ももいろクローバーZの黄色担当として、グループ結成当初からステージに立ち続けてきた玉井詩織さん。歌やダンスだけでなく、俳優、ギター、カメラなど活動の幅は広く、現在の姿だけを見ると、幼いころから芸能界やアイドルを目指していたようにも見えます。
ところが、本人が振り返る少女時代は少し違います。兄やその友人と外を走り回り、学校の休み時間にもドッジボールや一輪車、竹馬をしていた活発な子どもでした。
しかも、もともと「アイドルになりたい」と考えていたわけではなく、ももクロ加入の直前には芸能活動そのものが終わると思っていた時期もありました。
では、そんな玉井詩織さんは、どんな家庭で育ち、どんな学生時代を送り、どうしてももいろクローバーのメンバーになったのでしょうか。幼少期から初ステージ、CDデビューまでを順番にたどります。
玉井詩織は昔どんな子だった?活発だった幼少期
玉井詩織さん自身が子どものころを語るとき、まず出てくるのが「外で遊ぶ」という話です。家の中で一人静かに過ごすというより、兄や兄の男友達の輪に入り、体を動かして遊ぶことが多かったといいます。
明るいしとにかく活発。外で遊ぶのが大好きでした。
出典:歌ネット「玉井詩織 スペシャルインタビュー」(公開日記載なし)
兄や男の子たちと外で遊んだ少女時代
特によく一緒に遊んでいたのが兄でした。兄の友人も交えた男の子たちの中に入り、学校へ行けば休み時間にも外へ出ます。ドッジボール、一輪車、竹馬など、当時の遊びが本人の記憶には具体的に残っています。
現在の公式プロフィールにも特技として「一輪車」が記載されています。幼少期の遊びとして本人が挙げたものが、大人になってからのプロフィールにも残っているのは、当時の時間を想像しやすい部分です。
家族もアウトドアが好きで、父親の影響からキャンプにも親しんでいました。大人になってから運転やゴルフを楽しむようになった玉井さんですが、小さいころから家族で外へ出かける機会の多い家庭だったと本人は話しています。
2025年のこどもの日には、自身の公式Instagramで幼少期の写真も公開しました。現在の玉井詩織さんを知ってから昔の写真を見ると、短い髪型や表情を含め、子ども時代の雰囲気がより具体的に伝わります。
モーニング娘。が好きでもアイドル志望ではなかった
物心がついたころに初めて好きになったアイドルは、モーニング娘。でした。自分から曲を聴き、音楽に合わせて踊ることもあったそうです。ただし、この時点で将来の夢を「アイドル」と決めていたわけではありません。
本人は後年、モーニング娘。から歌ったり踊ったりする楽しさを知ったと振り返っています。好きなアイドルの曲で遊ぶことと、自分が芸能界へ進むことは、当時の玉井さんの中ではまだ別の話でした。
小学生でポエムを書いた「詩織」という名前の話
外遊びが好きだった一方で、絵を描くこと、お菓子作り、図工など、自分で何かを作ることも好きでした。小学校では自分の名前の由来を親に聞いてくる課題があり、それをきっかけに「詩」という文字を意識するようになります。
そのころはメールアドレスに「poem」という言葉を入れ、小さなポエムも書いていたそうです。のちにももいろクローバー最初期の楽曲「あの空へ向かって」でメンバーが歌詞を書くことになった際には、玉井さんも自分のパートの言葉を考えました。
名前については、子どものころ両親から「詩を織るように言葉を伝える子に」という説明を受けていました。しかし後になって、本当のきっかけはサザンオールスターズの楽曲「栞のテーマ」だったことを知ります。この話は家族の章で改めて触れます。
玉井詩織の家族構成は?父親・母親・兄とのエピソード
玉井詩織さんの家族は、父親、母親、兄、本人の4人です。家族については一般人であるため、氏名や職業のような情報ではなく、本人がラジオやインタビューで語ってきた日常の場面を見ると関係性がよく見えてきます。
兄と二段ベッドで寝ていた子ども時代
幼いころは兄と同じ部屋で、二段ベッドの上段を使っていました。成長するにつれて一人部屋への憧れが生まれ、兄と部屋を分ける計画を立て、二段ベッドを一段ずつに解体したこともあったそうです。
また、小学校へ上がる前には兄と兄の友人と一緒に、子どもだけで映画館へ行った経験もあります。そのとき観たのが「モンスターズ・インク」で、玉井さんにとって初めて映画館で泣いた作品になりました。
白いベッドを作ってくれた父親
一人用のベッドを考えるようになったころ、玉井さんが憧れていたのは白い天蓋付きのベッドでした。ところが実際に家にあったのは木の色のベッド。ある日帰宅すると、そのベッドに父親の手が加えられていました。
家に帰ったらパパが木のベッドを白く塗ってくれていたの!
