CANDY TUNEでミントグリーンを担当する小川奈々子さん。ステージでは「なちこ」の愛称でも親しまれていますが、アイドルになる前の経歴をたどると、長い時間をリンクの上で過ごした少女時代に行き着きます。
公式プロフィールでは北海道出身、1999年10月1日生まれ。2019年に公表された当時の略歴には、幼少期の子供服コンテストからフィギュアスケート、学生インフルエンサーとしての活動まで、現在とは少し違う姿が残っています。
小川奈々子さんの昔をたどる大きな軸は、小学1年生から中学3年生まで9年間続けたフィギュアスケートです。
高校進学を前にその競技生活が終わり、学生時代には発信やブランドづくりへ活動の場を移しました。その先で最初のアイドルグループ#LOG1Nに参加し、2023年にはCANDY TUNEとして新しいステージへ立っています。
小川奈々子は北海道出身!幼少期からフィギュアスケートへ
小川奈々子さんは北海道出身です。出生地と出身地は同じとは限らないため、「北海道で生まれた」とまでは断定せず、本人の公式プロフィールで公表されている「北海道出身」という情報を基準にします。
2019年、19歳の「なちこ」を紹介したF2マーケティングジャパンの資料には、もっと幼いころの経歴も記されています。最初に出てくるのは、某百貨店が行ったブランド子供服コンテストへの入賞です。
幼少期にはブランド子供服コンテストに入賞
コンテストの具体的な百貨店名やブランド名、当時の年齢までは公表されていません。それでも、後にファッションやSNSの仕事へ進むより前、幼少期の段階ですでに子供服のコンテストに参加していたことが分かっています。
その後、小川さんの少女時代で長い時間を占めるようになったのがフィギュアスケートでした。本人は後年、小学1年生から中学3年生まで9年間続けていたと振り返っています。
小学生から中学3年生まで9年間リンクに通った
2019年の略歴にも「小学生~中学3年までフィギュアスケートに取り組む」とあり、本人の後年のインタビューとも一致しています。部活動の一つとして少し経験したのではなく、小学校から中学校卒業前まで続いた習い事でした。
競技に取り組んでいた時期には、フジテレビ「ニュースJAPAN」の取材も受けたと当時資料に記されています。大会名や放送日は明記されていませんが、10代前半までの小川さんにとって、スケートは日常の大きな部分を占めていました。
北海道出身という現在のプロフィールと、長年続けたフィギュアスケートは、アイドルになった後にも本人の発信に残っています。北海道を訪れたVLOGを個人Instagramに投稿するなど、現在も出身地に触れる機会があります。
小川奈々子の家族構成は?父親・母親・姉との関係
小川さんの公式発信では、父親と母親をまとめた「両親」という表現のほか、母親、姉についての話が登場しています。一般人の家族について氏名や仕事は明かされておらず、分かるのは本人が日常の中で語った関係性が中心です。
母親を「まむ」と呼ぶ日常
CANDY TUNE結成後のインタビューでは、メンバー同士のグループチャットに「ママとご飯なう」と写真を送ることがあると話していました。忙しく活動するようになってからも、母親と食事をする時間が本人の会話に自然に登場しています。
2022年4月には、本人がふざけていたときに姉が母親へ突っ込み、母親が思わぬ返答をしたという家でのやり取りも公式Xに残しました。プロフィールの家族欄では見えない、小川家の日常がのぞく投稿です。
姉とは誕生日プレゼントを交換
姉については、誕生日が近く、毎年プレゼントを交換していると本人が投稿しています。姉と愛犬を車に乗せて出かけたこともあり、成人後のSNSにも姉との日常がたびたび現れます。
父親について本人が詳しいプロフィールを語った資料はなく、職業や勤務先なども公表されていません。フィギュアスケート歴から家庭の経済状況を推測した情報もありますが、本人が明かしていない内容まで家族像として広げることはできません。
小川奈々子の学歴は?高校受験と9年間のフィギュアスケート
小川さんの小学校、中学校、高校の正式な学校名は公表されていません。一方で、本人のインタビューから、小学1年生から中学3年生までフィギュアスケートを続け、高校受験を境に競技を辞めることになった経緯は具体的に分かっています。
部活よりフィギュアスケートを優先した学生生活
本人は中学3年生までの9年間について、フィギュアスケートを「唯一の自慢というか、特技」と表現しています。学校の部活動には入らず、学生生活の時間をスケートへ注いでいたとも話していました。
ただ、本人の中では9年間続けたこと自体より、「自分で納得できるところまで行く前に辞めた」という感覚が長く残りました。競技を離れた理由は、本人が飽きたことでも、別の夢を見つけたことでもありませんでした。
志望した公立高校の受験に失敗し、私立高校へ
中学3年生の受験で、小川さんは志望していた公立高校に合格できず、私立高校へ進むことになりました。私立高校の学費と費用のかかるフィギュアスケートを両立することが経済的に難しくなり、競技を終える選択につながったと本人が明かしています。
ホントは辞めたくなかったんです。
出典:B.L.T.web「CANDY TUNEツアーファイナル直前短期集中連載!! 小川奈々子編」(2024年4月22日)
