=LOVEのメンバーとして活動しながら、イラストや4コマエッセイでも作品を発表している大場花菜さん。2026年8月には、連載をまとめた初著書『はなコミ! ~となりにアイドル~』が発売され、書籍にはアイドルを志した原点を描く新規エピソードも収録されました。
今ではステージで歌い踊り、自分の絵でもアイドルの日常を残す大場さんですが、その道の始まりには、小学生のころに夢中になったAKB48と、学校へ行けなくなった中学時代があります。
中学時代の不登校を経験したあと、何度もオーディションへ挑み、高校3年で=LOVEのメンバーになりました。
埼玉で過ごした子ども時代から、AKB48を追いかけた日々、家族との出来事、中学校と高校での変化、そして指原莉乃さんのオーディションにたどり着くまでを、本人が残してきた言葉とともに追います。
大場花菜の生い立ち!埼玉で過ごした幼少期とAKB48への憧れ
大場花菜さんは2000年2月4日生まれ。公式プロフィールでは埼玉県出身とされ、本人も埼玉新聞のインタビューで、埼玉で生まれ育ったと話しています。
一方、市町村単位の出生地や地元は公表されていません。出身地については、本人と公式プロフィールが明らかにしている「埼玉県」までを見るのが確実です。
大場花菜さんの公表されている出身地は埼玉県です。市町村単位の出生地・出身地は明らかにされていません。
小学1年で大宮ソニックシティの「赤毛のアン」を観劇
舞台との接点は早く、小学1年生のころには大宮ソニックシティでミュージカル「赤毛のアン」を観ています。後に=LOVEとして同じ大宮ソニックシティに立つことになりますが、子どもの大場さんは客席から舞台を見ていました。
現在も舞台・ミュージカル観劇を趣味として挙げている大場さんにとって、劇場はアイドルになってから初めて触れた場所ではありませんでした。
幼少期からアイドルが好きでした。
出典:埼玉新聞「【独占】指原莉乃プロデュース『=LOVE』きょう大宮公演 出身の埼玉大好きな大場花菜さん見どころ語る」(2020年12月4日)
小学生になるとAKB48に夢中になり、初めて参加した握手会は所沢の西武ドームでした。テレビで見るだけではなく、実際にアイドルに会いに行く時間も増えていきます。
『週刊AKB』からAKB48に夢中になった小学生時代
AKB48を知る入口になったのは、テレビ番組『週刊AKB』でした。最初はAKB48そのものを知らず、夕方に放送されている楽しそうな女性たちの番組という感覚で見始めたそうです。
そこから興味を持つと、公式サイトなどを見てメンバーを調べるようになりました。峯岸みなみさんや柏木由紀さんなど気になるメンバーもでき、AKB48に関するものを集めることも楽しみになります。
『ぷっちょ』とAKB48のコラボストラップを集めたほか、新聞広告に小さく載った写真まで切り抜き、クリアファイルやノートへ保存していました。後年のインタビュー時にも、それらを取ってあると話しています。
ノートにメンバーの特徴と似顔絵を描いていた
メンバーのことを覚えるため、一人ずつ特徴をノートに書き出し、似顔絵まで描いていました。
ただ名前を覚えるのではなく、「こういう子」と自分なりに特徴を整理しながら絵にしていました。後に=LOVEでイラストを特技として生かし、漫画も描く大場さんですが、絵は小学生のアイドルファン時代にも登場します。
好きな人を細かく見て、特徴を拾い、それを紙へ残す。アイドルを見ることと絵を描くことは、このころから大場さんの日常の中で隣り合っていました。
大場花菜の家族構成は?父親・母親・姉とのエピソード
大場さんが公の場で具体的に語っている家族には、父親、母親、姉がいます。一般人の家族について氏名や職業などの詳しい個人情報は公表されていませんが、本人のインタビューや公式ブログには家での出来事がいくつも残っています。
父親については高校時代のアルバイト、母親については本人への言葉や地元キャラクターの命名、姉については宝塚歌劇を一緒に楽しむ日常が語られています。
高校時代のアルバイトで改めて知った父親の仕事
