=LOVEのメンバーとしてステージに立ち、マラソンを特技に掲げる瀧脇笙古。神奈川県出身で、本人は加入初期の公式ブログで「神奈川県横浜市出身」と自己紹介しています。
走ることや横浜への愛着は、アイドルになってから生まれたものではありません。父と一緒にマラソン大会へ出て、横浜スタジアムではキッズ・チアとして踊り、小学生の夏にはいとこと歌舞伎の舞台も経験していました。
家族で走っていた横浜の少女は、高校入学の年に=LOVEへ入り、ダンス未経験の状態から最初のステージへ向かいました。
その途中には、エレベーターの乗り順で偶然エントリーナンバー1番になったオーディション、父と兄が好きだった長渕剛の歌、家で朝5時まで踊った高校生活がありました。
瀧脇笙古がどんな少女時代を過ごし、どのように=LOVEのメンバーになったのか。幼少期、家族、学歴、オーディション、初ステージまでを時系列でたどります。
瀧脇笙古の生い立ちは?横浜で育った少女時代
瀧脇笙古は2001年7月9日生まれ。=LOVE公式プロフィールでは神奈川県出身とされ、2017年の本人公式ブログでは横浜市出身と紹介しています。
現在の公式プロフィールにある特技は「マラソン」。その原点を本人がたどると、幼い頃に家族で参加していたマラソン大会まで戻ります。
小さい頃から家族で走ったキッズマラソン
父親がフルマラソンに出場していたため、瀧脇も幼い頃から家族と親子マラソンやキッズマラソンに参加していました。学校の持久走でも走る機会があり、「長距離に向いているかも」と感じるようになったそうです。
小さい頃から家族で親子マラソンやキッズマラソンに参加していたんです。
出典:Alpen Online「サブ4の先で、もう一度楽しく走る。=LOVE(イコールラブ)瀧脇笙古が42.195kmで見つけたもの。」(2026年6月19日)
家族で参加した大会の中で、本人が特に覚えているのが相模原で開かれていた5kmほどのレースです。父や兄と毎年のように出場し、家族の恒例行事のようになっていました。
「1位を取れるかも」と思うほど持久走を得意にしていた時期もありました。のちにフルマラソンへ挑戦する瀧脇にとって、競技の出発点は本格的な陸上クラブではなく、家族と一緒に走った週末の大会でした。
ハマスタで踊ったキッズ・チアと野球のある日常
横浜での子ども時代には野球も身近にありました。父親は野球部出身、兄は少年野球をしており、瀧脇自身も物心がついた頃から野球を楽しんでいたと話しています。
本人が選んだのはプレーする側ではなくキッズ・チアでした。横浜スタジアムで小さい頃から踊っており、のちに=LOVEとして大きなステージへ立つより前から、人前で身体を動かす時間がありました。
2023年には、兄が子どもの頃に好きだった横浜DeNAベイスターズの藤田一也選手の引退セレモニーについて、本人公式Instagramにも思いを残しています。野球は仕事で後から近づいた趣味ではなく、家族の日常にあったものでした。
小学5・6年生の夏はいとこと歌舞伎の舞台へ
スポーツとは別に、小学校高学年では舞台に関わる経験もしています。小学5年生と6年生の夏休み、いとこと一緒に歌舞伎に取り組みました。
小5、小6の頃、いとこと一緒に夏休みに歌舞伎をやっていて
出典:SGS109「=LOVE 14thシングル『ナツマトぺ』大場花菜、齋藤樹愛羅、瀧脇笙古 インタビュー」(2023年7月19日)
プロの歌舞伎役者から浴衣の着付けも教わり、参加者で一つの舞台を作り上げました。本人は後年、この経験を「忘れられない夏の思い出」として挙げています。
マラソン、キッズ・チア、歌舞伎。小学生までの瀧脇には、家族と身体を動かす時間と、人前に立って一つの舞台を作る時間の両方がありました。
瀧脇笙古の家族構成は?父親・母親・兄とのエピソード
瀧脇笙古は父・母・兄・本人の4人家族です。兄を紹介した2021年のタウンニュースの記事には、家族について「父母と妹はアイドルグループ『=LOVE』の瀧脇笙古さん」と記されています。
家族の存在は、瀧脇の昔話のいくつもの場面に登場します。走るきっかけになった父、野球を身近なものにした父と兄、そしてオーディションで選んだ一曲にも家族との時間が関わっていました。
瀧脇笙古の実家はパン屋?BAKE TRUCKとの関係
