CUTIE STREETのオレンジ担当としてステージに立つ川本笑瑠。グループの中で最も長いアイドル経験を持つ一人ですが、その始まりは現在の大きなステージとはかなり違う場所にありました。
小学生のころは毎日のように習い事へ通い、自分から「やりたい」と言ったダンスだけは時間がなくて習えませんでした。それでも、幼稚園の七夕では何年も「アイドルになりたい」と短冊に書いていました。
小学6年生。中学受験が終わるのを待って、自分から母親に相談し、初めてアイドルのオーディションへ応募しました。
そこからアモレカリーナ東京、東京CuteCute、HO6LA、KAWAII LAB. MATESを経て、2024年にCUTIE STREETへ。川本笑瑠がアイドルになるまでを、幼少期や家族、学歴、昔の活動名とともに時系列でたどります。
川本笑瑠は昔どんな子だった?幼少期からアイドルへの憧れ
川本笑瑠は神奈川県出身。子どものころから静かに一人で過ごすタイプだったわけではなく、家族や友人からは、とにかくよく話す子だと言われていたそうです。
寝るときと食べるとき以外ずっとしゃべっていた
2025年のソロインタビューで幼少期の性格を聞かれた川本は、寝るときと食べるとき以外は話していたと振り返りました。現在のトーク好きな印象よりずっと前から、その片鱗があったようです。
ずーっとしゃべっている子
出典:CUTIE STREET「CUTIE STREET ソロインタビュー Vol.8:川本笑瑠、夢は叶うとは『簡単には言いたくない』――“アイドル活動10年”の誇りと重み」(2025年7月14日)
幼少期の毎日は、話すことだけでなく習い事でも埋まっていました。空手、そろばん、塾、ピアノ、ゴルフ、水泳、英会話。曜日ごとに何かしら予定が入るような生活だったと本人は話しています。
空手・そろばん・ピアノなど7種類の習い事
これらは本人が次々に希望したものではなく、家族の「いろいろなことを経験させたい」という方針で始めたものでした。川本自身は、どうすれば習い事をやめられるか考えるほど気が進まなかった時期もあったそうです。
それでも、水泳は検定まで受け、空手も続けました。一方で、唯一自分から習いたいと言ったのがダンスです。キッズダンサーへの憧れやAKB48への関心がありましたが、すでに予定がいっぱいでダンスを習う時間は残っていませんでした。
歌についてはむしろ逆でした。家族でカラオケへ行った際、自分は歌が得意ではないと思い込み、「歌う」という選択肢を持っていなかったと振り返っています。のちに何年もステージで歌うことになる少女は、最初から歌手になるつもりだったわけではありません。
幼稚園から七夕に「アイドルになりたい」
AKB48が好きでも、自分が同じ世界へ進めるとは考えていませんでした。幼い川本にとってアイドルは、アニメやプリキュアのように「選ばれた人」がなる遠い存在。オーディションという入口があることも知らなかったといいます。
それでも七夕になると、幼稚園のころから毎年のように同じ願いを書いていました。
アイドルになりたい
出典:CUTIE STREET「CUTIE STREET ソロインタビュー Vol.8:川本笑瑠、夢は叶うとは『簡単には言いたくない』――“アイドル活動10年”の誇りと重み」(2025年7月14日)
まだ職業として現実味のなかった「アイドル」が、短冊の中には何年も残っていました。
川本笑瑠の家族構成は?母親・姉とのエピソード
川本は母親と姉について本人発信で触れています。ただし、一般人である家族全員の構成や氏名などを公式プロフィールで一覧公開しているわけではありません。幼少期について最も具体的に語られているのは、家族の教育方針と母親とのやり取りです。
空手やそろばん、ピアノ、水泳など多くの習い事を経験した背景には、「なんでも経験させたい」という家庭の考えがありました。好きなことだけを選ぶ生活ではなく、さまざまなことを試す時間が日常の大部分を占めていました。
母親に初めてオーディションを相談
アイドルへの入口でも母親が登場します。小中学生向け雑誌でアイドルユニットの募集を見つけた川本は、最初の募集では「どうせなれない」と応募を見送りました。しかし2期生募集を知ると、今度は気持ちが変わります。
今度は絶対受けたい!
