おニャン子クラブの会員番号5番。「なかじ」の愛称で親しまれた中島美春さんを覚えているでしょうか。
初期のおニャン子クラブでは、新田恵利さん、福永恵規さん、内海和子さんと並んでフロントボーカルを担当。ところが、その芸能活動は長く続きませんでした。
高校生活の途中でテレビの世界へ入り、1985年4月におニャン子クラブ会員番号5番となった中島美春さん。翌1986年春には、自分で選んだ進路へ向かうため芸能界を離れています。
最初から歌手になろうと芸能界を目指し続けていた、というタイプではなかったようです。同じ初期メンバーの新田恵利さんは、後年、中島さんと自分を「アルバイト気分の女子高生」だったと振り返っています。
普通に高校へ通っていた一人の女子高生が、どのようにテレビ番組へ出演し、あっという間に人気アイドルグループのフロントに立つことになったのか。中島美春さんのおニャン子クラブ以前から「じゃあね」で旅立つまでを追います。
中島美春は昔どんな少女だった?高校時代までの生い立ち
中島美春さんの幼少期や小学生・中学生時代については、当時の遊びや習い事、部活動などを詳しく語った公的な資料が多く残っていません。
一方、芸能界へ入る直前の中島さんについては、1985年当時、普通科の高校に通う女子高生だったことが複数の資料に残されています。
1985年2月には高校2年生。春から高校3年生へ進む時期に、フジテレビの「オールナイトフジ女子高生スペシャル」へ出演しました。このテレビ出演が、それまでの日常を大きく変える入口になります。
普通の高校生活からテレビ出演へ
「オールナイトフジ女子高生スペシャル」は、女子高生を出演者にした特別番組でした。そこに出演した女子高生の中から、同年4月に始まる「夕やけニャンニャン」の初期メンバーが選ばれていきます。
中島さんも、その流れで新番組へ参加することになった一人でした。芸能事務所で長くレッスンを受け、歌手デビューへ向けて準備していたわけではありません。
当時、中島さんが通っていた高校で教員だったとする人物の回想には、高校3年生になった中島さんが学校生活とおニャン子クラブの活動を並行していた様子も記されています。
私はそう賢くないけど
出典:福田元昭の「桜の木になろう」「高偏差値アイドル・向井地美音と『NHK高校講座 日本史』」(2018年9月28日)
この回想では、中島さんが芸能活動を始めたあとも、学校の教師と話をする場面が記録されています。ただし、これは本人の公式インタビューではなく、当時の教員だったとする筆者の記憶による証言です。
高校名についてはネット上に具体名も出ていますが、学校公式や本人の一次資料で確定できる根拠が乏しいため、特定の学校名を前提にはできません。
芸能界を目指していた少女だったのか
中島さんの当時の立ち位置を知るうえで興味深いのが、同じ初期メンバーだった新田恵利さんの回想です。
新田さんによると、やがてメンバーの中には芸能界で生きていこうと本気で考える人が増えていきました。その中で、中島さんと新田さんは少し違う感覚で番組へ通っていたといいます。
アルバイト気分の女子高生は、なかじ(中島美春)と私くらい
出典:日刊ゲンダイDIGITAL「素人丸出しの私にとんねるずタカさんはよくしてくれた」(2019年1月12日)
新田さんは、フジテレビの控室を「女子高」のようだったとも振り返っています。人が多くて着替える場所にも困り、トイレで着替えたり、食堂でサインを考えてノートに練習したりしていたそうです。
テレビに出る女子高生ではあっても、最初から完成された芸能人だったわけではない。中島美春さんのおニャン子時代は、そんな状態から始まりました。
中島美春の家族構成は?両親や兄弟について
中島美春さんの両親や兄弟姉妹については、本人が芸能活動をしていた当時も詳しい情報がほとんど公表されていません。
一般人である父親や母親の氏名、職業、兄弟姉妹の構成などを裏付ける一次資料も乏しく、家族について具体的な人物像まで広げられる材料は限られています。
おニャン子クラブに入ることになった際、家族が応募したのか、両親がどのような反応をしたのかについても、確かな本人証言は見当たりません。
一方で、中島さん自身は高校を卒業したあとも芸能界へ残る道ではなく、専門的な勉強をする進路を選んでいます。芸能活動が生活のすべてになっていなかったことは、その後の選択にも表れています。
中島美春の学歴は?高校時代と歯科系の専門学校を選んだ進路
中島美春さんの学生時代で最も大きな出来事は、高校在学中におニャン子クラブへ入り、学校へ通いながらテレビ出演や歌手活動を続けたことです。
そして高校卒業を迎えるころ、中島さんは芸能界に残るのではなく、歯科に関係する専門分野を学ぶ道へ進みます。
高校在学中に芸能活動が始まった
1985年4月1日に「夕やけニャンニャン」が始まった時点で、中島さんは高校3年生になる時期でした。
番組へ出るだけではありません。おニャン子クラブの人気が急速に高まると、レコードのレコーディングや歌番組など、活動の範囲も広がっていきました。
当時の学校関係者だったとする人物の回想によれば、中島さんが通う高校の卒業式を歌番組「ザ・ベストテン」で撮影したいという話まで出たとされています。実現はしなかったものの、普通の高校生活と全国的な人気グループの活動が同時に進んでいた時期でした。
高校卒業後に選んだ歯科系の専門学校
