CANDY TUNEの青色担当としてステージに立つ桐原美月。現在の姿から時間をさかのぼると、水戸ご当地アイドル(仮)、リルネードという2つのグループで活動した時期があります。
さらにその前には、母親が選んだロリータ服で小学校へ通った少女時代がありました。小学2年生からはヒップホップやブレイクダンスを始め、服装もストリート系へ変わっていきます。
桐原美月の最初のアイドル活動は、中学3年生だった14歳のころ、習い事のダンス発表会で声をかけられたことから始まりました。
ただ、当時の桐原はアイドルに憧れて一直線に進んでいたわけではありません。小学校時代の経験から「かわいいもの」やアイドルを避けていた時期があり、高校では学校へ通うことがつらくなった時期もありました。
茨城での幼少期、家族との日常、中学・高校で過ごした時間、14歳で立った最初のステージ。そして高校時代のでんぱ組.incとの出会いから、CANDY TUNEとしてSpotify O-EASTに立つまでをたどります。
桐原美月は昔どんな子だった?茨城で過ごした少女時代
桐原美月は2003年2月21日生まれ。出身地は茨城県で、本人も地元について「生まれ育った大好きな茨城県」と紹介しています。
出身地として公表されているのは茨城県までです。水戸市を中心に活動した水戸ご当地アイドル(仮)の元メンバーですが、それだけを根拠に「水戸市出身」とは断定できません。
ロリータ服とツインテールで小学校へ
幼いころの桐原は、現在とはまた違うファッションで過ごしていました。赤ちゃんのころから小学校へ入るころまで、母親が選んだロリータ系の服をよく着ていたと本人が振り返っています。
当時よく着ていたブランドの一つがシャーリーテンプル。重めのぱっつん前髪にツインテール、フリルの服という姿が定番でした。母親がビジュアル系バンドも好きだったため、ゴシックロリータ寄りの服になることもあったそうです。
その格好で小学校にも通っていましたが、周囲ではかなり目立ちました。服装について心ない言葉を受けるようになり、それまで好きだった「かわいいもの」から距離を置くようになります。
かわいい系の日本のアイドルも苦手になり、テレビに映るとチャンネルを変えるほどだった時期もありました。後にアイドルとして活動する桐原ですが、少女時代にはむしろアイドルを避けていた時期があったのです。
学校へ行きたくないと感じていた小学生のころ、日本テレビ系ドラマ『学校のカイダン』も見ていました。学校の中を変えようとする主人公の姿に影響を受け、誰かに影響を与えられる仕事を意識するようになります。
そのころから女優やモデルのオーディションにも挑戦しました。本人の記憶では50回以上受けましたが、なかなか合格には届きませんでした。
小学2年生からヒップホップとブレイクダンス
小学2年生になると、ヒップホップダンスとブレイクダンスを習い始めます。ダンスを始めたことで、好きなファッションにも大きな変化がありました。
ロリータ服から離れ、ダボッとしたパンツを履くようになり、髪も短くしました。ANAPやANAP GIRL、蛍光ピンクや蛍光グリーンのような目立つ色を好んだ時期もあったと話しています。
中学生になると少し大人っぽいギャル系、高校生になるころには韓国ファッションにも興味を持つようになりました。幼少期から服装の好みは何度も変化しています。
一方、小学2年生で始めたダンスは続きました。そして中学3年生になると、そのダンスが最初のアイドル活動につながります。
大人になってからは、子どものころに身近だったロリィタファッションを再び楽しむ姿も見せています。2023年1月には、本人Xに「今年もロリィタしてきた」と写真を投稿しました。
桐原美月の家族構成は?父親・母親・2人の妹とのエピソード
桐原美月は三姉妹の長女です。本人の一問一答では、父親、母親、本人、2歳下の妹、9歳下の妹という家族構成を明かしています。
母親が選んだロリータ服で育った
少女時代の桐原を語るうえで、母親の存在は服装の記憶と結びついています。赤ちゃんのころから着ていたロリータ服も、母親が選んでいたものでした。