出典:CUTIE STREET「CUTIE STREET ソロインタビュー Vol.8:川本笑瑠、夢は叶うとは『簡単には言いたくない』――“アイドル活動10年”の誇りと重み」(2025年7月14日)
ところが当時は小学6年生で、中学受験の時期と重なっていました。川本が母親へ「オーディションを受けたい」と相談すると、返ってきた条件は「受験が終わったら」。受験終了後、すぐに応募し、合格しました。
現在の本人Xには母親との日常や、家族でテレビを見た話もたびたび登場します。姉についても2025年の投稿で言及しており、少なくとも母親と姉の存在は本人の言葉から確認できます。
家族カラオケで感じていた歌への苦手意識
家族との昔話で、もう一つアイドル人生とつながるのがカラオケです。川本は家族と歌った経験から、自分の歌をかなり苦手だと思っていました。そのため幼少期の憧れは、歌手を目指す具体的な進路には直結していませんでした。
自分から望んだダンスは習えず、歌には自信がない。それでも雑誌のオーディションを見つけたときだけは、自分から母親へ話しました。最初の芸能活動は、家庭の習い事とは違って本人が選んだ挑戦でした。
川本笑瑠の学歴は?中学受験から高校・大学進学まで
川本笑瑠は小学6年生で中学受験を経験しています。出身小学校や中学校の正式名は公表されていません。特定の学校名を挙げる情報もありますが、本人や所属先が明かしていない校名は断定できません。
小学6年生で中学受験とオーディションが重なる
小学校最後の時期には、受験勉強とアイドルへの興味が同時に進んでいました。2期生オーディションを知っても、その場ですぐ応募したのではなく、母親との約束どおり受験を先に終えています。
合格後も本人には、長く思い描いてきた夢が急に現実になった感覚が薄かったようです。アイドルになると知ったときは、驚きのほうが先に立ったと話しています。
この時点で大切なのは、学校名よりも時期です。小6で中学受験をし、その直後のオーディションを経て、翌2015年には13歳でアイドル活動を始めました。
中学1年生でアイドル活動をスタート
2015年、川本は「金本笑瑠」の名でアモレカリーナ東京に参加します。当時の東京CuteCute公式発信でも「中学一年生」と紹介されており、中学校生活のスタートとアイドル活動の開始がほぼ同じ時期に重なりました。
中学受験をして進学した学校の名称は明らかにされていません。中学時代の部活動や委員会については公表されていません。その代わり、この年代にはライブやレッスンという学校外の活動記録が多く残っています。
高校名は非公表、制服のない学校だった
高校の具体的な校名も公表されていません。ただ、本人は2024年3月のXで、自分が通った高校には制服がなかったことを振り返っています。制服の有無だけを根拠に、特定の学校へ結びつけることはできません。
高校年代にあたる2017年には東京CuteCuteが「未完成の少女」でメジャーデビューし、2019年春まで活動が続きました。10代半ばから後半にかけては、学校生活と並行してアイドルとしての現場経験を重ねた時期です。
大学や専門学校への進学について、本人や所属先による公表はありません。具体的な大学名を示す根拠もないため、進学先を推測して記載することはできません。
川本笑瑠の昔の名前とアイドル歴
「川本笑瑠 本名」と検索すると複数の名字が出てくる理由は、過去の活動資料で表記が変わっているためです。2015年のアモレカリーナ東京では「金本笑瑠」、東京CuteCuteの卒業時には「上村笑瑠」、HO6LAでは「笑瑠」、KAWAII LAB. MATES以降は「川本笑瑠」と確認できます。
これらは公開資料で確認できる活動名の変遷です。戸籍上の本名がどの表記なのかは公表されていないため、「金本」「上村」「川本」のいずれかを本名と断定することはできません。
「金本笑瑠」でアモレカリーナ東京へ
最初の活動は小中学生を中心としたアモレカリーナ東京でした。2015年の公式発信には「金本笑瑠」として登場し、13歳でライブの現場へ入っていきます。幼稚園から短冊に書いていた存在が、ここで初めて自分の仕事になりました。
本人が後年振り返った最初の現場は、思い描いていたAKB48のような世界とは違いました。地下のライブハウスで、Tシャツに自分で用意したスカートを合わせ、メイクも髪型も自分で整える。ファンの数もまだ多くありませんでした。
それでも落胆したわけではなく、本人の中ではステージへ立てること自体が輝いていました。テレビに出られるアイドルになりたい、いつか武道館に立ちたいという目標も、このころから持つようになります。
東京CuteCuteでは「金本笑瑠」から「上村笑瑠」へ
アモレカリーナ東京と並行して東京CuteCuteでも活動し、2016年4月29日にアモレカリーナを卒業。公式ブログは、金本笑瑠と春日佳奈子が東京CuteCuteへ専念するための卒業だったと伝えています。
2017年9月26日、東京CuteCuteは「未完成の少女」でメジャーデビュー。当時のプロフィールには「金本笑瑠」と掲載されています。一方、2019年に新体制が告知された際は、卒業メンバーとして「上村笑瑠」と記されました。
10代の大部分をアイドルの現場で過ごしたものの、2019年の東京CuteCute卒業後には活動から離れた時期がありました。川本自身も、長い活動を振り返る中で「実際に1回辞めた」と話しています。
一度離れたアイドルの世界へHO6LAで戻る
再び表舞台へ戻ったのは2021年。苺りなはむがプロデュースしたアイドルグループHO6LAのオーディションでは、1500人を超える応募者の中からメンバーに選ばれ、「笑瑠」の名で活動しました。
HO6LAは2021年9月12日に渋谷WOMBで正式始動。川本にとっては、10代前半から続けてきた活動をいったん離れたあと、もう一度アイドルとしてステージへ戻る機会でした。
約1年後の2022年9月12日、HO6LAは同じ渋谷WOMBでのラストライブをもって活動を終了します。ここでも活動は一区切りとなりましたが、川本の中には「アイドルをやりきれていない」という感覚が残りました。
KAWAII LAB. MATESで再びデビューを目指す
2023年11月21日、KAWAII LAB.はアイドルデビューを目指すKAWAII LAB. MATESの新メンバー15人を発表。その中に川本笑瑠の名前がありました。ここから現在につながる「川本笑瑠」名義での挑戦が始まります。
名前の通りに、沢山の人を笑顔でいっぱいにしたいです!
