ももいろクローバーZで、ひときわ小柄な体から大きな歌声とダンスを届けていた有安杏果さん。グループに加わったのは2009年ですが、それよりずっと前から、ステージやカメラのある場所は身近なものでした。
芸能活動を始めたのは0歳。子供タレントとしてCMやドラマ、ミュージックビデオなどに出演し、小学生になるとダンスにも深くのめり込んでいきます。ももクロ加入時には、すでに長い芸能活動とダンサーとしての経験がありました。
有安杏果さんの原点は、ももクロ加入よりずっと前、0歳から始まった芸能活動と、幼いころから続けたダンスにあります。
子役として過ごした日々、電車で通ったダンススクール、家族に支えられながら続けた学校生活、そしてPower Ageを経て、ももいろクローバーへ。その道のりを、本人が後年語った昔話とともにたどります。
有安杏果の生い立ち!0歳から芸能活動を始めた少女時代
有安杏果さんは1995年3月15日生まれ。公式サイトの写真家プロフィールには、0歳から芸能活動を始め、CMやドラマ、ミュージックビデオなどに数多く出演してきたと記されています。
埼玉県富士見市出身として知られていますが、芸能の仕事は物心がつく前から始まっていました。歌手やアイドルを目指して突然オーディションを受けた少女というより、子供タレントとして過ごす時間が日常の一部になっていた人物です。
0歳で赤ちゃんモデル・子役として芸能活動を開始
幼いころの有安さんは、赤ちゃんモデルを入り口に芸能活動を続けました。成長してからも子役として撮影現場に立ち、学校へ通いながらテレビ番組や映像作品の仕事を経験しています。
小学生時代には『ポンキッキーズ』にレギュラー出演していた時期もありました。本人は2025年のnoteで、番組の企画としてビヨンセの「Crazy In Love」のミュージックビデオを再現し、その映像を来日したDestiny’s Childに見てもらったことまで振り返っています。
まだ小学生の時期に、海外のスターの楽曲を踊り、本人たちに映像を見てもらう。後に歌って踊る仕事へ進む有安さんにとって、子役時代にはすでに音楽とダンスが近いところにありました。
3歳でバレエ、小学生でジャズダンスへ
ダンスを始めたのは3歳です。最初は幼稚園にあったバレエ教室。小学校1年生から4年間は地元のジャズダンススクールに通い、同じ時期にはエアロビクスもしていました。
私が小さい頃やっていた習い事というと、ほぼダンスオンリーでした。
出典:有安杏果 note「ツキトオク #6『ダンス』」(2025年5月12日)
バレエだけ、ジャズだけと一つの型に留まらず、体を動かす時間が生活の大きな部分を占めていきました。小学生になると、踊る場所も地元の教室からさらに広がっていきます。
一方で、歌への憧れも早くからありました。後年のインタビューでは、七夕の短冊に書くような昔からの夢として、次の言葉を挙げています。
歌手としてCDデビューしたい
出典:CINRA「有安杏果に取材。ももクロとは異なる、ソロで見せる大人びた一面」(2017年10月12日)
小学5年生から一人で電車に乗ってEXPGへ
小学5年生になると、有安さんは一人で電車に乗り、EXILEのダンススクール「EXPG」へ通い始めました。
それまで経験してきたバレエやジャズとは空気が変わります。R&Bの楽曲で踊り、ヒップホップやロックダンスを学び、フリースタイルのダンスバトルにも挑戦。最初はレッスンについていくのが難しかったと本人は振り返っています。
週1回のレッスンだけでは足りず、別のダンススタジオにも短期集中でほぼ毎日通いました。ハウス、ポップ、レゲエ、パンキング、タップ、ブレイキングまで一通り経験し、レッスンの合間には鏡を見ながらムーンウォークやパントマイムも練習していたそうです。
厳しい練習の帰り道には小さな楽しみもありました。有安さんがタピオカに出会ったのもこのころで、ダンスレッスンの帰りに店へ寄るのを楽しみにしていたと書いています。練習場所の近くや当時歩いた坂道を通ると、今でも昔の記憶がよみがえるそうです。
EXILEのキッズダンサーとして全国のアリーナへ
ダンスの経験は、レッスン室の中だけでは終わりませんでした。小学4年生のころにはEXILEのアリーナツアーをメインキッズダンサーとして回り、ソロパートを任されるほどの位置に立っています。
本人が2017年のインタビューで振り返ったところでは、全国のアリーナを回り、横浜アリーナのツアーファイナルではDVD撮影も予定されていました。そこで味わった悔しい経験は、後に自分がソロ歌手として横浜アリーナへ立つときまで記憶に残ることになります。
EXILEのバックダンサーを経験したことは、単に「昔ダンスをしていた」という一行では収まりません。大きな会場のステージ、プロの現場、与えられる立ち位置、そして思い通りにならない経験まで、小学生のころから実際の現場で知っていました。
