SKE48の1期生として長くグループをけん引し、AKB48の選抜でも存在感を示してきた松井珠理奈さん。2021年にSKE48を卒業し、2024年からは独立して、地元・東海地方を軸にタレントやアーティストとして活動しています。
松井さんの名前を一気に全国へ広げたのは、AKB48の「大声ダイヤモンド」でした。まだSKE48がCDデビューする前、小学6年生だった松井さんが選抜に入り、単独ジャケットまで飾った出来事です。
小学6年生でSKE48に合格し、わずか数か月後には11歳で「大声ダイヤモンド」の中心に立ちました。
けれど、その11歳の前には、春日井でダンススクールに通い、陸上で走り、母親とカラオケへ出かけていた小学生の時間がありました。
松井珠理奈は昔どんな子だった?春日井の幼少期と小学生時代
松井珠理奈さんは愛知県春日井市出身です。幼稚園のころから歌って踊ることが好きで、本人は後年、11歳になるよりずっと前からアイドルになりたい気持ちを持っていたと振り返っています。
当時好きだったアイドルとして、後年のテレビ出演ではモーニング娘。の名前も挙げています。テレビの向こうの歌手に憧れる一方で、自分が人前で踊る楽しさを実際に知った場所は地元にありました。
11歳のときよりずっと前から、アイドルになりたいっていう気持ちはあったんです。
出典:TV Bros.「なわ跳びQ&A 第72回・最終回 チームS・松井珠理奈」(2020年12月12日)
小学生になると、地元のダンススクールへ通いました。そのスクールで出演したのが春日井まつりのステージです。観客の前で歌やダンスを披露する楽しさを初めて知った場所として、松井さんはこの祭りを自分の原点に挙げています。
本人が「アイドルの原点」と呼んでいるのは、テレビ番組や大きなコンサートではなく、地元の春日井まつりでした。
アイドルを目指すようになったきっかけは、春日井まつりです。
出典:春日井市「こども広報春日井 令和7年冬号 わたしの歩んだ道」(2025年冬号)
ステージだけに夢中だったわけではありません。SKE48に入る前は陸上をしており、本人いわく足はかなり速かったそうです。球技も好きで、当時はスポーツに熱中して日焼けしていました。
家では歌も身近でした。母親と一緒にカラオケへ行くことが好きで、後のオーディションでも、普段から歌い慣れていた曲が思わぬ形で助けになります。
小学生のころから使い続けている抱き枕もありました。2019年に本人が公開した写真では、穴が空くほど長く愛用していることを明かし、その枕を「ブラウンママ」と呼んでいました。ステージとは離れたところに、子どものころから変わらない日用品も残っていました。
学級委員として男子のけんかを止めていた小学生
学校では学級委員を務めた時期もありました。本人はInstagramで、小学生のころに男子同士のけんかやいじめを止めようとしていたことを振り返っています。歌やダンス以外の学校での姿が見える、小さな昔話です。
さらに本人は同じ時期のXで、いじめられていた人を助けたあと、自分がいじめられた経験もあったと明かしています。学級委員だったという肩書きだけでは見えない、学校で実際に起きていた出来事です。
松井珠理奈の家族構成は?母親・父親との少女時代
松井さんは2026年、両親が離婚して母子家庭で育ったことを自ら明かしました。幼いころから、母親が一人で働く姿を身近で見ていたといいます。
母親が働く姿を見て「自分も働きたい」と考えた
華やかな世界への憧れだけが、アイドルを目指した理由ではありませんでした。小学生だった松井さんには、自分も働いて母親を少しでも支えたいという気持ちがありました。
自分もアイドルとして働いて、家族を養いたいと思った
出典:ABEMA TIMES「『母子家庭で育ったから…』松井珠理奈、11歳で背負った決意」(2026年2月11日)
2024年には公式Xでも、小学生のころ母親の仕事が大変だったため、自分も働いて助けたいと思ったことを記しています。後年になって語られた家庭の記憶が、11歳で仕事を始めた背景と重なります。
母親にも「オーディションを受けたい」という夢があった
母親自身も、松井さんと同じくらいの年齢だったころにオーディションを受けてみたいと思っていたそうです。娘が歌手への思いを相談したことで、母親の昔の夢を知りました。
