≠MEのメンバーとしてステージに立つ尾木波菜。現在の姿からさかのぼると、子どものころに思い描いていた将来は、アイドルではなく保育園の先生でした。
学校から帰ればランドセルを玄関に置いて遊びへ出かけ、中学ではバトントワリングに熱中。アイドルは小学3、4年生ごろから好きでしたが、自分がその世界へ入ることまでは考えていなかったと振り返っています。
進路を変えた入口は、アイドル好きの友人に誘われて受けた最初のオーディションでした。最終審査まで進んだ経験から、「自分も目指していい場所なのかもしれない」と考えるようになります。
一度目の不合格のあとに見つけたのが、大好きだった=LOVEの姉妹グループオーディション。歌やダンスに自信があったわけではない15歳の少女が、≠MEのメンバーとなり、初めて観客の前でステージに立つまでを追います。
尾木波菜は千葉県出身!名前の由来とわんぱくだった幼少期
≠ME公式プロフィールで公表されている出身地は千葉県です。出生した場所の市町村までは公表されていませんが、「波菜」という名前には父親が千葉県に寄せた思いが込められています。
父親は、九十九里浜の「波」と千葉県の県花である菜の花の「菜」を組み合わせて「波菜」と名づけました。本人は2024年のインタビューで、父親が「千葉県で活躍してほしい」という思いを込めたと話しています。
九十九里浜の「波」と県花の「菜の花」から「波菜」と名づけました。
出典:週プレNEWS「誕生日当日に1st写真集を発売! 「≠ME」の美少女・尾木波菜が週プレグラビアに初登場!」(2024年2月25日)
小学生の夢は保育園の先生
小学校へ入ったころ、尾木が将来の夢として書いていたのは保育園の先生でした。家で年下のきょうだいと過ごす時間もあり、小さい子と遊んだり面倒を見たりすることが好きだったと振り返っています。
将来の夢は保育園の先生と書いていました。
出典:タウンワークマガジン「尾木波菜(≠ME)インタビュー「感謝を直接伝えてもらえて自分の存在意義を感じられるのは幸せです」」(2022年8月2日)
幼いころから家族とお菓子を作る場面もありました。本人が学生時代の思い出を書いた記事では、母親から国生さゆりの「バレンタイン・キッス」を教わり、幼稚園のころには友達と歌えるようになっていたと記しています。
同じ記事には、バレンタインのお菓子作りの途中で絞り袋を手にした幼いころの写真も登場します。中学3年生になると友達へお菓子ポーチを作っており、子どものころの手作り好きは学生時代まで続いていました。
ランドセルを置いてすぐ外へ!自然の中で遊んだ子ども時代
一方、家の外ではかなり活発な子どもでした。学校が終われば玄関へランドセルを置き、そのまま遊びに出かけることも珍しくなかったと、大学生になってから振り返っています。
小学校が終わったらランドセルをおうちの玄関に放り投げて遊びに行っちゃうような子でした。
出典:エキサイトニュース「「アイドルは私を助けてくれた存在」≠ME 尾木波菜、制服グラビアカット&デビュー秘話」(2022年8月8日)
自然の中で過ごす機会も多く、幼いころにはサマーキャンプへ参加しました。キャンプでは火を起こして食事を作り、祖母の家へ泊まりに行ったときも自然の中で遊んでいたと話しています。
