FRUITS ZIPPERのオレンジ担当としてステージに立つ鎮西寿々歌。現在の姿からたどると、芸能界との最初の接点はアイドルのオーディションではなく、小学生のころに通っていたダンススクールでした。
2009年度からは「天才てれびくん」シリーズのてれび戦士として4年間活動。学校を早退して新幹線で東京へ向かう日々を送り、その後も女優やタレント、「ニャンちゅう!宇宙!放送チュー!」のおねえさんなど、個人で芸能活動を続けていきます。
小学4年生ごろに天てれのオーディションへ応募してから、23歳でFRUITS ZIPPERの初ステージに立つまでには、十数年の時間がありました。
その間には、家族との暮らし、友達と遊べないこともあった学生生活、大学進学、そして一度は遠ざけたアイドルへの思いがあります。鎮西寿々歌がどんな少女時代を過ごし、なぜ20代でアイドルの道を選んだのかを時系列で追います。
鎮西寿々歌は神戸出身・西宮育ち?歌とダンスが好きだった幼少期
鎮西寿々歌の公式プロフィール上の出身地は兵庫県です。本人は2022年のインタビューで「神戸出身・西宮育ち」と自己紹介しており、少女時代を西宮で過ごしました。
子どものころから好きだったのは、歌うことと踊ること。後年のインタビューでは、音楽が鳴ると身体が先に動くような子どもだったと振り返っています。
メロディーが流れると自然と踊っちゃう子でした。
出典:NB Press Online「【インタビュー】鎮西寿々歌『とにかく宇宙人に会いたい!』」(2020年12月24日)
母が通わせたダンススクールが芸能界への入口
そんな寿々歌を母親がダンススクールへ通わせました。歌やダンスを楽しむ場所だったそのスクールに、NHK「天才てれびくんMAX」のオーディション案件が届きます。
応募したのは小学4年生ごろ。本人の記憶では、芸能界を目指して養成所を渡り歩いていたわけではなく、普段通っていたダンススクールに舞い込んだ募集が最初の入口でした。
幼いころに憧れたキャラクターも、歌や表現と近いところにいました。「おジャ魔女どれみ」の瀬川おんぷと、「ふたりはプリキュア」の雪城ほのかが好きだったと語っています。おんぷは歌手として舞台に立つキャラクターで、かわいさだけでなく、芯のある姿に惹かれていました。
鎮西寿々歌の家族構成は?両親・弟とのエピソード
鎮西寿々歌の家族については、父親、母親、弟とのエピソードが本人の発信やインタビューに残っています。一般人である家族の氏名や職業を広げるのではなく、少女時代の暮らしが見える出来事をたどります。
「寿々歌」という名前に残る両親の記憶
名前にも家族の記憶があります。2025年6月、本人は「寿々歌」という名前がどのように決まったのかを公式Xで紹介しました。
父のブログ用に地元スイーツを撮った小学生時代
父親との思い出にはカメラがあります。小学生のころ、関西で暮らしていた寿々歌は、父親が運営していたブログに載せる地元のスイーツを自分で撮影していました。その写真が雑誌に取り上げられたこともあったそうです。
カメラとの縁はさらに上の世代へ続きます。祖父はカメラマンで、赤ちゃんの撮影をしていたと本人が振り返っています。のちに寿々歌自身も一眼レフで人や旅先の風景を撮るようになりました。
母親は、幼い寿々歌をダンススクールへ通わせた人です。芸能界入りを直接決めたのは天てれのオーディションでしたが、その募集に出会った場所までをたどると、母親が作った日常の中に入口がありました。
鎮西寿々歌の学歴は?小学校・中学校・高校から関東の大学へ
鎮西寿々歌は小学生のうちに芸能活動を始めました。小学校・中学校・高校の校名、大学名や学部は公表されていません。本人が進学時に明かした大学情報は「関東の大学」までです。
ネット上では具体的な学校名が挙がることがありますが、学歴カードと本文では本人が公表した範囲のみを掲載します。
天てれ収録の日は学校を早退して新幹線で東京へ
小学生で東京のレギュラー番組に出演する生活は、地元の学校だけで完結しませんでした。収録がある日は学校を早退し、そのまま新幹線に乗って東京へ向かうことがよくあったと本人が話しています。
そのため学校の友達と遊べない日も多く、同級生が日々一緒に過ごす中で疎外感を覚えることもありました。一方、東京で一緒に過ごすてれび戦士や番組スタッフとの時間は、仕事でありながら本人にとって「二つ目の学校」のような場所になっていきます。
3年間通った高校を2017年に卒業
