≒JOYの大信田美月は、ライブでのパフォーマンスに加え、SASUKE関連企画やランニングでも身体能力を見せてきたメンバーです。その運動歴をさかのぼると、アイドルになるずっと前の新体操と陸上に行き着きます。
一方、芸能活動を幼いころから続けていたわけではありません。中学生のころ、人間関係に悩んだときにアイドルのMVや歌詞から元気をもらい、自分も誰かへ元気を届ける側になりたいと思うようになりました。
「第3のグループ」オーディションを知った日は、応募受付の締切日。大信田美月は両親にも知らせないまま、その日のうちに挑戦を決めました。
幼稚園卒園ごろから続けた新体操、中学の陸上、高校のチアリーディング、家族との時間、そして欅坂46や=LOVEとの出会い。そこから≒JOYの初ステージに立つまでを、本人が残してきた言葉と具体的な出来事でたどります。
大信田美月は大阪府出身!新体操に打ち込んだ少女時代
大信田美月の公式プロフィールで公表されている出身地は大阪府です。出生地そのものは明らかにされていないため、「大阪府出身」という情報から出生地まで決めることはできません。
少女時代を振り返る本人の話で、まず長い時間を占めているのが新体操です。ダンス経験について聞かれたインタビューでは、幼稚園を卒園するころから中学校を卒業するころまで、新体操を続けていたと話しています。
幼稚園卒園ごろから中学卒業ごろまで。新体操は約9年にわたって続いた、大信田美月の少女時代を代表する習い事でした。
私はダンスではなく、幼稚園卒園から中学を卒業するくらいまで、新体操をやっていました。
出典:SGS109「【詳細】≒JOY(ニアリーイコールジョイ) 大信田美月、藤沢莉子、山田杏佳 インタビュー」(2022年8月5日)
≒JOY加入前に本格的なダンスを習っていたわけではありませんが、本人は振り覚えについて「早くできる方」と話しています。一方、表現力などはこれから伸ばしたい課題として挙げていました。
中学では陸上部!タイヤを押して坂を登った夏
中学校では陸上部に所属しました。SASUKE公式が大信田を紹介した際にも、「中学まで新体操」「中学陸上部」「高校チアリーディング部」という運動歴が紹介されています。
陸上部時代の練習には、後年になって思い出すほど具体的な場面があります。2026年、東京マラソンへ向けて坂道ダッシュをしていた大信田は、中学の陸上部で夏にタイヤを押しながら坂を登っていた練習を思い出していました。
別のインタビューでは、昔の陸上で脚を痛めることが多かったため、アイドルになってからは体のメンテナンスを意識しているとも話しています。現在の俊足ぶりより前に、中学生として競技に向き合った時間がありました。
2026年3月1日には東京マラソン2026を完走。長距離走は苦手分野だったと明かしながら、42.195kmを走り切った直後の思いを本人公式Instagramにつづっています。
走ることは、中学時代だけの思い出では終わりませんでした。アイドルになった後も、陸上経験を生かす仕事や企画へ参加する機会が生まれています。
UX新潟テレビ21の企画では、大信田が部員不足に悩む陸上クラブを訪れました。中学時代に競技として走っていた経験が、年月を経てアイドルとしての仕事にも登場しています。
人間関係に悩んだ中学時代、アイドルの歌に元気をもらう
中学生のころは、運動だけに打ち込んでいたわけではありません。人間関係に悩んだときや、自分の意見を言いたくてもうまく言葉が出てこないときがあったと、≒JOYのお披露目時に明かしています。
そんなときに見ていたのが、アイドルのMVや歌詞でした。画面の向こうから元気を受け取った経験が、自分も同じ側に立ちたいという気持ちへ変わっていきます。
私も元気を与えられるようなアイドルになりたいと思いました。
出典:ORICON NEWS「指原莉乃プロデュースの新グループ『≒JOY』 アイドル目指したきっかけは『小学生の頃HKT48さんを見て』」(2022年3月29日)
その会見で憧れのアイドルとして名前を挙げたのは、=LOVEの野口衣織です。歌もダンスもできる存在として見ていた先輩は、大信田がまだステージへ立つ前に思い描いていたアイドル像の一人でした。