「瀧脇笙古 パン屋」と検索される背景には、横浜・吉野町のパン屋「BAKE TRUCK」があります。BAKE TRUCKの公式Instagramは、2024年4月6日にオープンした吉野町のパン屋と案内し、プロフィールでも=LOVEと瀧脇笙古への応援を呼びかけています。
店舗公式Instagramは、瀧脇の横浜スタジアムでの始球式を伝えた投稿で本人を「娘(妹)」と表現しています。BAKE TRUCKと瀧脇家の家族関係は、店側から公にされているものです。
ただし、本人や=LOVE公式が「実家そのものがパン屋の店舗である」と説明しているわけではありません。BAKE TRUCKは瀧脇家と家族関係のあるパン屋であり、「実家=店舗」と同一視しない方が正確です。
瀧脇笙古の学歴は?中学校・高校時代と部活動
横浜市出身の瀧脇は、2017年には高校1年生として=LOVEの公式ブログに登場しています。小学校・中学校・高校の具体的な校名は、本人や公式媒体では公表されていません。
学校名より具体的に残っているのは、そこで何をしていたかです。中学ではソフトテニス、高校では新しい学校生活と=LOVEの活動が同時に始まりました。
中学ではソフトテニス部の後衛
中学生の頃はソフトテニスに取り組み、ポジションは後衛でした。本人はこの時期にさらに持久力がついた感覚があると振り返っています。
後衛はコート後方を広く動きながらラリーを続ける役割です。幼い頃から続けていた持久走に加え、中学の部活動でも身体を動かす日々を送っていました。
高校入学の年に=LOVEへ
大きく生活が変わったのは高校へ入学した2017年です。本人は後年、「イコラブに入ったのが高校に入学した年」と振り返っています。
高校という新しい環境に加え、歌、ダンス、ステージという初めてのことが一度に始まりました。特にダンスは未経験で、振り入れの段階で踊れるメンバーとの差に戸惑ったといいます。
家に帰ってから朝5時まで練習してました。
出典:タウンワークマガジン「瀧脇笙古(=LOVE)インタビュー」(2022年9月28日)
夜中まで自宅で踊り、両親が起きてきて「もう5時だよ」と言われたこともありました。そこから2時間ほど眠り、学校へ向かう日もあったそうです。
最初から細かな技術で追いつけたわけではありません。本人は「誰よりも大きく踊ろう」「一番高くジャンプしよう」と意識し、まず自分にできる見せ方を探していました。
2020年3月に高校を卒業
高校生活は=LOVEの活動とほぼ重なりました。瀧脇は2020年3月に高校を卒業し、その後の公式ブログで卒業を自ら報告しています。
卒業後は「イコラブに専念する時間が増えた」と公式ブログにつづり、料理など自分が伸ばしたいことにも時間を使いたいと書いています。大学への進学については、本人・公式から公表されていません。
瀧脇笙古は昔からアイドル好き?矢吹奈子への憧れ
瀧脇がアイドルを見る側だった時代に、特に憧れていたのが矢吹奈子です。2024年のインタビューでは、小学校6年生の頃から好きだったと話しています。
同い年でありながら、可愛さだけでなく歌やダンスも上手なところに惹かれていたそうです。高校生になって自分もアイドルのオーディションへ進む以前から、憧れの存在がいました。
私はオーディションの時から“人を笑顔にしたい”という夢を言葉にしてきました。
出典:Real Sound「=LOVE ソロインタビュー Vol.7:瀧脇笙古」(2024年8月19日)
オーディションの頃には、なりたい姿を「人を笑顔にしたい」という言葉で表していました。合格後に生まれたキャッチフレーズではなく、=LOVEへ入る入口ですでに口にしていた目標です。
2017年4月29日から6年となった2023年の投稿では、=LOVEの結成6周年を振り返っています。小学生の頃にアイドルを見ていた瀧脇は、高校生になると自分が初期メンバーの一人として活動を始めました。
瀧脇笙古のオーディション合格理由は?1番手で歌った長渕剛
=LOVEのオーディションで、瀧脇はエントリーナンバー1番でした。最初から1番を選んだのではなく、当日のエレベーターで起きた偶然によるものでした。
合格理由を一つの項目だけで説明する公式発表はありません。「長渕剛を歌ったから合格した」と断定はできませんが、1番手で震えながら歌った場面は、本人が後年何度も振り返る初期のエピソードとして残っています。
エレベーターの最後に乗ったらエントリーナンバー1番に
