=LOVEのステージで、まっすぐ前を向いて歌う髙松瞳。グループ結成当初からセンターに立った彼女には、アイドルになる前から華やかな芸能生活を送っていたような印象を持つ人もいるかもしれません。
けれど高校1年生のころ、髙松はまだ自分の将来を決められずにいました。大学のオープンキャンパスへ出かけ、インターネットでも進路を調べながら、自分が本当にやりたいことを探していた高校生でした。
=LOVEに入る前年、髙松瞳は「将来の夢」を探している途中でした。
それより前の少女時代には、長く続けたバトントワリングがありました。家では父親の影響で小学生のころからボートレースに親しみ、毎年のクリスマスには家族で食卓を囲んでいました。
その少女が乃木坂46に憧れ、高校生活のなかで見つけた=LOVEのオーディションに応募します。合格後には厳しい合宿を経験し、2017年8月、16歳で初めてアイドルとしてステージに立ちました。
髙松瞳は昔どんな子?バトンに打ち込んだ少女時代
髙松瞳の公式プロフィールには、現在も特技として「バトントワリング」と記されています。後年、本人がテレビやラジオで語ったところでは、バトントワリングを習っていた期間は7年間。単なる習い事の思い出だけでは終わりませんでした。
髙松はバトントワリングの日本代表に選ばれ、アメリカへ渡った経験があります。本人が振り返った遠征先はロサンゼルス。芸能界へ入るより前に、人前で演技をする競技へ長く取り組んでいたことになります。
一回だけ日本代表でした(笑)
出典:THE FIRST TIMES「イコラブ・髙松瞳が語るアイドル論。『私の中で完璧なアイドル像が乃木坂46』」(2021年12月13日)
バトンでは、自分の動きだけでなく振り付けや立ち位置も覚えなければなりません。髙松は小さいころからそうした作業を繰り返していたため、=LOVEに入ってからもダンスの振りやフォーメーションを覚える場面で経験が生きていると話しています。
アイドルになる前から、振り付けを覚え、人前で演技する時間を積み重ねていた少女でした。
日本代表という結果だけでなく、練習のなかで何度も立ち位置を確認し、決められた演技を体へ入れていく日々があったことも、髙松の少女時代を知るうえで外せません。のちに大人数のアイドルグループへ入ったとき、まったく初めての作業ばかりだったわけではありませんでした。
一方で、昔からアイドル一色の生活を送っていたわけでもありません。家庭では父親の趣味に付き合い、家族と過ごす恒例行事があり、高校へ進むころには自分の将来をどうするか迷う時期も迎えます。
髙松瞳の家族構成は?父親・母親との家庭での思い出
髙松瞳は、父親や母親と過ごした昔の出来事をいくつか本人の言葉で明かしています。父親とは小学生時代から続くボートレースの思い出があり、母親については毎年のクリスマスに並んだ手料理を振り返っています。
兄弟姉妹については、本人や公式プロフィールなどで家族構成全体を確定できる公表情報が限られています。そのため、父親・母親との確認できる具体的な場面を中心にたどります。
父親の影響で小学生からボートレースに親しむ
髙松がボートレースを好きになった入口は父親でした。日本テレビ「バズリズム02」で紹介された際には、父親の影響を受け、小学生のころからボートレースを見ていたことが明かされています。
子どもが自分から選んだ趣味というより、身近な父親が好きだったものを一緒に見るところから始まった時間でした。大人になってから急に仕事のために興味を持ったのではなく、家で過ごしていた少女時代までさかのぼる趣味です。
のちに=LOVEではボートレースに関する活動も行うようになり、指原莉乃が監督、髙松が部長という形でボートレース部も発足しました。芸能活動を始めるずっと前、父親と見ていたものが仕事の場にも現れるようになります。
母のコーンスープが並ぶ家族のクリスマス
母親との昔の場面として本人が話しているのが、実家で過ごすクリスマスです。髙松家では毎年家族でクリスマスパーティーを開き、食卓にはチキンやケーキと一緒に、母親が作ったコーンスープが並んでいました。
本人は料理を担当する側ではなく、食べて感想を伝える側だったそうです。ステージや学校とは離れた、毎年繰り返されていた家庭での小さな習慣が本人の昔話として残っています。
父親とはボートレース、母親とはクリスマスの食卓。家族について公表されている情報を職業や氏名まで広げなくても、髙松が子どものころ家族とどんな時間を過ごしていたのかは、こうした具体的な出来事から見えてきます。
髙松瞳の学歴は?高校1年で夢を探し、高校2年で=LOVEへ
髙松瞳が通った高校の正式な学校名は、本人や所属先の公表資料から確定していません。一方、高校時代を本人自身が振り返ったインタビューは残っており、進路に迷っていた時期から=LOVE加入までの流れは具体的にたどれます。
