秦佐和子は若い頃どんな子?家族構成や学歴、声優志望からSKE48加入まで

ひと目でわかるプロフィール
秦佐和子
はたさわこ
声優を夢見た少女が21歳でSKE48へ。研究生からTeam KIIへ進み、声の仕事へ歩みをつないだ元アイドル
生年月日
1988年9月14日
出身地
大阪府
所属・活動形態
SKE48
活動時代
平成アイドル
アイドル活動開始
2009年
活動開始時年齢
21歳
アイドルになったきっかけ
オーディション

現在はマウスプロモーションに所属し、「AKB0048」の神崎鈴子役や「BanG Dream!」の若宮イヴ役などを演じている声優・秦佐和子さん。声の仕事をする前には、SKE48のTeam KIIでアイドルとしてステージに立っていました。

ただ、子どものころから一筋に思い描いていたのはアイドルではありません。放課後にアニメを見ていた小学生の秦さんが興味を持ったのは、姿や年齢に縛られずに役を演じられる「声優」という仕事でした。

その夢は中学の職業体験でも、高校や大学へ進んだ後も消えませんでした。やがて声優への道を探す中でSKE48という存在に出会い、21歳で3期生オーディションを受けます。

小学校の卒業文集に「声優」と書いた少女が、21歳でSKE48第3期生オーディションに合格しました。

秦佐和子さんがアイドルになるまでをたどると、その出発点には共働きの両親、兄と遊んだゲーム、夕方のアニメ、学校で経験した芝居やアフレコといった小さな場面が並んでいます。

秦佐和子は若い頃どんな子?アニメと芝居が好きだった幼少期

大阪府出身の秦佐和子さんは、低学年のころから夕方になると家でアニメを見ることが日課でした。後年の本人コラムによると、両親が共働きだったため、放課後は「魔法騎士レイアース」や「名探偵コナン」などをよく見ていたそうです。

このころは、画面のキャラクターに別の人が声を当てているという感覚もまだありませんでした。秦さんの中で「声優」という職業がはっきり意識されるのは、小学校5、6年生ごろです。

家でアニメを見るのが日課だった小学生時代

アニメは特別な習い事のようなものではなく、毎日の生活の中にある楽しみでした。両親の帰宅を待ちながら作品を見る時間が重なり、物語の登場人物を演じることへの興味が少しずつ育っていきます。

一方で、幼いころから人前で大きな声を出すタイプだったわけではありません。後年、秦さん自身が普段は大きな声を出さず、人と話すのも得意ではなく、家にこもりがちな面もあると書いています。

小学校で芝居を始め、声優という仕事を知る

高学年になると、秦さんの興味はアニメを見る側から「演じる側」へ動きます。最初に頭に浮かんだのは女優でしたが、ほかにも芝居ができる仕事を考える中で声優へたどり着きました。

お芝居をやりたい!

出典:オタク産業通信「秦佐和子の『ゲームがなくちゃはじまらないっ!』【最終回・前編】」(2017年8月18日)

声だけならさまざまなヒロインになれるだけでなく、動物の役まで演じられる。その自由さを知ったことが、秦さんにとって声優という仕事の魅力になりました。

卒業文集に「声優」!中学ではアフレコを体験

小学校を卒業するとき、将来の夢として文集に書いたのは「声優」でした。当時は今ほど小学生にも広く知られた職業ではなく、本人の記憶では周囲で声優と書いていたのは自分くらいだったといいます。

中学生になると、学校の職業体験でも声の仕事に近づきました。友人を含む4人でアニメ系の専門学校へ行き、実際にアフレコを体験。その内容を学校へ戻ってからみんなの前で発表しています。

小学生のころに芽生えた憧れが、中学では「仕事として体験する」段階まで進んでいました。のちにSKE48へ入るより何年も前から、声優は秦さん自身が口にしていた将来の職業でした。

秦佐和子の家族構成は?父親・母親・兄とのエピソード

秦佐和子の家族構成
両親共働きの家庭
両親共働きの家庭
子どものころゲームの影響を受ける
本人
秦佐和子

秦さんの少女時代を具体的にたどると、家族との日常が趣味や将来の夢にそのまま入り込んでいます。夕方のアニメは共働きの両親がいる家庭での過ごし方から生まれ、ゲームは兄の存在が入口でした。