中学時代から好きだった食べ物として、プリンの話も残っています。コンビニで何種類も買って食べたり、神戸まで塩プリンを買いに行ったりするほど好きだったと本人が話しています。
大信田美月の家族構成は?父親・母親との関係
大信田美月が家族について具体的に語る場面では、父親と母親が登場します。兄弟姉妹の有無や家族全体の人数については、本人・公式から明らかにされていません。
子どものころの家族との一場面として本人が話しているのが、家族旅行で泊まった旅館の食事です。小さいころは懐石料理に出てくる小鉢を両親へ渡していましたが、成長すると自分でいろいろなおかずを楽しめるようになったと振り返っています。
大人になったと感じる瞬間を聞かれたとき、本人の記憶に浮かんだのがこの食卓でした。「家族と旅行に行くのが好き」と話したうえで、幼いころの食事風景を思い出しています。
2025年には、仕事で大阪にある「ラーメンJET」を訪れたことを本人公式Instagramに投稿しました。大阪府出身の大信田にとって、地元に関わる仕事の一つです。
東京で活動するようになってからは、離れて暮らす家族や地元の友人へ、自分が元気に頑張っていることを伝えたいとも話しています。
アイドルへの挑戦を始めるとき、大信田は父親にも母親にも応募を知らせませんでした。家族との関係が大きく動くのは、オーディションの合格が決まってからです。
大信田美月の学歴は?中学校・高校・大学と学生時代
大信田美月の学校生活については、具体的な校名よりも、本人が当時何をしていたかという情報が残っています。中学時代は陸上、高校時代はチアリーディングに取り組み、勉強では数字や会計学にまつわる分野を好んでいました。
中学では陸上、高校ではチアリーディング
中学時代の陸上部については本人自身が後年振り返っており、SASUKE公式も競技歴として紹介しています。新体操は中学卒業ごろまで続けていたため、中学時代には新体操と陸上の両方に取り組んでいました。
高校ではチアリーディング部に所属していたことがSASUKE公式から紹介されています。中学校と高校の具体的な校名は公表されていません。
数字が好き!会計学にまつわる勉強を好んだ学生時代
学校での大信田には、運動とは別の一面もありました。好きだった教科を尋ねられたときに挙げたのは、数字と会計学にまつわる勉強です。
好きだった教科は、数字が大好きで、会計学にまつわる勉強が好きでした。
出典:SGS109「【詳細】≒JOY(ニアリーイコールジョイ)4th ソング『スイートシックスティーン』大信田美月、小澤愛実、山田杏佳、山野愛月 インタビュー」(2023年3月7日)
同じインタビューでは、校舎内で好きだった場所についても記憶をたどっています。天井に星座が描かれ、夜になると光る部屋があり、そこで先生から空に輝く星座について教わっていたそうです。
数字を扱う勉強が好きだったことに加え、先生から星座の話を聞いた部屋の記憶まで残っています。部活動だけでは見えない学生時代の場面です。
本人が公表しているのは、数字が好きで会計学にまつわる勉強を好んでいたことです。特定の高校名や簿記資格の取得については本人・公式の公表がありません。
高校名や大学進学について分かっていること
高校について分かっているのは、チアリーディング部で活動していたことまでです。ネット上で特定の学校名が挙げられることがありますが、本人や所属先から校名は公表されていません。
大学についても、進学先や大学名は公表されていません。2022年に17歳で≒JOYのメンバーとして活動を始めていますが、その後に大学へ進学したかどうかを示す本人・公式の発表はありません。
学生時代について確かに残っているのは、中学の陸上、高校のチアリーディング、数字や会計学にまつわる勉強が好きだったことです。学校名を推測して埋めるより、本人が語った活動や記憶から当時の姿を追うことができます。
欅坂46「不協和音」がアイドルを目指すきっかけ
中学生のころ、アイドルのMVや歌詞に元気をもらっていた大信田美月。その気持ちを「自分もアイドルになりたい」という目標へ動かした曲として、本人は欅坂46の「不協和音」を挙げています。