2019年のお披露目から間もない時期の自己紹介でも、昔から活発で、森などで秘密基地を作るのが好きだったと答えています。ランドセルのエピソードと並べると、外へ出て遊ぶ時間が多かった少女時代が浮かびます。
手を動かす遊びも好きでした。小学生のころから裁縫に親しみ、ボタンを付けたり、壊れた洋服を直したりしていた経験は、成長後に古着へレースやリボンを付けるリメイクの趣味へつながっています。
大人になってからも、外へ出て季節を楽しむ姿は本人の公式Instagramに残されています。深大寺を訪れた夏の投稿では、現在の尾木の雰囲気を見ることができます。
尾木波菜の家族構成は?父親・母親・妹・弟との思い出
尾木が昔を振り返るインタビューには、家庭での小さな場面が何度も登場します。実家の具体的な市町村や住所は公表されていませんが、家族と過ごしていた日常については本人自身がさまざまな思い出を明かしています。
5歳下の弟のおむつ替えやお風呂を手伝った
尾木には妹と弟がおり、弟は本人より5歳下です。弟がまだ小さかったころには母親を手伝い、おむつを替えたり、お風呂へ入れたりしていました。
妹との距離も近く、2022年のインタビューでは、妹がよく自分の部屋へ遊びに来ると話しています。2021年には、妹が作ってくれたマカロンを本人公式Instagramで紹介しました。
父親は一番の応援者、母親は進路を心配した
父親とは、帰宅したときに抱きつきに行くほど親しいと本人が話しています。アイドルになったあとも父親は活動を応援しており、本人は「一番応援してくれている存在」と表現しています。
家族とは仲が良すぎて、メンバーからも驚かれます(笑)。
出典:FINEBOYS Online「≠ME・尾木波菜とおうちデート。」(2022年8月24日)
母親とは一緒に買い物へ行くことがあり、自分では選ばない色の洋服を勧めてもらうこともあるそうです。一方、高校進学の時期に芸能活動という選択肢が入ってきたときは、母親も進路を心配しました。
尾木自身によれば、最初のアイドルオーディションを受けたころ、母親は芸能活動に少し反対していました。進学する時期でもあり、本人にも悩む部分があったといいます。
家庭では、一人で過ごす時間も楽しんでいました。休みの日に部屋を掃除したり、一人で買い物や映画へ出かけたりする一方、妹や友人を部屋へ呼んで泊まり会をすることもあったそうです。
子どものころに祖母の家で自然に触れ、成長後には両親と山へ出かけたこともあります。活動が始まってからも、家族と一緒に過ごす時間は本人が話す日常の中に残っています。
尾木波菜の学歴は?中学・高校・大学までの学生時代
尾木は中学受験を経験し、高校を卒業したあと大学へ進学しています。本人が明かしているのは学校生活や進学した時期までで、中学校・高校・大学の具体的な学校名は公表されていません。
中学受験の決め手はバトン部への一目ぼれ
小学校高学年のころ、進学先を考えて学校見学へ行った尾木の目を引いたのがバトン部でした。体験でバトンを触らせてもらい、教えてくれた先輩から上手だと褒められたことがうれしく、その学校を受験しようと決めます。
進学先は女子校でした。入学後は希望していたバトントワリングに取り組み、個人の大会にも出場。学校が終われば部活動へ向かう、中学生らしい時間を過ごしました。
私は中学生の頃に部活に熱中していまして、部活をがんばる中学生だったんです!