共働きの両親と過ごした少女時代

両親がともに働いていたため、秦さんは小学校低学年のころから放課後を家で過ごすことがありました。その時間にテレビでアニメを見ることが習慣になり、やがて芝居や声優へ興味を持つ土台になっていきます。

家庭について本人が残した昔話には、特別な芸能教育よりも普通の日常が多く登場します。クリスマスに食べたケーキの生クリームで気分が悪くなり、しばらく洋菓子全般が苦手になったという思い出もその一つです。

兄の影響で小学生からPCゲーム

秦さんがゲームを始めたきっかけは兄でした。本人の連載では、小学校低学年のころには左手でWASDキーを操作し、小指でShift、親指でスペースキーを押す使い方を兄から教わっていたと振り返っています。

遊んでいた作品として挙げているのは「ぷよぷよ」だけではありません。兄と一緒に「DOOM」「StarCraft」「ダンジョンキーパー」などのPCゲームにも触れており、幼いころからパソコンが身近にありました。

ゲーム好きは大人になって突然始まった趣味ではなく、兄と同じ画面を囲んだ小学生時代までさかのぼります。のちに声優としてゲーム作品へ出演する秦さんの昔を知るうえでも、具体的な家庭の一場面です。

「お菓子といえばおせんべい」だった秦家

SKE48在籍中の公式ブログには、食べ物から子どものころを振り返った文章も残っています。甘いものよりしょっぱいお菓子が好きだという話から、秦家で昔から食べていたものへ話が続きました。

昔からわが家でお菓子と言えばおせんべいで

出典:SKE48オフィシャルブログ「秦*カフェ・オレとコーヒー牛乳の違い」(2011年11月4日)

そのブログを書いたころには、SKE48の仕事中にスタッフから誕生日を祝ってもらう生活になっていました。子どものころの家のおやつと、アイドルになってからのバースデーケーキが同じ文章の中に並んでいます。

秦佐和子の学歴は?高校・大学と学生時代の進路

秦佐和子の学歴
高校
女子校
正式校名は公表されていない
大学
大学(校名非公表)
正式校名は公表されていない

学校生活で特に大きかったのは、声優の夢を具体的な行動へ移していたことです。中学では職業体験でアフレコを選び、高校を経て大学へ進学した後も、進路を考える中から声の仕事への関心が消えることはありませんでした。

中学の職業体験でアフレコを経験

中学生の職業体験では、一般的な職場ではなくアニメ系の専門学校を選びました。4人で参加してアフレコを経験したという本人の記憶からは、この時点ですでに将来の夢を「好きなアニメ」だけで終わらせていなかったことが分かります。

体験後には、その内容を学校で発表しました。周囲から珍しがられた記憶も本人は残しており、声優という職業が今ほど身近ではなかった時代に、自分の希望として口にしていました。

女子校から大学へ進んだ学生時代

高校は女子校出身であることが、SKE48時代の公式ブログに残っています。その後は大学へ進学しましたが、正式な学校名は本人や現在の所属事務所のプロフィールでは公表されていません。

「京都府立大学」という学校名が秦さんの学歴として語られることがありますが、本人・所属先が示した学校名としては扱えません。大学時代については、校名を推測せず、進学していたことと当時の進路に絞るのが事実に沿った形です。

声優の夢と進路が交差した高校・大学時代

秦さんはパソコンにも親しみ、理数系への関心も持っていました。声優だけを唯一の進路として一直線に進んだのではなく、学校生活の中では別の職業も現実的な選択肢として考えていた時期があります。

それでも、小学校の卒業文集に書いた声優への思いは残っていました。大学生の年代になってから、その夢へ近づく方法の一つとして目に入ったのが、名古屋を拠点に活動していたSKE48でした。

声優志望の秦佐和子がSKE48を受けたきっかけ

SKE48に応募した時点で、秦さんは21歳でした。10代のうちにアイドル活動を始めるメンバーも多い48グループの中では遅めのスタートでしたが、本人が見ていた先にはもともとの声優の夢がありました。

SKE48在籍時に出演した番組では、グループの中で活動しながら声優を目指していたメンバーの存在を知り、「SKE48からでも声優を目指せる」と考えたことが応募につながったと話しています。