出典:KAWAII LAB.「アイドルデビューを目指す『KAWAII LAB. MATES』15名が加入!」(2023年11月21日)
「これが最後」と決めてKAWAII LAB.へ
川本がKAWAII LAB.へ向かった理由には、それまでの年月がありました。本人は13歳ごろから応援を続けてくれたファンの存在を挙げる一方、自分の中ではまだ完全燃焼できていないと感じていたと話しています。
活動を続ければ必ず夢がかなう、と単純には考えていませんでした。長い間には、頑張っても報われないと感じる時期もありました。それでも歌って踊るライブそのものが好きで、「まだいける」と思えたことが最後の応募につながりました。
週1〜2回のレッスンで見せ続けた気持ち
MATES時代には週1〜2回ほどレッスンがあり、川本は入室から退室までそのことだけを考えるほど集中していたと振り返っています。歌やダンスへの自信は戻っていなくても、少なくとも挑む意欲だけは見せようとしていました。
長くアイドルをしてきた経歴は、オーディションで自動的な強みになるわけではありませんでした。むしろ周囲に歌やダンスの上手な候補生がいるほど、「何年もやってきた自分は何ができるのか」という不安が大きくなっていきます。
川本笑瑠がCUTIE STREETになるまで
CUTIE STREETの8人は、数か月にわたるパフォーマンス審査や合宿オーディションを経て選ばれました。川本にとってこの審査は、過去のアイドル経験を披露するだけの場ではなく、続けるか終えるかを自分の中で決めた挑戦でした。
泣き続けた合宿オーディション
合宿中の川本は、毎日のように泣いていたといいます。何十人もの候補生の中には、ダンスが得意な人も歌の上手な人もいる。アイドルを長く経験してきた自分には、かえって歌にもダンスにも自信がありませんでした。
「何年もアイドルをしていたなら何でもできる」と見られることと、自分の感覚には大きな差がありました。選ぶ側が自分を選びたいと思う理由があるのか。審査が進むほど、その問いを自分へ向けるようになりました。
一人で歌とダンスを披露して崩れた自信
特に苦しかったのが、一人で歌とダンスを披露する課題でした。自信のない二つを一人で見られる状況で、歌もダンスも思うようにできなかったと本人は振り返っています。
評価では、ダンスの先生から意図が伝わらなかったことを指摘され、ボイストレーナーからも途中で気持ちが崩れた点を惜しまれました。木村ミサとの個人面談では、泣くことを否定するのではなく、自分で気持ちを整えることもアイドルには大切だと助言されます。
最後の課題だけは絶対に折れないと決めた
川本は、このオーディションに落ちたらKAWAII LAB.も辞めると自分の中で決めていました。最後の課題で意識したのは、ミスを一つもしないことではなく、途中で心を崩さないことでした。
メンタルだけは絶対に崩さない
出典:Real Sound「CUTIE STREET ソロインタビュー Vol.8:川本笑瑠、夢は叶うとは『簡単には言いたくない』――“アイドル活動10年”の誇りと重み」(2025年7月14日)
間違いがあっても、最後までやり切る。約10年の経験を持っていても自信を失っていた川本が、最後の課題では「崩れないこと」を自分の目標にしました。
課題後、ボイストレーナーは川本のパフォーマンスを評価し、その姿を見て自分も頑張ろうと思った、人の心を動かしていたと伝えました。合宿で初めて大きな手応えを受け取った場面でした。
「全員合格」で8人のCUTIE STREETへ
最終発表の時点で、川本は一緒に合宿を過ごした8人で活動したいと思っていました。発表された結果は、一部の候補生だけではありませんでした。
全員合格
出典:Real Sound「CUTIE STREET ソロインタビュー Vol.8:川本笑瑠、夢は叶うとは『簡単には言いたくない』――“アイドル活動10年”の誇りと重み」(2025年7月14日)
2024年7月30日、アソビシステムはCUTIE STREETの結成を発表。川本笑瑠を含む8人は、同年8月4日の「TOKYO IDOL FESTIVAL 2024」でグループとして初めてステージに立ちました。
その後、11月13日に1stシングルCD「かわいいだけじゃだめですか?」を発売。川本が13歳のころに思い描いていた「テレビに出られるアイドル」という景色も、CUTIE STREETで現実のものになっていきました。
アモレカリーナ東京で自前のスカートを用意していた最初期から、東京CuteCute、HO6LA、KAWAII LAB. MATESを経て、CUTIE STREETの初ステージまで。活動名も所属も変わりましたが、ステージへ立つ時間は何度も続いてきました。
幼稚園の短冊に書いていた「アイドル」は、小学6年生の受験後に初めて現実の応募先になりました。2024年8月4日、川本笑瑠はCUTIE STREETの8人の一人として、また新しいステージに立ちました。
































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