お母さんの夢でもあるし私の夢でもある
出典:音楽ナタリー「SKE48新メンバー審査は通信カラオケで実施」(2014年7月7日)
父親については、両親が離婚したことを本人が公表していますが、職業などの詳しい情報は公表されていません。兄弟姉妹については、本人が「姉妹はいない」と語っていますが、兄弟の有無までを示す発言ではありません。
松井珠理奈の学歴は?知多中学校と高校までの学生時代
松井さんはSKE48のオーディションを受けた2008年当時、小学6年生でした。小学校の具体的な校名は公表されていませんが、中学校については春日井市立知多中学校が本人を「本校卒業生」と公式に紹介しています。
春日井市立知多中学校に通いながらアイドル活動
中学生になるころには、すでにSKE48とAKB48の仕事で名古屋と東京を行き来する生活が始まっていました。それでも地元の学校とのつながりは残り、2025年には卒業生として知多中学校の教育講演会に招かれています。
SKE48に入ったことで、学校での人間関係にも変化がありました。2010年のインタビューでは、学校で「応援してるよ」と声をかけてくれる人が現れ、友達が増えるきっかけになったと話しています。
2026年には本人の公式YouTube「珠理奈HOUSE」で母校を訪問した様子も公開されました。久しぶりに校舎へ入り、現役の中学生から質問を受けながら、当時を振り返っています。
高校は卒業、具体的な学校名は明かされていない
高校の具体的な学校名は、本人から明かされていません。一方、高校を卒業したことは本人自身の発言で確認できます。
2016年、TBSドラマで高校生役を演じた際、松井さんは「私はもう高校を卒業しているので」とコメントしました。小学生から芸能活動を続けながら高校まで進み、卒業したことは本人の言葉として残っています。
同じドラマの撮影では、好きな男子の部活動を見に行って応援することが夢だったとも話しました。本人は自分の高校時代を「青春はSKE」と表現しており、一般的な学校行事や放課後とは違う時間を過ごしていたことがうかがえる発言です。
小学6年生でSKE48オーディションへ
アイドルになりたい気持ちは以前からありましたが、小学生を一人で東京のオーディションへ行かせることを母親は心配していました。そんなとき、地元・名古屋にAKB48の姉妹グループができる話を知ります。
「名古屋なら受けられる」。松井さんにとってSKE48の誕生は、遠かった芸能界への入口が急に地元まで近づいてきた出来事でした。
家族も「名古屋で活動できるなら」と受験を認めました。東京へ一人で行かせるのは心配だった母親にとっても、地元に新しいグループができたことが応募の現実味を大きく変えました。
名古屋なら大丈夫! オーディションを受けられる!
出典:TV Bros.「なわ跳びQ&A 第72回・最終回 チームS・松井珠理奈」(2020年12月12日)
2670人の応募者の中で、小学6年生は周囲より幼かった
2008年7月のSKE48オープニングメンバーオーディションには2670人が応募し、最終的に22人が合格しました。松井さんは当時11歳。本人は7月30日をオーディション合格の日として毎年振り返っています。
歌唱を行う最終審査では約50人まで絞られていたと本人が後年明かしています。周囲は年上の参加者が多く、小学6年生の松井さんはその中でも特に幼い存在でした。
周りはお姉さんばかりでしたけど、逆にそれが刺激になった
出典:音楽ナタリー「SKE48珠理奈、玲奈、高柳がオーディションの思い出を告白」(2010年8月4日)
本人は2019年、最終オーディションから11年を迎えた日に、小学6年生の夏だった自分の写真をInstagramへ投稿しました。大人たちに交じって審査へ向かった時期の姿です。
歌唱審査の機器トラブルで倖田來未「anytime」へ変更
最終の歌唱審査では、用意していた曲が機器の故障で流れないトラブルが起きました。急きょ別の曲を求められ、松井さんが選んだのは、普段からカラオケで歌っていた倖田來未さんの「anytime」でした。
この曲名は、松井さん本人がオーディションから15年を迎えた2023年のInstagramで明かしています。小学生のころから憧れていた倖田さんの曲が、最終審査の勝負曲になりました。
