百田夏菜子は昔どんな子だった?弟との家族構成や実家・学歴、ももクロになるまで

ひと目でわかるプロフィール
百田夏菜子
ももたかなこ
スポーツ選手を夢見た浜松の少女から、ももクロのステージへ
生年月日
1994年7月12日
血液型
AB型
身長
156cm
出身地
静岡県
所属・活動形態
ももいろクローバーZ
活動時代
平成アイドル
アイドル活動開始
2008年
活動開始時年齢
13歳
アイドルになったきっかけ
オーディション・ダンス・スクール・養成所・家族の影響・勧め

ももいろクローバーZのリーダーとしてステージの真ん中に立つ百田夏菜子さん。けれど、アイドルになる前の毎日は、静岡県浜松市で友達と外を走り回り、新体操やバスケットボールに夢中になる時間で埋まっていました。

小学生のころに思い描いていた将来も、芸能界とは別の方向でした。ダンススクールに通い、母親とオーディション誌を開くようになってから、少しずつ東京との距離が縮まっていきます。

百田夏菜子さんが小学5年生のころに抱いていた夢は、アイドルではなくスポーツ選手でした。

スターダストのオーディションに受かったあとも、すぐに華やかな活動が始まったわけではありません。静岡で学校や部活動を続け、週末にレッスンへ通う時期を経て、13歳の2008年5月17日に「ももいろクローバー」の一員として最初のステージに立ちました。

百田夏菜子は昔どんな子?浜松で過ごした幼少期

百田さんが「地元」と語るのは静岡県浜松市です。小学生のころは家の中でじっとしているより、友達と外へ出て体を動かす遊びが身近にありました。

高校卒業を控えたころ、本人は公式ブログで小学生時代を振り返っています。そこで並んだ遊びは、氷鬼、ケイドロ、一輪車、縄跳び、バスケ、ローラースケート、キックボード。夏休みには海やプールへ足を運び、日焼けも気にせず遊んでいたそうです。

そのブログには、小学生のころのプリクラも掲載されました。メンバーやスタッフに見せると「変わってない」と言われたそうで、本人も当時の自分を見ながら、遊びの記憶を次々と思い出しています。

私も小学生の時は半袖短パンで走り回ってたけど

出典:百田夏菜子オフィシャルブログ「小学生の時の私~」(公開日記載なし)

浜松の小学生に伝わる「30分間回泳」も、当時の夏を思い出させる出来事のひとつです。壁や床につかまらず30分間泳ぎ続ける行事を前に、百田さんは友達とプールへ行き、遊びながら浮く練習をしていました。

夏休みにはプールだけでなく外遊びの時間も多く、本人の記憶には日焼けした姿まで残っています。地元の学校生活は、後に東京へ通うようになっても途切れずに続きました。

新体操とバスケに夢中!将来はスポーツ選手

体を動かすことは遊びだけではありませんでした。百田さんは新体操とバスケットボールに取り組み、現在の公式プロフィールにも特技として新体操が記されています。

本人によれば、新体操を続ける中でダンスの基礎が足りないと言われ、友達が通っていたダンススクールを紹介されたことがありました。このスクールが、のちに芸能界へつながる最初の接点になります。

それでも当時の本人に「アイドルになる」という具体的な目標はありませんでした。小学5年生で事務所のオーディションを受けたころも、頭にあったのはスポーツの世界です。

将来はスポーツ選手になりたいという別の夢がありました

出典:Deview「百田夏菜子 インタビュー」(2020年6月25日)

人前では声が小さくなった少女時代

外では元気に遊んでいた一方、人前に出る場面では別の顔もありました。学校の授業で発表すると声が先生のところまで届かず、三者面談で「ずっともじもじしている」と母親へ伝えられたこともあったといいます。

親戚に久しぶりに会うと母親の後ろへ隠れてしまうこともあったそうです。人前で話す仕事が始まり、少しずつ普段の自分を出せるようになっていきました。

『おジャ魔女どれみ』に夢中だった少女時代

テレビの中で強く惹かれていたもののひとつが『おジャ魔女どれみ』でした。昔からの友達と会えば今でも作品の話になるほどで、子どものころは関連玩具を手にし、登場人物のようにお着替え遊びもしていました。