後年の公式映像には、有安さんが自身のライブで「Choo Choo TRAIN」を歌う場面も収められています。幼いころに関わったEXILEの楽曲と、その後に自分自身が歌手として立ったステージがつながる一曲です。
有安杏果の家族構成は?父親・母親との3人家族
有安さんは一人っ子として育ちました。幼いころから芸能活動を続けていたため、家では父親と母親が仕事や学校生活を支える存在でもありました。
一人っ子として父親・母親の目が集まる家庭で育った
本人は一人っ子であることについて、父親と母親の目が自分一人に向くため、ときどき窮屈に感じることもあったと話しています。一人で過ごすことは好きでも、寂しく感じることもある。そんな感覚を後年、言葉にしています。
一人は好きなんですけど、でも寂しい時ももちろんあって。
出典:CINRA「有安杏果に取材。ももクロとは異なる、ソロで見せる大人びた一面」(2017年10月12日)
家族について公表されている情報は多くありません。父親と母親は一般人で、氏名や職業などを裏付けられる公的な情報はありません。そのため、家族の話は本人が明かしている日常の範囲で見るのが自然です。
撮影で学校を休む日は通信教材で勉強した
家族との関わりが具体的に見えるのが、小学生時代の家庭学習です。ドラマや番組の撮影が重なると、学校を数日休まなければならないこともあり、勉強の遅れを補うために通信教材を使っていました。
教材は撮影の待ち時間や通学のすきま時間にも進めていたそうです。最初に両親が難しめのレベルを申し込み、当時の有安さんには難しすぎて苦労した、という昔話も残っています。
家庭学習は小学生時代からコツコツとやっていました。
出典:Popyful「子どもの学習を支えるヒント 有安杏果さんの“続ける力”(インタビュー前編)」(2025年12月15日)
有安杏果の学歴は?小学校・中学校・高校から日本大学まで
小学校・中学校・高校の具体的な学校名については、本人や公式プロフィールなど信頼できる公表情報で明らかになっていません。大学は日本大学芸術学部写真学科を卒業したことが公式プロフィールで確認できます。
小学校・中学校・高校の正式校名は公表されていません。
小学生時代は芸能活動と学校・家庭学習を並行
小学生の有安さんには、学校、撮影、ダンスレッスンという複数の予定がありました。学校を休むほど撮影が続く日がある一方、放課後や休日にはダンススクールへ通い、さらに通信教材も進めています。
小学校高学年になると、一人で電車に乗ってEXPGへ向かうようになりました。保護者に毎回連れて行ってもらうのではなく、自分で移動してレッスンへ通っていたことも、当時の生活をイメージしやすい具体的な場面です。
中学・高校時代も芸能や音楽との接点が続いた
中学以降も芸能活動とのつながりは続きます。子役・キッズダンサーとして積み重ねた経験がありながら、歌う仕事への思いも残っていました。高校へ進むころには、芸能の仕事とは別に写真への興味も深まっていきます。
本人は中高生のころの気持ちをノートに書き留めていたことも明かしています。後に曲作りを始めた際、そのノートから言葉を拾って歌詞に使うこともありました。学生時代の記録が、その後の音楽制作へ残っていた形です。
高校時代に中古の一眼レフを購入
写真への関心がはっきりしたのは高校時代です。当時はブログ用の写真を撮る機会が多く、仕事では自分がカメラマンに撮影される側でもありました。メイキング用のカメラを少し貸してもらった経験から、撮る側にも興味が向いていきます。
もう少し良い写真を撮りたいな
出典:ORICON NEWS「有安杏果が語る音楽活動開始、ソロライブ、写真家としての思い」(2019年6月29日)
そう思って中古の一眼レフを購入しました。撮影する面白さを知ったことで、大学でも写真をきちんと学びたいという進路につながります。アイドル活動とは別の軸で、写真が学生生活の中に入ってきました。
日本大学芸術学部写真学科へ進学
有安さんは日本大学芸術学部写真学科へ進学し、4年間学びました。2017年3月に卒業し、芸術学部長特別表彰と写真学科奨励賞を受賞しています。
大学進学は、ももいろクローバー加入後の出来事です。それでも、高校時代に一眼レフを手にしたことから写真学科へ進むまでの流れは、学歴を考えるうえで欠かせません。音楽やダンスとは異なる表現手段を、学校で専門的に学んでいました。
写真展や写真集へとつながるのはさらに後のことですが、進路の入口は高校生のころにありました。撮られる仕事をしていた少女が、自分でカメラを持ち、撮る側を学びたいと考えたことが大学選択につながっています。
有安杏果は子役・キッズダンサーからどうアイドルになった?
