現在、≒JOYのリーダーとしてステージに立つ小澤愛実さん。歌やダンスだけでなく、メンバーをまとめる立場でも知られています。
けれど、アイドルになる前から大きなステージが用意されていたわけではありません。幼い小澤さんが歌って踊っていた場所のひとつは、自宅の前にあった段差でした。
家の前の段差をステージにしていた少女は、14歳で初めてアイドルのオーディションを突破しました。
幼少期の遊び、家族との時間、学校生活、指原莉乃さんへの憧れ、何度も経験した書類審査の不合格。小澤さんがラストアイドルで最初の一歩を踏み出し、その後≒JOYへ加わるまでを時系列でたどります。
小澤愛実の生い立ち!家の前の段差が最初のステージ
小澤愛実さんは2003年4月、神奈川県で生まれました。物心がついたころから48グループが好きで、テレビやDVDを見ながら歌やダンスをまねしていたと振り返っています。
家の前には、子どもの小澤さんにとってちょうどよい高さの段差がありました。そこを舞台に見立て、近所の友だちと歌って踊るのが日常。母親に「見て」と声をかけ、人前で披露することも好きだったそうです。
「そこをステージの代わりにして」
出典:テレ朝POST「指原莉乃が好きすぎて、好きすぎて…。16歳少女が本物のアイドルになった軌跡<小澤愛実>」(2019年6月10日)
3歳ごろには、カメラを向けられるとすぐにポーズを取る子どもだったとも紹介されています。歌って踊ることと、誰かに見てもらうことが、早い時期から身近にありました。
青いすずらんテープで作ったアイドル衣装
憧れは歌やダンスだけではありません。AKB48の「ギンガムチェック」が発売されたころ、小澤さんは白と青のワンピース衣装に夢中になり、母親に同じような服を作ってほしいと頼みました。
願いどおりのワンピースは作ってもらえませんでしたが、そこで終わりません。青いすずらんテープを細く裂いて貼り、スカートのようにして自分なりの衣装を作っていました。
既製品の衣装がなくても、手元にあるもので「アイドルの姿」を作って遊んでいた少女時代がありました。
後年、小澤さんはオサレカンパニーが手がけた衣装を着てステージに立つようになります。2025年の公式Instagramでも、≒JOYの3周年コンサートで作られた衣装を紹介していました。
小澤愛実の家族構成は?母親との関係や弟の公表情報
小澤さんの家族について、本人のインタビューやSNSで特に多く登場するのが母親です。幼いころの衣装遊びを見ていた存在であり、アイドルを目指す過程でも身近にいました。
母親にはその日の出来事を全部報告
≒JOYで活動するようになってからも、母娘の距離は近いようです。2024年のインタビューでは、自分は意外と「親離れ」ができていないとして、日々の習慣を明かしました。
「お母さんにその日あった出来事を全部、報告しています。」
出典:ENCOUNT『指原プロデュースの≒JOYがイメチェン 制服から真っ赤な衣装に「違う自分に出会った」「『最強』の気持ち」』(2024年1月19日)
2025年の誕生日には、母親と東京ディズニーランドへ出かけた写真も公式Instagramに投稿しています。成人後も、一緒に出かける時間が自然に続いている様子が見えます。
さらに同年9月には、母親と「ビッグバンドビート」を観に行ったことを本人公式Xで報告。幼少期から親に連れて行ってもらい、ずっと好きだったショーのひとつだと振り返っています。
弟について本人・公式からの家族構成の公表はない
小澤さんの「弟」について知りたい人も多いようですが、本人の公式プロフィールや信頼できる本人インタビューでは、弟を含む家族構成の詳細は公表されていません。一般人家族に関する出所の不明な情報だけで、兄弟姉妹の有無を断定することはできません。
小澤愛実の学歴は?小学校・中学校・高校時代
小澤さんの具体的な小学校・中学校・高校名は公表されていません。一方で、学校名以上に当時の姿が浮かぶ学生時代の思い出を、本人が複数のインタビューで語っています。
高校についても具体的な学校名や進学先は公表されていません。学校名を推測せず、本人が話している学校生活と、14歳で始まったアイドル活動の時系列を中心に紹介します。
