13歳でモーニング娘。に加入し、金髪の新メンバーとして「LOVEマシーン」に参加した後藤真希さん。1999年の登場時から大きな注目を集めましたが、その少し前までは東京都江戸川区で学校に通い、友達と歌やダンスを楽しむ中学生でした。
幼いころから歌うことが好きで、保育園の運動会ではポンポンを持って踊り、小学生になると公園へラジカセを持ち込んで友達とダンスを練習。家では母親と台所に立ち、年末には築地への買い出しについて行くこともありました。
金髪の13歳として知られる前、江戸川区の公園でラジカセを鳴らして踊っていた少女時代がありました。
当時は塾やそろばんにも通い、高校の学校案内を見ながら進路を考えていました。そんな中学2年生の夏、たまたま見たテレビ番組が生活を一変させます。
後藤真希の生い立ち!江戸川区で過ごした幼少期
後藤真希さんは1985年9月23日生まれ、東京都出身。本人は2024年のテレビ番組で、生まれてから長く江戸川区で暮らしてきたことを話しています。
子どものころの地元には公園や駄菓子屋があり、近所には顔見知りのおじいちゃん、おばあちゃんも多かったそうです。家の炊飯器が空だったときには、茶碗を持って裏の家へ行き、ご飯を分けてもらったこともありました。
5歳ごろの運動会で「Diamonds」を歌って踊った
歌って踊る楽しさを強く覚えているのは、5歳ごろの保育園の運動会です。プリンセス プリンセスの「Diamonds」に合わせ、ポンポンを持って踊りました。
「それがすっごく楽しくって!」
出典:美ST「後藤真希さん『LOVEマシーン』裏話…「当時の金髪、実は大失敗だった」!?」(2024年9月22日)
芸能活動とはまだ無縁だったころの出来事ですが、人前で音楽に合わせて体を動かした楽しさは、本人の記憶に長く残りました。
SPEEDに刺激を受け、公園で歌とダンスを練習
小学生のころ、同世代に近いメンバーがステージで歌って踊るSPEEDを見て衝撃を受けます。友達とカラオケへ行くだけでなく、公園にラジカセを持って行き、音楽を流しながらダンスを練習するようになりました。
そのころ練習していた曲の一つが、モーニング娘。の「サマーナイトタウン」です。ただし本人は、当時のモーニング娘。のメンバーや活動を詳しく追っていたわけではなく、歌って踊るための一曲として触れていました。
歌への興味が強くなると、六本木にあった平尾昌晃ミュージックスクールにも通いました。家から離れた場所までレッスンへ通いながら、学校生活も続けています。
12歳ごろには発表会で安室奈美恵の曲を歌っていた
モーニング娘。加入前の12歳ごろには、安室奈美恵さんの「I HAVE NEVER SEEN」を練習し、発表会で歌っていました。後年、本人が公式YouTubeでこの曲を歌った際、当時を思い出しながらそのエピソードを明かしています。
発表会で歌う一方、中学生になると塾やそろばんにも通っていました。音楽のレッスンと学校の勉強を並行しながら、日常の中に歌がある生活を送っていました。
後藤真希の家族構成は?母親・姉・弟と過ごした実家の日々
家の中で後藤真希さんが特によく一緒に過ごしていたのが母親でした。4人きょうだいの中でも母と台所に立つ機会が多く、料理をする姿をすぐそばで見て育っています。
母と台所に立ち、築地の仕入れにも同行
母親は地元で居酒屋を営んでいました。年末年始になると後藤真希さんは母と築地へ出かけ、店の仕入れについて行くことがあり、買い物の途中には二人で寿司を食べることもあったそうです。
「特別感あるっていいですね」
出典:スポニチ「後藤真希 最愛の母との思い出語る 2人でお出かけした「特別感ある」場所」(2024年11月17日)
家族で歌う場面もありました。弟の後藤祐樹さんは、姉の真希さんが幼いころから歌好きで、家族から歌を頼まれるとマイクを持って歌っていたと振り返っています。母とは「恋のバカンス」をデュエットすることもありました。
小学生の時期に父親と死別
後藤家では、真希さんが小学生だった時期に父親を登山中の事故で亡くしています。その後は母親が仕事をしながら家族を支え、きょうだいは同じ家で生活を続けました。
父親との死別後も、後藤真希さんの日常には学校や友達、歌の練習がありました。地元での生活と音楽への興味は、その後も並行して続いていきます。
2人の姉と弟・後藤祐樹とのきょうだい生活
