≠MEの本田珠由記さんは、「みるてん」の愛称と柔らかな話し方で知られるメンバーです。その呼び名は、アイドルになってから考えたキャラクター名ではありません。幼いころ、母親が家の中で呼んでいた名前がそのまま残ったものです。
少女時代をたどると、テレビの前でAKB48を見ていた幼稚園児、弟と大きなランウェイを歩いた10歳、高校受験を控えながら「最後」と決めてオーディションへ向かった中学3年生という、いくつもの具体的な場面が見えてきます。
本田珠由記さんが人生で最初に抱いた夢は、幼稚園のころに憧れた「アイドル」でした。
その夢はいったん「医者」という将来像と並び、何度かのオーディション挑戦を経て、14歳で≠MEのメンバーになるところまで続いていきます。ここでは、本人が後年に語った昔話と当時の記録を中心に、初ステージへ立つまでを追います。
本田珠由記は昔どんな子だった?幼少期の原点
本田珠由記さんの公式プロフィールには、出身地として栃木県が記されています。一方、幼少期の詳しい生活は、後年のインタビューや2014年の報道に小さな断片として残っています。
本人の記憶で最も早い「アイドルとの接点」は幼稚園時代です。家でテレビを見ていた時間が、その後の進路につながる最初の場面になりました。
幼稚園でAKB48を見てアイドルが最初の夢に
幼稚園のころ、テレビでAKB48が「ポニーテールとシュシュ」を披露している姿を見た本田珠由記さんは、前田敦子さんに強くひかれました。そこで初めて、自分もアイドルになりたいと思ったと振り返っています。
人生で初めて持った夢がアイドルでした。
出典:ENTAME next「『てゆーか、みるてんって何?』で大バスり、≠ME 本田珠由記の素顔」(2022年12月2日)
憧れは、テレビを見た一度きりの出来事では終わりませんでした。歌うことが好きだった本田さんは、AKB48が出演する番組を見ながら一緒に歌い、振り付けをまねして踊るようになります。
朝、家を出る前に録画した歌番組を見ることもありました。学校へ行く前の短い時間にもアイドルの映像を見て元気をもらい、放課後はテレビ出演に間に合うよう急いで帰る。アイドルは日常の楽しみのひとつになっていました。
AKB48の下敷きやぷっちょを集めた小学生時代
小学生になると、好きだったものは学校生活にも入り込みます。AKB48の下敷きを学校へ持っていき、メンバーがパッケージなどに登場した「ぷっちょ」も集めていました。
本人は後年、当時は毎日の楽しみがアイドルだったと話しています。ステージを見るだけでなく、自分でも歌って踊り、「いつか自分も」という思いを持ち続け、やがて複数のオーディションへ応募するようになりました。
現在の公式Instagramには、2006年風の「平成プリ」を楽しむ投稿もあります。幼少期そのものの写真ではありませんが、平成の空気を遊びとして取り入れる現在の本人の姿が見られる一枚です。
プリキュアのイースをまねしていた少女時代
アイドルだけでなく、アニメも幼いころの楽しみでした。本田さんが特に好きだったのは「フレッシュプリキュア!」に登場するイース。2024年、プリキュアシリーズの放送1000回を記念した企画で、子どものころの遊びを明かしています。
小さい頃『スイッチオーバー』のまねをしていました!
出典:朝日放送テレビ「『プリキュア』シリーズ 1000回放送記!!スペシャルダンスコラボ!!」(公開日記載なし)
イースが変身する場面の言葉をまねし、オープニングやエンディングの歌も好きだったそうです。テレビの中の人物や歌を見て、自分でも声や動きをまねする遊びは、幼稚園から小学生のころの本田さんの日常に何度も登場します。
本田珠由記の家族構成は?母親や弟とのエピソード
本田珠由記さんの昔話には、母親と弟が具体的に登場します。母親は「みるてん」という愛称の始まりに関わり、1歳下の弟とは小学5年生のころ、福島県郡山市の大きなファッションイベントで同じステージに立ちました。
父親やほかの兄弟姉妹を含めた家族全員の構成については、本人や公式からまとまった形では公表されていません。ここでは、本人の発言や当時の報道で関係が明確な家族について見ていきます。
「みるてん」は母親がつけた幼いころからの愛称
「みるてん」は、≠ME加入後に生まれた芸名ではありません。本人によると、幼いころから母親が家庭内でそう呼んでいました。きっかけは哺乳瓶などの消毒に使う「ミルトン」で、「みるとん」がいつの間にか「みるてん」へ変わったそうです。
家では「みるてん」でも、小学校や中学校では友人から「みゆきちゃん」と呼ばれることが多く、本人は心の中で「みるてんって呼んでほしい」と思っていました。アイドルになれたらニックネームは「みるてん」にしようとも考えていたといいます。
現在ファンに広く知られる「みるてん」は、母親との日常から始まった幼少期の呼び名です。
2022年に本人がInstagramを始めた際も、自ら「≠MEのみるてんこと本田珠由記」と名乗っていました。家庭内の愛称が、長い時間を経てアイドルとしての呼び名になっています。
10歳で弟とTGC福島のランウェイを歩く
2014年4月29日、小学5年生で10歳だった本田珠由記さんは、福島県郡山市で開かれた東京ガールズコレクションの「福島県スペシャルステージ」に参加しました。公募で選ばれた県内の小学生13人がモデルと一緒に花道を歩く企画でした。
本田さんの隣には、当時9歳だった1歳下の弟がいました。姉弟は福島県いわき市出身のモデル・松井愛莉さんと一緒にランウェイへ出て、会場の観客へ手を振っています。イベント全体の観客数は9800人と報じられました。
すごく緊張したけど、福島県を幸せにできたと思う。
出典:世界日報「福島・郡山市で『東京ガールズコレクション』」(2014年4月30日)