高校1年生のころ、大場さんは本を仕分ける工場で約1年間アルバイトをしました。自分は1日に数時間働くだけでも大変なのに、父親は毎日朝から晩まで仕事をしている。その時間を自分の労働経験から考えるようになったそうです。
お父さんを尊敬し直しました。
出典:タウンワークマガジン「大場花菜(=LOVE)インタビュー『すぐに成長できなくても、いつか輝ける瞬間まで頑張り続けます』」(2020年7月8日)
父親が毎日仕事へ行くことは、それまで家にある日常の一つでした。自分も賃金を受け取るために働いたことで、その日常を別の角度から見るようになっています。
母親の言葉と「さいた はなちゃん」
母親は、大場さんが物事を堅く考えすぎることについて、真面目すぎるのも良くないのではと声を掛けたことがあります。本人はその言葉を受け、自分を少し柔らかくしてあげたいとインタビューで話していました。
2020年の大宮公演では、大場さんがデザインした「さいた はなちゃん」という女の子のキャラクターもグッズになりました。「埼玉」と本人の名前「花菜」を組み合わせ、この名前を考えたのが母親です。
キャラクターには「埼玉ポーズ」のほか、草加せんべいのポシェット、深谷ネギのヘアピンなど埼玉らしい要素が描かれました。大場さん自身のイラストと、母親の命名が一つのキャラクターになったエピソードです。
姉と一緒に宝塚を楽しむ日常
姉との話で目立つのが宝塚歌劇です。大場さんは家で録画した宝塚の番組を見たり、曲を流したり、関連する本を買ったりしていました。
そうした時間を重ねるうちに姉も出演者や作品を覚え、姉妹で宝塚の話をするようになります。大場さんの公式ブログには、姉と紅ゆずるさんについて長く話したことや、姉妹で宝塚を勉強している様子も書かれています。
小学1年生でミュージカルを見た記憶から、家で姉と宝塚を楽しむ時間まで、舞台は長く身近な娯楽でした。
大場花菜の学歴は?中学校の不登校から高校生活まで
大場さんは中学校、高校それぞれの学校生活について本人の言葉で詳しく振り返っていますが、通っていた具体的な学校名は公表されていません。中学2年生のころには学校へ行けない時期を経験し、高校卒業時には3年間で自分が変わったことを公式ブログに書いています。
中学校名・高校名は公表されていません。学校生活については、本人が明らかにしている出来事までを扱います。
中学2年でいじめを受け不登校に
中学2年生のころ、大場さんは学校でいじめに遭い、不登校になりました。学校へ行けなくなったあとも、ゲームサイトで友人と遊んでいると嫌なコメントを書かれ、家にいても攻撃されると感じることがあったと話しています。
私は中学の頃不登校でした。
出典:大場花菜オフィシャルブログ「=LOVE姉妹グループオーディションを受けようと思ってる女の子へ」(2018年11月12日)
家で過ごす時間の中で、楽しみになったのがアイドルでした。録画した番組を何度も見て、自分がステージに立っているように想像しながら振りをまねることもありました。
歌詞ノートを作り、推しメンへの思いを書くブログも作成。握手会やコンサートへ行くことも含め、本人が「AKB48漬け」と振り返るほどアイドルを見る時間が生活の大きな部分を占めていました。
テレビの中ではアイドルが大きなステージに立っている一方、自分は家にいる。その違いを意識するようになったことが、やがて自分もアイドルになりたいという気持ちへつながっていきます。
中学の文集には「美大へ行きイラストレーター」と書いた
中学時代に考えていた将来は、アイドルだけではありませんでした。後年の公式ブログで子どものころになりたかった職業を尋ねられた大場さんは、中学の文集に美術大学へ進んでイラストレーターになる夢を書いたと答えています。
中学の文集には美大に行ってイラストレーターになる
出典:大場花菜オフィシャルブログ「♡ はなちゃんに50の質問 ♡」(2019年7月14日)
同じ回答では、舞台の裏方やグラフィックデザイナーという職業も挙げています。絵を描くことと舞台を見ることは、芸能界へ入る前から本人の関心の中にありました。
のちにイラストを使った=LOVEのグッズ制作に関わり、4コマエッセイを連載することになりますが、中学生の時点ですでに「絵を仕事にする」進路を思い描いていました。