私は欅坂46さんの「不協和音」を聴いてアイドルになりたいと思いました。
出典:vois(旧MusicVoice)「ニアジョイ『唯一無二のグループにしたい』新進気鋭のアイドルが目指す未来」(2022年8月17日)
お披露目会では「アイドルのMVや歌詞から元気をもらった」と話し、別のインタビューでは、その入口となった曲名まで明かしました。憧れるだけだったアイドルという存在を、自分の進路として考えるようになります。
=LOVEを知ったのは「手遅れcaution」
欅坂46から女性アイドルへ興味を持ったあと、=LOVEを知るきっかけになったのが「手遅れcaution」でした。本人は、オーディション応募後には大谷映美里がセンターを務める「Poison Girl」にもハマり、よく聴いていたと話しています。
=LOVEは、のちに大信田が加入する≒JOYの先輩グループです。ただ、このころの大信田はまだ楽曲を聴く側。自分が指原莉乃プロデュースのグループへ入ることは決まっていませんでした。
応募締切日に知った「第3のグループ」オーディション
転機は突然やってきました。指原莉乃プロデュース「第3のグループ」オーディションの存在を知ったその日が、応募受付の締切日だったのです。
本人は当時「刺激を求めていた」と振り返っています。応募に向けて何週間も準備する時間はなく、その日のうちに「受けるしかない」と決めてエントリーしました。
しかも、両親には知らせませんでした。父親や母親に勧められて応募したのではなく、自分で見つけた募集に、自分の判断で飛び込んでいます。
大信田美月のオーディション秘話!SHOWROOMではたこ焼き姿
オーディションが進んでも、大信田美月は両親へ応募したことを明かしませんでした。書類だけで終わらず、審査が進み、合格が決まるところまで秘密のまま挑戦を続けています。
合格が決まるまでは一切親に言わずに審査に臨んできました。
出典:UtaTen「≒JOY、アイドルとして活動することで変わった心境、これからのグループの成長について語る。」(2022年8月25日)
SHOWROOMで選んだのは、たこ焼きの被り物
SHOWROOM配信審査では、画面越しでも自分を覚えてもらう方法を考えました。「どうにか爪痕を残さないと」と思い、大阪らしいたこ焼きの被り物をかぶって配信します。
この姿は実際に先輩の記憶へ残りました。合格後、「イコノイジョイ2022」のリハーサルで=LOVEの大場花菜と瀧脇笙古にあいさつした際、「たこ焼きをかぶっていた子」と覚えられていたと本人が話しています。
さらに、=LOVEのメンバーの間で話題になっていたことまで知らされました。配信画面の中で爪痕を残そうと選んだ被り物が、合格後の思わぬ会話へつながっています。
待機室で隣だった藤沢莉子
オーディションの待機室では、のちに同じ≒JOYメンバーになる藤沢莉子の隣に座っていました。大信田から見ると、藤沢は余裕そうに座っているように見え、「こういう子が受かるんだ」と思っていたそうです。
インタビューでこの話を初めて聞いた藤沢本人は、その場で驚いていました。審査を待つ時点では互いに未来のメンバーだとは知らず、後から同じグループで振り返る思い出になりました。
=LOVEの髙松瞳が好きだった友人にも、応募は知らせていませんでした。お披露目後、その友人から大信田が新グループにいることへの驚きを伝えるLINEが届いたと話しています。
2022年1月30日の最終審査、合格後に父親が猛反対
「第3のグループ」オーディションの最終審査は2022年1月30日に行われました。大信田は最終審査を経て合格し、そこで初めて両親へ「合格した」と報告します。
報告したとき、両親は喜んでくれました。ところが実際に所属する段階になると、父親は猛反対。合格したからそのまま何事もなくアイドル活動が始まったわけではありません。
大信田は父親を説得し、≒JOYのメンバーになる道を選びました。締切日に一人で応募を決めた挑戦は、合格後には家族と向き合い、自分の進路として選び直す段階へ進みます。