百田さんは、大人になってからも当時の玩具を見るとワクワク感が戻ると話しています。スポーツとは別に、衣装を替えて別の姿になる遊びも、浜松で過ごした少女時代の一場面でした。

百田夏菜子の家族構成は?父親・母親・兄・弟との関係

百田夏菜子の家族構成
職業は公表されていない
小学5年生のころ、事務所オーディションへの応募に関わった
本人が仕事帰りに駅まで迎えに来てもらうことがあると語っている
本人
百田夏菜子
本人が日常の兄弟げんかを語っている

百田さんの家族の話には、進路を大きく動かした出来事だけでなく、駅への迎えや冷蔵庫の食べ物をめぐるケンカまで、日常の距離感がそのまま表れるエピソードがあります。

本人は浜松市を地元として繰り返し語っています。一方、実家の具体的な住所や生活圏は公表されていません。家族との話は、本人が明かしている日常の出来事からたどれます。

母親は、芸能界へ入るきっかけを作った存在です。本屋で百田さんがファッション誌を見ている横で母親がオーディション誌『デ☆ビュー』を手に取り、そこからスターダストプロモーションの募集へつながりました。

母親と読んだオーディション誌が芸能界への入口

ダンススクールでは、周囲がオーディションを受けることが身近になっていました。スクールから受けてみるよう勧められ、母親と雑誌で芸能界について知り、本人の写真を事務所へ送ることになります。

2025年に30年間を振り返ったインタビューでは、本人自身が「一番最初」をたどると母親の行動につながると話しました。そのさらに前には、友達に紹介されたダンススクールがあります。

新体操のために始めたダンス、友達の紹介、母親が手にしたオーディション誌。それぞれ別々だった出来事が、小学5年生の応募でひとつにつながりました。

兄は駅まで迎え、弟とは冷蔵庫の食べ物でケンカ

兄とは子どものころに激しくケンカした時期もありましたが、後年には仕事帰りの百田さんを駅まで迎えに来たり、ライブを見に来たりする関係になっています。百田さん自身が「迎えに来い!」と頼むこともあるそうです。

お兄ちゃんとはすごく仲良しで、仕事が終わって私が家に帰るときは駅まで迎えに来てくれます

出典:マイナビニュース「ももクロ百田夏菜子に直撃! 元気キャラは昔から? 兄弟エピソードも」(2018年3月4日)

弟とは、大人になってからも兄弟らしい小競り合いが続いていました。百田さんが冷蔵庫に入れて楽しみにしていた食べ物を弟が勝手に食べ、分かっていてやった弟に本気で怒るという話を本人が明かしています。

弟はマネージャー?
弟については、芸能マネージャーとして働いていたとする報道があります。父親の職業は公表されていません。

芸能界への入口では母親が具体的に動き、活動が始まってからも兄弟との普段の関係は続いていました。華やかなステージの外に、地元へ戻ったときの家族の日常がありました。

百田夏菜子の学歴は?中学校から東京の高校へ

百田夏菜子の学歴
小学校
浜松市内の小学校
30分間回泳の思い出を本人が語っている
中学校
静岡県内の中学校
卒業後、芸能活動のため東京へ
高校
東京都内の高校
松岡茉優、朝日奈央、日高里菜らと同級生

学校生活は、芸能活動が始まってからもしばらく静岡で続きました。オーディション合格後にすぐ仕事中心の生活へ切り替わったわけではなく、部活動や学校行事にも参加しています。

小学生時代には浜松の30分間回泳に参加し、中学校を卒業するまでは静岡で同級生と過ごしました。小学校・中学校の正式な学校名は公表されていませんが、学校生活そのものを語る本人の記憶は多く残っています。

中学卒業前、東京へ行くことを友人2人だけに話した

中学卒業後は芸能活動のため静岡から東京へ出ます。しかし、地元の同級生たちに大々的な別れを告げたわけではありませんでした。上京することを話したのは、親しかった2人の友達だけだったそうです。

