NMB48の「しんしん」こと新澤菜央は、公式プロフィールで、あざとい動画の撮影とアイドル活動そのものを趣味として挙げています。2026年8月時点もNMB48の公式プロフィールに掲載され、グループで活動を続けています。
けれど、子どものころから芸能界だけを目指していたわけではありません。小学生時代は外で遊び、中学ではソフトテニスに打ち込み、高校では自分がステージに立つより、好きなアイドルを追いかける側にいました。
大学へ進んだ後も、将来は一般企業へ就職するつもりで就職活動を進めています。NMB48に入った2018年は卒業の年で、本人によれば就職先まで決まっていました。
就職先が決まっていた大学卒業年、吉田朱里のYouTubeを見たことから新澤菜央の進路はNMB48へ向かいました。
締切直前の応募から、6期生としてのお披露目、そして山本彩プロデュースの研究生公演へ。今の「しんしん」がステージに立つまでには、学生生活の延長線上で突然動き出した数か月がありました。
新澤菜央は子どものころどんな少女だった?
新澤菜央は1998年8月2日生まれで、公式プロフィール上の出身地は兵庫県です。本人は後年も兵庫に関わる仕事や発信をしていますが、出生した市町村や育った市町村までを「兵庫県出身」だけから決めることはできません。
出身地として公式に示されているのは兵庫県までです。神戸市を出生地や地元とする公式プロフィール上の記載はないため、市町村単位では断定せずに見ていきます。
小学生のころは、現在の落ち着いた話し方から想像するよりも外遊びが好きな子だったようです。本人はラジオで、鬼ごっこをしたり、クラスを仕切ったり、運動場のコートを取るため率先して走ったりしていたと振り返っています。
運動そのものも好きで、中学生になるころを境に外で活発に遊ぶ時間が減っていったと話しています。小学校時代の新澤には、教室の中だけではなく運動場へ飛び出していく姿がありました。
小学校卒業時に思い描いていた夢はサンタクロース
小学校卒業時の将来像も、のちの芸能活動とはかなり違いました。本人はラジオで、卒業文集に将来の夢としてサンタクロースについて書いたと振り返っています。
卒業のタイミングには、保護者らの前で将来の夢を発表する機会もあり、「サンタになる」という趣旨の宣言をしたという昔話も残っています。アイドルになる前の夢として本人が繰り返し話している、小学生時代を象徴するエピソードです。
本人によれば、サンタクロースへの憧れは一時の思いつきではなく、小学生のころはかなり本気でした。後年に昔の作文を振り返った際にも、サンタに関する内容を書いていたと話しており、卒業時まで続いていた夢だったことがうかがえるエピソードです。
新澤菜央の家族構成は?母親との近い関係
新澤菜央の家族について、本人の発言から特に具体的に見えるのは母親との関係です。父親や兄弟姉妹を含む家族全体の構成については、公表された情報が多くありません。
母親とは、成人してからも頻繁に連絡を取る距離の近い関係です。2020年にMBSラジオへ出演した際には、実際に会うだけでなく、電話やLINEでも日常的にやり取りしていると話しました。
「ママ、大好きなんですよ。」
出典:MBSラジオ「第709回『“毎日彼女先生”こと新澤菜央ちゃんのグラビアを見たアカリンは…』」(2020年8月21日)
同じ放送では、ここ数年で母親と「友達みたい」な関係になり、隠し事や嘘をつけないとも話しています。進路や芸能活動だけの特別な場面ではなく、普段から会話が続いている親子関係として語られていました。
新澤菜央の学歴は?中学校・高校・大学時代を追う
新澤菜央は、中学・高校・大学まで女子校の環境で過ごしたとラジオで話しています。後年には本人公式Xでも、通っていた学校について「お嬢様学校」と表現し、「ごきげんよう」というあいさつを実際に使っていたと投稿しました。
本人・公式資料では、中学校・高校・大学の具体的な学校名は公表されていません。学校名は推測せず、本人が語っている学生生活を中心に見ていきます。
中学ではソフトテニス部!日焼けするほど練習
中学生になると、新澤菜央はソフトテニス部に入ります。加入直後のNMB48公式ブログで部活動を尋ねられたとき、入部理由まで自分で明かしていました。
「ソフトテニス部でした!可愛いユニフォームが着たくて(笑)」
出典:NMB48オフィシャルブログ「6期研究生 新澤菜央 パンダじゃないよ #13」(公開日記載なし)
かわいいユニフォームに惹かれた入口とは対照的に、活動はしっかり運動部でした。本人は日焼けで長く真っ黒だったと書いており、後年の日刊スポーツの取材では、軟式テニスのダブルスで前衛を担当していたことも話しています。
