≠MEで最年長メンバーとして活動する谷崎早耶。ステージでは「さややん」の愛称でも親しまれていますが、≠MEに加入する前にも、別の名前でアイドルとして活動していた時期がありました。
その名前は「西野早耶」。高校1年生だった15歳のころ、2代目少女隊のメンバーとしてステージに立っています。現在の活動だけを見ていると、≠MEが最初のアイドル経験だったように感じるかもしれませんが、その前には数年にわたる活動がありました。
15歳で一度アイドルになったあと、高校卒業後にはグッズ販売のアルバイトをしながら、もう一度アイドルとして活動する機会を待っていました。
幼稚園時代にテレビの前でミニモニ。を踊っていた少女は、小学生でダンスに熱中し、AKB48やNMB48に憧れ、高校では自分自身がアイドルになりました。そこから少女隊卒業、アルバイト生活、そして≠MEのオーディションへ。谷崎早耶が再びステージへ戻るまでを、昔の具体的な場面とともにたどります。
谷崎早耶の生い立ち!幼稚園のミニモニ。好きから小1のダンスへ
現在の≠ME公式プロフィールでは、谷崎早耶の出身地は熊本県とされています。一方、15歳の「西野早耶」時代に公開されていたCHEERZのプロフィールでは千葉県表記でした。
後年の谷崎は熊本を自分の出身地として語り、≠MEの熊本公演では家族や親戚が喜んでくれたことも明かしています。出生地、出身地、育った場所は同じ意味ではないため、旧プロフィールの千葉表記とは分けて見ておく必要があります。
幼稚園ではテレビの前でミニモニ。を踊っていた
谷崎自身には幼いころの記憶があまり残っていないそうですが、母親からは、小さいころからアイドルが出る歌番組をよく見ていたと聞かされてきました。幼稚園時代に特に好きだったのが、ハロー!プロジェクトのユニット「ミニモニ。」です。
なりきりグッズも持っていて、テレビにミニモニ。が映ると、その前でよく踊っていたといいます。本人が後年、母親から聞いた幼少期の様子をこう話しています。
幼稚園のときはミニモニ。さんが好きで
出典:SmartFLASH「≠ME 谷崎早耶『夏の記憶』」(2019年11月20日)
子どものころに好きだったものは、大人になってからも時折顔をのぞかせます。2025年には、小さいころ憧れていた「メゾピアノ」について触れ、大人になった現在はグッズを集めていることをInstagramで紹介しました。
小学1年からダンスを始める
小学1年生になると、地元のダンススクールへ通い始めます。幼稚園ではアイドルの真似をして踊っていましたが、習い事としてダンスを始めてからは、本人の意識はダンスそのものへ向かっていきました。
この時期はダンスに夢中になり、「アイドルになりたい」とは思っていなかったと本人は振り返っています。
のちに≠ME加入後のレッスンで、昔習っていたダンスはアクロバットが中心だったとも話しています。長く踊ってきた経験はありましたが、そこで身につけた動きとアイドルの振り付けは、本人の中ではかなり違うものでした。
AKB48を見てアイドルへの憧れが芽生えた
アイドルへの気持ちが再び大きくなったきっかけは、AKB48でした。歌番組で「ポニーテールとシュシュ」を歌う姿を見て、かわいさとステージのきらめきに衝撃を受けたといいます。
小学生のころ、初めて自分で買ったCDもAKB48の「Everyday、カチューシャ」でした。目的は、選抜総選挙で当時応援していた佐藤亜美菜に投票すること。見るだけではなく、自分のお金でCDを手にして応援するほど、アイドルの世界に夢中になっていきました。
谷崎早耶の家族構成は?母親・姉・きょうだいとのエピソード
谷崎が幼いころの姿を伝えている母親のほか、本人の発言から兄と姉がいることが分かっています。2021年の誕生日には、兄も同じ10月7日生まれであることを公式Xで明かしていました。
谷崎自身は「きょうだいの中では末っ子」と話しています。家では年下の立場で育った一方、≠MEではメンバー最年長になりました。
姉がダンスを始めるきっかけを作った
小学1年生でダンスを始めた直接のきっかけを作ったのは姉でした。姉が先に地元のダンススクールへ通っていて、谷崎を誘ったのです。