天てれを卒業したあとも芸能活動は続きましたが、高校生活も3年間送りました。2017年2月には本人が高校卒業を報告し、制服姿の写真とともに学校生活を終えたことを伝えています。
てれび戦士を卒業したのは中学生の時期。その後はドラマや映画、舞台、写真番組など仕事の幅を広げながら高校へ通っており、芸能活動だけに進路を一本化した学生生活ではありませんでした。
2017年春、関東の大学へ進学
高校卒業後の2017年春には、関東の大学へ進学しました。本人は一時、大学生活に専念することも考えたものの、女優の仕事を続けたい気持ちがあり、学業と芸能活動を両立する道を選んだと報告しています。
進学先について本人が示したのは「関東の大学」という範囲です。大学名を推測で補わず、学生時代に本人自身が公表した進路をそのまま学歴として扱います。
鎮西寿々歌の天てれ時代は4年間!小学5年生で立ったNHKホール
鎮西寿々歌が「天才てれびくん」シリーズにてれび戦士として出演したのは2009年度から2012年度。小学5年生から4年間にわたり、歌、ダンス、演技、ロケなどを経験しました。
オーディションでは一発ギャグも披露しました。本人によれば、ギャグをやっているうちに合格したというほどで、現在まで特技として挙げている一発ギャグは、小学生のころから人前で出していたものでした。
ただ、合格後の最初の顔合わせでは華やかな気持ちだけではありませんでした。周囲を見て「場違いだ」と感じたものの、自分の居場所を作ってもらった以上はやるしかないと、番組の中へ入っていきました。
小学5年生の新人てれび戦士として見た客席
新人だった小学5年生のころ、初めてNHKホールのステージに立ちました。目の前には客席があり、そこで歌い、踊り、演じるという経験をします。
今でも鮮明に覚えています。
出典:Pop’n’Roll「鎮西寿々歌(FRUITS ZIPPER)[インタビュー]直感に従って幕を開けたアイドルライフ」(2022年3月26日)
後年まで残ったのは、番組名や出演年だけではなく、客席を前に初めてパフォーマンスしたときの景色でした。まだ小学生だった寿々歌にとって、テレビ収録と生のステージが同時に日常へ入ってきた時期です。
卒業後も「幼少期の全てが詰まった番組」と振り返った
2019年、天てれの舞台化作品への出演を知らせた際には、番組を自分の幼少期と強く結びついた存在として振り返っています。卒業から年数がたっても、4年間を過ごした現場は過去の出演歴だけにはなっていませんでした。
天てれでMCを務めていたハリセンボンの近藤春菜とは、2024年のラジオで約15年ぶりに再会しました。近藤は当時と同じように「寿々歌」と呼び、25歳になった姿を見て成長に驚いています。子どものころの共演者と大人になって再び仕事で向き合う場面も生まれました。
元てれび戦士のソーズビーとは、自身の公式YouTubeでも当時を振り返っています。子どものころ同じ番組で過ごした相手と、大人になってから天てれの話をする動画です。
天てれ卒業後も女優・タレントとして活動
2012年度でてれび戦士としての出演を終えたあとも、鎮西寿々歌は芸能界を離れませんでした。写真番組「コヤブガチピン写真館」、ドラマ、映画、舞台などへ活動の場を移し、子ども番組とは違う現場も経験していきます。
天てれ時代について本人は、遊べない日や疎外感もあった一方、芸能の仕事そのものをやめたいとは思わなかったと振り返っています。その場ごとにさまざまなことを経験できるのが楽しく、卒業後も個人で活動を続けました。
2018年からニャンちゅう12代目おねえさん「タラスズ」へ
2018年にはNHK Eテレ「ニャンちゅう!宇宙!放送チュー!」の12代目おねえさんに就任。「タラスズ」として、再び子どもたちが見る番組にレギュラー出演しました。
タラスズは宇宙人という設定で、番組プロデューサーからは地球のことを何も知らない幼い感覚で演じるよう伝えられたと本人が話しています。好奇心の強さや食べることが好きな部分を自分と重ねながらキャラクターを作っていました。
番組には子どもから絵や折り紙が添えられた手紙が届き、それらを家に飾っていたそうです。小学生でてれび戦士になった寿々歌は、20歳前後になると子どもへ番組を届ける側としてEテレに立っていました。
鎮西寿々歌がFRUITS ZIPPERでアイドルになるまで
長く芸能活動をしてきた鎮西寿々歌ですが、アイドル活動はFRUITS ZIPPERが初めてです。歌とダンスは幼いころから好きだった一方、アイドルになる道は一度、本人の中で遠ざかっていました。