ステージを終えた10歳の本田さんは、その時点での将来の夢を「医者」と答え、人に勇気や笑顔を届けたいという思いも話していました。幼稚園でアイドルに憧れていた一方、小学5年生の時点では別の職業も将来像として思い描いていたことになります。
郡山から宇都宮へ移った少女時代
2014年の世界日報の記事では、本田さん姉弟について「郡山市から宇都宮市に避難する」と記されています。現在の≠ME公式プロフィールに掲載されているのは「栃木県出身」という情報です。
「出身地」と、子どものころに暮らした場所や避難した経緯は同じ意味ではありません。そのため、栃木県出身という公式情報だけを根拠に出生地まで栃木県と決めたり、2014年の記事だけから幼少期の全期間を福島県で過ごしたと広げたりすることはできません。
ただ、10歳の時点で郡山市と宇都宮市の双方に生活上の接点があったことは当時の記事から分かります。少女時代の居住地をたどるうえでは、この小学5年生の記録が具体的な接点のひとつです。
本田珠由記の学歴は?中学校・高校の学生時代と進路
本田珠由記さんは、小学生のころにTGC福島へ出演し、中学3年生で≠MEにつながるオーディションへ挑戦、高校ではアイドル活動と学校生活を並行しました。小学校・中学校・高校の具体的な校名は、本人や公式プロフィールでは公表されていません。
学校名を推測で埋めるより、学年が分かる当時の記録と本人の言葉を並べると、学生時代の流れはかなり具体的に追えます。
小学校・中学校の校名は公表されている?
小学校について確実にたどれるのは、2014年4月時点で小学5年生だったという記録です。10歳で弟とTGC福島に出演した当時の記事にも学年が明記されていますが、学校名までは掲載されていません。
中学校も具体的な校名は公表されていません。本人のインタビューから分かるのは、中学3年生のころには高校受験を控えていたこと、そしてそれまでにもアイドルになるため複数のオーディションへ挑戦していたことです。
小学校・中学校では、家庭内の「みるてん」とは違い、友人から「みゆきちゃん」と呼ばれることが多かったそうです。後に広く知られる愛称と、当時の学校での呼ばれ方には違いがありました。
中学3年生で高校受験とアイドルへの夢が重なる
中学3年生になると、進路を決める高校受験の時期と、アイドルになりたいという長年の夢が重なりました。そんな中で知ったのが、=LOVEの姉妹グループを作るためのオーディションです。
本田さんは、それまでにもいくつかのオーディションに応募していました。しかし高校受験を控えた時期だったことから、この募集を「最後」の挑戦にするつもりで応募したと後年語っています。
2019年1月26日に最終審査が行われた時、本田さんは14歳。高校へ進学する直前の冬に、学生としての次の進路と、幼稚園のころから抱いてきた夢の行き先が同時に決まろうとしていました。
高校は2022年3月卒業、具体的な学校名は公表されていない
オーディション合格後、本田珠由記さんは高校へ進学し、≠MEの活動と学校生活を並行します。本人は2022年3月21日、公式Xで高校を卒業したことを報告し、3年間が楽しかったと振り返りました。
卒業時点で本人が明かしたのは、高校を無事に卒業したことと、学校生活への思いです。具体的な高校名については本人・≠ME公式からの公表がないため、学歴として確実に書けるのは「2022年3月に高校卒業」までです。
高校在学中の2019年には≠MEとして初ステージに立ち、2021年にはグループがメジャーデビューしています。学生生活の3年間は、そのままアイドル活動の立ち上がりの時期と重なっていました。
「頭いい」と気になる人へ、10歳のころの夢は医者
本田珠由記さんについて、成績や偏差値を具体的に示す本人・公式の情報は公表されていません。学校名も明らかになっていないため、進学先から学力を推測することも避ける必要があります。
学生時代以前の進路に関する具体的な記録として残るのが、10歳でTGC福島へ出演した際の「医者になりたい」という夢です。人に勇気や笑顔を届けたいという理由も添えていましたが、これは当時の将来の希望であり、学校の成績そのものを示す情報ではありません。
中学3年生では高校受験を控えながらオーディションに応募し、合格後は高校へ通いながら≠MEの活動を始めました。「頭いい」という印象を断定できる数値はないものの、進路について考える時期に学業と新しい活動が重なっていたことは本人の経歴から確認できます。
本田珠由記が≠MEのオーディションを受けるまで
幼稚園でアイドルを夢見てから、本田珠由記さんはテレビの前で歌って踊り、成長すると実際のオーディションへ応募するようになりました。中学3年生で出会った=LOVE姉妹グループの募集は、それまでの挑戦とは少し違う覚悟で向かったものでした。
審査へ持っていったのは歌やダンスだけではありません。本田さんらしい小さな特技や、自分で作った作品も持参していました。
「これが最後」と決めて=LOVE姉妹グループへ応募
募集を知った本田さんは中学3年生。高校受験が目前にあり、何度もオーディションを受け続けられる時期ではないと考えていました。そこで、このオーディションを最後にするつもりで応募します。
最終審査は2019年1月26日。ここを通過したメンバーは、指原莉乃さんがプロデュースし、=LOVEに続く新しいグループとして活動することになります。
幼稚園でAKB48に憧れたころから約10年。テレビの中にいたアイドルをまねていた少女が、自分自身を見てもらう側として審査会場に立ちました。
紙粘土と“手でカエル”を持ってオーディションへ
本田珠由記さんは粘土作りを得意としており、2019年のYOUTH TIME JAPANのインタビューでは、≠MEのオーディションにも自作の作品を持参したことを明かしています。
自分で作った紙粘土の作品を持って行きました!
