CANDY TUNEの赤色担当としてステージに立ち、2026年6月には『CanCam』専属モデルにも加わった立花琴未さん。華やかな衣装やランウェイが似合う現在の姿のずっと前から、ファッション誌を眺め、舞台で表現する時間を楽しんできました。
『CanCam』は幼稚園のころから憧れていた雑誌でした。おしゃれが好きな母と一緒に誌面を見て、お風呂上がりには父に頼んで、当時の人気モデル・蛯原友里さんのように髪を巻いてもらっていたと振り返っています。
兄と遊ぶときに夢中だったのは『仮面ライダー』。モダンバレエや、小学生で通った演技のレッスンも、少女時代の日常の中にありました。
6歳から続けたモダンバレエを約10年でやり切り、17歳で最初のオーディションに合格すると、母と福岡から上京しました。
まずは、本人公式Instagramに残る一枚から。アイドルとして知られる前に何を好きになり、家族とどう過ごし、どんな道を通って最初のステージに立ったのかを、幼いころから順にたどります。
立花琴未は北九州でどんな少女時代を過ごした?
立花琴未さんの出身地は福岡県北九州市です。大人になってからも福岡へ戻ったときの様子をSNSに残しており、地元の友人と過ごす時間や福岡での食事など、故郷とのつながりが見える投稿があります。
幼少期の記憶には、兄とのヒーロー遊び、バレエ、演技レッスンがあります。体を動かす時間と、人前で表現する時間の両方が早い時期から生活に入っていました。
兄と仮面ライダーのベルトで遊んだ幼少期
子どものころに好きだったのは、かわいいキャラクターだけではありません。兄の影響で『仮面ライダー』に夢中になり、兄妹でおこづかいを貯めて変身ベルトを買ったこともありました。
兄の影響で『仮面ライダー』にハマっていました。
出典:SCRAMBLE「【美少女スクランブル】1年で豊洲PITのステージに立ちたい『立花琴未』」(2023年3月24日)
本人は、ベルトを着けて兄とよく遊んでいたため、小さいころは仮面ライダーになりたかったかもしれないと話しています。『アンパンマン』も好きで、戦うヒーローに助けてもらいたいという夢も持っていました。
現在の公式プロフィールにも、姉と兄がいることと、兄と一緒におこづかいを貯めてベルトを買った思い出が記されています。家族との遊びが、そのまま幼少期の好きなものとして残っているエピソードです。
成長してからも福岡を訪れる時間は続いています。2023年には宗像でアフタヌーンティーを楽しんだ写真を本人公式Instagramに投稿しました。
食べ物や景色を楽しむ現在の地元投稿とは別に、少女時代には早くからレッスンへ通う生活が始まっていました。小学校では、後年まで体に残るほど繰り返した課題があります。
小学3年生ごろの演技レッスンで「外郎売」を暗記
小学3年生ごろ、立花琴未さんは演技のレッスンに通っていました。そこで習ったのが、俳優やアナウンサーの発声練習でも使われる長いせりふ「外郎売」です。
ゆっくり読めば20分ほどかかるほどの長さですが、当時すべて暗記しました。大人になってからのインタビューでも、今なお全部覚えていると答えています。現在のCanCam公式プロフィールにも「外郎売り暗唱」が特技として掲載されています。
このころの演技レッスンは、その時点で芸能界入りへ直結した出来事ではありません。その後は、6歳から始めていたモダンバレエに長い時間を注ぐことになります。
6歳からモダンバレエ、中学1年でアリス役
モダンバレエは6歳ごろから約10~11年間続けました。本人が後年語った期間には表現の幅がありますが、小学生から中学生を経て10代半ばまで、生活の大きな部分を占めていた習い事です。
中学1年生の発表会では、初めて主役を任されました。演目は『不思議の国のアリス』。好きなキャラクターでもあるアリスを演じるため、映像を繰り返し見ながら役へ入っていったそうです。
毎日アリスを見て自分はアリスだって言い聞かせながら頑張ってたなーという思い出。
出典:CANDY TUNE公式ブログ「琴未のアリス時代🐈⬛🎩」(2024年11月23日)
当時の写真も公式ブログで本人が公開しています。音楽と物語が好きだったこともこの思い出の中で語っており、舞台上で音楽に合わせて役を表現する時間は、中学生のころにはすでに身近なものでした。
立花琴未の家族構成は?母・父・姉・兄との関係