母親はビジュアル系バンドも好きで、その影響からゴシックロリータ寄りの服を着ることもありました。幼いころからファッションや音楽が家庭の中にあったことになります。
後に本人がファッション誌の連載を持つようになってからも、幼少期の服装については母親との思い出としてたびたび振り返っています。
父親が14歳の娘にご当地アイドルを勧めた
父親は、桐原が芸能界への入口を探していた14歳ごろにも関わっています。女優やモデルのオーディションを何度も受けても結果が出なかった娘に、地元で歌う活動も芸能界につながるのではないかという趣旨で、ご当地アイドルを勧めました。
当時の桐原はまだアイドルへの苦手意識を持っていました。それでも、自分が好きな茨城のために活動する「ご当地アイドル」という形なら挑戦できるかもしれないと考えるようになります。
2人の妹を含む家族について、本人は現在もインタビューで自然に話しています。芸能活動を始める前から、服装では母親、最初のアイドルへの入口では父親との具体的な出来事が残っています。
地元・茨城や家族との距離感は、上京後の本人SNSにも現れています。
桐原美月の学歴は?中学校・高校・演技の専門学校まで
桐原美月が通った小学校・中学校・高校の具体的な学校名は公表されていません。一方、本人へのインタビューや卒業時の公式Xから、中学の部活動、高校の転校、茨城からの単身上京、その後に演技を学んだことまで確認できます。
中学ではソフトテニス部、朝練を3年間続けた
中学生のころはソフトテニス部で活動していました。そこで桐原は、自分なりの目標を一つ決めます。それが、部員の中で誰より早く朝練を始めることでした。
「絶対に毎日、部員の中で一番に朝練を始めよう」
出典:週プレNEWS「リルネード・桐原美月『小さい頃からマンガ誌のグラビアをこっそり見るのが好きでした』」(2022年4月10日)
本人は、その習慣を3年間続けたと振り返っています。中学時代の先生からは、一人で先へ走りすぎるところがあるため、頑張りすぎないことを意識するよう言われたこともありました。
そして中学3年生になると、学校とは別に続けていたダンスの発表会で声をかけられます。ここから学校生活と芸能活動が初めて交わり始めました。
高校では芸能活動のため転校し、茨城から単身上京
高校へ進んだあと、桐原は一度アイドル活動から離れて勉強や部活動に取り組みました。しかし、その後もう一度アイドルを目指すようになると、学校との両立が大きな問題になります。
最初に通った高校は芸能活動が禁止されていました。そのため桐原は学校を途中で離れ、転校して茨城から一人で東京へ移りました。
転校は修学旅行の直前だったと2022年のインタビューで話しています。行き先だった沖縄には参加できませんでした。
2021年4月、高校を卒業した桐原は本人Xで当時の経緯を自分の言葉で報告しました。
高校2年生で上京してからは、学校へ行けない日もあったと後年語っています。卒業時には、春から演技の勉強にも取り組むことを明かしました。
大学には進学した?演技の専門学校に通った経験
桐原美月の大学名や大学進学について、公表された確かな情報はありません。一方で、演技を学んだ経験については本人自身が明言しています。
2025年のインタビューでは、以前に「お芝居の専門学校に通っていた」と話しました。高校卒業時にも演技を学ぶ予定を伝えており、その後実際に演技の勉強へ進んだことが分かります。
専門学校の正式名称は公表されていません。小学生のころに女優・モデルのオーディションを何度も受けていた桐原にとって、演技への関心はアイドル活動とは別に長く続いていました。
アイドルが苦手だった桐原美月が14歳で水戸ご当地アイドルへ
桐原美月の最初のアイドル活動は、中学3年生だった14歳のころに始まりました。きっかけは、小学2年生から続けてきたダンスでした。
一番最初は、14歳の時にダンスのイベントでスカウトをしていただきました。
出典:sweet web「もっと知りたいきりちゃんQ&A 50♡」(2026年3月16日)
ダンス発表会で受けたスカウト