中学生のころ、一度はアイドルを諦めかけた
本人は後年、中学生のころに「年齢の壁」を意識し、アイドルになることを一度諦めかけたと明かしています。当時は若いアイドルが多いと感じ、中学生のころには自分が始めるには「もう遅い」のではないかと考えていました。
後悔する人生にしたくないと思って一歩踏み出し
出典:Ane♡ひめ.net「【鎮西寿々歌さん編】大人気『FRUITS ZIPPER』メンバーに聞く『子ども時代と今のやりがい』」(2025年11月1日)
てれび戦士を卒業したあとも、周囲のアイドルが若く見え、「今から始めるのは遅い」と感じていました。さらに歌やダンスへの自信も十分ではなく、タレントや女優の道へ進むことを考えるようになります。
その後は女優やタレントとして活動し、大学にも進学しました。それでも本人の中には、歌とダンスで表現する仕事をしたいという気持ちが残り、仕事と自分の本音が噛み合わない感覚を抱く時期もあったと話しています。
気持ちが再び大きく動いたのは、舞台でアイドル役を演じたときでした。ステージ上でその役を演じることを素直に楽しいと感じ、かつて遠ざけたアイドルという選択肢が、20代になってもう一度現実の進路として近づいてきます。
アソビシステムのサイトで見つけたアイドルオーディション
転機はアソビシステムへの所属が決まったころでした。どんな会社なのか知ろうと公式サイトを見たところ、新しいアイドルグループのメンバー募集を発見。しかも、その募集は翌日が締め切りでした。
そこで、所属後に担当になる可能性があると聞いていたマネージャーへ、アイドルに興味があることを自分から伝えました。すでにFRUITS ZIPPERのメンバーは6人まで決まっていましたが、話す場が設けられ、鎮西寿々歌は最後に加わる形で7人の一員になります。
あ、これはタイミングかもしれない
出典:Billboard JAPAN「<インタビュー>原宿から世界へ、“NEW KAWAII”を発信するFRUITS ZIPPERの野望」(2022年9月5日)
小学4年生ごろの天てれでは、ダンススクールに届いた募集が入口でした。今度は20代になった自分が、所属先のサイトで募集を見つけ、自分の意思でアイドルのオーディションへ向かいます。
子どものころから芸能界にいた鎮西寿々歌が、23歳になる年に初めて本格的なアイドル活動を選びました。
2022年2月22日、FRUITS ZIPPERのメンバーとして発表
2022年2月22日、新プロジェクト「KAWAII LAB.」から誕生するFRUITS ZIPPERの7人が発表されました。鎮西寿々歌はオレンジ担当として名前を連ねます。
グループとしての活動は初めてで、とてもワクワクしています!
出典:ASOBISYSTEM「新アイドルグループ『FRUITS ZIPPER』7人のメンバーが発表」(2022年2月22日)
それまでの鎮西寿々歌は、てれび戦士も、女優も、タレントも、番組のおねえさんも基本的には個人で活動してきました。7人で一つのグループを作ることは、長い芸能生活の中でも初めての経験でした。
2022年、23歳でFRUITS ZIPPERとしてステージへ
FRUITS ZIPPERは当初、2022年4月10日に白金高輪SELENE b2でお披露目ライブ「FIRST CONTACT」を開く予定でした。しかしメンバーとスタッフに新型コロナウイルスの陽性反応が確認され、公演は直前に延期となります。
4月10日にはデビュー曲「君の明るい未来を追いかけて」が配信されましたが、7人が観客の前で初めてライブを行う日はもう少し先になりました。
4月24日、FRUITS ZIPPER初ライブ
実際の初ライブは2022年4月24日。櫻井優衣、真中まな、松本かれんの合同生誕祭で、FRUITS ZIPPERは初めて観客のいるステージへ立ちました。鎮西寿々歌は23歳でした。
小学5年生のころ、NHKホールで歌い、踊り、演じた客席の景色を覚えていた少女が、十数年後には自分で選んだアイドルグループの一員としてステージへ戻ってきました。
その5日後の4月29日には「わたしの一番かわいいところ」を配信。ここから鎮西寿々歌の、FRUITS ZIPPERとしてのアイドル活動が本格的に進んでいきます。
































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