目指していた高校と、長く続けてきたフィギュアスケート。その二つを同じ時期に手放すことになりました。
高校2年生ごろまでスケートを辞めたことを引きずった
高校へ入ってすぐ気持ちを切り替えられたわけではありません。本人は高校2年生ごろまで競技を辞めたことを引きずり、毎日のように泣いていたと振り返っています。
部活に入らずフィギュアスケートへ時間を使ってきたため、それがなくなると「自分には何も残ってない」と感じた時期もありました。その後もしばらく、自分が本当にやりたいことや、これなら頑張れると思える対象を見つけられなかったといいます。
だから、“第2の人生”って呼んでいます(笑)
出典:B.L.T.web「CANDY TUNEツアーファイナル直前短期集中連載!! 小川奈々子編」(2024年4月22日)
この「第2の人生」は後年のCANDY TUNEについて語った言葉です。高校時代に失った感覚と、アイドル活動の中でようやく見つけた「頑張れること」が、本人の中では一本につながっています。
大学名は?19歳・20歳当時は「現役女子学生」
高校卒業後の学校については、2019年2月の資料で19歳の小川さんが「現役女子学生」、同年12月の資料でも20歳の「現役女子学生」と紹介されています。ただし、学校の種類や正式な校名は記載されていません。
大学名について:当時資料にあるのは「現役女子学生」という表記までです。上智大学を含め、特定の大学名を小川奈々子さんの学歴として断定できる公表資料はありません。
この時期は学生生活と並行して、すでにSNSを使った仕事へ踏み出していました。学校名よりもはっきり資料に残っているのは、10代の終わりから自分で企画を立ち上げ、発信する側へ進んでいった経歴です。
「なちこ」として学生インフルエンサーの道へ
スケートを離れた後、小川さんはすぐにアイドルを目指したわけではありません。2017年には「プリモ研究生1期生」となり、2018年には時計、アパレル、コスメなどのPR依頼を受けるようになります。
後年の本人は、自分が昔から恥ずかしがり屋で、人の目を気にしすぎる性格だったとも書いています。興味があってもダンスレッスンへ行けないほど、行動に移せなかった時期がありました。
本当はやりたかったけどできなかったことたっくさんある
出典:小川奈々子公式ブログ「CDTV💿💚」(2024年10月10日)
19歳で「なちこどっとミー」を自ら発案
2019年2月、19歳だった小川さんは「なちこ」の名でインフルエンサーマーケティングサービス「なちこどっとミー(β版)」を始動しました。F2マーケティングジャパンの発表では、この事業は小川さん自身が発案したものとされています。
同時にF2マーケティングジャパンのプロデューサー、執行役員として活動。企業から依頼を受け、プロモーションやキャスティングなどを行う仕事に関わりました。19歳の時点で、SNSに写真を投稿するだけではなく、企画する側の肩書きも持っていたことになります。
2019年末には、20歳の現役女子学生インフルエンサーとして、D2Cプラットフォームを展開していたpickiとのアパレルブランド製作プロジェクトにも参加しました。ブランド名は「2℃me(ニードミー)」です。
2020年には「2℃me」のブランドディレクターに
2℃meでは会議やデザイン試作を重ね、2020年夏にワンピース、ブラウス、Tシャツ、バッグなどを展開しました。小川さんはブランドディレクターとして、10代女性から支持されていた自身の世界観を商品へ落とし込む仕事に携わっています。
さらにファッション誌のモデルなどにも活動を広げました。フィギュアスケートを失ってから「何を頑張ればいいか」を探していた高校時代を経て、10代後半から20歳ごろには、SNS、企画、ファッションの領域に自分の居場所を作り始めていました。
#LOG1Nで初めてアイドルとしてステージへ
アイドルとしての最初の本格的な活動はCANDY TUNEではありません。2021年、小川さんは「なちこ」として、インフルエンサー5人で構成されたガールズアイドルグループ「#LOG1N(ログイン)」へ参加しました。
当時の発表では、F2マーケティングジャパンのプロデューサーとしての仕事やブランド立ち上げ、モデル活動を続けながら#LOG1Nに加わったと紹介されています。フィギュアスケート経験を背景に、ダンスを得意とするメンバーとしても取り上げられました。
2021年6月19日、恵比寿で#LOG1Nデビュー
#LOG1Nは2021年6月19日、恵比寿ザ・ガーデンホールで1st LIVEを開催。小川さんは21歳で、ここからアイドルとしてステージに立つ活動を本格的に始めます。
それまでの小川さんは、学生インフルエンサー、プロデューサー、ブランドディレクター、モデルと、一人で名前を出して活動する仕事が中心でした。#LOG1Nでは、複数のメンバーと歌い踊る「グループの一員」という立場が加わります。
約9か月後、#LOG1Nは解散へ
活動は長くは続きませんでした。#LOG1Nは2022年3月4日、同月31日の自主公演をもって解散すると発表。公式発表では、メンバーの脱退や思うような活動ができない状況が続いたことなどを踏まえ、それぞれの将来を考えて解散を決めたと説明されています。
