CUTIE STREETで黄色を担当する古澤里紗。アイドルになる前から「ふーりー」の愛称で知られ、『今日、好きになりました。』への出演やモデル、インフルエンサーとしての活動を重ねてきました。
その歩みを遡ると、原点にあるのは熊本県阿蘇で過ごした少女時代です。母親のヒールを履き、クローゼットからドレスを出して着るほどかわいい服が好きで、テレビではAKB48、とくに板野友美を追いかけていました。
高校ではダンスを学ぶため地元を離れ、熊本市内で一人暮らし。全国大会を目指して3年間踊り続け、高校卒業を控えたころには恋愛リアリティーショーへの出演を経験します。
8歳で初めて「自分もアイドルになれるかもしれない」と知り、一度はその夢を諦めながら、23歳でCUTIE STREETのステージに立ちました。
デビュー前には、フレンチガーリーを軸にしたファッションをInstagramで発信。子どものころから好きだったリボンやドレスの延長にあるような世界観を、自分のスタイルとして形にしていきました。
古澤里紗は熊本・阿蘇でどんな少女時代を過ごした?
古澤里紗は熊本県出身です。本人が地元として語っているのが阿蘇で、学生時代までこの地域とのつながりが続いています。
2025年には阿蘇市親善大使に就任。翌2026年には阿蘇市のPR企画で波野地区や草千里ヶ浜、阿蘇神社などを巡り、現在も故郷について自分の言葉で発信しています。
阿蘇はとても元気をもらうことができ、息抜きができる場所です。
出典:阿蘇市「広報あそ 2026年5月号」(2026年5月)
東京でアイドルとして活動するようになった後も、本人にとって阿蘇は帰ることで気持ちを切り替えられる場所として残っています。その土地で過ごした子ども時代は、現在の華やかなイメージにつながる小さな場面にあふれていました。
母親の靴やドレスが好きだった幼少期
幼いころの古澤は、母親の靴を履いたり、化粧道具を真似して使ったりして遊んでいました。ヒールを履いて歩き、クローゼットを開けてドレスを取り出すこともあったと振り返っています。
ずっとピンクとか、フリルやリボンがついたかわいい系のお洋服が大好きでした。
出典:Real Sound「CUTIE STREET ソロインタビュー Vol.1:古澤里紗、一度は諦めた夢――『アイドルになりたい』強い想いで掴んだ今」(2025年7月7日)
後年アルバムを見返すと、小さいころからドレスのような服を着た写真が多く残っていました。アイドルになってから作られたイメージではなく、物心がつく前からかわいい服そのものが身近にあったようです。
習い事はピアノ、習字、水泳、英語。本当はバレエを習いたかったものの、住んでいた地域の近くに教室がなく、代わりにピアノを始めました。
アイドルになる前のInstagramでも、浴衣やリボン、ガーリーな服を選ぶ姿が繰り返し登場します。幼少期のアルバムに残っていた好みは、大人になってからの発信にも続いていました。
AKB48と板野友美をテレビの前で追いかけた
音楽では当時流行していた曲を聴き、とくに夢中になったのがAKB48でした。なかでも好きだったのは「ともちん」こと板野友美。テレビに出演すると、画面に張りつくように見ていたといいます。
AKB48のダンスをテレビの前で真似することもありました。まだダンススクールへ通っていたわけではありませんが、好きなアイドルを見ながら体を動かす時間は、高校で本格的にダンスを選ぶよりずっと前から始まっていました。
ただし、このころ本人が思い描いていた将来の職業はキャビンアテンダントです。「AKB48が好き」という気持ちが「自分もアイドルになりたい」という選択肢へ変わるきっかけは、家庭の中にありました。
古澤里紗の家族構成は?父親・母親・兄との関係
本人の発信には父親、母親、兄が登場しています。一般人である家族の氏名や職業などは明かされていませんが、旅行や帰省など家族と過ごす場面は、アイドルになる前からSNSやYouTubeに残されています。
8歳のとき母親とのお風呂でアイドルを意識
