやタレントなど幅広く活動し、拠点を東京へ移すとされていました。まだCUTIE STREETのメンバー発表前で、アイドルとしての所属は公表されていません。
北海道でラーメン店のホールに立った時期を経て、東京を拠点にするモデル・タレントへ。けれど本人が長く目指していた「アイドル」は、その先のオーディションで決まります。
CUTIE STREETのオーディション!5日間で決まったデビュー
KAWAII LAB.の新グループを決める選考では、数カ月にわたるパフォーマンス審査と合宿オーディションが行われました。桜庭遥花にとっては、日プに続くもう一度のアイドルオーディションです。
合宿はわずか5日間。以前のオーディションでは1曲に1週間ほど練習時間を取れる場面もありましたが、今回は振り入れの翌日に発表することもあり、本人が特に挙げたのは進行の速さでした。
翌日に披露するほど速かった合宿審査
短期間で覚え、すぐ人前で披露する。その繰り返しの中で、新しいメンバー候補との関係もできていきます。川本笑瑠とは選考中のグループが違いましたが、川本のほうから話しかけてくれたことが嬉しかったと覚えていました。
CUTIE STREET公式YouTubeには、桜庭遥花に焦点を当てた合宿オーディションの映像が公開されています。タイトルにも「人生が決まる5日間」と掲げられ、デビューが決まる直前の本人の表情を確認できます。
8人に選ばれ、夢だったアイドルへ
合宿を経て選ばれたのは8人。桜庭遥花、古澤里紗、佐野愛花、板倉可奈、増田彩乃、川本笑瑠、梅田みゆ、真鍋凪咲がCUTIE STREETとして活動することになりました。
2024年7月30日にメンバーが正式発表され、桜庭遥花の担当カラーはピンク。高校時代に周囲へ言えなかった「アイドルになりたい」という夢が、グループ名と担当カラーを伴って公表されました。
「ずっと夢だったアイドルになることができて嬉しい気持ちでいっぱいです。」
出典:ASOBISYSTEM「【KAWAII LAB.】新グループ『CUTIE STREET』誕生」(2024年7月30日)
合格を知らされた時点では、8人で始められる楽しみはありつつ、本人にはまだ実感が薄かったといいます。夢が決まったことと、自分がアイドルになったと実感することは、同じ瞬間ではありませんでした。
2024年8月4日、憧れていたアイドルとして初ステージへ
CUTIE STREETのライブデビューは2024年8月4日。「TOKYO IDOL FESTIVAL 2024」のKAWAII LAB.ステージでした。メンバー発表からわずか5日後、桜庭遥花は観客の前でアイドルとして最初のステージに立ちます。
後に2024年を振り返ったとき、本人が一番の思い出として挙げたのもTIFのステージでした。客席のペンライトや、自分たちを見ている観客の姿をステージ側から初めて見た瞬間です。
「やっとアイドルになれた」
出典:ORICON NEWS「『日プ女子』出身の桜庭遥花、念願のデビューに感慨『やっとアイドルになれた』」(2024年10月12日)
合格を知らされた時点ではまだ薄かった実感が、TIFの客席を前にして、ようやく本人の中で「アイドルになった」という感覚へ変わりました。
その後、CUTIE STREETは11月13日に1stシングル「かわいいだけじゃだめですか?」をCDリリース。現在も桜庭遥花はCUTIE STREETのピンク担当としてステージに立っています。
































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