ダンスの発表会で地方アイドルの関係者から声をかけられました。ただ、当時の桐原はアイドルになることを前向きに考えていませんでした。
小学生のころ、ロリータ服を着ていたことで周囲から言葉を受け、「かわいいもの」や日本のかわいいアイドルそのものが苦手になった時期があったためです。
一方で芸能界への興味は残っていました。女優やモデルのオーディションを50回以上受けていた時期でもあり、誰かへ影響を与えられる仕事をしたいという思いは続いていました。
茨城が好きだったから「ご当地アイドルなら」と決断
そこで一つの理由になったのが地元でした。桐原は茨城県への思いが強く、一般的なアイドルには抵抗があっても、茨城のために活動するご当地アイドルなら挑戦できるかもしれないと考えました。
加入したのは、水戸市を中心に活動していた「水戸ご当地アイドル(仮)」です。
2017年には「みづき」の名義で活動し、地元のステージに立つようになりました。14歳だった桐原にとって、ここが実際にアイドルとして活動する最初の場所になりました。
水戸ご当地アイドル(仮)での活動を終えたあと、桐原はいったんアイドルの世界から離れます。その後の高校生活で、もう一度アイドルを目指すきっかけに出会いました。
高校時代のでんぱ組.incとの出会いからリルネードへ
ご当地アイドルの活動を終えた高校時代、桐原は勉強や部活動に力を入れました。しかし、何事にも全力で取り組もうとするうちに、自分自身を追い込みすぎるようになります。
アイドルへの憧れは少しずつ戻っていたものの、現実には勉強へ向かう毎日でした。「アイドルになりたいのに何をしているんだろう」と考え、学校へ行くこともつらくなっていったと振り返っています。
学校へ行くことがつらかった時期に聴いたでんぱ組.inc
その時期に繰り返し聴いていたのが、でんぱ組.incの楽曲でした。メンバーが不登校など自身の過去を公表しながらアイドルとして活動していることも知りました。
「そういうつらい状況の時に、でんぱ組.incさんをずっと聴いていたんです。」
出典:B.L.T.web「きゃんちゅーのCan’t stop! 君に夢TUNE! 桐原美月編」(2024年4月23日)
苦しい過去を持つ人でもステージで輝けることを知り、自分も似た状況にいる誰かへ届く存在になりたいと考えました。そこから、でんぱ組.incにつながる事務所のオーディションへ挑戦します。
2019年、リルネードのメンバーとして再びアイドルへ
2019年7月31日、東京・秋葉原ディアステージで開催された新人ユニットのお披露目ライブで、蔀祐佳、栗原舞優、桐原美月の3人組「リルネード」が発表されました。
3人は「でんぱ組虹コンJr.メンバー募集オーディション」を経て選ばれ、リルネードは「2020年代のオシャカワ」をコンセプトに活動を開始。8月3日にはTOKYO IDOL FESTIVAL 2019のステージにも立っています。
14歳のご当地アイドル時代とは違い、ここではグループの世界観に合わせた表情やダンス、振る舞いを身につけていきました。
「今はアイドル・桐原美月を演じるイメージで生きてます。」
出典:週プレNEWS「リルネード・桐原美月『小さい頃からマンガ誌のグラビアをこっそり見るのが好きでした』」(2022年4月10日)
リルネードで過ごした3年間と高校卒業
リルネードでの活動は高校生活とも重なりました。芸能活動禁止だった高校から転校し、茨城を離れて一人で東京に暮らしながら、アイドル活動と学校生活を続けます。
2021年に高校を卒業したあともリルネードでの活動は続きました。高校卒業後には演技も学び、自分が興味を持ってきた表現の幅を広げています。
目標だったZepp DiverCityで最後のライブ
リルネードは結成当初から、3年以内にZeppでワンマンライブを行うことを目標にしていました。3周年を迎える2022年、その目標だったZepp DiverCityでの公演が決まります。
ただし、そのステージは新たなスタートではなく、3人での活動に区切りをつける場所になりました。メンバーで今後について話し合い、2022年9月28日の公演を最後にそれぞれ別の道へ進むことを決めます。