アイドルになることだけが目的ではなく、声優へ進むための可能性を見つけてSKE48のオーディションへ向かいました。

21歳でSKE48第3期生オーディションへ

2009年11月、秦さんはSKE48第3期生オーディションに合格しました。同じ3期生には須田亜香里さん、木﨑ゆりあさん、松村香織さん、矢方美紀さんらがおり、秦さんも研究生として活動を始めます。

それまで学校でアフレコを体験したことはあっても、ここから待っていたのは歌やダンス、劇場公演、握手会のあるアイドルの日々でした。声だけで役を演じたいと考えていた少女が、人前で自分自身を見せる仕事へ入ります。

2009年、研究生としてアイドル活動が始まる

加入後は研究生としてレッスンと公演を重ねました。2010年には研究生公演「PARTYが始まるよ」の舞台にも立ち、SKE48の劇場で観客の前に出る生活が本格化していきます。

後年の卒業公演で秦さんは、SKE48へ入る前から夢は声優だったと改めて話しています。アイドルのステージに立ち続ける意味を迷うこともあったという言葉は、加入時の目的とSKE48で得た経験の両方を示しています。

研究生からTeam KIIへ!秦佐和子がアイドルとして立ったステージ

研究生になった秦さんは、すぐに表題曲の中心メンバーになったわけではありません。まずCDのカップリング曲に研究生として参加し、劇場で経験を積み、そこからTeam KIIへの昇格と初選抜へ進みました。

「青空片想い」のカップリングでCD初参加

2010年3月24日発売のSKE48 2ndシングル「青空片想い」。秦さんは表題曲の7人には入っていませんが、カップリングの「バンジー宣言」に研究生として参加しています。

SKE48公式ディスコグラフィーには、当時の研究生として秦佐和子さんの名前が記録されています。加入から数か月でCDに声が収録され、アイドルとしての活動が音源にも残るようになりました。

研究生からTeam KIIへ昇格

2010年12月、SKE48で新チーム・Team Eの結成とTeam KIIの新体制が発表されます。このとき秦さんは阿比留李帆さん、後藤理沙子さん、矢方美紀さんとともに研究生から正規メンバーへ昇格しました。

秦さんにとってTeam KIIへの昇格は、研究生から正式なチームメンバーになる節目です。卒業時の本人ブログでは、昇格の時期に「SKEでやっていく覚悟」を持ったことも振り返っています。

「週刊AKB」で注目され「パレオはエメラルド」で初選抜

2011年2月4日放送の「週刊AKB」では、抜き打ちテストで優等生ぶりを見せながら、控えめな受け答えでも注目されました。スポーツニッポンは後に、この出演を秦さんが広く知られるきっかけの一つとして紹介しています。

同年7月27日発売の6thシングル「パレオはエメラルド」では、秦さんが初めてSKE48の表題曲選抜に入りました。公式ディスコグラフィーにはTeam KIIの歌唱メンバーとして名前が掲載されています。

21歳で3期生に入り、研究生からスタートした秦さんが、22歳でシングルの選抜メンバーになりました。学校で声優を夢見ていたころとは違う形で、多くの人の前に立つ機会が急速に増えていきます。

「枯葉のステーション」で震えていたマイクの手

ステージに慣れて何事にも動じなくなったわけではありません。SKE48の楽曲「枯葉のステーション」を披露したことについて聞かれたインタビューでは、緊張が手に出ていたことを本人が話しています。

マイクを持つ手が震えてるって、もの凄く笑われてしまいました……。

出典:Billboard JAPAN「SKE48 『オキドキ』インタビュー」(公開日記載なし)

歌うだけでなく、間奏にはセリフもある曲でした。声優を目指していた秦さんにとって言葉を届ける場面でもありましたが、アイドルのステージでは緊張した自分の姿ごと観客に見られます。