立花琴未さんの昔話には、家族が具体的な場面で何度も登場します。長く続けたバレエには母が付き添い、ファッション誌への憧れには母と父が関わり、子どもの遊びには兄がいました。
母と約11年続けたバレエ、悩んだときは今も電話
バレエのレッスンは、ほぼ毎日通っていた時期もありました。その長い年月をそばで見ていたのが母です。本人は、母が約11年間ずっと付き添ってくれたと振り返っています。
母がそれにずっとついてきてくれて、11年間、母と2人でがんばってきたんです。
出典:B.L.T.web「CANDY TUNEツアーファイナル直前短期集中連載!! インタビュー企画【きゃんちゅーのCan’t stop! 君に夢TUNE!〜結成1周年記念 豊洲PITまでの道〜】立花琴未編」(2024年4月26日)
母は、家では自信をなくすことがあっても、舞台に立つと自信があるように見えると娘へ伝えました。長く客席側から見続けた母の言葉は、アイドルとしてステージに立つようになった後にも本人の支えになっています。
仕事で深く落ち込んだときにも、母へ電話することがあるそうです。話を肯定してもらうだけでなく、必要な意見も聞き、その日のうちに気持ちを整理して眠るという現在の親子関係も明かしています。
父に髪を巻いてもらった幼稚園時代、姉と兄もいる
母と『CanCam』を見ていた幼稚園時代には、お風呂から上がると父に髪を巻いてもらっていました。憧れていた蛯原友里さんのような髪型にしてほしいと頼んでいたという、家の中の小さな思い出です。
大人になってからも、父とのやり取りは本人公式Instagramに現れています。2023年12月には、父から贈られた暖かいフリースを着た写真を投稿しました。
きょうだいは姉と兄。姉について本人が公に語っている具体的な昔話は多くありませんが、CanCam公式プロフィールでは姉と兄がいることが明記されています。一般人の家族について、氏名や職業などは公表されていません。
立花琴未の学歴は?中学・高校・大学の情報
学生時代については、学校名よりも本人が何をして過ごしていたかを示すエピソードが残っています。小学校では演技レッスン、中学校ではバレエに打ち込みました。17歳でオーディションに合格した当時は福岡にいたことも、本人が後年のインタビューで明かしています。
中学校・高校の具体的な学校名と、大学への進学先は公表されていません。
中学は部活に入らず、バレエのレッスンへ
中学生になると、学校の部活動には入らず、バレエのレッスンに力を注ぎました。本人によれば、ほぼ毎日レッスンをしていた時期もあり、学校が終わった後の時間は舞台のための練習に使われていました。
中学1年で主役を経験した発表会も、その生活の中にあります。学校内の大会や部活動で結果を残す学生生活ではなく、学校外のバレエ教室で長く一つの表現を磨いていた時期でした。
福岡とのつながりは上京後も続いています。2023年11月には博多で地元の友人とクリスマスマーケットを訪れ、プライベートな時間を過ごす写真を本人公式Instagramに載せています。
この投稿の友人が学生時代の同級生かどうかは本人が明らかにしていません。学校名や交友関係を結びつけず、「地元の友人」として本人が示した範囲が分かっている情報です。
高校名は非公表、17歳のとき福岡から上京
高校について、本人や所属先が学校名を公表した資料はありません。2019年のオーディションに合格した当時、本人は福岡にいたと話しており、17歳で母と一緒に上京したことが分かっています。
ただし、上京前後にどの高校へ通っていたのか、転校したのか、どのような在籍形態だったのかは公表されていません。高校名を特定する根拠になる本人発言もありません。
大学進学や上智大学について公表情報はない
大学についても、進学した大学名や在籍歴を示す本人・所属先の公表プロフィールはありません。上智大学という学校名と結びつけられることがありますが、在学・卒業を裏付ける本人発言や公式経歴は出ていません。
17歳から芸能活動を始め、その後は複数のグループ活動や演技の仕事へ進んだ経歴を本人が詳しく語っています。一方、大学の進学先については明らかにしていません。
本人の話し方や現在の素顔をまとめて見られる映像として、CanCam公式YouTubeでは2026年に「100問100答」が公開されています。
バレエをやり切り、歌とダンスの道へ