出典:Bezzy「今は第二の青春真っ只中、≠MEが描く“未来の私”」(2024年3月20日)
個人競技では、自分が練習した分が結果につながり、足りなければ結果も落ちるところに面白さを感じていたと話しています。バトンの経験はありましたが、後にアイドルの審査へ進んだ際には、ダンス部分に苦手意識があったとも明かしています。
中学で出会った友人とは、その後も交流が続きました。現在も落ち込んだときに駆けつけてくれたり、ただ一緒に笑う時間を作ってくれたりする関係だと本人が語っています。
女子校ならではの思い出として、バレンタインにはお菓子を持ち寄り、友達と食べていたことも本人が書いています。中学3年生のころには友達へ手作りのお菓子ポーチを渡しました。
高校進学の時期に≠MEへ加入
中学を終えて高校へ進む時期、尾木の生活にオーディションが入り込みます。友人に誘われた最初の審査を経て、2019年2月、15歳で≠MEのメンバーとしてお披露目されました。
高校生活はグループ活動と並行して続きました。2022年2月、自身が執筆した学生時代の記事では高校卒業が迫っていることに触れ、何気ない休み時間や授業中も大切な青春の時間だったと振り返っています。
翌月には本人公式Instagramで高校卒業を報告。学校名は公表していませんが、≠MEのお披露目から約3年間、高校生としての生活とアイドル活動が同時に進んでいたことを本人の投稿からたどれます。
高校卒業後は大学へ進学
高校卒業後、尾木は大学へ進みました。2022年8月のインタビューでは、自身を「千葉県出身の大学1年生、19歳」と紹介しており、大学へ進学したことは本人自身が明らかにしています。
大学名は公表されていません。また、その後の在籍状況や卒業時期についても具体的な公表はありません。大学については、2022年8月時点で大学1年生だったという本人発言までが明確な情報です。
大学1年生だった2022年には、所属先の公式YouTubeで「100の質問」に答える企画にも登場しました。幼少期から学生時代を経た時点の尾木が、好きなものや日常について自分の声で答えています。
AKB48と欅坂46、=LOVEが好きだった少女時代
尾木がアイドルを知ったのは、小学3、4年生ごろ。年上の親戚の影響でAKB48を知り、渡辺麻友のかわいさにひかれました。小学6年生ごろには、自分でもずっとアイドルが好きだったと振り返るほど身近な存在になっていきます。
中学生になると欅坂46にも夢中になり、アイドル好きの友人とさまざまなコンサートへ出かけました。学校外でも同じ趣味を共有できる友人がおり、アイドルを好きになったことは人間関係にもつながっていきます。
ただ、好きだから自分もアイドルになりたいとすぐ考えたわけではありません。尾木は当時の自分をボーイッシュでやんちゃなタイプだったと振り返り、かわいいアイドルを好きであるほど、自分とは遠い世界だと感じていました。
=LOVEも応援していました。指原莉乃がプロデュースする先輩グループを好きだったことは、のちに姉妹グループの募集が始まったとき、そのオーディションへもう一度踏み出す理由のひとつになります。
アイドルは見るだけの存在でしたが、好きなアイドルをきっかけにできた友人の一人が、尾木の進路を動かします。高校進学を迎えるころ、「一緒にオーディションを受けよう」と声をかけられました。
友人に誘われた最初のオーディションで最終審査へ
人生で初めて受けたアイドルオーディションは、自分一人で探して応募したものではありませんでした。アイドル好きの友人に誘われて参加すると、尾木は最終審査まで残ります。
結果は不合格。それでも、最終審査まで進んだことで、それまで遠いと感じていたアイドルの世界を自分の進路として見るようになります。「自分も目指していい場所なのかもしれない」という感覚が生まれました。
この最初のオーディションについて、本人は名称を明かしていません。「坂道合同オーディションだったのか」と気になるところですが、公表されているのは、友人に誘われて受け、最終審査まで進んで不合格になったという経緯までです。
一度経験したからこそ、不合格のままで終わりたくないという気持ちも残りました。そこへ、大好きだった=LOVEの姉妹グループを選ぶ新しいオーディションの募集が重なります。
≠MEへの加入を決める時期には、中学のバトン部で出会った友人たちも背中を押しました。学校で出会った仲間との関係が、アイドルになる決断にもつながっていました。
一度落ちたままで終わりたくない気持ちを抱えたまま、尾木波菜は=LOVEの姉妹グループオーディションへ進みます。
