1996年8月5日、「Body & Soul」でCDデビューしたSPEED。島袋寛子、今井絵理子、上原多香子、新垣仁絵の4人は、まだ小中学生だった時期から全国のテレビに登場し、歌とダンスで注目を集めました。
2026年にはデビュー30周年を迎え、「Body & Soul」のリマスター版もデビュー記念日の8月5日に配信。30年前のデビュー曲が、再びSPEEDの節目を飾っています。
そのSPEEDの一員だった上原多香子は、沖縄で生まれ、幼少期には千葉で生活した時期もありました。その後は沖縄へ戻り、家族との日常を送りながら沖縄アクターズスクールへ通うようになります。
13歳でSPEEDとしてCDデビューする前、上原多香子はどんな少女だったのでしょうか。
幼いころの暮らし、父親や母親、姉・兄との時間、学校とレッスンが重なった10代前半、そして12歳で「THE夜もヒッパレ!」へ出演するまでを順にたどっていきます。
SPEEDの最新公式情報は、SPEED公式X(@speed_30th)でも発信されています。
上原多香子は昔どんな子だった?沖縄生まれ・千葉で過ごした幼少期
上原多香子は1983年1月14日生まれ。所属事務所のRISINGPRODUCTIONとSPEED公式プロフィールでは、沖縄県出身、血液型A型と紹介されています。
ただ、幼いころからずっと沖縄だけで生活していたわけではありません。本人は公式ブログで、自分が沖縄で生まれ、幼少期には千葉で過ごし、その後沖縄へ戻ったことを振り返っています。
帰る場所があるって幸せなことですね。
出典:上原多香子オフィシャルブログ「帰る場所」(公開日記載なし)
沖縄で生まれ、幼少期は千葉へ
本人の言葉を追うと、沖縄で誕生したあと幼少期を千葉で過ごし、再び沖縄へ戻り、さらに芸能活動のチャンスを得て東京へ向かったという流れが見えてきます。
「沖縄県出身」というプロフィールだけでは見えにくい部分ですが、上原の子ども時代には千葉で暮らした時間もありました。
沖縄へ戻ってからの生活は、後年の本人ブログにも具体的な思い出として登場しています。本人によると、地元は沖縄本島南部。家族で北部の名護市まで出かけたり、古宇利島を訪れたりしたこともありました。
沖縄に帰ると、何にもしなくていい。
出典:上原多香子オフィシャルブログ「恋しくて」(公開日記載なし)
海を見たり、空を眺めたり、近所を散歩したり、目的を決めず車を走らせたりする。大人になってからも、沖縄は観光のために出かける場所というより、力を抜いて戻れる場所として本人の中に残っていました。
子どものころは回転寿司でも「ざるそば」
幼少期の上原については、芸能活動とはまったく関係のない小さな昔話も本人が残しています。
沖縄で「そば」といえば沖縄そばが身近ですが、上原が子どものころ外食先でよく注文していたのは、ざるそばでした。
子供の頃は、回転寿司に行っても、ファミリーレストランに行っても、ざるそばばかり注文するような子でした!