長く続けたバレエに区切りをつけるころ、本人は次に歌とダンスのパフォーマンスへ挑戦したいと考えるようになります。バレエはやり切ったという感覚が、別の舞台へ向かうきっかけになりました。
芸能界へ入る前から、モデルの仕事にも憧れがありました。幼少期から東京ガールズコレクションを見ており、福岡にいたころはTGC北九州へ毎年足を運んでいたと話しています。
アイドルになる前にTGCオーディションへ
アイドル活動より前には、東京ガールズコレクションのオーディションにも挑戦しています。4次審査ごろまで進んだものの、そのときは合格には届きませんでした。
実は私TGCのオーディション受けたことがあるんです。
出典:ORICON NEWS「CANDY TUNE立花琴未、グループとして2025年の抱負を明かす『頭の片隅には武道館という大きな夢』 『SDGs推進 TGCしずおか2025』初出演でモデル業に意欲【インタビュー】」(2024年12月31日)
その後、アイドルとして活動し、モデルとしてTGCのランウェイへ立つ機会を得ました。2026年にはTGC北九州の記者発表会へ登壇し、かつて客席から見ていた地元のイベントとの接点を本人公式Xで振り返っています。
TGCのオーディション後、次に選んだのは、長く続けたダンス経験を生かしながら歌うことにも挑戦できるガールズユニットのオーディションでした。
歌って踊りたくてAnge et Follettaに応募
2019年、渡辺美優紀さんがプロデュースするAnge et Follettaのオーディションに応募します。本人は当時、いわゆるアイドル像よりも、歌って踊るパフォーマンスを頑張りたいという気持ちが強かったと振り返っています。
バレエで長く体を動かしてきた一方、歌は新しい挑戦でした。やり切ったと感じた分野から離れ、未経験の要素を含むステージへ踏み出す選択が、最初の本格的な芸能活動につながります。
17歳で受けたこのオーディションが、立花琴未さんにとって芸能界入りの直接のきっかけになりました。
17歳でAnge et Follettaに合格、母と上京
Ange et Follettaのメンバー募集には3,661人が応募し、立花琴未さんは選ばれた6人の一人になりました。当時の活動名はKotomi。グループは2年間限定のガールズユニットとしてスタートします。
合格した時点では福岡で暮らしていました。活動拠点は東京になるため、17歳で生活環境も大きく変わります。その上京に同行したのが、バレエ時代からそばにいた母でした。
当時は福岡にいたので、17歳の時に母と一緒に上京してきました。
出典:アイドルメディアMAITSU「『ガールズグループとアイドルの違いを学んだ』元Ange et Folletta・アフィシャナドゥ大島琴未、卒業後の女優キャリアをきく【アイドルのセカンドキャリアを聞く!#1】」(2022年3月22日)
2019年12月8日、東京でAnge et Follettaがお披露目されました。渡辺美優紀さんとオーディションを通過した6人がステージに立ち、オリジナル曲「Cha Cha Chakka」を披露しています。
バレエや演技のレッスンに通っていた少女が、東京でユニットのメンバーとして観客の前に立った日です。後年、本人はAnge et Follettaを自身にとって最初のアイドル活動だったと認めています。
活動開始から約1年3か月後の2021年3月24日には、1stミニアルバム『Ange et Folletta ~Danse~』を発売しました。2年間という期限の中で、ライブだけでなくCD作品も残す活動へ進んでいきます。
立花琴未の前世は?大島琴未・Kotomiとして活動していた時代
CANDY TUNE以前の立花琴未さんには、すでにアイドル・ガールズユニットとしての活動歴があります。Ange et FollettaではKotomiとして活動し、その後のインタビューでは大島琴未名義で当時を振り返っています。
大島琴未という表記が本名だと本人や所属先が公表した資料はありません。現在の「立花琴未」より前の活動名義として確認できる範囲にとどめるのが正確です。
Ange et Follettaで知ったステージの仕事
Ange et Follettaは、渡辺美優紀さん自身も参加するガールズユニットでした。立花琴未さんは歌とダンスのパフォーマンスを軸に活動し、2019年末から2021年末までの2年間を過ごします。