2019年3月20日には本人が高校卒業を報告しました。卒業式には参加できなかったものの、卒業記念として友人と制服姿で東京ディズニーリゾートへ出かけた写真を投稿し、学生時代に=LOVEへ入った日々を「心から楽しかった」と振り返っています。
乃木坂46への憧れがアイドルへの入口に
髙松がアイドルに憧れるうえで大きな存在だったのが乃木坂46です。後年のインタビューでは、アイドルになる前から乃木坂46を追いかけていたと話し、乃木坂46が自分にアイドルへのきっかけをくれた存在だと振り返っています。
本人にとって乃木坂46は、単に好きな楽曲があるグループではありませんでした。コンサートやミュージックビデオで見せる華やかな姿そのものが、髙松のなかにある「アイドル」のイメージになっていきます。
2021年にアイドル像を聞かれたときにも、髙松は乃木坂46について、王道で正統派のきらめきを持つ存在として語っています。自分が=LOVEとして活動を始めたあとも、その原点は本人の記憶に残っていました。
ただし、憧れがあったことと、高校進学時点で芸能界一本に進路を決めていたことは別です。実際の高校1年生の髙松は、将来何をしたいのかを探していました。
高校1年は大学のオープンキャンパスへ
高校時代の夢を尋ねられた髙松は、高校1年生のころには明確な夢がなかったと答えています。何もしないまま時間を過ごしたのではなく、自分で将来の候補を探していました。
高校1年生のときはひたすら自分で夢を探して
出典:YOUTH TIME JAPAN project web「=LOVE 髙松瞳と大谷映美里にインタビュー!」(2019年8月13日)
具体的には大学のオープンキャンパスへ足を運び、インターネットでもさまざまな進路を調べていました。大学を見に行っていたという事実は、この時点ではアイドル以外の将来も含めて選択肢を探していたことを示しています。
高校生活そのものについては、後年「青春は経験しておいた方がいい」と話しています。自身の文化祭は比較的まじめな形だったため、模擬店のような高校生らしい経験もしてみたかったと振り返りました。
大学のオープンキャンパス、インターネットでの進路探し、学校行事への思い。=LOVEのセンターとして知られるようになる少し前には、ごく普通に高校生活と将来を考える時間がありました。
高校2年で日常の流れが変わる
高校2年生になる2017年、髙松の日常に=LOVEのオーディションが入ってきます。本人は当時、高校生活があまりうまくいっていなかった時期だったと、デビュー直後のインタビューで率直に話しています。
アイドルは以前から好きでしたが、進路として一直線に決めていたわけではありませんでした。そんな時期にスマートフォンで目にした一つの募集が、高校生活とは別の道を開くことになります。
指原莉乃の言葉に背中を押され=LOVEオーディションへ
髙松瞳が=LOVEのオーディションを知った場所は、当時のTwitterでした。プロデューサーの指原莉乃が発信していた募集を偶然目にしたことが、応募へ直接つながっています。
指原さんのTwitterでたまたまオーディションを知って。
出典:音楽ナタリー「=LOVE特集 指原莉乃の愛を一身に受けるアイドルグループ誕生」(2017年9月6日)
指原が募集時に伝えていたのは、「今の生活を変えたい」と思っている子にも来てほしいというメッセージでした。高校生活に迷いがあった髙松は、その言葉に背中を押されて応募します。
乃木坂46をはじめ、もともとアイドルを見ることが好きだった髙松には、見る側から立つ側へ移る可能性もありました。本人は「今の自分を変えられたら」と考えたことを応募理由として語っています。
最終審査は齊藤なぎさと同じ最初の組
オーディションの最終審査で、髙松と齊藤なぎさは同じグループに入りました。しかも審査を受ける最初の組。待機中には指原が会場へ入ってくる声が聞こえ、緊張しながらもテンションが上がったと本人は振り返っています。
指原本人を会場で初めて見た髙松は、その姿のきれいさやオーラにも驚いたと話しています。テレビやステージで見てきたアイドル側の人たちが、自分を審査する場にいる瞬間でした。
審査の末、髙松は=LOVEの初期メンバー12人に選ばれます。合格者は名前を呼ばれたあと別室へ移動し、衣装に着替えてメイクを受け、その日のうちにお披露目会見へ向かうという慌ただしい流れでした。
会見前には指原と合格メンバーが対面し、「ここから先は見られる側になる」という趣旨のアドバイスを受けます。高校生だった髙松の日常は、合格発表の日から一気に変わり始めました。
合格後に待っていた3泊4日のレッスン合宿
メンバーに選ばれてすぐ華やかなステージへ進んだわけではありません。初ステージまでの間には、3泊4日でほぼ一日中踊るレッスン合宿がありました。