出典:上原多香子オフィシャルブログ「そば打ちレポ」(公開日記載なし)
回転寿司へ行っても、ファミリーレストランへ行ってもざるそば。履歴書のようなプロフィールからは出てこない、少女時代の日常です。
上京後には江戸前そばのおいしさにも感動し、大人になってから自分でそば打ちまで体験しています。幼いころの好物は、その後も変わらず続いていました。
SPEEDとして知られる前には、家族と出かけ、外食ではざるそばを選ぶ普通の少女の日常がありました。
上原多香子の家族構成は?父親・母親・姉・兄との関係
上原多香子の公式ブログには、父親、母親、姉、兄が登場します。中でも沖縄へ帰省したときの記事には、家族が集まる家の様子や、亡くなった父親を囲む家族の記憶が残されています。
父親が願っていた「家族が集まる場所」
久しぶりに沖縄へ帰省したある朝、上原は仏壇へ線香をあげ、父親や先祖へさまざまな報告をしていました。
そのとき使ったのは、沖縄の「ヒラコー」と呼ばれる平たい形の線香。3本に分けた線香が、花が開くように広がったといいます。
それを見た母親は、自分が幼いころ祖母から聞いた話を思い出しました。線香が花のように開くと、ご先祖様が喜んでいるのだという話です。
父親が昔から口にしていた願いも、この記事に書かれています。きょうだいが仲良くし、家族が増え、みんなが集まってにぎやかに過ごすことでした。
姉が結婚し、子どもが生まれ、兄も結婚して長男が誕生。母親は仏壇の父親へ、その後の家族の様子を静かに報告していました。
私はたくさんの家族に守られているのだなぁ。
出典:上原多香子オフィシャルブログ「家族」(公開日記載なし)
母親が運転し、父親がカメラを構えた休日
家族の思い出は仏壇の前だけではありません。上原は、父親がよく通っていた名護市のすし店へ家族で出かけたことや、古宇利島の橋を歩いた日のことも振り返っています。
車を運転していたのは母親。助手席には父親が座り、カメラを構えていました。
そのカメラの先を歩いていたのが、上原を含むきょうだい3人です。愛犬のシモンも一緒でした。
「父・母・姉・兄・本人」という一覧だけでは伝わらない、上原家の休日の景色が残っています。
大人になって沖縄へ帰ったときには、帰り際に母親からゴーヤーを持たされたこともありました。上原はその日のブログに、持ち帰ったゴーヤーでちゃんぷるーを作ろうと書いています。
上原多香子の学歴は?小学校・中学校・高校と学生時代
上原多香子が通った小学校・中学校・高校については、本人や所属事務所、SPEED公式プロフィールでは具体的な学校名が掲載されていません。
一方、10代前半にはすでに沖縄アクターズスクールでレッスンを受け、1995年にはテレビ出演が本格化しています。学校生活だけを切り離すより、学生だった時期に芸能活動がどう重なっていったのかを見るほうが、当時の姿をつかみやすくなります。
小学生時代から沖縄アクターズスクールへ
上原のデビュー前を追ううえで大きな場所になるのが、沖縄アクターズスクールです。
後にSPEEDのメンバーとなる今井絵理子らと同じ環境でレッスンを重ね、歌やダンスを学びました。
まだ「SPEED」というグループも存在せず、「Body & Soul」というデビュー曲もないころです。全国のテレビで知られる前から、沖縄ではレッスンの日々が始まっていました。
12歳でテレビ出演が本格化
上原の学生生活と芸能活動が一気に重なっていくのは1995年です。
SPEED公式サイトによると、1995年10月、日本テレビ系「THE夜もヒッパレ!」で本格的に活動をスタートしました。
1983年1月生まれの上原は、このとき12歳。まだ中学生になったばかりの時期です。
しかも、この段階では「SPEED」というグループ名も正式には決まっていませんでした。CDデビューもまだ先です。
沖縄で学校へ通い、アクターズスクールでレッスンを受けていた少女の生活へ、東京でのテレビ出演が入り込んできました。
沖縄アクターズスクールからSPEEDの4人がそろうまで
現在では、島袋寛子、今井絵理子、上原多香子、新垣仁絵の4人を見れば、そのままSPEEDを思い浮かべます。
ところが、最初からこの4人でデビューすることが決まっていたわけではありません。
島袋寛子は2021年の音楽ナタリーで、SPEEDが形になる前のことを詳しく振り返っています。
もともとは今井絵理子を中心にデビューへ向けた動きがあり、そこへ上原多香子と新垣仁絵が加わりました。さらに別のメンバーが入る予定もあったものの変更となり、島袋が加わって4人になったといいます。
今ではほかの組み合わせを想像しにくい4人ですが、その形ができるまでにはこうした経緯がありました。
「THE夜もヒッパレ!」出演時点ではCDデビュー未定
4人で「THE夜もヒッパレ!」へ出演した時点でも、その先のCDデビューまで保証されていたわけではありません。
島袋によると、まずはテレビへ出演することになり、パフォーマンスがよくなければ沖縄へ戻る可能性もある状況でした。