古澤が初めて「自分がアイドルになる」という可能性を考えたのは8歳のころ。母親と一緒にお風呂に入りながら話していたときでした。
AKB48が大好きな娘を見て、母親は、そんなに好きならAKB48になればいいという趣旨の言葉をかけます。それまで見る側だったアイドルが、自分の将来の選択肢として初めて浮かんだ瞬間でした。
母親との何気ないお風呂での会話が、8歳の古澤里紗に「アイドルになる」という道を初めて意識させました。
中学3年で受けた最初のオーディションと両親との約束
憧れは気持ちの中だけでは終わりませんでした。中学3年生になると、古澤は実際にアイドルのオーディションを受けています。
そのとき両親と交わしていたのが、もし落ちたら熊本で普通の高校生活を送るという約束でした。結果は不合格。中学生でのアイドル挑戦はいったんそこで区切りを迎えます。
家族との時間は、芸能活動を始めてからも続きました。本人公式YouTubeには、家族で長崎のハウステンボスへ出かけた旅行VLOGも残されています。
中学でアイドルになれなかった古澤が次に選んだのは、もう一つ興味を持っていたダンスでした。高校進学を考える時期になると、自分から環境を大きく変えることになります。
古澤里紗の学歴は?波野中から鎮西高校、専門学校まで
古澤里紗の学生時代は、阿蘇で過ごした中学校と、熊本市へ生活の拠点を移した高校で大きく変わります。中学では陸上競技の大会記録があり、高校ではダンスを中心にした生活へ移っていきました。
波野中時代には走り幅跳びの大会記録も
出身中学校は阿蘇市立波野中学校です。阿蘇市の広報紙には、高校3年時のダンス大会で表彰された古澤について「波野中出身」と記されています。
中学2年だった2014年には陸上競技大会にも出場。女子中学走り幅跳びで3m59を記録した大会結果が残っています。100mなどにも出場記録があり、「古澤里紗 陸上」と検索される背景には、この中学時代があります。
中学3年ではアイドルのオーディションにも挑戦しましたが不合格。その後は両親との約束どおり高校へ進む一方、本人が選んだ学校生活は「普通に過ごす」だけのものではありませんでした。
鎮西高校へ進学しダンスのため一人暮らし
高校は熊本市の鎮西高等学校へ進学しました。進路を決めるころ、ダンスをしたいと思った古澤は、ダンスを学べるコースがあることを知り、「ここに行く」と親へ伝えています。
学校は地元から離れていたため、高校生で熊本市内へ出て一人暮らしを開始。家族のもとから学校へ通うのではなく、自分で生活しながら3年間ダンスに打ち込む道を選びました。
勢いだけで動くタイプなんです(笑)。
出典:CUTIE STREET公式「CUTIE STREET ソロインタビュー Vol.1:古澤里紗」(2025年7月7日)
高校では全国大会を目標に練習を続けました。2018年6月の第6回日本ダンス大会では、鎮西高校がコンペティションで優勝。同年9月の第8回全日本高等学校チームダンス選手権大会でも大編成部門で優勝しています。
阿蘇市の2018年11月号広報にも、鎮西高校3年・波野中出身の古澤が両大会の優勝者として掲載されています。中学時代の陸上から、高校では競技の中心がダンスへ移りました。
ダンスだけでなく、高校生活の中ではInstagramも始めています。熊本市内の学校にはSNSのフォロワーが多い同世代が身近にいて、その環境を見て自分も写真を投稿するようになりました。
高校卒業後は専門学校へ進学
高校を卒業したのは2019年3月。卒業時の本人の発信には、3年間をダンスで過ごした学校生活への言及があり、その翌月には専門学校の入学式を迎えています。
専門学校の具体的な校名や専攻は公表されていません。確認できるのは進学したことまでで、学校名を推測して学歴へ加えることはできません。
その進学とほぼ同じ時期、学校とは別のところでも人生が動き始めていました。高校卒業を控えた古澤のもとへ、恋愛リアリティーショーのオーディション案内がDMで届きます。
古澤里紗は今日好き第16弾に出演!高校最後に芸能界へ踏み出した