#LOG1Nとして何も恩返しできず悔しいです。
出典:IDOL REPORT.com「#LOG1N 2022年3月31日の自主公演をもってグループを解散」(2022年3月4日)
小川さん自身も解散発表に際して、支えてくれた事務所、メンバー、ファンへの思いと悔しさを記しました。高校時代にフィギュアスケートを途中で終えた経験に続き、最初のアイドル活動も、自分の中で十分にやり切ったと思えるところまで続く形にはなりませんでした。
松本かれんの紹介からCANDY TUNEへ!再びアイドルになるまで
#LOG1Nが解散した翌年、小川さんはCANDY TUNEのメンバーとして再びアイドルのスタート地点に立ちます。その間をつないだ人物の一人が、FRUITS ZIPPERの松本かれんさんでした。
小川さんはCANDY TUNEのメンバーが確定する前からFRUITS ZIPPERのライブを何度も見に行っていました。松本かれんさんのほか、櫻井優衣さん、仲川瑠夏さんとは一緒に食事へ行く友人関係でもあり、本人によれば松本さんの紹介がASOBISYSTEM所属につながりました。
CANDY TUNE結成前からFRUITS ZIPPERのライブを見ていた
すでに一度アイドルを経験していた小川さんにとって、FRUITS ZIPPERは同じ事務所の先輩になる前から身近な存在でした。ライブへ短期間に何度も足を運び、歌やダンスが回を追うごとに上達していく姿を客席から見ていたといいます。
松本さんの紹介でASOBISYSTEMに所属した後、KAWAII LAB.から誕生する新グループの一員となります。2023年2月に7人のメンバーが出そろい、小川さんはCANDY TUNEのミントグリーン担当として名前を連ねました。
グループ発表時、小川さんは長くアイドルを経験してきたメンバーやポテンシャルの高いメンバーと一緒に活動できることへの驚きと感謝をコメントしています。#LOG1Nの活動終了から約1年、新しい7人でのデビューが目の前に迫っていました。
私なりにこのグループに全力で取り組んでいけるよう精進して参ります
出典:ASOBISYSTEM「新アイドルグループ『CANDY TUNE』が3月14日にデビューライブを開催」(2023年2月2日)
デビュー前のドキュメンタリーに残った「なちこ」
CANDY TUNE公式YouTubeでは、デビュー直前の2023年3月に小川さん個人の「CANDY TUNE DOCUMENTARY #3」が公開されました。過去とこれからを含めた小川奈々子という人物を、本人の表情や話し方とともに見られる映像です。
小川さんがCANDY TUNEに入るまでには、幼少期のコンテスト、9年間のフィギュアスケート、学生時代のPR活動、自ら立ち上げた事業、ブランドづくり、そして#LOG1Nでのアイドル経験がありました。新グループへの加入は、それまでと切り離された突然の進路ではありません。
2023年3月14日、Spotify O-EASTで初ステージ
CANDY TUNEのデビューライブは2023年3月14日、東京・Spotify O-EASTで開催されました。KAWAII LAB.所属のIDOLATER、FRUITS ZIPPERも出演する「KAWAII LAB. SESSION ~CANDY TUNE~」が、7人にとって最初のステージでした。
この日から、小川さんはCANDY TUNEとしてのアイドル活動を本格的に開始します。最初のアイドルデビューだった#LOG1Nから数えると約1年9か月後、解散からは約1年後の再スタートでした。
デビュー後には新しい衣装や楽曲が増え、個人InstagramにもCANDY TUNEのメンバーとしての姿が並ぶようになります。学生インフルエンサー「なちこ」として発信していたアカウントが、そのままアイドルとして歩む本人の記録にもなっていきました。
2024年にデビュー1周年を振り返ったとき、小川さんは、学校、習い事、アルバイトなどを中途半端に終えたと感じることが多かった一方、CANDY TUNEでは人生で一番頑張っているかもしれないと思えるようになったと話しています。
高校時代に「自分には何も残ってない」と感じたフィギュアスケートも、完全に過去になったわけではありませんでした。2025年2月、レッドイーグルス北海道の試合で小川さんによるフィギュアスケートショーが組まれ、アイドルになった後の氷上へつながります。
いつかフィギュアスケートを披露したい!とずっと願っていた
出典:RED EAGLES HOKKAIDO「CANDY TUNE 小川奈々子さんフィギュアスケートショー実施決定」(2025年1月17日)
小学1年生で始め、中学3年生でいったん終わったフィギュアスケート。そこから学生インフルエンサーとブランドづくり、最初のアイドル活動を経て、小川奈々子さんは2023年3月14日、CANDY TUNEとしてもう一度ステージに立ちました。
少女時代に長く続けたものと、ようやく見つけた「第2の人生」。その二つは、アイドルになった後の小川さんの活動の中で再び同じ場所に並んでいます。
































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