中島さんの卒業後の進路については、「歯科衛生士」と「歯科技工士」という二つの表記が残っています。
2014年のFLASHの記事では「歯科衛生士の専門学校」への進学とされています。一方、『おニャン子白書』の内容を引用した資料には「歯科技工士の学校」とあります。歯科分野の専門学校へ進んだ点は共通していますが、資格名については資料によって表記が異なります。
芸能界での人気が上がっていた時期に、進学を優先して卒業を選んだこと自体は、多くの資料で一致しています。
『おニャン子白書』の内容を引用した資料では、卒業後、専門学校へ通い始めた中島さんが一時期学校を辞めたいとスタッフへ電話したという話も残されています。
元おニャン子として街で声をかけられることや、想像していた世界との違いに戸惑っていたという内容です。スタッフから途中で投げ出さないよう言われたあと、中島さんは短く返事をしたとされています。
また行きます
出典:「おニャン子クラブは永遠です!!」『おニャン子白書』引用「会員番号5番 中島美春」(2013年11月17日)
同資料には、その後アルバイトをしながら学校を卒業し、歯科医のアシスタントをしていたとも記されています。
「オールナイトフジ女子高生スペシャル」が芸能界への入口
中島美春さんの芸能界への最初の接点として挙げられるのが、1985年に放送された「オールナイトフジ女子高生スペシャル」です。
「夕やけニャンニャン」が始まる前に放送された女子高生向けの特別番組で、そこに出演した女子高生の中から新番組へ出演するメンバーが選ばれました。
中島さんもこの番組への出演を経て、4月から始まる「夕やけニャンニャン」へ参加することになります。芸能界への入口は、歌手オーディションで優勝したことでも、芸能事務所でレッスンを重ねたことでもありませんでした。
1985年春、テレビの世界へ
おニャン子クラブには、後に会員番号が割り振られました。中島さんは5番。USENが公開しているメンバー一覧でも、加入日は1985年4月1日とされています。
同じ4月1日には新田恵利さん、樹原亜紀さん、国生さゆりさん、福永恵規さんらも加入しています。番組開始当初からいる、文字どおりの初期メンバーでした。
「夕やけニャンニャン」の結成メンバーに
おニャン子クラブそのものが、従来のアイドルとは少し違う発想で作られていました。
日本レコード協会の「THE RECORD」は、グループのコンセプトについて、身近にいそうな同級生のような女子高生たちによる「放課後や部活動の延長」だったと紹介しています。
中島さんの経歴は、まさにそのイメージと重なります。高校へ通いながら夕方のテレビ番組へ出演し、その番組から生まれたグループの一員として活動していました。
中島美春がおニャン子クラブ会員番号5番になるまで
会員番号5番となった中島さんは、「なかじ」「なかじー」と呼ばれるようになります。
番組には毎日のように多くのメンバーが集まりましたが、初期メンバーの中でも中島さんと新田恵利さんは近い感覚を持っていたようです。
「なかじ」と呼ばれた普通の女子高生
中島さんの魅力は、完璧に作り込まれたアイドル像とは少し違うところにもありました。
番組内では出演者からいじられれば反応し、笑いの中心に入ることもありました。フロントボーカルを務める一方、テレビの前で気取らず振る舞う「なかじ」のキャラクターも知られていきます。
新田恵利が語った「アルバイト気分」の2人
新田恵利さんは後年、おニャン子クラブの控室について、わいわいと人が集まる女子高のような場所だったと振り返っています。
サインすら最初から用意されていたわけではありません。食堂で自分のサインを考え、ノートに書いて練習していたというのです。
ところがメンバーが増えていくにつれて、芸能界で本格的に生きていこうと考える人も現れます。その中で新田さんは、自分と中島さんを同じ側に置いていました。
歌手になることを最初から大きな目標にしていたわけではない女子高生が、結果としておニャン子クラブ最初期の顔の一人になっていったのです。
初期フロントボーカルに選ばれCDデビュー
「夕やけニャンニャン」が始まって約3か月後、中島美春さんの生活はさらに大きく変わります。
おニャン子クラブがレコードデビューすることになり、中島さんはその中心で歌う4人の一人に選ばれました。
「セーラー服を脱がさないで」の4人
1985年7月5日、おニャン子クラブは「セーラー服を脱がさないで」を発売します。
日本レコード協会の資料に記されているメインボーカルは、会員番号4番の新田恵利さん、5番の中島美春さん、11番の福永恵規さん、13番の内海和子さんの4人です。
4月にテレビ番組へ出始めたばかりだった中島さんが、夏にはおニャン子クラブのデビュー曲を前列で歌っていました。
同じ4人は続く「およしになってねTEACHER」でもフロントを務め、中島さんは初期のおニャン子クラブをテレビで印象づけたメンバーの一人になります。
志村けんに似ている?番組で生まれた「なかじ」のキャラクター
「中島美春 志村けん」という組み合わせが今も検索されるのには、当時のテレビ番組で生まれた有名なやり取りがあります。
2014年のFLASHが振り返った記事によると、中島さんが自己紹介を終えたあと、司会の片岡鶴太郎さんが視聴者から届いたハガキを読みました。
内容は、「なかじ」は志村けんさんの妹なのか、というもの。突然そんなことを言われた中島さんは、すぐに反応します。
ヤァーだッ!