幼稚園のころはテレビの前で好きなアイドルを真似していた谷崎にとって、スクールで人から振り付けを習い、練習する生活がここから始まりました。のちにステージへ立つ以前から、ダンスは長く日常の一部になっていました。
初めてのNMB48握手会も姉と一緒だった
姉は、谷崎をアイドルの現場へ連れて行った人物でもあります。初めて参加した握手会はNMB48で、姉から「一緒に行こう」と誘われたことがきっかけでした。
AKB48グループ全体を好きになっていた谷崎は、ステージで頑張るメンバーを見ると応援したくなり、自分も刺激を受けたと話しています。この握手会通いは、高校を卒業してアルバイトを始めたあとにも続いていきます。
家では末っ子、≠MEでは最年長
≠MEに入ると、家庭とは反対にグループ内では一番年上になりました。加入初期には、年下のメンバーが自分以上に不安を抱えているだろうと考え、少しでも支えになりたいと思っていたそうです。
一方で、本人は家ではよく泣いていたとも話しています。メンバーの前で見せる最年長の立場と、家族の中での末っ子という立場は、同じ時期に並んで存在していました。
熊本は、家族や親戚とのつながりが見える場所でもあります。本人の誕生日に合わせて掲出された生誕ポスターを熊本の親戚が撮影して送ってくれたことを、Instagramで紹介したこともありました。
私は熊本県出身なのですが、熊本でコンサートをしたい
出典:UtaTen「≠ME 9thシングル『夏が来たから』リリース!」(2024年9月4日)
谷崎早耶の学歴は?中学校・高校の学生時代
小学校・中学校・高校の具体的な校名は公表されていません。学校名よりも本人の言葉から具体的に見えるのは、部活動に取り組んだ中学時代と、高校生活を送りながら少女隊の活動を始めた時期です。
中学時代は女子テニス部
中学生になると、女子テニス部に所属していました。本人は後年、美白の話題の中で「中学でテニス部だった頃は日焼けしていた」と話しており、現在とはかなり違う肌の色だった時期があったそうです。
幼いころから続けていたダンスとは別に、学校では屋外競技のテニスに取り組んでいました。中学校名や大会成績などは公表されていないため、学生時代の部活動として確実に分かるのは女子テニス部という点までです。
高校1年で「西野早耶」として少女隊へ
高校へ進学した2015年、生活は大きく変わります。15歳だった谷崎は「西野早耶」名義で2代目少女隊のメンバーとなり、高校1年生のうちからライブやリリースイベントに立つようになりました。
当時のCHEERZプロフィールでは、少女隊のリーダーで担当カラーは赤。高校生として学校生活を送る時期と、アイドルとしてライブやリリースイベントに立つ時期が重なっていました。
高校生活と少女隊での活動が重なっていた2016年には熊本地震も発生しました。谷崎は10年後の2026年、震度7の揺れや繰り返す余震、避難所で過ごした日々の記憶が今も鮮明だと公式Xに記しています。
高校時代はラブライブ!にも夢中だった
高校時代、谷崎が強く惹かれたもう一つのアイドル作品が「ラブライブ!」でした。もともとアニメをよく見るタイプではなかったものの、友人からPVを勧められ、そのかわいさに驚いてアニメ本編や声優まで調べるようになったといいます。
推していたキャラクターは南ことり。自分自身が少女隊として活動する一方、物語の中でアイドルとして頑張る姿にも自分を重ねていました。のちに声優アイドルにも憧れを持った背景には、この高校時代の「ラブライブ!」との出会いがありました。
谷崎早耶の昔は?旧名「西野早耶」で2代目少女隊として活動
≠ME以前の谷崎早耶をたどると、「西野早耶」という名前に行き着きます。2代目少女隊ではこの名義で活動しており、現在の「谷崎早耶」とは活動名が異なっていました。戸籍上の本名については公式に公表されていません。
2代目少女隊は、1980年代に活動した「少女隊」の名前を受け継いだグループです。2015年4月に活動を始め、同年8月にはシングル「ゴールデンロード/少女の逆襲」をリリースしました。
15歳で少女隊のリーダー・赤担当に
