乃木坂46の1期生として長くグループの中心に立ち、卒業後は俳優やモデルとして活動を続ける白石麻衣。ステージや撮影の場で堂々と見える現在の姿は、多くの人が知るところです。
けれど、アイドルになる前の白石は、人前で目立つことを好む少女ではありませんでした。小学校の卒業文集に書いた夢は花屋さん。中学ではソフトボールに熱中し、高校では保育士を目指していました。
音楽系の専門学校に通っていた2011年、白石麻衣はアイドル志望ではないまま乃木坂46のオーディションへ向かいます。
群馬で過ごした少女時代から、母親と移った埼玉での高校生活、音楽を学んだ専門学校、そして19歳で迎えた1期生オーディションまで。白石麻衣がステージに立つ前の時間を、具体的な場面と本人の言葉でたどります。
白石麻衣は昔どんな子だった?群馬で過ごした幼少期
白石麻衣は群馬県出身です。「群馬県出身」と出生地は同じ意味ではなく、出生地の市町村は公表されていません。
本人が後年に語った子どものころの姿は、現在の華やかなイメージとは少し違います。自分から前へ出て人気者になりたいと考えるタイプではなく、将来も芸能界とは別の方向を思い描いていました。
「人気者になりたい!」という夢もなかったです
出典:with class「【白石麻衣インタビュー】もしも乃木坂46に入っていなかったら?」(2019年11月24日)
服の好みにも子どものころの記憶があります。幼いころはカラフルな色に囲まれることが好きで、とくにピンクを見ると「可愛い」と感じていました。ところが成長すると、今度は黒と白ばかりを選ぶ時期もあったといいます。
自分から「可愛い」を見せることは苦手で、人前に立ったり目立ったりする行動もしてこなかったと本人は振り返っています。背伸びをしたり、自分を作ったりすることも好まなかったそうです。
小学校の卒業文集に書いた夢は「花屋さん」
小学校の卒業文集には、将来の夢として「花屋さん」と書いていました。歌手やモデルではなく、花に囲まれて働く仕事を思い描いていた時期です。
音楽との距離が近くなるのは、もう少し後のことでした。中学生になると楽器にも触れ、本人は後年、トランペットをやっていた時期があるとも話しています。好きな音楽に長く関わりたいという気持ちは、やがて高校卒業後の進路へつながります。
小学生の白石麻衣にとって、芸能界より先にあった将来像は「花屋さん」でした。
友達と通った駄菓子屋と目立つのが苦手だった少女時代
学校が終わったあとの楽しみには、友達と通う駄菓子屋がありました。きなこ棒は当たりが出るまで友達と食べ、よっちゃんイカも好物。リングキャンディを指にはめ、自転車に乗りながら時々なめていたという記憶まで本人は残しています。
大人になってから公式YouTubeで駄菓子を前にすると、当時買っていたものや食べ方の記憶が次々に出てきました。友達と小銭を持って店へ向かった日常を、本人自身が細かく思い出しています。
リングキャンディを指につけたまま自転車に乗っていた話には、動画で一緒にいるマネージャーも驚いていました。白石は自分だけではなく、同じように遊んだ人がいたはずだと笑いながら当時を思い出しています。
2021年の誕生日には、自身の公式Instagramで幼少期の写真も公開しました。歯ブラシをくわえて片手を上げる一枚で、後年の仕事写真とは違う、家庭に残っていた子ども時代の姿を見ることができます。
白石麻衣の家族構成は?母親・父親・姉とのエピソード
白石が自身の家族について話すとき、少女時代の進路に大きく関わってくるのが母親と姉です。姉の存在は東京への憧れにつながり、母親とは中学卒業後に生活の場所を移しました。
姉については、本人が「ふたり姉妹の妹」と明かしています。年下のメンバーを支える側にいた乃木坂46時代とは違い、家庭では妹として育ちました。
姉のファッション雑誌から生まれた東京への憧れ
白石がまだ群馬で暮らしていたころ、家には姉が買っていたファッション雑誌がありました。誌面に写る東京の街、洋服店、ショッピングを楽しむ生活を見ながら、白石自身も東京への憧れを強くしていきます。
特に行ってみたかった場所として本人が挙げているのが原宿です。雑誌に載っていた洋服店やショッピングできる場所を見て、東京へ行ってみたいという気持ちを強くしていました。
母親と埼玉へ移った中学卒業後
中学校を卒業すると、白石は母親と一緒に埼玉へ移り、高校へ進みました。地元を離れることになった背景には中学時代の学校生活もあり、新しい土地で高校生活を始めることになります。
埼玉の高校では友人ができ、学校へ通う日々を送るようになりました。のちに進路が音楽へ向かう前には、子どもが好きだったことから保育士という具体的な職業を考えています。
母親との関係は大人になってからの生活にも残っています。卒業後のインタビューでは、自分で作る料理は母親から教わった味だと話し、得意料理として豚の角煮を挙げています。角煮にはマーマレードを隠し味として使うそうです。