高1は本の仕分け工場でアルバイト
高校1年生になると、約1年間、本の仕分け工場でアルバイトをしました。人見知りでほとんど話せず、接客業は怖いと感じていたため、アルバイト募集のフリーペーパーで見つけた仕分け作業を選んだそうです。
仕事は、コンビニへ配送する本を、指定された冊数ずつ並べていくもの。冊数が多いときに本を高く積みすぎ、コンベアーで流れる途中に崩れて作業を止めてしまったこともありました。
長時間立ったまま、ほとんど誰とも話さずに作業することにも孤独を感じていました。それでも約1年続け、働いて給料を受け取る大変さを知った経験が、先ほどの父親についての話にもつながっています。
高校3年で人との関わりを楽しめるようになった
高校卒業時の公式ブログでは、高1はおびえながら、高2は淡々と、高3は3年間で一番学校生活を楽しめたように思う、と振り返っています。
学校という場所そのものを好きになったわけではありません。それでも高校は、本人にとって「何かが変わった場所」になりました。
高校生活を送るうちに、人が以前ほど怖くなくなり、自分の意見も言えるようになったと書いています。中学時代には学校へ行けなくなった大場さんに、高校では友人と過ごす時間もできました。
人と関わる事の楽しさを知りました。
出典:大場花菜オフィシャルブログ「華のJK」(2018年3月12日)
高校最後の下校では、親友といつものように話しながら帰りました。そのあと大場さんは、仕事の「イコラブ大特訓中」に間に合わせるため、一人で駅へ走っています。
友人と帰る高校生としての時間が終わると、駅の先には=LOVEの仕事が待っている。卒業間際には、学校生活とアイドル活動が同じ一日の中に並んでいました。
アイドルを目指した大場花菜の少女時代
AKB48を好きになった大場さんは、やがて見る側から、自分もアイドルになる側へ行きたいと考えるようになります。その気持ちを強くした人物の一人が、AKB48でグループを引っ張っていた高橋みなみさんでした。
AKB48と高橋みなみを追いかけた日々
東京ドーム公演のDVDに収録された1期生のドキュメンタリーを見て、AKB48が掲げていた東京ドームという目標が現実になったことに心を動かされました。
その公演では高橋みなみさんのソロデビューも発表されていました。個人の夢をかなえる姿や、大きな変化が発表されたステージでメンバーをまとめる高橋さんの姿も、大場さんの記憶に残ります。
高橋さんへの憧れは、アイドルになった後も続きました。2024年には本人公式Xで高橋さんとの2ショットを公開し、自分にとって「人生の恩人」と表現しています。
AKB48から女優までオーディションを受け続けた
自分もアイドルになろうと考えて、最初に応募したのはAKB48のオーディションでした。書類審査で落ち、その後に応募したAKB48グループ ドラフト会議では2次審査まで進んだものの、周囲の参加者に圧倒されたと振り返っています。
それでも応募は終わりませんでした。オーディション雑誌を買い、アイドルだけでなく女優などさまざまな募集へ応募。初詣では毎年、アイドルになれるように願っていました。
本人の公式ブログによると、当時は歌もダンスもほぼ未経験でした。自己PRに書けることは自分の熱意くらいで、書類審査で落ちることもあれば、最終審査まで進んで不合格になることもありました。
一度の大きなオーディションだけで進路が決まったわけではありません。応募して、落ちて、また次を探す時間が中学から高校にかけて続いていました。
合格前から自分を変えようとした
不合格を重ねるなかで、大場さんは「合格してから自分を変える」のでは遅いと考えるようになります。芸能界の入口に立つにはどうすればいいのかを考え、受かる前から自分なりの方法で準備を始めました。
中学時代に「自分を変えたい」と考え、オーディションを探し始めた大場さん。その後、高校生活では以前より人と関われるようになり、応募を続けながら日常の中でも変化が起きていました。
高校3年で=LOVEオーディションへ