大きな名前を受け継ぐことは、15歳の西野早耶にとって気楽なものではありませんでした。1980年代の少女隊が大きなステージやテレビで活躍していたことを知っていたからこそ、2代目として名乗る重さを感じていたといいます。
最初はすごいプレッシャーで。
出典:ガジェット通信「【コレカラ Vol.2】現代に甦った“少女隊”!メンバー・西野早耶にインタビュー」(2016年7月24日)
少女隊としての目標にしていたのは「追いつけ追い越せ」。ライブを中心に活動しながら、初代の楽曲を2代目向けにアレンジした曲も歌いました。高校生として学校へ通う時間と、アイドルとして人前へ出る時間が並行していました。
ミスiD2016と16日連続リリースイベント
2015年には講談社の「ミスiD2016」に参加し、セミファイナリストに選ばれました。自己紹介動画には「西野早耶」として出演しており、≠ME加入より数年前の声や表情を映像で見ることができます。
少女隊の3rdシングル期には、16日連続のリリースイベントも経験しています。渋谷から名古屋へ移動し、次は横浜へ向かうような日程もあり、本人は「ハードスケジュール」だったと振り返っています。
一方、仕事の合間には高校生らしい時間もありました。自然の多い場所で行われたジャケット撮影では、待ち時間に川で遊んだことをインタビューで話しています。ライブ、移動、撮影が続く中に、そんな小さな場面も残っています。
少女隊卒業を経て次の進路へ
少女隊での活動は2018年に一区切りを迎え、西野早耶はグループを卒業します。高校卒業も近づく時期でしたが、アイドルへの気持ちまで終わったわけではありませんでした。
ここから「西野早耶」として人前に立っていた時間はいったん途切れます。次に谷崎が選んだのは、すぐ別のグループへ入ることではなく、アルバイトをしながら次の機会を待つ生活でした。
高校卒業後はグッズ販売のアルバイトをしながらアイドルを目指した
高校を卒業した谷崎は、≠MEに入る前の約1年間、グッズ販売のアルバイトをしていました。正社員として就職する道は選ばず、社会に出て経験を積みながら、アイドルになる機会を待っていた時期です。
高校を卒業してもアイドルの夢を諦められなくて
出典:タウンワークマガジン「谷崎早耶(≠ME)インタビュー」(2021年7月13日)
販売の仕事では、基本的なあいさつや接客中の笑顔を学びました。個人的につらいことがあっても仕事中は明るく振る舞うという経験は、≠ME加入後の活動でも意識するようになったと本人は話しています。
働いたお金で夜行バスに乗り握手会へ
アルバイト代の使い道の一つは、好きなアイドルに会いに行くことでした。NMB48の握手会へ参加するため、自分で働いて得たお金を使い、大阪まで夜行バスで移動していました。
小学生のころ、姉に誘われて初めて足を運んだNMB48の握手会。高校を卒業したころには、自分で交通費と握手券にお金を使い、一人のファンとして会場へ向かう生活になっていました。
就職せず次のオーディションを待っていた
少女隊を卒業していた谷崎は、その後もアイドルのオーディションを受けていました。ただ、書類審査で落ちることもあり、次の所属先がすぐに決まったわけではありません。
それでも、アイドルを見る側に戻りきることはありませんでした。働きながら握手会へ通う日々の中で、=LOVEをプロデュースしていた指原莉乃本人にも、自分の希望を直接伝える機会が訪れます。
≠MEオーディションへ!ロッカー前で見つけた姉妹グループ募集
谷崎が次の大きな機会を知った場所は、芸能事務所の会議室でも学校でもありませんでした。グッズ販売のアルバイトを終え、自分のロッカーの前に戻ったとき、=LOVEの姉妹グループオーディション開催を伝える記事を目にします。
その募集を見た瞬間、谷崎の中に浮かんだのは「これしかない」という気持ちでした。
指原莉乃の握手会で話していた「=LOVEに入りたい」
姉妹グループの募集を知る前、谷崎は指原莉乃の握手会へ足を運び、「=LOVEに入りたい」と本人へ伝えたことがありました。すると指原から、オーディションがあったら受けてほしいという言葉をかけられたといいます。