父親の職業は公表されていません。一方、2023年には正月を実家で過ごした際、帰り際に父親から小遣いを渡されたことを公式YouTubeで話しています。白石はそのお金を使わず、とってあると明かしました。
白石麻衣の学歴は?中学校・高校・音楽専門学校まで
白石の学生時代は、ひとつの進路へ一直線に進んだものではありません。中学では運動部で試合に出て、高校では保育士を考え、卒業後になって音楽を専門的に学ぶ道へ進みました。
中学のソフトボール部で群馬県8強へ
中学時代の白石が熱中したのはソフトボールでした。きっかけは友人に誘われた体験入部。そこでキャッチボールをしてみると楽しく、そのまま正式に部へ入っています。
友達に誘われて体験入部したらキャッチボールが楽しくて、正式入部した
出典:スポニチ「白石麻衣『身が引き締まった』撮影初日から“セリフ総取っ換え”洗礼」(2016年9月26日)
50メートル走は7秒6。1年生では、その脚を買われて代走要員を務めました。2年生になると左打ちの2番打者、守備はセカンドに定着します。
練習では日焼けも気にせずボールを追い、チームはソフトボールの盛んな群馬県で8強に入りました。テレビや雑誌で知られる以前の白石には、ユニホーム姿で二塁を守っていた時期があります。
学校へ行けない時期と家まで迎えに来た友人
一方、中学生活には学校へ通えない時期もありました。白石は後年、周囲からの陰口をきっかけに、人との関わりに怖さを感じるようになったと振り返っています。
人って怖いなみたいな
出典:スポニチ「白石麻衣、不登校だった過去を告白…陰口がきっかけ『人って怖いな』」(2018年7月21日)
仲のよかった友人が「行こう」と家まで迎えに来てくれたこともありました。それでも玄関から学校へ向かう一歩を踏み出せなかった、と本人は話しています。
中学卒業は、生活の場所が変わる節目にもなりました。母親と埼玉へ移ったことで、同じ環境の中に戻るのではなく、新しい高校で次の三年間を始めます。
埼玉の高校では保育士を目指していた
高校では友人にも恵まれ、白石自身が「楽しかった」と振り返る学校生活になりました。当時、授業では保育を選択。子どもが好きだったため、将来は保育士になろうと考えていました。
高校3年生になると、卒業後の進路を具体的に決める時期が来ます。そこで音楽系の専門学校の説明を聞き、白石の関心は、それまで考えていた保育の仕事から音楽を学ぶ進路へ動きました。
高校卒業後は大学ではなく、音楽系の専門学校へ進みました。ここで初めて、音楽を将来の仕事につなげるための学びが本格的に始まります。
高校卒業後は音楽系の専門学校へ
専門学校では、本格的な歌のレッスンに加えて音楽理論も学びました。授業を受けるだけでなく、仲間と音楽ユニットを組み、実際に歌う活動にも取り組んでいます。
専門学校へ進んだ理由は、好きになった音楽にできるだけ長く触れていたいという気持ちでした。歌を学び、実際に仲間と声を合わせる時間を持つ中で、音楽を将来の仕事として考えるようになります。
乃木坂46へつながるきっかけが生まれたのも、この学校でした。担任の先生から、当時募集されていた乃木坂46の1期生オーディションを勧められます。
乃木坂46を卒業した後には、自身の公式Instagramで「卒業本」のオフショットに「#懐かしい」と添えた投稿も公開しています。
アイドル志望ではなかった白石麻衣が乃木坂46を受けたきっかけ
音楽を仕事に近づけるため専門学校へ進んだ白石に、2011年、想定していなかった選択肢が現れます。新しく結成される乃木坂46の1期生オーディションでした。
本人は当時、アイドルに特別な関心を持っていなかったと話しています。自分で探してきた芸能界への入口ではなく、学校で知らされた募集が最初の接点になりました。
専門学校の先生に勧められ友人4人で応募
後年の説明では、専門学校で音楽に興味を持ち、友人4人でオーディションを受けたといいます。白石に乃木坂46の募集を知らせ、応募を強く勧めたのは学校の先生でした。
白石麻衣がアイドルになる直接のきっかけは、音楽系専門学校の担任から乃木坂46のオーディションを勧められたことでした。
応募した時点では、合格後に乃木坂46を代表するメンバーになる未来はもちろん見えていません。まず目の前にあったのは、友人たちと参加したオーディションの審査でした。
Tシャツとショートパンツで「終わった」と思った2次審査
2次審査へ行くとき、白石はオーディションはラフな服装で受けるものだと思っていました。選んだのはTシャツにショートパンツという格好です。
会場に着くと、周囲にはピンク系のふわっとしたワンピースなど、白石が想像していたより華やかな服装の応募者がいました。その光景を見た瞬間、自分の服装との違いに気づきます。
私、終わった
