CANDY TUNEでオレンジ色を担当する南なつ。2023年3月に初めてアイドルとしてステージに立つまで、モデルやグラビア、さらにアイドルのマネージャーとして「見られる側」と「支える側」の両方を経験していました。
グループのほかのメンバーにはアイドル経験者が多いなか、南なつにとってCANDY TUNEが最初のアイドル活動です。中学生のころからアイドル現場へ足を運んでいたものの、当時は自分がアイドルになる未来を考えていませんでした。
南なつが初めてアイドルとしてステージに立ったのは、2023年3月14日のCANDY TUNEデビューライブです。
そこへたどり着くまでには、本と漫画に囲まれた少女時代、学校へ行けなくなった中学時代、服飾を学ぶために学校へ戻った日々がありました。高校では撮られる仕事を始め、やがてライブ会場では出演者を支える仕事もするようになります。
現在の「南なつ」という名前の前には、「なたーしゃ」としてモデル活動をしていた時期もあります。まずは、その名前と少女時代からたどります。
南なつの本名は?旧名義「なたーしゃ」から現在まで
アソビシステムやCANDY TUNEの公式プロフィールで使われている名前は「南なつ」です。一方、2020年のCURBONのモデル紹介では「なたーしゃ」という名義で活動していました。
本名として別の氏名は公表されている?
南なつとは別の戸籍上の氏名は、本人や所属先の公式プロフィールでは公表されていません。「なたーしゃ」は少なくとも2020年のモデル活動で実際に使っていた名義で、現在はCANDY TUNEのメンバーとして「南なつ」を使用しています。
そのため、「なたーしゃ=本名」「南なつ=本名」といった形で、公開されていない戸籍名まで推測することはできません。昔の活動を探すときには、「なたーしゃ」という名前が大きな手がかりになります。
「なたーしゃ」はモデル時代の活動名義
CURBONが2020年9月に公開したプロフィールには、東京出身で、スリランカとフィリピンにルーツを持つモデルとして掲載されています。高校時代にサロンモデルへスカウトされたことをきっかけに、撮影の世界へ入ったことも記されています。
このころはサロンモデル、雑誌、撮影会などに参加し、ミスiD2020では「ViVi賞」を受賞していました。アイドルになるより前から、人前に立ち、カメラの前で表現する経験を積んでいた時期です。
南なつはどんな少女だった?漫画に囲まれた幼少期
南なつの少女時代をたどると、まず目に入るのが本と漫画です。学生時代は本屋へ毎週のように通い、実家には壁一面ほどの大きな本棚があったと振り返っています。
小学生のころには学校の図書室の本をほとんど読み切ったほどでした。そこで出会った作品のひとつが矢沢あいの『Paradise Kiss』で、青木和雄の『ハッピーバースデー』も小学生のころから読んでいた作品です。
布団の中に懐中電灯を持ち込んで本を読んだ
昼だけでは読み足りず、夜になっても物語を追っていました。寝る時間になってからも布団の中に懐中電灯を持ち込み、こっそり本を開いていたそうです。
布団被って懐中電灯で本読んでて
出典:Billboard JAPAN「<インタビュー>『布団の中で、懐中電灯で読んでいた』――南なつ(CANDY TUNE)が明かす、本と音楽で彩られる日常【WITH BOOKS】」(公開日記載なし)
母親に本を取り上げられることもあったほどで、読む量だけでなく、生活の中に本が入り込んでいました。後に服飾の道を目指すきっかけになる『Paradise Kiss』も、この延長線上にあります。
『ハッピーバースデー』は外へ出にくい時期にも読んでいた
小学校後半から中学生にかけて、南なつには外へ出ることが難しい時期がありました。そのころ『ハッピーバースデー』の登場人物と自分の境遇に重なる部分を感じ、繰り返し読んでいたと後年話しています。
『Paradise Kiss』はファッションへの興味と結びつき、『ハッピーバースデー』は学校から離れていた時期にそばにあった作品でした。本や漫画は、単なる趣味以上に少女時代の日常の中へ深く入り込んでいました。
南なつの家族構成は?スリランカとフィリピンにルーツ
南なつの家では、漫画が家族の日常の一部になっていました。母親は『花より男子』を全巻持っており、祖母の家には母親が集めた少女漫画と、叔父が集めた少年漫画の両方が置かれていたそうです。
母や祖母の家にある漫画を読み続けた
祖母の家へ行くと、南なつはそこで漫画を読み続けていました。読む速度も速く、『花より男子』全巻を一晩で読んだことがあるほどだったと話しています。
母親が持っていた少女漫画だけでなく、叔父の少年漫画にも自然に触れられる環境でした。ジャンルを限定せずさまざまな作品に触れていたことが、幼いころの具体的な家庭風景として残っています。
弟との写真や家族の話も本人SNSに残る
南なつには弟がいます。本人は以前から弟についてSNSで触れており、弟を撮影していた昔の投稿や、成人を迎えた時期の投稿も残しています。一般人である家族の氏名や職業などは公表されていません。