「この3人だったから、同じ目標に向かって走り続けることができました。」
出典:音楽ナタリー「リルネード解散、目標だったZeppでラストライブ」(2022年6月12日)
最後のライブを終えた翌日、桐原は本人Xでも3年間への感謝を伝えました。水戸ご当地アイドル(仮)に続く2度目のアイドル活動が、ここで終わります。
次にアイドルをするなら、これまでとは違う形でステージに立ちたい。リルネードでの経験を終えた桐原は、自分自身をもっと前へ出せる場所を考えるようになりました。
桐原美月がCANDY TUNEを選ぶまで
リルネードの活動終了後、桐原は次のアイドル活動へ進むかどうかを迷いました。すでに2つのグループを経験していたからこそ、次にどんなアイドルになりたいのかを改めて考えることになります。
リルネードでは「2020年代のオシャカワ」というコンセプトに合わせ、自分の見せ方を身につけました。その経験をやり切ったあと、次は自分そのものをもっと出してみたいという思いが生まれます。
「今度は私らしい私をどんどん出したくて」
出典:arweb「【美女と町中華】CANDY TUNE・桐原美月にインタビュー♡」(2025年10月31日)
2022年12月、KAWAII LAB.の新アイドルとして発表
新しい挑戦の場所になったのが、アソビシステムのアイドルプロジェクト「KAWAII LAB.」でした。2022年12月14日、KAWAII LAB.公式から新グループのメンバーとして桐原美月が発表されます。
その後、村川緋杏、福山梨乃、小川奈々子、南なつ、宮野静、立花琴未とともに7人組のCANDY TUNEを結成。グループ名には、形や味の違うキャンディのように、それぞれ違う個性を持つメンバーが一つの旋律を奏でてほしいという意味が込められました。
桐原のメンバーカラーは青です。水戸ご当地アイドル(仮)、リルネードに続く3度目のグループ活動が始まろうとしていました。
デビュー前に残された桐原美月のドキュメンタリー
CANDY TUNE公式YouTubeでは、デビュー前のメンバーを一人ずつ追ったドキュメンタリーが公開されました。桐原美月編も制作され、新しいグループのステージへ向かう本人の姿を見ることができます。
デビュー日は2023年3月14日。会場は東京・渋谷のSpotify O-EASTでした。
2023年3月14日、CANDY TUNE最初のステージへ
2023年3月14日に開催された「KAWAII LAB. SESSION ~CANDY TUNE~」は、会場チケットが事前に完売していました。FRUITS ZIPPER、IDOLATERに続いて、CANDY TUNEの7人が初めて観客の前に立ちます。
最初に披露したのは『hanamaru』。さらに『キス・ミー・パティシエ』『ナナイロプロローグ』『未完な青春』をパフォーマンスしました。
桐原にとって、この日は人生で初めてアイドルとしてステージに立った日ではありません。14歳からすでに2つのグループを経験していたからこそ、新しい場所を選ぶまでには迷いもありました。
「ここを選んで正解だったなって心から強く思いました!」
出典:アソビシステム「話題の新星アイドル・CANDY TUNEが初パフォーマンス!」(2023年3月15日)
CANDY TUNEとして活動を始めた2023年には、本人Instagramにもステージで過ごす時間の記録が残されています。
ロリータ服で小学校へ通り、一度はかわいいものやアイドルから距離を置いた少女。14歳で地元・茨城のアイドルとしてステージに立ち、高校時代にもう一度アイドルを目指し、リルネードで3年間を過ごしました。
その先で選んだCANDY TUNEとしての最初のステージが、2023年3月14日のSpotify O-EASTでした。
































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