CUTIE STREETで紫を担当する真鍋凪咲。ステージではダンス経験を生かしたパフォーマンスを見せていますが、芸能界へ入る前は大学へ通う学生でした。
幼いころから一直線にアイドルを目指していたわけでもありません。小学生時代の夢は警察官。4歳ごろから始めたダンスを一度離れ、小学4年生から中学3年生まではバドミントンに打ち込んでいます。
高校で再びダンスに戻り、大学進学後には就職も意識しました。その途中で「人前でパフォーマンスをしたい」という気持ちに向き合い、人生初のアイドルオーディションへ向かいます。
芸能活動もアイドル活動も未経験だった大学生が、人生初のオーディションを経てCUTIE STREETのステージへ立つまでには、スポーツや学校生活、家族の影響が重なっていました。
「真鍋凪咲」が本名かどうかは本人・公式から明言されていません。KAWAII LAB. MATES加入時から現在まで「真鍋凪咲」の名前で活動しています。
真鍋凪咲は昔どんな子?4歳で始めたダンスとバドミントン
真鍋凪咲は、小学生時代の自分について、人見知りではあったものの、その場に慣れてしまえばよく話す子だったと振り返っています。体を動かすことも好きで、幼いころからダンスとバドミントンの両方に触れてきました。
ダンスを始めたのは4歳ごろ。小学4年生ごろまで続けており、現在のアイドル活動よりずっと前から音楽に合わせて踊る経験がありました。
「小学生の頃から警察官になるのが夢だったんです。」
出典:CUTIE STREET「ソロインタビュー Vol.6:真鍋凪咲」(2025年7月12日)
小4でダンスをやめ、バドミントンを選んだ
転機になったのは小学4年生ごろでした。当時、母親がママさんバレーをしており、真鍋はその活動について行った先で、近くでバドミントンをしている人たちを目にします。
さらに姉がバドミントンを始めたことで、自分もやってみたいという気持ちが強くなりました。ただ、真鍋家には習い事は1つにするというルールがあり、ダンスとバドミントンを同時に続けることはできませんでした。
真鍋が選んだのはバドミントン。4歳ごろから続けてきたダンスをいったん離れ、小学4年生から中学3年生まで約6年間ラケットを握りました。
アイドルになる前の真鍋をたどると、ダンスだけでなくバドミントンの期間も長くあります。公式プロフィールでも現在まで「バドミントン」は特技の一つとして掲載されています。
小学生のころの夢は警察官だった
小学生時代に思い描いていた将来は、芸能界とは別の方向でした。本人が挙げている当時の夢は警察官です。
中学生になると、長く続けていたバドミントンの選手に憧れた時期もあり、ヘアメイクの仕事にも興味を持つようになりました。職業への関心は一つに固定されておらず、その時々で身近にあったものへ目を向けています。
真鍋凪咲の家族構成は?母親と2人の姉とのエピソード
真鍋自身のインタビューから、母親と2人の姉の存在が分かっています。特に少女時代の選択には姉たちの影響が何度も登場し、スポーツから高校生活まで身近な手本になっていました。
母親のママさんバレーがバドミントンとの接点
真鍋がバドミントンへ興味を持った最初の場面には母親がいました。母親が一時期ママさんバレーをしており、その活動について行ったとき、近くで行われていたバドミントンが目に入ったといいます。
そこへ姉がバドミントンを始めたことが重なり、真鍋も競技を始めました。家庭の「習い事は1つ」というルールがあったため、本人にとってはそれまでのダンスをやめるほど大きな選択になっています。
2人の姉を見て部長や学級委員長へ
2人の姉は、学校で部長や学級委員など、人をまとめる立場を経験していました。真鍋は幼いころからそんな姉たちを見て育っています。
中学生になった真鍋自身も、バドミントン部では部長を務め、学級委員長にもなりました。本人は当時、周囲を積極的に引っ張る立場にいたと話しています。
服装の好み、バドミントン、ダンスなど、後年のインタビューで真鍋は姉から受けた影響の大きさを振り返っています。高校選びにも、そのつながりが続きました。
姉を追ってダンスの強い高校へ
姉の一人は、バドミントンを経験したのち、ダンスに力を入れている高校へ進学しました。真鍋も同じ高校を選び、姉と同じダンス部へ入ります。
真鍋が高校1年生だったとき、姉は高校3年生でダンス部の部長を務めていました。小学生時代にいったん離れたダンスへ戻るときにも、姉の進んだ道がすぐ近くにありました。
一方、父親については、本人や公式媒体で家族構成を具体的に説明した情報が公表されていません。職業や人物像なども推測せず、本人が語っている家族との出来事を中心に見ていくのが適切です。
真鍋凪咲の学歴は?高校のダンス部から大学進学まで
真鍋凪咲は、中学ではバドミントン、高校ではダンスに力を入れ、高校卒業後は大学へ進学しています。学校名そのものよりも、本人がそこで何をしていたのかは詳しく語られています。