ところが活動期間の多くは新型コロナウイルス流行期と重なりました。本人は、思うようにライブができない状況の中で、もっと活動の幅を広げたいと考えるようになります。
2021年8月からアフィシャナドゥを兼任
2021年8月、Ange et Follettaの土井麗奈さんとともに、アイドルグループ・アフィシャナドゥの兼任を始めました。アフィシャナドゥでは、客席と一緒に振りを踊ったり、ライブ中にファンへ反応を返したりする文化に触れます。
本人にとって、パフォーマンスを見せるガールズユニットと、ファンと一体になって空間を作るアイドルでは、ステージ上での見せ方が違いました。二つを同時に経験したことで、アイドル特有のライブの作り方を知っていきます。
2021年12月、2つの活動を終えて演技へ
Ange et Follettaは予定どおり2年間で活動を終えました。立花琴未さんは当初、期限後もアイドルを続けたい気持ちがあったものの、節目で今後を考え、アフィシャナドゥも卒業することを決めます。
次に向かったのは演技でした。小学生で演技レッスンを経験していたこともあり、グループ卒業後は舞台や映像作品へ活動を広げています。ここで一度、アイドルグループに所属しない時期を挟みました。
ただし、ステージとの縁が切れたわけではありません。過去の対バンで知り合っていた一人のアイドルとの関係が、次のグループへつながっていきます。
小川奈々子との出会いからCANDY TUNEへ
後にCANDY TUNEで同じメンバーになる小川奈々子さんとは、以前のグループ時代の対バンで出会いました。小川さんから声をかけられて交流が始まり、互いに当時のグループを離れた後、一緒に活動したいと話すようになります。
二人はアソビシステムへつながり、KAWAII LAB.から新たに生まれるグループの候補へ進みました。立花琴未さんにとっては、2019年からの活動経験を持ったうえで、もう一度アイドルグループを選ぶ場面です。
FRUITS ZIPPERのライブが加入の最後の決め手
CANDY TUNEへの参加を決める前、同じKAWAII LAB.のFRUITS ZIPPERのライブを見ました。本人は後に、そのライブがCANDY TUNEへ入る最後の決め手だったと話しています。
過去のグループで歌とダンスを経験し、別のアイドルグループでファンと一体になるライブも知り、いったん演技へ進んだ後の選択でした。初めて芸能界へ入った17歳のころとは違う経験を持って、新しい7人組へ加わります。
2023年3月14日、CANDY TUNEとして初ステージ
CANDY TUNEは2023年3月14日、Spotify O-EASTで行われた「KAWAII LAB. SESSION ~CANDY TUNE~」で初パフォーマンスを行いました。立花琴未さんを含む7人がそろって観客の前へ出た、グループの出発点です。
最初に披露したのは「hanamaru」。続いて「キス・ミー・パティシエ」「ナナイロプロローグ」「未完な青春」を歌い、最後にもう一度「hanamaru」を披露しました。会場は事前にチケットが完売していました。
アイドルをするって正直思っていなかった
出典:Pop’n’Roll「FRURTS ZIPPER、IDOLATER、CANDY TUNE[ライブレポート]KAWAII LAB.所属3組が全力で届けた輝きあふれるステージ」(2023年3月15日)
ステージ直前には喉と鼻の不調もあり、不安を抱えていました。それでも舞台から見えた観客の笑顔やサイリウムに元気をもらい、優しく見届けてもらえたことがうれしかったと、デビュー直後のインタビューで話しています。
CANDY TUNEとして活動を始めた後、本人公式Instagramには新曲の衣装や撮影時の姿も残るようになりました。2023年12月には「必殺あざとポーズ」のMV衣装を紹介しています。
2023年3月14日の初ステージから、立花琴未さんのCANDY TUNEとしての活動が始まりました。グループで歌い踊る日々の中で、以前から興味を持っていたモデルの仕事にも挑戦する機会が増えていきます。
2026年には『CanCam』専属モデルに加入。CANDY TUNEのステージとファッションの現場、その両方が現在の活動の場所になっています。
































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