後藤真希さんには2人の姉と弟がいます。弟の祐樹さんとは子どものころにけんかをすることもあり、祐樹さんの証言には、家の中で遠慮なく言い合えるきょうだいの日常が残っています。
のちに人生を変えるASAYANへの応募では、姉の一人が履歴書を書き、応募写真まで撮ってくれました。
家族は、真希さんが応募しても合格するとは考えていなかったそうです。姉は履歴書や写真の準備を手伝いましたが、家の中では大きな進路変更として受け止められていませんでした。
後藤真希の学歴は?中学2年の夏とデビュー後の学校生活
後藤真希さんは江戸川区内の区立中学校に通っていたことを本人がテレビ番組で話しています。中学2年生の夏休みまでは、地元で学校生活を送りながら音楽のレッスンにも通っていました。
中学校では赤い髪とルーズソックスで入学式へ
中学校の入学式では髪を赤く染め、ルーズソックスを履いて登校したと本人が明かしています。その姿が目立ち、上級生から呼び出されたこともあったという、芸能界入り前の学校生活を伝えるエピソードです。
放課後や休日にはミュージックスクールへ通い、歌やダンスを学びました。さらに塾とそろばんにも通り、音楽と学校の勉強を並行していました。
高校は制服を見ながら進学先を考えていた
中学生のころは高校へ進学するつもりで、学校案内を見ながら行き先を考えていました。本人は学校案内を見ながら、制服のかわいさも進学先を選ぶ基準にしていました。
ところが中学2年生の夏休みにモーニング娘。のオーディションへ合格。約1か月後には「LOVEマシーン」が発売され、夏休み前とはまったく違う状況で新学期を迎えます。
夏休み明け、学校に人が集まるようになった
休みが明けると、モーニング娘。に入った後藤真希さんを見ようと校内で話題になり、別の学年の生徒までクラスへ来るようになりました。テレビ収録やレッスンも始まり、これまでと同じように学校へ通うことが難しくなっていきます。
「もう学校に通うとか、そういうのが凄く難しくなりました」
出典:スポニチ「後藤真希 13歳でモー娘。加入「学校に通うとか…難しくなりました」夏休み中合格→1か月後にCD発売」(2025年6月29日)
高校の制服を見ていた時期から、仕事の予定を中心に一日が動く生活へ。本人にとって1999年の夏休みは、進路を考える中学生の日常と芸能活動の境目になりました。
ASAYANを偶然見た日、モーニング娘。のオーディションへ
きっかけはテレビ東京系「ASAYAN」でした。学校で番組の話題を耳にすることはあったものの、後藤真希さん自身は毎週欠かさず見ていた視聴者ではありませんでした。
「私がモーニング娘。に入ったのは、本当にたまたまなんですよ。」
出典:テレ東プラス「後藤真希「ASAYAN」時代を振り返って「あの頃の自分は恐ろしい…。アイドルになっていなかったらどんな人生を送っていただろうと考えることがある」」(2022年2月20日)
ある日、たまたま自宅でASAYANを見たところ、画面にモーニング娘。追加オーディションの募集告知が出ます。歌って踊る歌手になりたいと考えていた後藤真希さんは、その募集に応募しました。
「私はただ歌って踊る歌手になりたいと思って」
出典:ORICON NEWS「後藤真希はなぜ”10年に一人の逸材”なのか? 「テレビの中の自分も本当の自分も、いつも客観視できた」」(2020年12月2日)
黒髪ツインテールの履歴書写真は家の前で撮影
応募しようとしたものの、13歳の後藤真希さんは履歴書がどんなものなのかもよく分かっていませんでした。そこで姉に書いてもらい、応募用の写真も姉に撮ってもらいます。
撮影場所は自宅前の駐車場。髪は黒く、ツインテールにした中学生らしい姿でした。テレビに登場した金髪姿とは、かなり印象が違います。
審査の途中でメッシュから金髪へ変わった
一次審査のあと、白いメッシュを入れ、夏休みに入るとさらに髪を明るくしました。最終的にはブロンドに近い色になり、母親からは、その髪色では落とされると叱られています。
当時よく読んでいたのはギャル雑誌の「egg」。白っぽいリップや日焼けした肌など誌面のスタイルに憧れ、審査が進むたびに自分の見た目も変えていきました。黒髪の応募写真と二次審査のホワイトメッシュでは、審査員から写真を撮った時期を尋ねられるほど印象が違っていたそうです。
ブロンドへのカラーリングを頼んだ相手は、美容学校への進学を考えていた身近な先輩でした。本人が思い描いた仕上がりにはならなかったものの、夏休みだったためそのまま審査へ。芸能人として用意された髪型ではなく、当時好きだったギャル文化の延長にあった変化です。