高校時代には「ラブライブ!」を通じて声優アイドルにも憧れていました。指原莉乃と代々木アニメーション学院が組んだ=LOVEの姉妹グループは、本人が惹かれてきた複数の要素が重なる募集でもありました。
バイト終わりに募集記事を見て応募
数年後、≠MEに入った当時の気持ちを尋ねられた谷崎は、アルバイト終了後のロッカー前という具体的な場面を挙げています。
これしかない!と思って応募したときの気持ちを大切にしたいです。
出典:ARNE「≠ME 谷崎早耶&冨田菜々風インタビュー」(公開日記載なし)
応募に至るまでには、少女隊でステージに立った経験も、卒業後に書類審査で落ちた経験もありました。アイドル経験者だから次も簡単に決まるという状況ではなく、自分で募集を見つけてもう一度審査へ向かっています。
「最後のチャンス」と考えて臨んだ審査
谷崎は、=LOVE姉妹グループには絶対に入りたいという気持ちを持つ一方、年齢のことも考えていました。1999年生まれの谷崎にとって、10代の終わりに受けるこの募集は、自分の中で区切りを意識するオーディションでもありました。
年齢的にも最後のチャンスだと思いました。
出典:タウンワークマガジン「谷崎早耶(≠ME)インタビュー」(2021年7月13日)
審査中は緊張が強く、本人は後になっても細部をよく覚えていないと話しています。ただ、歌唱審査で指原莉乃がにこやかな表情で聴いていたことだけは記憶に残りました。審査後は「落ちたらどうしよう」と考えていたそうです。
2019年1月26日にオーディションの最終審査が行われ、2月24日にメンバーがお披露目されました。そこで指原莉乃から発表されたグループ名が「≠ME」。谷崎早耶として、新しいアイドル活動が始まります。
谷崎早耶が≠MEとしてステージへ立つまで
2代目少女隊で活動していた経験があっても、≠MEのレッスンが楽だったわけではありません。長く続けてきたダンスと、≠MEで求められるアイドルの振り付けには、本人が戸惑うほどの違いがありました。
2019年に≠MEメンバーとして活動開始
2019年2月のお披露目後、谷崎は≠MEの最年長メンバーとして活動を始めました。15歳で少女隊に入ったころとは所属も名前も変わり、今度は年下のメンバーが多いグループでスタートを切ります。
加入初期から、メンバーが不安そうにしていれば寄り添う場面もありました。自分自身も家へ帰れば落ち込んだり泣いたりしていましたが、グループの中では年上として周囲を見ていたといいます。
TIFを前に一人で泣いたダンスレッスン
TOKYO IDOL FESTIVALで披露するため、=LOVEの「探せ ダイヤモンドリリー」を練習したとき、振り付けの難しさにぶつかりました。思うように踊れず、谷崎は一人でトイレへ行って泣いたと振り返っています。
小学1年生からダンスを続け、少女隊でもステージ経験があった谷崎にとっても、アクロバットを中心に学んできたダンスと、≠MEで教わる振りは別物でした。経験がある状態から、もう一度新しい踊り方を覚える時間が始まっていました。
再びアイドルとしてステージへ
≠MEとしてライブを重ねる中で、谷崎は少女隊とは違うグループで再びステージに立つようになりました。数年後の周年公演では、新しい衣装でステージに立った姿も本人のInstagramに残されています。
2021年4月7日には、≠MEがミニアルバム「超特急 ≠ME行き」でメジャーデビュー。谷崎にとっては、少女隊を卒業し、アルバイトをしながら次の機会を待った時間を経て迎えた、新しいグループでのメジャーデビューでした。
結成から年月がたった後も、本人は周年のたびに≠MEで過ごす時間への思いを発信しています。7年目を迎えた時期にも、これからの活動へ向けた言葉とともに自身の姿を投稿しました。
10代の終わりに「最後のチャンス」と考えて受けたオーディションで、谷崎早耶はもう一度アイドルとして活動を始めました。最初のTIFを前に振り付けで泣いたところから、≠MEのステージに立つ日々が続いています。
































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