≠MEオーディションへ!歌とダンスに自信がなかった15歳の再挑戦
二度目に選んだのは、=LOVEの姉妹グループオーディションでした。もともと=LOVEを好きだった尾木にとって、憧れて見てきたグループとつながる募集でした。
私はもともと=LOVEさんのことがずっと好きだったので
出典:YOUTH TIME JAPAN project web「指原莉乃プロデュースアイドル≠ME(ノットイコールミー)ってどんなグループ?」(2019年10月1日)
審査で歌ったのはHKT48「キスは待つしかないのでしょうか?」
それまで歌やダンスを専門的に習っていたわけではありません。歌は家族から音程について言われるほど苦手意識があり、リズム感にも自信がなく、バトントワリングでもダンス部分には苦戦していました。
歌唱審査で選んだ曲は、HKT48の「キスは待つしかないのでしょうか?」。歌の技術だけで勝負しようとはせず、ミュージックビデオのリップシーンに出てくるかわいい仕草をまねて、手振りを多く入れて臨んだと振り返っています。
歌が得意ではないことを自覚しながら、審査の場でどう見せるかを自分なりに考えました。かわいいアイドルを長く見てきた経験が、表情や仕草を作る場面で使われることになります。
2019年1月26日、姉妹グループオーディションの最終審査が行われました。そこを通過したメンバーは、約1か月後に初めて公の場へ姿を見せることになります。
2019年2月24日、≠MEのメンバーとしてお披露目
2019年2月24日、メンバーがお披露目され、指原莉乃からグループ名「≠ME」が発表されました。尾木は当時15歳。高校生活が始まる直前に、本格的なアイドル活動へ踏み出しました。
お披露目当日の本人公式Xには、≠MEの「はにゃたん」こと尾木波菜としての最初の挨拶が残っています。これから多くの人に知ってもらえるよう頑張ると記した、加入直後の公式記録です。
合格後に待っていたのはレッスンでした。周囲と比べ、自分が思っていた以上にできないことの多さに悔しくなり、泣いたこともあったと話しています。短い期間で歌とダンスを覚え、グループとしてそろえて見せる練習が続きました。
合宿では睡眠時間を削って練習しても、かえって集中力が落ちることに当時は気づけなかったとも振り返っています。ライブ映像を見るたび、経験のあるメンバーとの違いを感じて焦る時期がありました。
バトンで人前に出る経験はあっても、アイドルとして歌い踊ることは別の課題でした。お披露目された2月の時点から、実際に観客の前でグループの楽曲を披露する夏まで、約5か月の準備期間が続きます。
尾木波菜がアイドルとして初めてステージに立った日
≠MEが初めてパフォーマンスを披露したのは、2019年8月4日の「TOKYO IDOL FESTIVAL 2019」。お台場・青海周辺で開催された大型アイドルフェスのSMILE GARDENが、グループの最初のステージになりました。
当日は=LOVEの楽曲を含むセットリストに加え、初のオリジナル曲「≠ME」も披露。2月のお披露目では自己紹介をした15歳の尾木が、夏にはメンバーと並んで観客の前で歌い踊りました。
センターの冨田菜々風は当時、オーディション後はレッスンの日々で、本当にステージデビューできる日が来るのか不安な時期もあったと振り返っています。初ステージは、メンバー全員が練習を重ねた先にようやく訪れた日でした。
そこから約1年8か月後の2021年4月7日、≠MEはデビューミニアルバム『超特急 ≠ME行き』を発売し、メジャーデビューを迎えます。尾木はそのジャケット撮影で、自分がアイドルになれたことを実感したと後に語っています。
2026年8月には個人YouTubeチャンネル「おぎはな共和国」を開設し、自分で編集した動画の発信も始めました。同年9月の本人公式Instagramには、夏の日の一場面とともにYouTubeを案内する投稿が残っています。
小学生のころは保育園の先生を夢見て、中学ではバトンを追いかけ、友人とアイドルのコンサートへ通っていた尾木波菜。友人に誘われた一度目のオーディションを入口に、15歳で≠MEへ入りました。
最初の審査で届かなかったステージは、2019年8月4日に現実のものになります。自分はアイドルから遠いと思っていた少女は、その夏、≠MEの一員として初めて観客の前に立っていました。
































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