中学ではバドミントン部長と学級委員長
中学校ではバドミントン部に所属し、部長を担当しました。小学校4年生から始めた競技を中学3年生まで続け、学校では学級委員長も務めています。
このころは正義感が強く、みんなを引っ張る役割へ自分から入っていくタイプだったと本人は回想しています。一方で、中学時代には人間関係がうまくいかなくなった経験もありました。
自分の意見を強く出すことの難しさを感じた経験は、その後の高校生活にも影響します。高校では中学までとは少し違い、前へ出ることを抑えるようになったと話しています。
バドミントンとの縁は中学卒業で完全に切れたわけではありません。芸能活動を始める前には、母校へ競技を教えに行き、将来コーチになることを考えた時期もあったと本人がXで明かしています。
高校ではダンス部の副キャプテン
高校では再びダンスを選びました。入ったのはダンスに力を入れている学校の部活動で、練習も学校生活も厳しい環境だったといいます。
部活では、学業の成績が一定の基準に届かなければ大会に出場できないという方針がありました。真鍋はダンスを続けるために勉強にも取り組み、その結果、成績も上がっていきました。
高校3年生では副キャプテンを担当。ただ、中学時代のように自分が先頭に立ってすべてを引っ張るというより、周囲を見ながら動く立場になっていました。
高校生活は新型コロナウイルスの影響が大きかった時期と重なります。ダンス部に入りながら、人前で踊れる機会は思うように作れませんでした。
その状況の中、高校3年生の文化祭でようやく全校生徒の前に立って踊る機会が訪れます。久しぶりに大勢の前でパフォーマンスした時間は、卒業後も忘れられないものになりました。
高校最後の文化祭で感じた「人前で踊る楽しさ」は、大学で将来を考えたときに再び浮かんでくることになります。
真鍋凪咲の大学はどこ?校名は公表されていない
高校卒業後、真鍋は大学へ進学しています。本人が大学生活や就職活動を意識した時期について語っているため、大学生だったこと自体は明確です。
高校名と大学名は本人・公式媒体では公表されていません。インターネット上で候補として挙げられる具体的な学校名は、本人が明言した情報として扱わないよう注意が必要です。
大学へ進んだ当初から芸能界一本に進路を定めていたわけではありません。周囲の先輩から就職活動の話を聞くようになると、自分がどんな仕事をしたいのかを改めて考えるようになりました。
大学で就職を意識し、パフォーマーへの思いが強くなる
大学生活の中で就職が現実的な話題になるにつれ、真鍋は「自分は何をしたいのか」と考えるようになります。そのとき心の中に残っていたのが、人前でパフォーマンスすることへの気持ちでした。
高校3年生の文化祭で久しぶりに大勢の前で踊ったときの楽しさも残っていました。普通に大学へ通い、その先で就職する未来を考える一方、もう一つの進路が少しずつ現実味を帯びていきます。
FRUITS ZIPPERと大学の友人のステージがアイドルへの接点
アイドルへの関心を強めるきっかけの一つが、TikTokで目にしたFRUITS ZIPPERでした。KAWAII LAB.という存在を知る入口にもなっています。
さらに大学では、アイドルのコピーダンスをしている友人がいました。その友人が参加するステージを見に行った際、ゲストとして出演するアイドルのパフォーマンスにも触れます。
観客の前で歌い踊る姿を見て、真鍋の中に「アイドルっていいな」という感覚が生まれました。高校までのダンス経験とは違う形で、ステージに立つ仕事が進路の選択肢に入り始めます。
就職活動が近づく中で、KAWAII LAB.へ応募した
その時期に見つけたのがKAWAII LAB.のオーディションです。芸能活動の経験はなく、アイドルとして別のグループに所属していた経歴もありませんでした。
大学へ進学している以上、何もしなければそのまま就職活動の時期がやってきます。真鍋は心に残っていたパフォーマーへの思いを、初めて具体的な応募という行動へ変えました。
人生初のKAWAII LAB.オーディションで変顔10連発
真鍋にとってKAWAII LAB.への応募は、人生で初めて受ける芸能オーディションでした。経験がなかったため、応募段階から分からないことばかりだったと振り返っています。
撮影時にメイクをしていいのかさえ分からなかったというほど手探りで、自己PR動画も悩みました。歌やダンスでは他の参加者と同じになってしまうと考え、真鍋が選んだ方法はかなり意外なものでした。
送った自己PRは「変顔10連発」。幼いころからダンスを続け、高校では副キャプテンまで経験していながら、最初の審査で前面に出したのはダンスではありませんでした。
その応募は通過し、2次審査、3次審査へ進みます。そしてKAWAII LAB. MATESへの加入が決まりました。
2023年11月、KAWAII LAB. MATESとして芸能活動を開始