しかも私、誰にも言わないで……。

出典:ニッポン放送 NEWS ONLINE「ももクロ・百田夏菜子『私、誰にも言わないで……』上京すると明かさないまま中学卒業」(2021年3月21日)

高校生になってテレビなどで姿を見るようになった中学時代の同級生からは、「聞いてないんだけど!」と連絡が来ました。卒業前に周囲へ進路を知らせなかったため、友人側にとっては後から知る上京でした。

高校で松岡茉優・朝日奈央らと過ごした青春時代

東京の高校では、松岡茉優さん、朝日奈央さん、日高里菜さんら、同じく芸能活動をする同級生と学校生活を送りました。仕事をしている生徒が多い環境でも、教室ではそれぞれが普通のクラスメイトとして接していたといいます。

松岡さんとの対談では、高校2年の体育祭の日、百田さんが列の中から突然走って近づき「ホントは面白い子なんでしょ!?」と声をかけた出来事が語られています。百田さんは、教室で松岡さんがボディクリームとベビーパウダーを使っている姿を見て気になっていたそうです。

高校3年の文化祭では、クラスでスムージーを販売し、同級生たちの仕事や名前をモチーフにしたメニューを考えました。仕事で学校にいられる時間が限られていた百田さんも、準備や行事の記憶を同級生と共有しています。

高校卒業式では『仰げば尊し』を歌いながら号泣したと後にラジオで振り返りました。中学卒業では静かに地元を離れ、高校卒業では東京でできた友人たちとの時間に涙する、二つの卒業がありました。

ダンススクールからスターダストのオーディションへ

芸能界につながる最初の道は、新体操の延長にありました。ダンスの基礎を補うために友達の通うスクールへ入り、そこでオーディションを受けるという選択肢を知ります。

母親と『デ☆ビュー』を読み、掲載されていた「スターダスト☆オーディション2005」へ応募。小学5年生だった百田さんは合格し、現在まで所属するスターダストプロモーションに入ります。

当時の百田さんが芸能界の仕事として具体的に知っていたのは女優という存在でした。一方でダンスを習っていたためモーニング娘。が好きで、ドラマで見ていた柴咲コウさんや岡田将生さんが所属する事務所だと知ったことも、応募時の安心感につながったと振り返っています。

小学5年で事務所入り、それでも夢はスポーツ選手

応募時点でアイドルになりたいという意思はなく、受かる自信もありませんでした。本人は当時、新体操やバスケットボールに熱中し、芸能界はテレビの向こう側にある遠い世界として見ていました。

オーディションに受かるなんて1ミリも思ってなかったです

出典:マイナビニュース「ももクロ百田夏菜子、アイドルは職業であり人生の目標」(2025年1月30日)

合格したからといって、翌日から仕事が次々に入ったわけでもありません。本人の振り返りでは、事務所に入ってから約1年は大きな連絡がなく、その後になってレッスンへ通うようになりました。

レッスンは主に週末。静岡から東京へ通いながら、平日は学校や部活動を続けました。仕事のオーディションを受けても落ちることがありましたが、学校生活に大きな影響が出るほど仕事が詰まっていなかったため、行事や部活にも取り組めたと話しています。

事務所内でアイドルグループを作る動きが出たころ、百田さんのプロフィールに書かれていた「特技=ダンス」が目に留まり、オーディションへ呼ばれたと本人は振り返っています。新体操から始まったダンスが、ここでグループ活動へつながりました。

13歳でももいろクローバーへ!最初のステージ

2008年5月17日、川崎アゼリアで開かれたスターダスト芸能3部のイベントで、6人組の「ももいろクローバー」が初お披露目されました。13歳の百田さんもその場に立ち、メンバーと「あの空へ向かって」を歌いました。

この日のメンバーは、百田さん、玉井詩織さん、高城れにさん、高井つき奈さん、伊倉愛美さん、和川未優さんの6人。現在のメンバー構成とは異なる、結成直後だけの顔ぶれで始まったステージでした。

小学校5年生で事務所に入ってから約3年。スポーツ選手を思い描いていた浜松の少女が、ここで初めてアイドルグループの一員として人前に立つことになります。

代々木公園の路上ライブで手作りチラシを配った日々

初お披露目から約2か月後の2008年7月、活動の場は代々木公園・けやき通りへ移ります。「あの空へ向かって」などを歌うストリートライブを続け、メンバー自身が手作りしたチラシも配りました。