オーディション当日、瀧脇は会場のエレベーターに最後に乗りました。ところが最後に乗ったことで、到着すると最初に降りる位置になります。
そのまま先頭で受付する形になり、エントリーナンバーは1番。FMヨコハマ出演時にも本人がこの経緯を話しており、最初の審査から文字通り一番手で臨むことになりました。
父と兄が好きだった長渕剛「Myself」を選ぶ
歌唱審査で選んだのは、当時のアイドルオーディションでは意外にも長渕剛の「Myself」でした。48グループの曲も考えたものの、同じ曲を選ぶ応募者がいれば歌唱力を比較されると考えたそうです。
長渕剛は父と兄が大好きで、家族でカラオケへ行くとよく耳にしていました。「乾杯」と迷った末、自分が一番好きだった「Myself」を選びます。
「笙」は「竹のように真っ直ぐ生きる」という意味なんです。
出典:BUBKA Web「イコラブと過ごす冬…瀧脇笙古×雪」(2021年12月30日)
「Myself」には真っ直ぐ生きることを歌う一節があり、自分の名前に込められた意味とも重なりました。家族のカラオケで親しんだ曲が、15歳で受けたオーディションの一曲になりました。
=LOVE公式YouTubeの「Documentary of =LOVE -Episode0- 『Audition』」には、グループが生まれるオーディション期の姿が残されています。現在の瀧脇だけを知る人にとって、加入時の空気を映像で見られる一次資料です。
合格後はダンス未経験から朝5時まで練習
オーディションを通過した後、すぐに何でもできたわけではありません。高校生活と同時に始まった=LOVEで、瀧脇が最初に大きく苦戦したのがダンスでした。
振り入れで周囲が踊れるようになる中、自分だけできないと感じる日もありました。そこで家へ帰ってからも練習を続け、深夜を越えて朝になることもありました。
その時期の本人が意識したのは、できないことを隠すことではなく、大きく踊り、一番高く跳ぶことでした。2017年夏、練習を重ねた初期メンバーは最初のステージの日を迎えます。
TIF2017で初ステージ!=LOVEとしてデビューするまで
=LOVEが初めて観客の前でパフォーマンスを披露したのは、2017年8月5日の「TOKYO IDOL FESTIVAL 2017」でした。瀧脇にとっても、オーディション合格後のレッスンを経て立つ最初のアイドルステージです。
当日は=LOVEの初パフォーマンスとともに、9月6日にSACRA MUSICからメジャーデビューすることも発表されました。オーディションから約3か月余りで、グループはステージとCDデビューへ進んでいきます。
2017年8月5日にTIFで初パフォーマンス
お台場のTIFで披露された初ステージは、瀧脇が「=LOVEの瀧脇笙古」として観客の前に立つ起点になりました。2026年、10度目のTIFを終えた本人も、毎年この場所でステージデビューの日を思い出すとInstagramにつづっています。
幼い頃に横浜スタジアムでキッズ・チアとして踊った経験はありましたが、今度はアイドルグループの一員として歌とダンスを届けるステージでした。未経験から練習してきたダンスも、ここから人前で披露するものになります。
9月6日に1stシングル「=LOVE」でCDデビュー
初パフォーマンスから約1か月後の2017年9月6日、1stシングル「=LOVE」が発売されました。=LOVE公式ディスコグラフィーでも、この作品がメジャーデビューシングルとして掲載されています。
2023年9月6日の本人公式Instagramには、デビュー6周年を迎えた日の投稿が残っています。結成日の4月29日とは別に、9月6日も瀧脇と=LOVEにとって毎年振り返る日になりました。
2017年8月5日、TIFで初めて=LOVEとしてステージに立った瀧脇笙古。その約1か月後にCDデビューを迎え、アイドルとしての活動が本格的に始まりました。
2026年の10度目のTIFでも、本人は毎年ステージデビューの日を思い出すと記しています。オーディションを受けた高校1年の春から最初の夏へ続いた日付は、今も本人の言葉の中に残っています。
































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