国籍は?スリランカとフィリピンのルーツとは分けて考える
本人は自分について、スリランカとフィリピンのハーフだと語っています。2020年のCURBONでも「スリランカとフィリピンにルーツを持つ」と紹介されており、両地域につながりがあることは本人の発言と過去プロフィールの双方に残っています。
「ルーツ」と現在の法的な「国籍」は同じ情報ではありません。本人や所属先の公式プロフィールでは法的国籍は明記されていないため、スリランカ国籍・フィリピン国籍などと断定はできません。
南なつの学歴は?中学時代から文化服装学院まで
南なつの学生時代には、学校へ行けなくなった時期と、行きたい学校を見つけたことで再び通い始めた時期があります。中学校や高校の具体的な校名は公表されていませんが、本人は当時の出来事を詳しく振り返っています。
中学時代に約1年半、学校へ行けない時期があった
小学校時代の知り合いがいない中学校へ進学した南なつは、人間関係がうまくいかず、約1年半にわたって引きこもる時期を経験しました。家から出にくくなった時期に身近にあったのが、アイドルやアニメ、漫画でした。
中学生になるころには、でんぱ組.inc、drop、まねきケチャなどのアイドルも好きになり、ライブ現場へ足を運ぶようになります。ただ、この時点では自分がアイドルになることではなく、好きなカルチャーの世界に触れることが日常に戻る入口のひとつでした。
『Paradise Kiss』から文化服装学院を知り、学校へ戻った
進路を変えた作品も、小学生のころから読んでいた『Paradise Kiss』でした。本人によると、作品を読んでいたときに文化服装学院の案内が書かれたはがきが落ちてきて、「ここに行ったら夢が叶うかも」と思ったそうです。
文化服装学院へ行くには高校へ進み、そのためには中学校へ通わなければならない。具体的な進学先ができたことで、南なつは中学校へ戻りました。
夢を叶えるために中学校に行くだけだから
出典:B.L.T.web「きゃんちゅーのCan’t stop! 君に夢TUNE!〜結成1周年記念 豊洲PITまでの道〜 南なつ編」(2024年4月24日)
当時は英語とファッションを学びたいと考えていました。進学先の名前がはっきりしたことで、中学校、高校、その先の服飾という順番が現実的な道筋になっていきます。
高校時代にサロンモデルへスカウトされた
中学校へ戻った後は高校へ進学しました。高校名は公表されていませんが、この高校時代にサロンモデルへスカウトされたことが、初めてモデル活動へ入るきっかけになります。
服飾へ進むために学校へ戻った一方で、在学中にはカメラの前に立つ仕事が始まりました。後の「なたーしゃ」名義での被写体・モデル活動は、ここから続いていきます。
高校卒業後は文化服装学院へ進学し、2年時に退学
高校卒業後、目標にしていた文化服装学院へ進学しました。ところが2年時にコロナ禍を迎え、学校を辞めています。当時はすでにインターンで働いており、仕事そのものを楽しいと感じていたことも退学を選んだ理由のひとつでした。
本人は、卒業を待つより早く働きたい気持ちがあったと話しています。中学時代に目標にした学校へ実際に入り、その後は在学を続けることより仕事へ進む道を選びました。
大学はどこ?2020年のプロフィールとの違い
2020年9月のCURBONでは、南なつは「現役女子大生モデル」と紹介されています。一方、本人は後年のインタビューで、高校卒業後に文化服装学院へ入学し、2年時に退学したと明言しています。
文化服装学院は服飾系の専門学校で、具体的な大学名は公表されていません。別の大学への在籍を示す学校名や時期までは明らかになっていないため、学歴として特定の大学名を挙げることはできません。
「なたーしゃ」時代!モデルとミスiD2020
高校時代のサロンモデルを入口に、南なつは「なたーしゃ」名義で撮影活動を広げました。2020年のCURBONでは身長156cm、活動拠点は東京と紹介され、サロンモデルだけでなく雑誌や撮影会にも参加していました。
カメラの前では「被写体」として作品づくりに参加
CURBONの紹介では、光を探すことや小道具を使ったクリエイティブな撮影を得意分野として挙げていました。撮影されるだけではなく、どんな写真を作るかを意識していた時期です。
自分の力だけでいい写真が撮れるような被写体で在れることが理想です。
出典:CURBON「『映ることで、輝ける』|被写体Modelファイル #001 なたーしゃ」(2020年9月9日)
モデルとして撮られる経験を重ねるなかで、ミスiD2020にも参加し「ViVi賞」を受賞しました。当時のプロフィールには、サロンモデル、雑誌、撮影会と複数の現場で活動していたことが残っています。
ミスiD2020「ViVi賞」を受賞
ミスiDでの受賞は、モデルとして活動していた時期のひとつの記録です。ただし、この時点でもアイドル経験はありません。のちにCANDY TUNEへ入るまで、表に立つ活動の中心はモデルやグラビアでした。
南なつはなぜアイドルのマネージャーになった?