風が強くてテニスの練習ができない日には、代わりに長い距離を走っていたそうです。後年、劇場公演で動き続ける体力について尋ねられた際、中学時代のこの練習を持久力の土台として挙げています。
部活の中にも、すでにアイドル好きの一面は入り込んでいました。インタビューでは、部の応援歌をAKB48の曲から自分なりにアレンジして作り、仲間にも歌ってもらっていたという思い出を語っています。
アイドルへの興味も、少女時代の途中から少しずつ強くなっていきます。本人は後年、中学1年生ごろからももいろクローバーZ、とくに佐々木彩夏に夢中になり、ライブへ足を運ぶようになった時期を振り返っています。
高校では部活を離れ、アイドルのライブやイベントへ
高校に入ると、ソフトテニス部のような運動部には入りませんでした。日焼けを避けるようになり、その一方で時間を使うようになったのが、好きなアイドルのライブやイベントです。
NMB48だけでなく、ももいろクローバーZやDream5などの現場にも足を運び、握手会や写メ会にも参加しました。AKB48も好きで、自室の壁一面にポスターを貼り、メンバーの前髪の分け目までまねしていた時期があったといいます。
高校では、部活の大会に合わせて予定を組んでいた中学時代から生活の中心が変わりました。放課後や休日の楽しみとしてアイドルを追い、客席やイベント会場からステージ上の振る舞いを見る時間が増えていきます。
NMB48のイベントにも足を運んでいましたが、このころは自分がNMB48のメンバーになる未来を描いていたわけではありません。好きな曲の振りを覚えたり、髪型をまねたりすることはあっても、本人の中では「ファン」と「職業としてのアイドル」は別のものでした。
NMB48の中にも、ファンとして見ていた存在がいました。加入直後の自己紹介では、好きなNMB48メンバーに植村梓、憧れのメンバーに渡辺美優紀を挙げています。ステージへ立つ前から、NMB48の「かわいい」を客席側で見てきた一人でした。
高校時代に特に大きな影響を受けたのが、ももいろクローバーZの佐々木彩夏でした。無茶ぶりを受けてもアイドルらしさを崩さない姿を見て、新澤の中で「こういうアイドルになりたい」という具体的な像が生まれます。
「自分もこうなりたいってアイドル像ができたんです」
出典:日刊スポーツ「NMB48新澤菜央、キャプテン小嶋花梨を迎えてトーク 2人が“キュン”したアイドルは?」(2023年9月22日)
大学へ進学し、卒業年には就職先も決まっていた
高校卒業後、新澤菜央は大学へ進学しました。NMB48加入直後の自己紹介では自分を「大学2年生」と書いており、別の場では中学・高校に続いて大学も女子校だったと話しています。
この時点で、芸能界入りを前提に進路を組んでいたわけではありません。大学の卒業年には一般企業への就職活動を行い、本人によれば就職先もすでに決まっていました。
加入直後の公式ブログでは、20歳になったばかりの自分を「6期生最年長」と紹介しています。大学生活を続けながら研究生として活動を始めることになり、同世代の一般的な就職準備とは違う時間の使い方へ切り替わっていきました。
「大学卒業の年で就職活動して就職先も決まってて」
出典:NMB48オフィシャルブログ「6期研究生 新澤菜央 どうでもいいから愛してくれ #101」(公開日記載なし)
加入した2018年を振り返ったこのブログで、新澤はNMB48に入ったことで生活が一気に変化したとも書いています。就職活動を終えた学生生活と、アイドルとして始まる生活が同じ年に接続しました。
吉田朱里のYouTubeがNMB48オーディション応募のきっかけ
2018年、新澤菜央は吉田朱里のYouTubeを見て、NMB48が6期生を募集していることを知ります。しかも動画を見たのは応募期間のかなり早い段階ではなく、募集最終日でした。
2025年のインタビューで本人が振り返ったところでは、締切までは約1時間。吉田がアイドル以外にもさまざまなことへ挑戦できると話す姿に惹かれ、その場で応募へ動きました。
吉田の動画で響いたのは、アイドル活動をしながら美容や発信など自分のやりたいことにも挑戦している働き方でした。アイドルになることだけではなく、その先で仕事の幅を広げられる点が、新澤にとって応募を現実の選択肢に変えています。
2025年のインタビューでは、当時、吉田朱里がNMB48のメンバーであることを「うっすら」と知っていた程度だったとも話しました。グループの内部事情を詳しく調べて長く準備した応募ではなく、一本の動画を見たその日に判断した応募でした。
「締切の1時間前ぐらいだったんですけど」
出典:日刊エンタメクリップ「【インタビュー】NMB48安部若菜・新澤菜央が未来のメンバーにエール!『24歳からでも熱い気持ちがあれば絶対に輝けます!』」(2025年6月16日)