2023年11月21日、KAWAII LAB.は新たなMATESメンバーとして真鍋凪咲の加入を発表しました。当時19歳で、神奈川県出身の大学生でした。
「アイドル活動も芸能活動も初めてではありますが」
出典:KAWAII LAB.「アイドルデビューを目指す『KAWAII LAB. MATES』15名が加入!」(2023年11月21日)
真鍋凪咲の「前世」を気にする人もいますが、少なくともKAWAII LAB. MATES加入時の本人コメントでは、アイドル活動だけでなく芸能活動そのものが初めてだったと明言されています。
大学の学業と歌・ダンスのレッスンを両立
MATESになったあとも大学生活は続きました。2024年の年始には、本人が新年の目標として学業と活動の両立を挙げています。
「私の今年の目標は、『両立を頑張ること!!!』」
出典:KAWAII LAB.「2024年新年のご挨拶【KAWAII LAB. MATES】」(2024年1月1日)
本人が挙げていたのは学業だけではなく、歌、ダンス、基礎体力づくり、ビジュアル、SNSなどでした。芸能未経験で入ったぶん、大学へ通いながら身につけることが数多くありました。
MATESとして活動した期間は半年ほど。ステージへ立つ機会やファンと接する機会はまだ限られていましたが、歌やダンスのレッスンを重ねる日々が、その先の選考へつながっていきます。
CUTIE STREET合宿オーディションは自分にとってのラストチャンス
2024年、KAWAII LAB.では新グループのメンバーを決めるため、パフォーマンス審査や合宿オーディションが行われました。MATESだった真鍋にとっても、ここが大きな分岐点になります。
当時は20歳を迎える時期で、大学生活も進み、就職活動が近づいていました。本人はこの選考を自分にとっての「ラストチャンス」と考えていたと明かしています。
もし選ばれなければ、KAWAII LAB.を離れて堅実な道へ進むことまで考えていました。大学へ通いながら活動を始めた真鍋にとって、いつまでも挑戦を続けられるという感覚ではありませんでした。
合宿で初めて候補者たちが集まったとき、真鍋は周囲がそれぞれ明確な武器や個性を持っていることに圧倒されました。
「あ、これはとんでもない場所に来たぞ」
出典:CUTIE STREET「全員インタビュー 前編」(2025年7月15日)
5日間の合宿では人間関係も審査された
合宿で見られていたのは、歌やダンスの出来だけではありませんでした。候補者同士がどう関わるのか、人間関係をどう作るのかも選考の一部になっていました。
当初は当然、自分が受かりたいという気持ちを持って参加していました。しかし共同生活を送る中で、自分だけが目立てばいいわけではないことに気づいていったと話しています。
中学時代には人間関係で悩み、高校では以前ほど前に出なくなった真鍋にとって、候補者と生活しながら自分の役割を探すことも審査の一部でした。
合格を知った瞬間、最初に出たのは安堵だった
合宿を終え、CUTIE STREETのメンバーに選ばれたことを知った瞬間、真鍋が最初に感じたのは大きな喜びより「ホッとした」という感覚だったといいます。
選ばれなければ別の道へ進むところまで考えて参加していたため、結果を受け止めてから徐々に嬉しさが湧いてきました。大学生として進路を考えていた時期に始めた挑戦が、本格的なアイドル活動へ切り替わった瞬間でした。
2024年7月30日、CUTIE STREETの8人が正式に発表されました。真鍋は紫担当として名前を連ね、芸能活動を始めてから約8か月で新グループのメンバーになります。
「アイドルとしても人としても愛されるよう精一杯頑張ります。」
出典:アソビシステム「【KAWAII LAB.】新グループ『CUTIE STREET』誕生」(2024年7月30日)
2024年8月4日、CUTIE STREETとして初めてステージへ
CUTIE STREETの最初のお披露目は、2024年8月4日の「TOKYO IDOL FESTIVAL 2024」。KAWAII LAB.のステージで8人が初めてグループとして観客の前に立ちました。
前年11月にKAWAII LAB. MATESとして芸能活動を始めた真鍋にとって、ここからがCUTIE STREETとしての本格的なアイドル活動のスタートです。
約3か月後の11月13日には、1stシングルCD『かわいいだけじゃだめですか?』が発売されました。人生初のオーディションから始まった活動は、グループのCDデビューまで進みます。
大学で就職を意識し、自分の進みたい道を考えていた時期から約1年。高校の文化祭で忘れられなかった「人前で踊る時間」は、TIFのステージでアイドルとしての日常へ変わりました。
































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