モデル活動をしていたころ、所属していた事務所でアイドルグループが作られることになりました。もともとアイドルが好きだった南なつは、そのグループのデビューライブを見に行きたいと伝えます。
すると現場の人手が足りず、「手伝ってほしい」と頼まれました。本人の説明では、本来はデビューライブだけ手伝う予定でしたが、そのまま必要とされる形になり、アイドルのマネージャーを約1年間担当します。
中学時代から通ったアイドル現場で、今度は支える側へ
南なつは中学生のころからアイドル現場へ通っていました。チェキのスタッフも経験し、その後はマネージャーとしてライブアイドルの現場を内側から知ることになります。
ライブ当日の動きだけでなく、楽屋での過ごし方やスタッフへの挨拶なども仕事として見る立場でした。後に本人は、マネージャー経験がアイドルになった後の現場での振る舞いにも生きていると話しています。
それでも、アイドルが好きになった当初から「自分もなりたい」と考えていたわけではありません。好きな現場に通い、スタッフになり、マネージャーとして働くところまで、長い間アイドルは自分が支える対象でした。
FRUITS ZIPPERとの出会いでアイドルへの道が動く
転機は、別の事務所で現場マネージャーをしていた時期に訪れました。そこで南なつが目にしたのが、デビューしたばかりのFRUITS ZIPPERです。
ステージを見た瞬間、本人は鳥肌が立つほどの衝撃を受けたと振り返っています。それまでアイドルを支える立場にいた南なつの中で、自分がやりたいことの向きが変わりました。
私、こういうことがしたい!これになりたい!
出典:TOKYO FM+「1年越しの大バズ!CANDY TUNE宮野静&南なつが語る『倍倍FIGHT!』ヒットまでの知られざる道のり」(2025年10月14日)
アソビシステムを調べ、知り合いのスタッフへ直談判
FRUITS ZIPPERの所属先を調べると、きゃりーぱみゅぱみゅも所属するアソビシステムでした。南なつにとって、自分が若いころから触れてきたカルチャーが重なる事務所でもありました。
そこで知り合いだったアソビシステムのスタッフへ直接話を持ちかけます。FRUITS ZIPPERに仕事として関わりたいことに加え、できるなら自分もアイドルになりたいと伝え、その話がオーディションへつながりました。
CANDY TUNEのメンバーとして発表
2023年2月、CANDY TUNEのメンバーとして南なつの名前が公式に発表されます。グループ公式Xでも「南 なつ(みなみ なつ)」として紹介され、モデルやマネージャーではなく、アイドルとして動き始めました。
発表後には、歌やダンスのレッスン、レコーディングと、モデル時代にはなかった準備が続きます。CANDY TUNEの6人の仲間と一緒に活動すること自体も、それまで一人で動くことが多かった南なつには新しい環境でした。
南なつがCANDY TUNEとして初ステージに立つまで
デビュー前、本人は公式発表のコメントで、モデルやグラビアの経験を生かしながら歌とダンスへ挑戦すると話していました。歌唱やダンス、グループでのレッスンはいずれも初めて経験することが多い時期でした。
レッスンやレコーディングなど、初めての経験がいっぱいです。
出典:アソビシステム「【KAWAII LAB.】新アイドルグループ『CANDY TUNE』が3月14日にデビューライブを開催」(2023年2月2日)
CANDY TUNEはライブデビューに先立つ2023年3月7日に1stデジタルアルバム『CANDY TUNE』を配信。そして3月14日、東京・Spotify O-EASTで「KAWAII LAB. SESSION ~CANDY TUNE~」を開催しました。
この公演がCANDY TUNEの初ステージです。ライブには同じKAWAII LAB.のIDOLATERとFRUITS ZIPPERも出演し、南なつは21歳で初めてアイドルとしてステージに立ちました。
アイドルとしての活動開始から約1年5か月後、2024年8月7日にはCANDY TUNE初のシングルCD『キス・ミー・パティシエ』が発売されています。アイドル活動開始年はCD発売年ではなく、初ステージを迎えた2023年です。
2024年の南なつ生誕祭に密着したCANDY TUNE公式ドキュメンタリーでは、アイドル2年目を迎えた本人の姿も記録されています。中学生のころ「推し」を見つけた側だった南なつが、今度はステージに立つ側として過ごしている時期の映像です。
2023年3月14日、Spotify O-EAST。アイドルのライブを客席から見て、スタッフとして支え、マネージャーとして現場に立ってきた南なつは、その日初めてCANDY TUNEのメンバーとしてステージへ上がりました。
「なたーしゃ」としてカメラの前に立っていた時期とは違う、歌って踊る7人の一人としての最初の日です。そこから「南なつ」のアイドル活動が始まりました。
































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