古澤里紗が出演したのは、ABEMA『今日、好きになりました。』第16弾。番組では熊本県出身の高校3年生「りさ」として、2泊3日の恋愛の旅に参加しました。
第16弾の終盤で古澤が思いを寄せていたのは、吉開一生。相手の気持ちが別の参加者へ向いていることを本人から聞いたあとも、告白前の2ショットで自分の気持ちを言葉にしています。
りさは、かずきくんが好き
出典:ABEMA TIMES「イケメンたちから猛アプローチをうけるモテモテ女子高生、最後に選んだ相手とは?『今日好き』第16弾最終回SP」(2019年4月10日)
最終告白ではカップル成立には至りませんでした。ただし、古澤にとって『今日好き』出演後に残ったものは、番組内での恋愛だけではありませんでした。
短期間の番組出演を終えたあと、芸能活動をこのまま続けるのか、それともやめるのかを考えます。本人は、せっかく第一歩を踏み出したところでやめる意味はないと考え、活動を続ける道を選びました。
高校卒業後には東京へ出て、本格的に芸能活動を開始。熊本でダンスを中心に過ごした高校生から、モデルやインフルエンサーとして仕事をする生活へ変わっていきます。
上京後はモデル・インフルエンサーとして約5年間活動
上京後は事務所に所属し、モデルの仕事やSNSでの発信を続けました。N.D.Promotionの公式プロフィールには、ファッションモデル、振袖モデル、WEBモデル、TGC熊本など、アイドルになる前の幅広い活動歴が掲載されています。
Instagramでフォロワーが増え始めたのは高校時代です。写真を投稿するうちに少しずつ数字が伸び、『今日好き』出演によってさらに多くの人から知られるようになりました。
「フレンチガーリー」を自分の世界観に
ファッションでは、パリを思わせる「フレンチガーリー」の世界観を強く打ち出しました。洋館のような建物、美術館の雰囲気、バラなどに惹かれ、服だけでなく撮影場所まで含めて自分の好みを発信しています。
2023年夏のInstagramでも、ディズニーでフレンチガーリーのコーディネートを楽しむ姿を投稿。幼いころドレスを選んでいた好みが、大人になってからは自身の発信スタイルになっていました。
モデルとして服を着る仕事に加え、自分自身で洋服の見せ方を考えて投稿することも日常になります。のちにはファッションブランド「Me roir」のディレクターも務めるようになりました。
アイドルになる前からファンイベントを開催
インフルエンサー時代には、SNSで発信するだけでなく、本人に会うためにファンが集まるイベントも開いていました。2022年には22歳の誕生日に合わせ、自身の生誕イベントを開催しています。
この時期の古澤を、ファンとして見ていたのが後のCUTIE STREETメンバー・梅田みゆです。梅田は同じ熊本県出身で、中学生のころには古澤の写真をスマートフォンの待ち受けにするほど憧れていました。
古澤にも、梅田がファンイベントへ来ていた記憶があります。TGCの会場ですれ違った際には、梅田が待って一緒に写真を撮ったこともありました。当時はファンと発信者だった二人が、数年後に同じオーディションの候補生になります。
一度はアイドルの夢を完全に諦めた
東京へ出てからCUTIE STREETのオーディションを受けるまで、およそ5年。モデルとインフルエンサーの仕事を続ける一方で、子どものころに抱いたアイドルへの思いも心の中に残っていました。
アイドルの友人も多く、ライブを見に行く機会があるたびに、自分もステージの向こう側へ行きたかったという気持ちが浮かびます。それでも、すでに別のキャリアを築いていた古澤は、一度アイドルになることを完全に諦めていました。
23歳を迎える2023年には、デビュー前から応援していたファンを集めた生誕祭を開催。モデルやインフルエンサーとしてすでに自分の活動を持ちながら、その先で再び大きく進路を変えることになります。
古澤里紗がCUTIE STREETのオーディションへ再挑戦