本人はこのときの自分を「思い立ったら即行動するタイプ」と説明しています。応募用の準備に長い時間をかけられる状況ではありませんでしたが、残り時間の短さより、動画を見て感じた「やってみたい」という気持ちを優先しました。
募集最終日、締切約1時間前に知ったオーディションへ、そのまま応募しました。
別のインタビューでは、就職活動中だった自分にとって、NMB48への応募は「新しい就職先」のような感覚だったとも説明しています。長く芸能養成所へ通って準備した末の応募ではなく、決まっていた就職とは別の働き方をその日に選択肢へ加えた形でした。
NMB48公式YouTubeでも、現役メンバーが自身のオーディションのきっかけを振り返る企画に新澤が出演しています。アイドルになる入口が、吉田朱里の発信を偶然見たことだったという経緯は、後輩募集の場でも本人の言葉で語られる出来事になりました。
NMB48 6期生として加入!お披露目から初ステージへ
新澤菜央が自身の2018年を振り返った公式ブログによると、NMB48への加入日は2018年7月21日です。20歳の誕生日を迎える約2週間前で、加入時は19歳でした。
1週間後の7月28日、インテックス大阪で行われた18thシングル個別握手会の会場で、NMB48の6期研究生14人がお披露目されました。公式発表でも新澤は兵庫県出身・19歳として紹介されています。
本人は後年、7月28日を「お披露目」の節目として振り返っています。2023年7月28日には、本人公式Instagramでもお披露目から5周年を迎えたことを投稿しました。
お披露目後は、研究生として劇場公演へ向けた準備が始まります。歌やダンスの経験を積んできたメンバーばかりではない中、新澤も短期間で振りを覚え、自分の見せ方を身につける必要がありました。
「夢は逃げない」公演初日、15番手からステージへ
加入から約2か月後の2018年9月26日、山本彩がプロデュースした研究生公演「夢は逃げない」が初日を迎えます。新澤も16人の初日メンバーに入り、NMB48劇場のステージに立ちました。
しかし、本人が後に書いた振り返りでは、初日時点の自分は15番手。何もかも初心者で、振りを覚えて周囲についていくことに精いっぱいだったそうです。自分を客観的に見ることや、ステージ上での見せ方にも苦戦していました。
初日メンバーに選ばれた時点では、下位のメンバーはアンダーとの差がほとんどなく、すぐに入れ替わる可能性があるとも伝えられていたそうです。名前が初日メンバーに入っただけで、その場所が保証された状況ではありませんでした。
新澤自身も、ステップや細かな振りでできない部分が多く、ステージ上でどう見えるかを考える余裕がなかったと振り返っています。後から当時の映像を見て、自分の動きを笑い交じりに振り返れるほど、加入直後は基礎から覚える段階でした。
その初日メンバーを決める過程で、山本彩がスタッフ側へ新澤を公演メンバーに入れたいと伝えたと、本人は公式ブログに記しています。その言葉もあり、新澤は初日のステージへ立つことになりました。
「あの日から大きく人生が変わりました」
出典:NMB48オフィシャルブログ「6期生 新澤菜央 自分の力で切り開く未来」(公開日記載なし)
「夢は逃げない」公演の初日を経験した後も、新しい振りを覚える日々は続きました。同年秋のNMB48 8周年ライブでは、本人の公式ブログによれば14曲に参加し、その多くを短い期間で覚えています。
遅くまで残って練習する中では、先輩メンバーに振りを教えてもらう場面もありました。ファンとして客席から見ていたNMB48の先輩たちと、今度は同じライブを作る側として時間を過ごすようになっていきます。
8周年ライブは、劇場とは違う大きな会場で多くの曲を続けて披露する経験でもありました。加入してまだ数か月の新澤にとって、1曲の公演ポジションを覚える段階から、まとまったセットリストを短期間で仕上げる段階へ進んだ時期です。
本人は当時のブログで、参加した14曲のうち多くの振り入れを短期間で進めたことを振り返っています。先輩に教わりながら残って練習した時間は、お披露目されたばかりの研究生がNMB48のライブに加わっていく最初期の日常でした。
2018年9月26日の初日公演で、新澤菜央は研究生として客席の前に立ちました。見る側だったアイドルの世界は、この日から自分が活動するステージへ変わっていきます。
その後もNMB48で活動を続け、2026年8月現在も公式メンバーとして名前が掲載されています。
































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