出典:ニッポン放送 NEWS ONLINE「ももクロ・玉井詩織、小学生の頃“写真を撮るときに笑わない時期”があった?」(2020年2月16日)
天蓋そのものは付かなかったものの、娘が欲しがっていた「白いベッド」に近づけるため、父親が木製ベッドを白く塗ってくれたのでした。
父親から受けた影響はほかにもあります。玉井さんは免許を取ったばかりのころ、父親に運転練習へ付き合ってもらい、少ない切り返しできれいに駐車する方法を見て覚えたと語っています。
大人になってから始めたゴルフでも、最初は父親と兄に打ちっぱなしへ連れて行ってもらいました。その後は母親もスクールへ通い、父、母、兄、玉井さんの4人で本コースを回っています。
両親が好きだったサザンと「栞のテーマ」
「詩織」という名前のきっかけになったのは、サザンオールスターズの「栞のテーマ」です。両親がサザンのファンで、幼いころから家族の車の中でもサザンの曲が流れていました。
読み方は楽曲タイトルの「栞」と同じ「しおり」ですが、漢字は字画なども考えて「詩織」になったと本人が説明しています。子どものころに聞かされた「詩を織る」という由来も、その後の玉井さんにとって言葉を意識するきっかけとして残りました。
2023年にはサザンオールスターズの茅ヶ崎ライブを取材し、桑田佳祐さんと対面。自分の名前が「栞のテーマ」に由来すると直接伝える機会も訪れました。
種子島で生まれ、公式プロフィールは神奈川県出身
玉井詩織さんのルーツを調べると、「種子島」と「神奈川県」という二つの場所が出てきます。これは出生地と公式プロフィール上の出身地を分けて考えると整理できます。
本人は2025年のインタビューで、母方の祖母が種子島に住んでおり、母親の里帰り出産で自身も種子島で生まれたと話しています。
私自身が里帰り出産で生まれた
出典:CREA「玉井詩織 写真集ロケ地インタビュー」(公開日記載なし)
一方、スターダストプロモーションをはじめ現在の公式プロフィールでは「神奈川県出身」と記載されています。
そのため、「神奈川県出身」という公式表記から神奈川県生まれと置き換えるのは正確ではありません。玉井さん自身が語る出生の場は種子島、芸能プロフィールで使われている出身地は神奈川県です。
玉井詩織の学歴は?小学校・中学校・高校の学生時代
玉井詩織さんは小学生のころに芸能活動を始め、中学・高校では学校生活とアイドル活動を並行しました。具体的な学校名は本人や所属事務所の公式プロフィールでは確認できないため、ここでは学校名を断定せず、本人が語っている学生時代の出来事を中心に見ていきます。
小学校4年生で芸能活動をスタート
芸能界との接点が生まれたのは小学4年生のころです。本人によると、事務所社長の知り合いから「芸能界に興味ない?」と声をかけられたことが入口でした。
好奇心が旺盛だった玉井さんは、楽しそうだからやってみようという感覚でスターダストプロモーションへ。当初から大きな仕事が次々に決まったわけではなく、ダンスや演技のレッスンを受けながら活動しました。
学校では写真を撮られるときに笑わない時期もあったそうです。笑顔で写ることを格好よくないと感じ、真顔なのにピースサインだけはするという、小学生らしいこだわりも後年ラジオで話しています。
中学では百人一首大会で学年1位
中学時代には百人一首大会で学年1位になった経験があります。外遊びやダンスだけでなく、子どものころから言葉や表現にも興味を持っていた玉井さんらしい学校生活の一場面です。
そして中学生になる直前には、ももいろクローバーの楽曲を作るため、メンバーに作詞の宿題が出されました。最初は「中学生になったら英語の授業を頑張ろう」と自分の目標のような言葉を書き、ほかのメンバーの案を見て初めてグループの歌詞との違いに気づいたそうです。