KAWAII LAB.で新しいグループのオーディションが行われると知ったとき、古澤はもう一度挑戦したいと伝えました。中学3年で一度受けたアイドルオーディションから、長い時間を経ての再挑戦でした。
モデルやインフルエンサーとして約5年間活動し、一度は完全に諦めたアイドルの道へ、自分からもう一度戻りました。
ダンス経験者でも歌はマイクの持ち方から
オーディションでは候補生たちと寝食をともにする合宿審査がありました。高校3年間のダンス経験がある古澤にとっても、すべてが経験済みだったわけではありません。
大きな課題になったのが歌です。ダンスにはある程度の自信があった一方、歌はほぼ未経験。立って歌うだけでも難しい状態から、踊りながら歌わなければなりませんでした。
喉が枯れることもあり、マイクの持ち方から基礎を覚えていきました。高校の全国大会で培ったダンスとは、まったく違うところからのスタートです。
さらに古澤には、すでにインフルエンサーとして名前を知っている人が多いという別のプレッシャーもありました。「この程度か」と思われたくない気持ちが強く、合宿中は周囲を圧倒するくらいでなければならないと考えていたといいます。
ソロ活動から「8人でひとつ」を作る生活へ
もう一つ初めて向き合ったのが、グループで活動する難しさでした。上京後は長く一人で自分を発信してきたため、オーディションでは周囲の感情や動きを見ながら、一緒に一つのものを作る意識が必要になりました。
そこには、かつて自分のファンだった梅田みゆもいました。合宿当初は互いにどう接すればいいのか分からず、古澤自身もほとんど話せなかったと振り返っています。
最終審査に残ったのは8人。発表までは、この中からさらに誰かが落ちるのか、それとも8人全員なのか分からない状態でした。そして最後に告げられたのが「この8人でデビューします」という結果でした。
2024年7月30日、新グループの名前とメンバーが正式発表されました。グループ名はCUTIE STREET。古澤里紗は黄色担当として、7人のメンバーとともに初めてアイドルとして活動を始めます。
23歳でCUTIE STREETへ!8歳からの夢がかなった
正式発表時の古澤は23歳。8歳で母親からアイドルという選択肢を教えてもらい、中学3年で最初のオーディションに落ち、高校ではダンスへ進み、その後約5年間モデルやインフルエンサーとして活動してきました。
8歳の時に憧れた“アイドル”という夢を叶えることができてとっても嬉しいです。
出典:N.D.Promotion「古澤里紗が『CUTIE STREET』でアイドルデビュー!」(2024年7月30日)
メンバー発表から5日後の2024年8月4日には、東京・お台場で開催されたTOKYO IDOL FESTIVAL 2024のKAWAII LAB.ステージへ出演。ここがCUTIE STREETとして初めて観客の前に立ったステージです。
CUTIE STREET公式Xには、そのTIF2024で披露した『かわいいだけじゃだめですか?』のライブ映像も公開されました。高校で続けたダンスに、オーディションで一から学んだ歌が加わり、8人でのパフォーマンスが始まります。
デビュー前の本人公式Instagramには、すでに多くのファンが集まるイベントを開いていた姿も残っています。ただし、そのときの立場はモデル・インフルエンサー。TIF2024では初めて「アイドル・古澤里紗」としてステージに立ちました。
本人は後にTIF当時の映像を見返し、歌い出しや音程、リズムを取ることにも苦戦していたと明かしています。オーディションでマイクの持ち方から始めたばかりだった歌を、今度は本番のステージで届けることになりました。
2024年11月13日には1stシングルCD『かわいいだけじゃだめですか?』を発売。熊本・阿蘇でAKB48を見ながら踊っていた少女は、ダンス、一人暮らし、『今日好き』、上京、約5年間の活動を経て、自分がアイドルとして歌う側へ移りました。
































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