曲を変更したことで、歌う順番は最後へ回りました。しかも歌い慣れていたため、松井さんはプロンプターをほとんど見ず、目を閉じて歌ったといいます。最後に現れた最年少の参加者として、審査側の印象に強く残りました。
秋元康さんと初めて会ったのもこの最終審査でした。当時の松井さんは、会場にいる大人たちのうち誰が秋元さんなのか分からず、「どの人?」と思っていたそうです。
11歳の松井珠理奈を待っていた「大声ダイヤモンド」
オーディション合格後は、ステージへ立つためのレッスンが始まりました。初期SKE48を指導した振付師・牧野アンナさんのレッスンは厳しく、松井さん自身も後年、加入したばかりのころはダンスを覚えるスピードが遅かったと振り返っています。
レッスンを経て、2008年10月5日にTeam S 1st Stage「PARTYが始まるよ」の公演がスタートしました。松井さんがSKE48のメンバーとして、名古屋・栄の劇場で最初のステージへ立った日です。
後年のInstagramには、デビュー13周年の日に小学生当時のステージ写真を投稿しています。大きなホールではなく、名古屋・栄の劇場からSKE48としての活動が始まりました。
最年少の小学生だった松井さんにとって、周囲の年上メンバーは学校とは違う新しい人間関係でもありました。本人は姉妹がいなかったため、お姉さんメンバーたちが優しく接してくれたことがうれしく、心強かったと振り返っています。
完成していたAKB48のシングルに突然加わった
その直後、話はSKE48の中だけでは終わりませんでした。松井さんはAKB48の10thシングル「大声ダイヤモンド」に選ばれます。しかも本人によれば、声がかかった時点で作品制作はかなり進んでいました。
もうすでにジャケット写真の撮影も、レコーディングも終わってたんですよ。
出典:ORICON NEWS「小学生でAKBデビューし いきなりセンターに大抜擢」(2026年6月7日)
松井さんを加えるため、歌割りやダンスのフォーメーションが変わり、すでに撮影していたジャケットも松井さん一人の写真になったと本人は説明しています。SKE48のCDデビュー前の小学6年生が、AKB48の新曲の顔になりました。
公式プロフィールでは、「大声ダイヤモンド」選抜入り時の年齢は11歳228日。AKB48のシングル選抜メンバー選出で当時の最年少記録となり、2008年10月22日の発売とともに全国へその姿が広がりました。
この時点でSKE48はまだ自分たちの1stシングルを発売していません。SKE48の新人として劇場公演を始めた直後に、姉妹グループAKB48の表題曲へ入り、そのCDの表紙では松井さん一人が大きく写るという順番でした。
名古屋と東京を往復した小学生
SKE48として名古屋で活動しながら、AKB48の仕事では東京へ向かう生活が始まりました。家族が「名古屋で活動できるなら」と送り出した直後に、東京との往復が必要になった形です。
小学生で一番、新幹線に乗ってたんじゃないかな
出典:スポニチ「SKEとAKBの二刀流で超多忙な小学生」(2025年7月5日)
本人によれば、1日に新幹線へ4回乗った日もありました。小学校へ通う年齢のまま、名古屋の劇場と東京の仕事場を行き来する日々が始まっていました。
SKE48としての1stシングル「強き者よ」が発売されたのは翌2009年8月5日です。SKE48公式ディスコグラフィーにも、Team Sの歌唱メンバーとして松井さんの名前が残っています。
つまり、春日井まつりのステージを楽しんでいた少女は、SKE48自身のCDが世に出るより先にAKB48の中心へ立っていました。オーディション合格から約3か月で全国発売のシングルへ進む、通常の順番とは違うスタートでした。
2024年、松井さんは春日井の祭りへ出演し、「地元のお祭りに出たい」という夢が16年越しにかなったとInstagramに記しました。最初に人前で踊る楽しさを知った地元は、アイドルを卒業した後も活動の場所として続いています。
































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