そこから「あの空へ向かって」の自分が歌う部分を考え、作品としての歌詞作りに初めて向き合いました。ももクロ最初期の曲には、まだ中学生になる前の玉井さんが考えた言葉も入っています。
高校では絵がNHKハート展に展示
高校時代には、自身が描いた絵がNHKハート展に展示された経験もあります。幼いころから好きだった「何かを作ること」は、学校生活の中でも続いていました。
高校在学中はすでにももいろクローバーZとして多忙な活動をしていました。2014年3月に高校を卒業し、本人は当時のブログで、学校を早退することもあった中で友人や先生に支えてもらったことを記しています。
卒業から数年後には、制服衣装を着た写真をInstagramに投稿し、高校生に戻りたいとつづったこともあります。実際の学校制服を公開した投稿ではなく、舞台で着たセーラー服姿ですが、学生時代を振り返る本人の言葉が残っています。
高校の先生からもらった「未来と自分は変えられる」
高校時代の先生から教わり、大人になっても大切にしている言葉があります。2020年の成人の日、玉井さんは公式Instagramで新成人へ向けたメッセージとともに、その言葉を紹介しました。
中学時代の百人一首、高校時代の絵、先生から受け取った言葉。学校名の一覧だけでは見えてこない学生時代の玉井詩織さんには、体を動かすこととは別に、言葉や表現へ向き合う時間もありました。
小学4年生で芸能界へ!ももクロ加入前の玉井詩織
小学4年生で事務所へ入った玉井詩織さんですが、最初から「芸能人として成功する」と強く決めていたわけではありません。ダンスレッスンや演技レッスンへ通う日々を、本人は後年かなり身近な感覚で振り返っています。
2005年ごろから活動を始め、子ども向け媒体などの仕事も経験します。それでも本人の中では、普通の学校生活から大きく切り離された特別な人生というより、学校と並行して続ける活動でした。
芸能界は「習い事」のような感覚だった
20周年を迎えた2025年のインタビューでも、芸能界へ入った当時は何も分からず、習い事の一環のような感覚だったと説明しています。芸能活動を始めたことと、アイドルになることはまだ一本につながっていませんでした。
この時期の玉井さんは、事務所に籍を置きながらレッスンを受ける一方で、将来ずっと芸能界に残る道が決まっていたわけではありません。むしろ数年後、いったん終わりを意識するところまで進みます。
契約終了を前に新しい人生も考えていた
ももクロへ入る直前、芸能活動を続けられるかどうか分からない時期がありました。事務所との契約終了が近づき、玉井さん自身も、このまま仕事が終われば別の生活へ進むことを考えていました。
もうここで(芸能の仕事は)終わりなんだなって。新しい人生を考えたこともありました
出典:ORICON NEWS「玉井詩織、ももクロとの出会いに感謝」(2025年8月26日)
この時点までを見ると、「幼いころからアイドルを夢見て一直線に進んだ」という経歴ではありません。芸能界へ入ったのも好奇心からで、活動の終わりが近づいたときには、その先の別の生活も現実的に考えていました。
玉井詩織がももクロになったきっかけ
芸能活動が終わる可能性も見えていた時期に、事務所内で「歌って踊る女の子のグループ」を作る話が動き始めます。玉井詩織さんのプロフィールが、その話へつながりました。
決め手になったのは、趣味・特技を書く欄に入れていた「ダンス」という言葉でした。特別な計画を立てて書いたのではなく、書けることがあまりない中で記していた項目だったと本人は説明しています。
プロフィールに書いた「ダンス」が運命を変えた
契約終了が近い所属者には、最後の機会としてプロフィールが関係者へ回る仕組みがあったそうです。そのタイミングと新グループ構想が重なり、玉井さんと百田夏菜子さんが候補として拾われました。
プロフィルに“ダンス”って書いてなかったら、私は今ここにはいなくて