合宿で振り入れしたのは、デビュー曲「=LOVE」に加えて、AKB48の「言い訳Maybe」と「大声ダイヤモンド」。経験の異なる12人が、限られた時間で複数曲をステージに出せる状態へ持っていかなければなりませんでした。
メンバーには泣くほど苦戦した人もいて、指導も厳しいものでした。髙松も、あの合宿があったからこそ8月5日の「TOKYO IDOL FESTIVAL 2017」のステージに出られたのだと思うと振り返っています。
そんな合宿のなかには、レッスンとはまったく違う記憶も残っています。指原から差し入れられた焼肉弁当がとてもおいしく、髙松はデビュー時のインタビューでも「お肉の味」を覚えていると笑っていました。
=LOVE公式YouTubeには、オーディション期を追った「Documentary of =LOVE -Episode0- 『Audition』」も残っています。完成されたグループの映像ではなく、メンバーが選ばれ、最初の活動へ進んでいく時期を記録した映像です。
合宿の最終日には、9月にメジャーデビューすることも告げられました。普通なら喜びが先に立ちそうな発表ですが、厳しい合宿を終えたばかりの髙松は、自分たちの現在地を考えていました。
このままじゃヤバイって思って、正直、私は喜べなかったです。
出典:音楽ナタリー「=LOVE特集 指原莉乃の愛を一身に受けるアイドルグループ誕生」(2017年9月6日)
デビューが決まった安心感より、デビューまでに自分たちはもっとできるようにならなければならないという焦りが先にありました。アイドルへの入口をくぐった直後から、次はステージに立つための準備が始まっていました。
16歳で=LOVEの初ステージへ
2017年8月5日、=LOVEは「TOKYO IDOL FESTIVAL 2017」で初ステージを迎えました。オーディションでメンバーが決まってから数か月。髙松は16歳でした。
ステージではAKB48の「言い訳Maybe」などを披露。髙松はセンターに立ち、結成されたばかりの=LOVEの中央でパフォーマンスしました。バトンで覚えてきた振りや立ち位置とは規模も環境も違いますが、今度はアイドルとして観客の前に立つ番でした。
当時のステージを伝えた記事には、髙松を中心にメンバーがパフォーマンスする写真も残っています。まだグループとして活動を始めたばかりでありながら、ここで=LOVEは初めて観客の前でライブを届けました。
髙松は後年、グループ初のコンサートでTIF2017を振り返り、あの日の客席から届いた反応について言葉にしています。
皆さんの声援が私たちをアイドルにしてくれました。
出典:ぴあ音楽「=LOVEファンに愛を届けた1stコンサート、初のツアー&5thシングルの発表も」(2019年2月17日)
オーディションに受かった日だけではなく、実際に観客の前へ出て声援を受けた日の感覚を、本人は=LOVEの始まりとして覚えていました。
初ステージからメジャーデビューまで約1か月
TIFの初ステージから16日後の2017年8月21日、髙松は自身の公式Xで最初の投稿を行っています。まだCDデビュー前。=LOVEの髙松瞳として、ファンへ向けた発信もここから始まりました。
そして2017年9月6日、=LOVEはグループ名と同じタイトルの1stシングル「=LOVE」を発売。SACRA MUSICからメジャーデビューしました。
デビュー曲でも髙松がセンターを務めます。高校1年で大学のオープンキャンパスを見て回っていたころから、およそ1年。自分の進路を探していた高校生は、12人のグループの中央に立つことになりました。
センターに決まった当時、本人の中には喜びだけでなく、グループを背負う立場への意識も生まれていました。
選んでいただいたからには=LOVEを引っ張っていく存在になる!
出典:音楽ナタリー「=LOVE特集 指原莉乃の愛を一身に受けるアイドルグループ誕生」(2017年9月6日)
バトントワリングで立ち位置を覚えていた少女時代、高校で将来を探した時間、スマートフォンで偶然見つけたオーディション、3泊4日の合宿。それぞれ別々だった出来事が、2017年夏のステージまでに一つの流れになりました。
最初のステージに立ったとき、髙松瞳は16歳。高校生活の途中で始まった=LOVEでの日々は、そのまま彼女の新しい日常になっていきます。
「夢を探していた」高校生が、自分で応募ボタンを押し、レッスンを受け、観客の前へ出る。髙松瞳がアイドルになるまでをたどると、その境目にあるのは、2017年8月5日の最初のステージでした。
































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