高校3年生だった2017年、指原莉乃さんがプロデュースする新しいグループのオーディションを知ります。大場さんがそれまで受けてきた数々のオーディションの中でも、この募集には最初から強い気持ちで向かいました。
指原莉乃の「自分を変えたい子」という言葉で応募を決意
応募を決めるきっかけになったのは、指原さんが「自分を変えたい子」に応募してほしいと話していたことでした。不登校だった時期から自分を変えたいと考えてきた大場さんにとって、その募集の言葉は自分自身の経験と重なります。
タウンワークのインタビューでは、指原さんがプロデュースすると聞いた時点で絶対に受けたいと思い、合格するつもりで臨んだと話しています。
審査では、自分がこれまでどう生きてきたかを話しました。学校へ行けなかった時期があったこと、アイドルに支えられてきたこと、自分自身が嫌いで変わりたいと思っていること。特技を一つ見せるだけではなく、自分の過去を審査の場へ持っていきました。
最終審査を経て2017年4月に合格
2017年4月、オーディションに合格して=LOVEのメンバーになります。2000年2月生まれの大場さんは17歳、高校3年生の春でした。
合格して人生が動き出しました。
出典:大場花菜オフィシャルブログ「=LOVE姉妹グループオーディションを受けようと思ってる女の子へ」(2018年11月12日)
何度も応募しては不合格になってきた時間の先で、初めて=LOVEのメンバーとして活動する場所を得ました。ただし、合格した瞬間に本人が思い描いていたアイドルになれたわけではありません。
後のインタビューでは、グループに入ったらレッスンを受け、自然にどんどん成長していけると思っていたものの、自分はすぐに成長できずに悩んだと話しています。
自分が憧れてきたアイドルのような輝きが自分にはないのではないか。周囲のメンバーとの違いを考えながら、それでも少しずつ積み重ねていく時期が始まりました。
その本人を中心に追った公式映像が、=LOVE公式YouTubeの「Documentary of =LOVE -Episode11- 『ideal』」です。幼少期の写真やアイドルを目指した経緯を、本人の声と表情でたどることができます。
17歳で=LOVEとしてステージへ
=LOVEは2017年8月5日、「TOKYO IDOL FESTIVAL 2017」のHOT STAGEに出演しました。公式サイトに残る当日の出演時間は13時55分から14時15分まで。結成から間もない12人が、大きなアイドルイベントの舞台に立っています。
小学生の大場さんは、テレビ番組を見ながらAKB48のメンバーを一人ずつノートへ書き、握手会へ足を運びました。中学では家で録画番組を繰り返し、自分がステージに立つところを想像しながら振りをまねていました。
その大場さんが17歳になり、今度は自分の名前でアイドルイベントのステージへ立つ側になりました。
大場花菜が=LOVEになるまでの経歴
埼玉で生まれ育ち、小学生でAKB48に夢中になり、中学では学校へ行けなくなった時期を過ごした大場さん。その後は複数のオーディションへ応募し、高校生活ではアルバイトや友人との時間も経験しながら、2017年春に=LOVEへたどり着きました。
2017年8月のTOKYO IDOL FESTIVALを経て、同年9月6日には1stシングル「=LOVE」が発売され、グループはメジャーデビューしました。
大場さんにとって2017年は、高校3年生として学校へ通いながら、17歳で=LOVEのメンバーとなり、ステージへ立ち、CDデビューまで進んだ年でした。
中学の文集に書いたイラストレーターの夢は、アイドルになったことで消えたわけではありません。=LOVEで活動しながらイラストや漫画の仕事へ広がり、2026年には『はなコミ! ~となりにアイドル~』が一冊の本になりました。
テレビの向こうのアイドルをノートに描いていた小学生は、17歳で=LOVEとしてステージに立ち、今はアイドルとしての日々を自分の絵でも残しています。
































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