出典:YOUTH TIME JAPAN project web「指原莉乃プロデュースアイドル≠ME(ノットイコールミー)ってどんなグループ?」(2019年10月2日)
もうひとつ披露したのが、手を組み合わせて一瞬でカエルの形を作る特技です。指原莉乃さんや周囲のスタッフが笑ってくれたことで、本田さんはその場の温かさを感じ、ここでアイドルをしたいと思ったと後年のインタビューで話しています。
皿回しも本田さんの特技として知られていますが、最初から得意だったわけではありません。テレビ収録でうまくできなかったことをきっかけに練習用のセットを買い、自宅で練習を重ねたという経緯があります。オーディション期から、粘土やカエルなど少し変わった特技を自分の言葉で見せていました。
≠ME公式YouTubeには、本田珠由記さんに焦点を当てた初期ドキュメンタリーが残っています。2019年8月に公開された映像で、グループが動き始めたころの表情や活動の空気を映した一次資料です。
本田珠由記が≠MEとしてアイドルになるまで
最終審査から約1か月後の2019年2月24日、=LOVEの姉妹グループとして≠MEのメンバーが初めて公の場に立ち、グループ名も発表されました。本田珠由記さんはこの日14歳。15歳の誕生日を迎える3日前でした。
ここから本田さんは、夢を語る応募者ではなく、≠MEの一員としてレッスンやステージ準備に入ります。
2019年1月に最終審査、2月24日に14歳でお披露目
お披露目の場で本田さんは、これからグループとして届けたいものを「笑顔」という言葉で表しました。10歳でTGC福島を歩いたときにも口にしていた「笑顔」が、今度はアイドルとしての目標に登場します。
これからたくさんの方に笑顔を届けられるように、全員で元気いっぱい頑張ります!
出典:WEBザテレビジョン「『=LOVE』の姉妹グループ『≠ME』メンバー初お披露目」(2019年2月25日)
同じお披露目では、指原莉乃さんがグループ名「≠ME」に込めた意味も説明しました。「今までとは違う自分をみんなに経験してほしい」という思いを背負い、12人での活動が始まります。
2019年8月4日、TIF2019で初ステージ
お披露目から約5か月後の2019年8月4日、≠MEは「TOKYO IDOL FESTIVAL 2019」のSMILE GARDENで初パフォーマンスを行いました。会場には2000人を超える観客が集まったと報じられています。
この日のセットリストでは、=LOVEの楽曲4曲に加え、≠MEにとって初のオリジナル曲「≠ME」も披露されました。加入が発表された2月からレッスンを重ね、ようやくグループの名前を冠した曲を観客の前で届ける最初のステージです。
10歳のときに弟とTGC福島の花道を歩いた本田さんは、15歳で今度はアイドルとして大勢の観客の前に立ちました。2014年のランウェイと2019年のTIFは別のイベントですが、本人が観客の前へ出た少女時代と、仕事としてステージに立ち始めた時期をそれぞれ記録しています。
初ステージの後、≠MEは単独コンサートや楽曲リリースへ活動を広げていきます。本田さん自身も高校生活を続けながら、グループの初期をメンバーとして過ごしました。
2021年に≠MEがメジャーデビュー
2021年4月7日、≠MEはキングレコードからデビューミニアルバム「超特急 ≠ME行き」を発売し、メジャーデビューしました。本田珠由記さんは17歳、高校在学中でした。
同作のノイミー盤には、本田さんがセンターを務める「てゆーか、みるてんって何?」も収録されています。母親が幼いころから呼んでいた名前が、グループの楽曲名として世に出るところまでつながりました。
幼稚園でテレビのAKB48を見て思い描いた「アイドル」は、中学3年生の最後の挑戦を経て、14歳のお披露目、15歳のTIF初ステージで現実の活動になりました。2021年のメジャーデビューは、その先で≠MEが全国へ楽曲を届け始めた節目でした。
































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