ところが、出演を重ねる中でレコード会社の担当者が4人を見る機会が生まれます。島袋は、番組へ出演して2、3回目ほどのころにデビューが決まったと振り返っています。
上原はまだ12歳。全国放送のテレビへ出るようになった時点でも、自分たちが翌年にCDを出すグループになるとは決まっていませんでした。
1996年1月13日、「SPEED」という名前が生まれる
グループ名も、沖縄アクターズスクール時代から「SPEED」だったわけではありません。
SPEED公式サイトでは、「THE夜もヒッパレ!」の番組内でグループ名を公募したことが記録されています。
さらに25周年記念作品の公式ページでは、1996年1月13日に「SPEEDは命名され誕生しました」と明記されています。
沖縄でそれぞれレッスンを受けていた少女たちが4人になり、テレビに出演し、そこで全国へ出ていくための名前を持ったのです。
現在のSPEED公式情報や30周年関連の発表は、SPEED公式Xでも確認できます。
13歳で「Body & Soul」デビューへ!レコーディングを重ねた日々
テレビ出演をきっかけにCDデビューが決まると、4人を待っていたのがデビュー曲「Body & Soul」の制作でした。
プロデュースを担当した伊秩弘将は、依頼を受けたあと4人のレッスン映像や「THE夜もヒッパレ!」の映像を見ています。
島袋寛子との対談では、若い4人から感じた強いエネルギーや、デビュー曲を作り上げていった当時の様子を語っています。
「Body & Soul」は、テレビ出演が決まった勢いのまますぐ発売されたわけではありません。レコーディングにも時間をかけ、4人のスタートになる一曲が作られていきました。
上原自身は25周年を迎えた2021年、SPEEDのデビュー前後を振り返る話を聞き、当時の記憶についてXで意外な言葉を残しています。
当時のことは実は全く記憶にないです
出典:日刊スポーツ「上原多香子SPEED秘話『キラキラ蘇っています』」(2021年1月5日)
12歳でテレビ出演が本格化し、13歳になると全国デビューへ向けた準備が進んでいく。本人の記憶が薄くなるほど、多くの出来事が短期間に重なっていた時期でもありました。
1996年8月5日「Body & Soul」でSPEEDデビュー
1996年8月5日、SPEEDは1stシングル「Body & Soul」でCDデビューしました。
上原多香子は13歳。前年10月に「THE夜もヒッパレ!」で本格的な活動を始めてから、まだ1年もたっていません。
1995年秋にはまだテレビ出演から先が決まっていなかった4人が、1996年1月には「SPEED」という名前を持ち、同年8月には全国へデビュー曲を送り出しました。
当時の4人の姿は、SPEED公式YouTubeで公開されている「Body & Soul」のミュージックビデオでも見ることができます。
映像を見ると、すでに一つのグループとして完成しているように見えます。しかし、その手前には沖縄でのレッスン、メンバーがそろうまでの過程、テレビ出演、グループ名の公募、デビューへ向けた準備がありました。
2026年8月5日には「Body & Soul (Remastered 2026)」も配信されました。SPEED公式YouTubeのミュージックビデオにも30周年のリリース情報が追記されています。
少女時代の沖縄が再び活動の場所に
上原多香子にとって沖縄は、生まれ故郷というだけではありません。
家族との記憶があり、沖縄アクターズスクールへ通い、後にSPEEDとなる仲間たちと歌やダンスを学んだ場所でもあります。
2022年10月には、沖縄アクターズスクールのイベントに島袋寛子、今井絵理子とともに出演。「Body & Soul」を再び披露しました。
日刊スポーツは、上原がその日を「私の、私たちの原点」と振り返ったことも報じています。
その直後、上原は翌2023年1月から活動拠点を沖縄へ戻すことを発表しました。
でも、終わりではなく、始まったのです!
出典:ORICON NEWS「上原多香子、来年1月から沖縄を拠点に活動」(2022年10月4日)
沖縄で生まれ、幼少期には千葉で暮らし、再び沖縄へ戻った上原多香子。家族との日常のそばで沖縄アクターズスクールへ通い、12歳で全国放送のテレビへ出演するようになりました。
その時点ではCDデビューも決まっていません。番組出演を重ねる中で4人のデビューが決まり、1996年1月13日に「SPEED」という名前が生まれます。
そして1996年8月5日、13歳の上原は「Body & Soul」でSPEEDとしてCDデビューしました。
テレビに映るSPEEDの姿より前には、沖縄と千葉で過ごした幼少期、父や母、姉、兄との時間、ざるそばが好きだった少女の日常、そして沖縄で歌とダンスを学んだ日々がありました。
































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