出典:週プレNEWS「『アイドルに興味もなかった』白石麻衣が故郷を捨て、なぜ乃木坂46を目指したのか?」(2015年3月18日)
服装だけではありません。他の応募者がダンスなどの特技を準備している中、白石は特別な自己PRを用意しておらず、軽い自己紹介をして自分の番を終えようとしていました。
「50%の変顔」から最終審査へ
そこで審査員から「変顔はできますか」と求められます。白石が披露したのは、本人いわく全力ではなく「50%くらい」の変顔でした。
本人には手応えらしい手応えがありませんでした。それでも2次審査を通過し、最終審査へ進みます。服装を見て早々に落ちたと思い、自己PRにも自信がなかった応募者が、選考の最後まで残りました。
最終審査へ進めると知った白石は、自分では「50%」だった変顔の何が評価されたのか分からず、むしろ驚いていました。審査を勝ち抜いているという実感より、予想外のまま次へ呼ばれていく感覚のほうが強かったようです。
白石麻衣が乃木坂46の1期生になるまで
乃木坂46の1期生オーディションには3万8934人が応募し、最終的に33人が選ばれました。白石は最終審査まで残り、新しいグループのメンバーを決める合格発表を迎えます。
専門学校で音楽を学んでいた生活から、歌やダンスを覚えてファンの前に立つ生活へ移るかどうか。合格は、白石自身がその選択を考える場面にもなりました。
2011年8月21日、19歳でオーディション合格
合格が決まったのは2011年8月21日。白石は前日の8月20日に19歳の誕生日を迎えたばかりでした。この日から乃木坂46の1期生として活動を始めます。
合格後、親に相談してアイドルの道へ
合格したからといって、白石の気持ちがすぐに「アイドルをやろう」と固まったわけではありませんでした。もともと人前に出て目立つことが得意ではなかったため、実際に活動を始めるかどうかを家族へ相談しています。
あまり人前に立って目立つことが得意じゃないので、親にどうしようか相談したんです
出典:ENCOUNT「白石麻衣は『めっちゃ食べる』 焼肉での“大食い”を監督回想、本人は照れ『締めに冷麺を…』」(2025年1月17日)
その相談に対し、親から返ってきたのは「せっかくなんだから」という言葉でした。応募の直接原因は専門学校の先生でしたが、合格後に実際の活動へ踏み出す段階では家族の後押しがありました。
松村沙友理と初めて話したオーディション帰り
1期生として長く一緒に活動することになる松村沙友理とは、オーディション当日から接点がありました。帰りの駅で松村が知らない男性に声をかけられて困っていたところ、白石が気づきます。
白石はオーディション中から松村を「かわいい子だな」と覚えていました。自分自身も人見知りで、知らない相手へ声をかけるのには勇気が必要でしたが、その場では松村のところへ向かいます。
一緒に帰ろう!!
出典:小学館「白石麻衣×松村沙友理〝密着度高め〟の全26枚掲載。キス写真も!『CanCam 1月号』」(2018年11月22日)
松村も後年、駅で知らない人に絡まれていたところを白石に助けてもらったと語っています。まだ乃木坂46としての活動が始まる前、同期になる二人が初めてまとまった時間を過ごしたのは、審査を終えた帰り道でした。
加入後は、歌やダンスを覚えながら、これまで経験したことのない「人に見られる仕事」が日常になります。乃木坂46はデビュー前のお見立て会でまずファンの前に立ち、その後もイベントやステージを重ねていきました。
お見立て会から「ぐるぐるカーテン」デビューへ
乃木坂46は結成後、まだCDを出していない段階からお見立て会などでファンと対面しました。グループ公式の振り返りでは、最初は200人のファンへ挨拶し、よみうりランドなどでステージを経験していったことが記録されています。
人前で目立つことが得意ではないと感じていた白石も、1期生の一人として、その初期活動の中で歌い、踊り、ファンの前に立つ側へ移っていきました。専門学校で音楽を学んでいた時間は、短期間のうちにアイドルとしてのレッスンと実践へ変わります。
2012年2月22日、乃木坂46は1stシングル「ぐるぐるカーテン」でCDデビューしました。2011年8月のオーディション合格から約半年。白石にとっては、先生に勧められて足を運んだ審査から始まった道が、作品を届けるアイドル活動へ切り替わった日です。
初期の活動は、後年の公式資料でも振り返られています。白石麻衣STAFFの公式Xでは、ベストアルバム「Time flies」に合わせた2013年の振り返りCMを紹介し、白石の声が入っていることを伝えました。
デビュー前のお見立て会などでファンの前に立つ経験を重ね、半年ほど前まで専門学校生だった白石は、CDを届けるアイドルになりました。ここから乃木坂46での活動が本格化し、後に広く知られる「まいやん」の時間へ続いていきます。
































コメントを残す