当時のレパートリーには「あの空へ向かって」のほか、「冷凍みかん」や「MILKY WAY」もありました。決まった専用劇場ではなく、公園の通りで歌いながらグループを知ってもらう日々です。

客席が用意された大きな会場とは違い、通りかかった人が足を止めて初めて観客になります。後年、百田さんは「お客さんがいない」と考えるより、1人が立ち止まってくれたことにテンションが上がったと振り返っています。

秋には飯田橋ラムラで月1回の定期ライブが始まりました。駅直結ビルの催事スペースを使ったフリーライブで、路上から少しずつ活動場所を増やしていきます。

百田夏菜子がアイドルになるまで
幼少期
浜松で新体操やバスケットボールに親しむ
友達との外遊びや水泳にも親しみ、将来はスポーツ選手を思い描いていた。
2005年
スターダスト☆オーディション2005に合格
小学5年生のころ、母親と読んだオーディション誌をきっかけに応募した。
合格約1年後
週末レッスンを開始
学校や部活動を続けながら静岡から東京へ通った。
2008年5月17日
ももいろクローバーとして初お披露目
川崎アゼリアで「あの空へ向かって」を歌唱した。
2008年7月〜9月
代々木公園で路上ライブ
けやき通りでストリートライブを行い、手作りチラシを配った。
2009年5月〜8月
初の全国ツアー
ヤマダ電機ツアーで全国を車で回った。
2010年5月5日
「行くぜっ!怪盗少女」でメジャーデビュー
ももいろクローバーとしてメジャーデビューを果たした。

この時期の年表を並べると、小学5年生のオーディション合格、週末レッスン、2008年の初お披露目、路上ライブへと段階が続きます。まだメジャーデビュー前で、会場も移動手段も手作り感の残る活動でした。

全国を走り回った少女たちがCDデビューするまで

2009年になると、活動範囲は東京の定期ライブから全国へ広がります。年明けから7月までは石丸電気の定期イベント「スタ☆フェス」に出演し、5月17日には結成1周年ライブも行いました。

その1週間後の5月24日から8月16日にかけて、初の全国ヤマダ電機ツアーが始まります。東京で定期的にステージへ立つ段階から、各地へ自分たちが会いに行く活動へ変わっていきました。

ワゴン車で全国を回った2009年

移動に使ったのはハイエース。週末の高速道路料金を抑えられるETC割引を活用し、車中泊をしながら各地を回ったことから「ETCアイドル」と新聞で紹介された時期もありました。「今、会えるアイドル」という言葉が使われ始めたのもこのころです。

ステージの条件が整っていない場所では、ワゴン車のライトを照明代わりにライブをしたこともあったと百田さんは話しています。本人たちにはアイドル活動の比較対象がなく、そのやり方を特別だとは思わずに続けていました。

それが普通のことだと思っていて気づかなかったんです

出典:Deview「百田夏菜子 インタビュー」(2020年6月25日)

台本をメンバーで考え、覚えられずに怒られることも含め、百田さんは後年この時期を「部活みたい」と振り返っています。静岡で学校と部活を続けていた少女にとって、全国を車で回る活動もまた、仲間と一緒に取り組む時間でした。

2010年「行くぜっ!怪盗少女」でメジャーデビュー

結成から約2年後の2010年5月5日、ももいろクローバーは「行くぜっ!怪盗少女」でメジャーデビューしました。川崎アゼリアの初お披露目、代々木公園の路上ライブ、全国を車で回った日々の先にたどり着いたCDデビューです。

小学5年生の百田さんは、芸能界に入ることを将来の目標にしていたわけではありませんでした。新体操のためのダンス、母親と開いた一冊の雑誌、静岡から通った週末レッスンが重なり、13歳で最初のステージへ立ちます。

そのステージから路上へ、路上から全国へ。2010年5月、浜松でスポーツ選手を夢見ていた少女は、「ももいろクローバー」の百田夏菜子としてメジャーデビューの日を迎えました。

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