小学校の体育館で毎年パフォーマンス大会に参加
小学校では、年に1回、体育館で「パフォーマンス大会」が開かれていました。全校生徒が自由に参加でき、歌やダンス、特技などを披露する催しで、小澤さんは友だちを誘って参加していました。
「毎年友達と気合いを入れて出場していたことを思い出します。」
出典:vois「≒JOY、1stシングル『体育館ディスコ』の魅力&MV撮影の裏側に迫る」(2024年6月14日)
2024年のインタビューで覚えている曲として挙げたのは、ももいろクローバーZの「行くぜっ!怪盗少女」。別の回想では、友だちとAKB48の「ヘビーローテーション」を踊り、クラスの発表会では「So long!」を披露したことも話しています。
大人になってから作られた「体育館ディスコ」という楽曲タイトルをきっかけに、本人の口から出てきたのが、客席のある学校の体育館でアイドル曲を踊っていた記憶でした。
中学生になるとライブや握手会へ
小学校高学年から中学生になるころには、テレビの前だけでなく、コンサートや握手会にも足を運ぶようになります。中でも強く憧れていたのが指原莉乃さんでした。
横浜アリーナで行われた総選挙の祝賀会コンサートでは、指原さんのうちわを持ってアリーナ1列目に立っていた姿が映像作品に残りました。のちに指原さんが自身のソロコンサートで、その映像を「ファンだった子がアイドルになっている」という趣旨で紹介したことも、小澤さん自身が語っています。
2017年、14歳でラストアイドルのオーディションに挑んだ時点では中学生でした。高校については具体的な学校生活を語った一次資料が少なく、学校名や進学先を断定できる情報も公表されていません。
小澤愛実がアイドルを目指したきっかけ
小さいころからアイドルをまねしていた小澤さんですが、「自分もアイドルになりたい」という思いがはっきりした出来事は小学校時代にありました。
風邪をこじらせ、2か月以上学校を休んだ時期があったといいます。気持ちも落ち込んでいたとき、テレビで見るアイドルが以前よりも輝いて見え、その姿から元気をもらいました。
「誰かを元気にできる存在になりたい」
出典:テレ朝POST「指原莉乃が好きすぎて、好きすぎて…。16歳少女が本物のアイドルになった軌跡<小澤愛実>」(2019年6月10日)
その思いを持って最初に受けたのが、AKB48の16期生オーディションでした。しかし結果は書類審査で不合格。何かを変えようと、東京都内でボイストレーニングを受けたこともあったそうです。
次に挑戦したのは、当時すでに憧れの存在だった指原莉乃さんがプロデュースする=LOVEのオーディション。ここでも書類審査を通過できませんでした。
好きなアイドルを見に行く側から、自分がステージに立つ側へ。その間には、応募すればすぐ選ばれるような一直線の道はありませんでした。
小澤愛実はオーディションに落ち続けていた
転機になった募集は、新聞の中にありました。秋元康さんがプロデュースする「ラストアイドル」のオーディションです。
応募条件はプロ・アマを問わず、ほかのグループとの兼任も可能。すでに活動経験のある応募者も来ると考えた小澤さんは、自分には難しいのではないかと迷いました。そこで応募を後押ししたのが母親でした。
書類審査の結果が来る日は、夜9時までに連絡がなければ落選という状況でした。ところが8時59分になっても連絡がありません。小澤さんは、また書類で落ちたのだと思い始めていました。
その日、母親は小澤さんを買い物へ連れ出していました。次のダンス審査で使うレッスン着を持っていなかった娘に、今後も使うかもしれないからと服を見に行くことを勧めたのです。
店で服を選んでいる最中、電話が入りました。内容は書類審査の通過。AKB48や=LOVEなどのオーディションで書類落ちを経験してきた小澤さんにとって、初めて次の審査へ進める知らせでした。
「勇気を出して応募したら初めて受かったんです。」
出典:ORICON NEWS「『ラストアイドル』入れ替えバトルをどう戦ったのかメンバーが告白」(2018年3月21日)
何度も止まっていた書類審査の先へ、14歳で初めて進みました。
14歳でラストアイドルへ!初めてオーディションを突破