秦佐和子がアイドルになるまで
1988年9月14日
誕生
大阪府出身
小学校低学年
放課後にアニメを見ることが日課になる
両親が共働きで、夕方はアニメを見て過ごすことが多かった
小学校高学年
芝居に興味を持ち、声優を意識する
小学校卒業時
卒業文集に将来の夢として「声優」と書く
中学生
職業体験でアフレコを経験
アニメ系の専門学校で声の演技を体験した
2009年11月
SKE48第3期生オーディションに合格
21歳で研究生としてアイドル活動を始める
2010年
研究生として劇場公演に出演
研究生公演などでステージ経験を重ねる
2010年3月24日
SKE48のCDに初参加
「青空片想い」収録の「バンジー宣言」に研究生として参加
2010年12月
Team KIIへ昇格
研究生から正規メンバーとなる
2011年7月27日
「パレオはエメラルド」で表題曲初選抜
SKE48の6thシングルで初めて表題曲メンバーに選ばれる

SKE48に入ってから約2年で、研究生からTeam KII、そして表題曲選抜まで進みました。その一方で、秦さんが小学生のころから持っていた「声優になりたい」という目標にも、SKE48の中で具体的な機会が訪れます。

SKE48で声優の夢につながった「AKB0048」オーディション

2011年12月13日、AKB48グループのメンバーを対象にテレビアニメ「AKB0048」の主演声優オーディションが行われました。約200人から一次選考を通過した30人が最終審査へ進み、秦さんもその舞台に立ちます。

審査では抽選で決まったキャラクターのセリフを演じ、最後に自己PRを行いました。普段の細く小さな声という印象を覆すような力強いセリフ読みを見せたと、当時の音楽ナタリーは伝えています。

普段の印象を覆した公開オーディション

この日の自己PRで、秦さんは自分が何を目指しているのかをはっきり口にしました。SKE48のメンバーとして選抜にも入った後でしたが、言葉の中心にあったのは小学生の卒業文集と同じ職業です。

私の夢は声優になること。太くでも細くでもこの仕事に携わりたい

出典:音楽ナタリー「アニメ『AKB0048』公開オーディションで声優選抜9名決定」(2011年12月13日)

待ち時間は不安と緊張で気持ちが沈んでいたそうです。そこで渡辺麻友さんが宝塚歌劇団の蘭寿とむさんが載った雑誌を見せてくれ、二人で盛り上がった後、秦さんは壁際へ移って事前課題の練習を始めました。

すると渡辺さんも近くで課題を声に出して練習していました。人がいる場所で声を出すことを恥ずかしく感じていた秦さんにとって、同じように準備する人がそばにいる光景は力になりました。

こんな風に一緒に頑張っている方がいらっしゃると、自分も頑張れましたです。

出典:SKE48オフィシャルブログ「秦*声優オーディション」(2011年12月13日)

審査の結果、秦さんは渡辺麻友さん、矢神久美さん、仲谷明香さんらとともに9人の合格者へ選ばれます。SKE48に入る理由の先に置いていた声優の仕事が、アイドル活動の中で初めて大きな形になりました。

神崎鈴子役に決まり、アイドルと声優の道がつながる

2012年2月に配役が発表され、秦さんは「AKB0048」の神崎鈴子役を担当することになりました。作品公式サイトでも、神崎鈴子のキャストとしてSKE48 Team KIIの秦佐和子さんが掲載されています。

小学校でアニメを見ていた少女が、中学の職業体験でアフレコをし、21歳でSKE48に入り、そのSKE48の中でアニメの主要キャラクターを演じるところまで来ました。

ただし、声の仕事を得たことで夢が完成したとは本人は考えていませんでした。SKE48で実際に声優の仕事を経験したからこそ、自分の力不足を強く感じ、2013年3月に卒業を決断します。

卒業後は改めて声優を学ぶ学校へ通う道を選びました。SKE48を離れる理由を書いた公式ブログでは、アイドルとして過ごした時間と、ずっと追ってきた夢との関係を一つの比喩で表しています。

私にとってSKEは夢へと歩き続けさせてくれた橋のような存在でした。

出典:SKE48オフィシャルブログ「秦*卒業報告」(2013年3月7日)

卒業公演を終えた秦さんは、4月から声優になるための学校へ通い始めます。その後、2015年にマウスプロモーションへ所属し、幼いころに憧れた声優として活動を続けるようになりました。

秦佐和子さんが最初に立ったアイドルの道は、子どものころからの夢を消すものではありませんでした。研究生として始まったSKE48のステージは、神崎鈴子の声を演じ、さらに声の仕事を学び直す場所へ進むまでの道の一部になりました。

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