≒JOY加入から初ステージへ
2022年3月29日、オーディションを通過したメンバーがお披露目され、グループ名「≒JOY」も発表されました。大信田美月は17歳。ここで多くの人の前に「≒JOYの大信田美月」として姿を見せます。
ただ、お披露目の日からすぐにメンバーの輪へ入れたわけではありませんでした。ほぼ初対面のメンバーを前に突然人見知りが出て、自分から話しかけられず、早く輪へ溶け込まなければと焦っていたと本人は振り返っています。
オーディションの待機室では藤沢莉子を見ながら「こういう子が受かるんだ」と思っていた大信田が、今度はその藤沢と同じグループでレッスンや活動を重ねる側になりました。
大阪から東京へ、最初は「未知の世界」だった
活動が始まると、移動する場所も変わりました。大阪府出身の大信田にとって、仕事で通う東京は慣れた街ではありません。駅の矢印に沿って進んでいたはずなのに途中で分からなくなり、帰りまで緊張が続くこともあったそうです。
私は大阪府出身なので、東京は未知の世界でした。
出典:TV LIFE web「≒JOYインタビュー “今推したいエンタメ”は?天野香乃愛『あまり知られていないものから好みの作品を発掘するのも好き』」(2023年8月18日)
「大空、ビュンと」の歌詞を初めて読んだときには、オーディション前後の自分の気持ちや、結果を報告したときの家族の表情を一気に思い出したとも話しています。
地元を離れて活動する中で思い浮かべたのは、離れて暮らす家族や地元の友人でした。「私は元気に頑張っているよ、安心してね」と伝えられる楽曲だと、大信田自身が語っています。
加入初期には、表情のバリエーションが少ないことも課題としていました。先輩たちの映像を見ながら、いろいろな表情を出せるよう練習していたと話しています。
2026年には本人公式Instagramにも「表情研究中」と題した動画を投稿しました。加入当初から向き合っていた「表情」は、活動を重ねた後も自分で研究するテーマの一つです。
2022年7月3日「イコノイジョイ2022」で初ステージ
≒JOYとしての初ステージは、2022年7月3日に富士急ハイランド・コニファーフォレストで行われた「イコノイジョイ2022」でした。=LOVE、≠MEと同じイベントに出演し、ファーストソング「≒JOY」も同日に配信されています。
この会場には、大信田の両親も来ていました。所属に猛反対していた父親をどう納得させるかという心配は、メンバーと打ち解けるようになってからも本人の中に残っていました。
ライブが終わると父親からメールが届き、ステージを「格好良かった」と認め、これから頑張るよう背中を押す言葉が送られました。大信田は、そのとき初めて父親に認めてもらえたと振り返っています。
応募したことさえ知らせなかった父親と母親が、数か月後には客席から初ステージを見ていました。締切日に一人で始めたオーディションは、家族が実際のステージを見届けるところまで進みます。
2022年7月3日は、オーディションを受けていた少女が、≒JOYのメンバーとして観客の前に立った日になりました。中学生のころ、自分がアイドルのMVや歌詞から受け取っていた元気を、今度はステージから届ける側になります。
その後、≒JOYは楽曲配信やライブを重ね、2024年1月17日にデビュー・ミニアルバム「きっと、絶対、絶対」を発売しました。CDでのメジャーデビューは2024年ですが、大信田が≒JOYとして活動を始め、初ステージに立ったのは2022年です。
2026年3月の≒JOY結成4周年には、大信田自身が4年前の写真と現在を見比べながら、メンバーと活動できる日々やファンへの思いをInstagramにつづっています。
幼稚園卒園ごろから続けた新体操、中学の陸上、高校のチアリーディングを経て、17歳で見つけた締切日のオーディション。2022年7月3日、大信田美月は両親が見守る会場で、≒JOYとして最初のステージに立ちました。
































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