出典:スポニチ「ももクロ玉井詩織 契約終了間際の滑り込み加入」(2025年3月15日)
芸能活動を終える可能性があった時期に、プロフィールの「ダンス」という一言と新グループ結成のタイミングが重なり、ももいろクローバーへの道が開きました。
2008年5月17日、川崎アゼリアで初ステージ
2008年5月17日、川崎アゼリアで開かれた「スターダスト芸能3部 オーディション」のイベント内で、ももいろクローバーが初お披露目されました。
当日のメンバーは玉井詩織さん、百田夏菜子さん、高城れにさん、高井つき奈さん、伊倉愛美さん、和川未優さんの6人。ステージで「あの空へ向かって」を歌いました。玉井さんはまだ12歳でした。
最初のステージに立ったからといって、すぐに現在のような大きな会場が待っていたわけではありません。グループはここから、人前で歌う場所を一つずつ増やしていきます。
代々木の路上ライブから全国ツアーへ
2008年7月から9月にかけては、代々木公園のけやき通りでストリートライブを行いました。歌うだけでなく、メンバー自身がチラシを作り、通りかかった人へグループを知ってもらうところからのスタートでした。
翌2009年5月から8月には、ヤマダ電機を回る初の全国ツアーへ。ハイエースで移動し、車中泊をしながら全国各地を巡りました。当時の高速道路のETC割引を利用したことから「ETCアイドル」と呼ばれた時期でもあります。
現在のももクロから初期を振り返ると、大きな会場やテレビ出演より前に、路上、商業施設、電器店の店頭といった場所で何度もステージを重ねていた時期がありました。玉井さんは学校へ通いながら、その一員として各地を回っていました。
結成10周年の2018年には、ももいろクローバーZ公式YouTubeで玉井さん本人のコメント動画も公開されています。12歳で始まったグループ活動が長く続いた後だからこそ、最初期から所属する本人の姿を映像でも確認できます。
12歳でももクロのステージへ!デビュー当時の玉井詩織
川崎アゼリアでの初披露から路上ライブ、定期イベント、全国ツアーへ進み、ももいろクローバーは少しずつ活動範囲を広げました。玉井詩織さんにとっても、レッスン中心だった芸能活動から、グループの一員として人前に立つ日々へ変わっていった時期です。
2009年「ももいろパンチ」でCDデビュー
2009年8月5日、ももいろクローバーは「ももいろパンチ」を発売しました。初お披露目から約1年3か月。全国を車で回っていたヤマダ電機ツアーの最中に迎えたCDデビューでした。
そのころはまだメンバーの入れ替わりもあり、グループの形が固まっていく途中です。玉井さんは結成時の6人の中にいた一人として、路上ライブからこの時期までを経験しています。
2010年「行くぜっ!怪盗少女」でメジャーデビュー
2010年5月5日には「行くぜっ!怪盗少女」でメジャーデビュー。当時の玉井さんは14歳です。小学4年生のころ、好奇心から始めた芸能活動は、数年後にはアイドルグループのメンバーとしてCDを全国へ届ける活動へ変わっていました。
2023年、結成15周年を迎えた玉井さんは公式Instagramで、15周年のライブを終えた写真とともに感謝を伝えています。川崎アゼリアで初めて「あの空へ向かって」を歌った2008年から、長い時間が積み重なりました。
小学生のころは兄たちと外で遊び、アイドルになることを将来の目標にしていたわけではありません。芸能活動が終わるかもしれない時期に届いた新グループの話から、12歳で最初のステージへ。そこが玉井詩織さんとももいろクローバーの長い活動の始まりになりました。
































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