出典:FLASH「中島美春」関連記事(2014年2月18日発売号)
この「志村けん」ネタはその場だけでは終わらず、後におニャン子クラブの自己紹介曲「会員番号の唄」の中でも扱われました。
歌番組で前列に立つ一方、こうしたやり取りでは普通の女子高生らしい反応を見せる。その距離の近さも「なかじ」が覚えられていった理由の一つでした。
加入からCDデビューまでを見ると、その変化の速さが際立ちます。2月には高校生として特別番組へ出演し、4月に会員番号5番となり、7月にはレコードデビュー曲のメインボーカルです。
「じゃあね」はなぜ中島美春の卒業ソングになった?
人気が高まり、初期フロントとして知られるようになった中島さんでしたが、おニャン子クラブでの活動を長く続ける道は選びませんでした。
1986年春、高校卒業とともにグループから離れることになります。
高校卒業後に選んだ進路
『おニャン子白書』の内容を引用した資料には、中島さんが番組開始から2~3か月ほどたったころには、すでに辞めたいという意思を示していたというスタッフ側の回想があります。
夏休みを過ぎても気持ちは変わらず、スタッフは高校卒業まで続けるよう促したと記されています。
それじゃあ高校卒業までがんばってごらん
出典:「おニャン子クラブは永遠です!!」『おニャン子白書』引用「会員番号5番 中島美春」(2013年11月17日)
これは中島さん本人の言葉ではなく、当時のスタッフ側の回想です。中島さんは結果として高校卒業の時期まで活動を続けました。
卒業する中島さんのために用意されたのが「じゃあね」です。ポニーキャニオンの公式作品ページでも、現在までおニャン子クラブの代表曲として収録されています。
『おニャン子白書』を引用した資料には、中島さんが自分のために曲を作ってもらい、それを出して辞めることに後ろめたさを感じていたというスタッフの証言も残されています。
ソロ歌手として芸能界に残るための曲ではありません。自分が去るための曲を、おニャン子クラブの仲間と歌うことになりました。
このYouTube音源は「Onyanko Club – Topic」で公開され、ポニーキャニオン提供と明記されている公式配信音源です。
1986年3月、最初の「卒業生」へ
USENのメンバー資料では、中島美春さんの卒業日は1986年3月31日。河合その子さんも同じ日に卒業しています。
ORICON NEWSは、女性アイドルグループを離れることを「卒業」と呼ぶ流れについて、中島さんと河合さんがおニャン子クラブを離れた際が、大きく取り上げられた初期の例ではないかと紹介しています。
中島さんの場合は、グループを離れてソロ活動へ移る「卒業」ではありませんでした。芸能界そのものから離れ、進学先へ向かいます。
1986年4月ごろに発行された「こニャン子クラブ」の公式ファンクラブ会報vol.6も、「河合その子&中島美春 卒業特集」として2人を取り上げ、「その子、なかじぃ、立見あねぃの卒業座談会」を掲載していました。
番組内で中島さんに贈られた卒業証書を収録した資料には、約1年間の「なかじ」の存在について、フジテレビのプロデューサー石田弘さんから言葉が贈られています。
一人の女の子に戻ってもいつまでも幸せに
出典:翡翠の風「始まりと終わり」掲載の卒業証書(公開日記載なし)
その言葉どおり、中島さんは華やかなテレビの世界から離れました。
一方、おニャン子クラブが解散を迎えた1987年のファイナルコンサートには卒業生として姿を見せています。ファンによる当時の記録には、中島さんがステージで語ったとされる言葉も残されています。
本当に本当に私たちは幸せでした
出典:「想いはすべてのために」中島美春「卒業の神話」番外編(2024年2月9日)
高校生としてテレビへ出始めてから、おニャン子クラブ会員番号5番、デビュー曲のフロントボーカル、そして「じゃあね」まで。中島美春さんがアイドルとして過ごした中心的な時間は、およそ1年でした。
「なかじ」が選んだのは、その人気を足場に芸能界へ残ることではなく、高校卒業を区切りに別の道へ進むことでした。だからこそ「じゃあね」という曲とともに、会員番号5番の姿が長く記憶されています。



























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