子役とダンサーとして長く芸能活動をしてきた有安さんですが、2009年に大きく進路が変わります。ももいろクローバーへ加入する直前には、同じスターダストプロモーションのダンスボーカルグループ「Power Age」で活動していました。
音楽ナタリーのプロフィールでも、子供タレントやキッズダンサーとして活動したあと、Power Ageを経て2009年7月にももいろクローバーへ加入した流れが紹介されています。子役から突然ももクロへ移ったわけではなく、その間にグループ活動を経験していました。
Power Ageを経て次のグループへ
Power Ageは、有安さんにとって歌とダンスをグループで届ける経験の一つになりました。ただし活動は長く続かず、その後に次の機会が訪れます。そこで受けたのが、ももいろクローバーのオーディションでした。
幼いころから歌うことへの憧れはあり、ダンスも長く続けていました。子役の現場、EXPG、キッズダンサー、ダンスボーカルグループと続いてきた経験が、ようやく「アイドルになる」という一点に重なっていきます。
ももクロのオーディションで歌ったのは絢香「Jewelry day」
2026年の音楽ナタリーのインタビューで、有安さんは子供のころにBoAのような歌って踊れる人へ憧れ、同時に絢香のような歌手にもなりたいと考えていたことを話しています。オーディションでは、その絢香の曲を選んでいました。
そのときは「Jewelry day」という曲を歌いました。
出典:音楽ナタリー「有安杏果インタビュー ニューアルバム『雫ノ音』に至るソロアーティストとしての道のり」(2026年4月15日)
「Jewelry day」は、有安さんが後年のソロライブでも歌っている楽曲です。ももクロへ入るための審査で選んだ歌が、その後も本人の音楽人生に残りました。
2009年7月26日、ももいろクローバーへ加入
ももいろクローバーへの加入日は2009年7月26日です。ももいろクローバーZ公式のライブヒストリーにも、この日を「ももか加入」として記録しています。
加入はサプライズでした。有安さんはそれまで子役やダンサーとして人前に立ってきましたが、ここからは「ももいろクローバーのメンバー」としてステージに立つことになります。後年、結成15周年の日には自身の公式Xから祝福の言葉も届けています。
アイドルになる前だけでも、有安さんは撮影現場、ダンススクール、アリーナツアー、ダンスボーカルグループと、いくつもの場所で経験を重ねていました。
お披露目まで秘密にするため段ボールで秋葉原へ
加入時には、初期のももクロらしい少し変わったエピソードも残っています。公式ライブヒストリーによると、有安さんの登場をサプライズにするため、事務所で段ボールに入れられ、秋葉原まで運ばれたといいます。
初期スタッフの福田幹大さんも後年、石丸電気で有安さんを初披露する際、加入を事前に知られないよう段ボール箱に入れて台車で運んだと振り返っています。大がかりな加入発表というより、手作り感の濃い現場でした。
すでに全国のアリーナでバックダンサーを経験していた有安さんが、今度は段ボールに隠れて小さなイベント会場へ向かう。その振れ幅も、ももクロ加入時の状況をよく伝える場面です。
「行くぜっ!怪盗少女」でメジャーデビューへ
加入後、有安さんはももいろクローバーの一員として活動を重ねます。2010年3月にはメジャーデビューが発表され、同年5月に「行くぜっ!怪盗少女」でメジャーデビューしました。
「歌手としてCDデビューしたい」と願っていた少女は、2010年、ももいろクローバーのメンバーとしてその地点へたどり着きました。
今も歌手としてステージに立つ有安さん。その原点には、幼いころから積み重ねてきた撮影現場とダンスの日々があります。
































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