結果としてその髪のまま最終審査へ進み、合格後すぐに衣装合わせや撮影が始まったため、髪色を戻す時間はありませんでした。後藤真希さんのデビュー当時を象徴する金髪は、中学生の夏休みに変えた髪色がそのまま残ったものでした。
オーディションで歌ったのは鈴木亜美の「BE TOGETHER」
審査で歌った曲の一つが、鈴木亜美さんの「BE TOGETHER」です。2022年には自身のYouTubeでこの曲をカバーし、当時との接点を本人公式Xでも紹介しています。
審査が進むと候補者は5人まで絞られ、最終段階では2~3日間の寺での合宿へ入りました。合宿後にはレコーディングスタジオで課題曲を録音し、その結果を待つ流れでした。
ASAYANの最終審査は寺で行われる合宿形式でした。ほかの候補者がお経に耳を傾ける中、後藤真希さんは一人うたた寝していたと後年話しています。
1999年8月、後藤真希さんはモーニング娘。3期メンバーに選ばれました。合格を母親へ伝えたときは、すぐには信じてもらえなかったと振り返っています。
合格直後に事務所へ出入りし始めると、建物の前にいたモーニング娘。のファンから初めてサインを求められました。まだ芸能人らしいサインを考えていなかったため、その場では自分の名前を署名のように書いて渡したといいます。
合格から「LOVEマシーン」へ!13歳でアイドルになるまで
合格の余韻に浸る時間はほとんどありませんでした。翌日から「LOVEマシーン」の衣装合わせやカレンダー撮影などが入り、それまで学校やレッスンへ通っていた13歳の生活に、テレビ・撮影・コンサートの仕事が一気に加わります。
しかもモーニング娘。はすでに活動中のグループです。新曲だけを覚えればよいのではなく、既存曲の歌詞、振り付け、自分の立ち位置まで短期間で入れなければなりませんでした。
十数曲を約10日で覚える日々
加入直後は十数曲分の映像を見ながら、ダンスの先生の助手と練習室で振り付けを覚えました。撮影など別の仕事も同時に進む中、約10日という短い期間でステージに必要な曲を頭と体へ入れていきます。
仕事を始める前に想像していた歌って踊る歌手と、実際にアイドルグループへ途中加入する生活には大きな差がありました。加入から3週間ほどで、本人は事務所に辞意を伝えています。
「もう辞めます!」
出典:美ST「後藤真希さん、モーニング娘。加入時は「3週間でもう辞めたい」と思った理由とは」(2024年9月22日)
申し出はそのまま退所につながらず、レッスンと仕事は続きました。知らない場所へ一人で電車移動し、地図を持っていても集合場所を間違えてしまうことがあるなど、仕事以前に大人の現場へ通うこと自体が新しい経験でした。
初めてのステージで感じた楽しさ
練習では覚えることに追われていた一方、実際にステージへ立ったときの感覚は別でした。目の前に観客がいて、歌い、踊り、その反応が返ってくる。その日の記憶を後藤真希さんは今もはっきり覚えています。
「LOVEマシーン」の発売前には、横浜アリーナのライブに参加し、よみうりランド オープンシアターEASTでは新メンバーとしてのお披露目も経験しました。オーディションに合格してから、観客の前へ出るまでの準備期間はごく短いものでした。
「本当に楽しかった。」
出典:美ST「後藤真希さん、モーニング娘。加入時は「3週間でもう辞めたい」と思った理由とは」(2024年9月22日)
テレビの中で見ていた世界へ入り、短期間で大量の曲を覚え、学校へ通う時間も失われていく。その中で、観客の前で歌う時間は、幼いころの運動会や公園で感じていた歌って踊る楽しさと直接つながるものでした。
1999年9月9日、後藤真希さんが参加したモーニング娘。の「LOVEマシーン」が発売されます。夏休み前には高校の制服を見て進路を考えていた中学生が、その夏にオーディションを受け、13歳のまま全国に知られるアイドルとして最初のステージへ立ちました。
江戸川区の公園で友達と踊っていた時間から、ASAYANの応募、姉が撮った履歴書写真、金髪のまま迎えた合格、そして初ステージまで。後藤真希さんのアイドルとしての原点は、1999年のひと夏に急速に形になっていきました。































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