「ラストアイドル」第1期の初回メンバーオーディションには4,932人が応募しました。3次にわたる審査を経て、2017年8月に初回収録へ臨む暫定メンバー7人が選ばれ、その中に小澤さんがいました。
番組では、暫定メンバーと挑戦者が1対1で戦い、挑戦者が勝てばその場でメンバーが入れ替わる方式が採られました。小澤さんも暫定メンバーとしてステージに立ち、初期の7人で「バンドワゴン」を歌いました。
「夢が叶ったみたいで本当に幸せでした。」
出典:週プレNEWS「残酷なオーディション番組で“ラストアイドル”になれなかった4人が語る本音『一番つらかったのは…』」(2018年2月11日)
入れ替えバトルで敗れ、シュークリームロケッツへ
ただし、暫定メンバーに選ばれたことがそのまま最終メンバー入りを意味する番組ではありません。小澤さんは第12回放送で、当時13歳だった挑戦者・大石夏摘さんとのバトルに敗れ、暫定メンバーの席を離れました。
それでもアイドル活動そのものが終わったわけではありません。松本ももなさん、長月翠さんと3人でセカンドユニット「シュークリームロケッツ」を結成。2017年10月30日付のユニバーサル ミュージックの告知でも、3人が同ユニットのメンバーとして記載されています。
翌年のインタビューでは、長月さんが小澤さんについて、自分が泣いていたときにそっとティッシュを渡してくれたと回想。松本さんも、いつもニコニコしていると話していました。小澤さん自身は、ティッシュを常に持ち歩くようにしていると答えています。
「想像上のフルーツ」がCDに収録
2017年12月20日に発売されたラストアイドルの1stシングル「バンドワゴン」Type-Bには、シュークリームロケッツの「想像上のフルーツ」が収録されました。DVDにも同曲のミュージックビデオが収められています。
発売前日の12月19日には池袋サンシャインシティ噴水広場でリリース記念イベントが行われ、ラストアイドルファミリーが初めて全員集合。シュークリームロケッツもユニット曲を披露しました。
家の前の段差や学校の体育館でアイドル曲を踊っていた小澤さんは、この年から自分の衣装と自分たちの楽曲を持つアイドルとして活動することになります。
小澤愛実が≒JOYに加入したのはなぜ?指原莉乃から届いた声
ラストアイドルは約5年の活動を経て、2022年5月31日をもって活動を終了しました。小澤さんにとって、14歳から続いてきた所属グループでの時間がここで一区切りとなります。
その直後に新しい動きがありました。2022年6月25日、指原莉乃さんがプロデュースする≒JOYが、小澤さんの新メンバー加入を公式発表します。
指原さんは加入発表のコメントで、小澤さんが前のグループでステージに立つ姿を見て、一緒に仕事をしたいと強く感じたと説明しました。小学生のころから憧れ、コンサートや握手会へ足を運んでいた相手が、今度はプロデューサーとして小澤さんへ声をかける側になりました。
「これまでの経験も生かして」
出典:≒JOY公式サイト「≒JOY 新メンバー加入のお知らせ」(2022年6月25日)
加入の経緯は、同日に≒JOY公式YouTubeで公開されたドキュメンタリー「転機」+1でも紹介されました。すでに誕生していたグループへ後から加わることへの迷いや、指原さんが声をかけた経緯を確認できる映像です。
加入発表から8日後の2022年7月3日、「イコノイジョイ 2022」で≒JOYは初ステージを迎えました。小澤さんを含む13人で=LOVEの「スタート!」を披露し、「届いてLOVE YOU♡」に続いて、≒JOY初のオリジナル曲「≒JOY」も初めてステージで歌いました。
小澤さんにとっては、ここが初めてのアイドルステージではありません。ラストアイドルとシュークリームロケッツで重ねた経験を持って、新しいグループの最初のステージへ立った日でした。
幼いころに家の前で歌い、学校の体育館で友だちと踊り、何度も書類審査で止まりながら14歳でつかんだ最初のステージ。その経験を携えて、小澤愛実さんは≒JOYの一員として次の活動を始めました。
































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