=LOVEで「お姫様」のイメージを持たれ、ファッションモデルとしても活動する音嶋莉沙さん。現在の柔らかな雰囲気からは、幼いころから何度もオーディションを受け、落選を重ねながらアイドルへの道を探していた長い時間は見えにくいかもしれません。
学生時代は、校則でメイクができないことから真夏でもマスクを着け、学校ではひっそり過ごしていたと本人が振り返っています。その一方で、小学5年生からアイドルオーディションを受け続け、高校生になると実際にステージへ立つようになりました。
幼稚園のころに書いた「アイドルになりたい」という夢は、iDOL Street、HKT48のオーディション、そして最後と決めた=LOVEの審査へと続いていきます。
福岡で過ごした少女時代から、初めてファンの前で歌った16歳の夏、アイドルを諦めかけた高校卒業前後、そして=LOVEとしてステージに立つまでを時系列で追っていきます。
音嶋莉沙の生い立ち!幼稚園のころからアイドルが夢だった
音嶋莉沙さんは1998年8月11日生まれ、公式プロフィールでは福岡県出身です。幼稚園年長のころには、将来の夢として「アイドルになりたい」と書いていました。
当時の憧れは「かわいい」「踊りたい」という子どもらしいものだったそうです。それが小学校高学年になると、AKB48を知ったことで、ステージに立つ仕事を具体的に意識するようになります。
特に心に残ったのが、東日本大震災の復興支援コンサートでした。歌やダンスで人を元気にする姿を見て、自分もアイドルとして誰かに元気を届けたいという気持ちが強くなっていきました。
小学5年生からオーディションを受け続けた
音嶋さんが実際にオーディションを受け始めたのは小学5年生のころです。書類審査で落ちることもあれば、最終審査まで進んで合格に届かないこともありました。
一度や二度の挑戦ではありません。本人は後年、なかなか受からない時期が続き、「向いてないのかな」と何度も諦めかけたと話しています。まだ芸能活動を始める前から、審査会場へ向かうことが日常の一部になっていました。
「アイドルになりたい」と書いた幼稚園時代から、小学5年生で実際に応募する側へ進んでいたことが、音嶋莉沙さんの原点です。
渡辺麻友に憧れた少女時代
AKB48の中でも、音嶋さんが後年「憧れる存在」として名前を挙げたのが渡辺麻友さんです。かわいらしさだけでなく、何事にも全力で取り組む姿や、ステージ上で輝き続ける姿を見ていました。
渡辺麻友さんに憧れてアイドルになりました。
出典:Real Sound「=LOVE ソロインタビュー Vol.3:音嶋莉沙」(2024年8月5日)
小学校のころに見ていたアイドルは、やがて自分がどんな存在になりたいかを考える基準にもなりました。後に=LOVEで活動するようになってからも、「元気や勇気を届けられる存在でいたい」という思いを語っています。
音嶋莉沙の家族構成は?家族や身内と過ごしたデビュー前
音嶋さんの両親や兄弟姉妹については、本人や=LOVE公式が家族構成を一覧で公表した資料はありません。ネット上には兄弟姉妹に関する情報もありますが、本人の一次資料で裏付けられない関係性は断定できません。
本人が家族について具体的に触れている場面のひとつが誕生日です。=LOVEに入る前は、誕生日になると家族や身内から「おめでとう」と言われて祝ってもらっていたと話しています。
=LOVE加入後は、生誕祭で大勢のファンが誕生日を祝うようになりました。家庭の中で祝われていた日が、多くの人と喜びを共有する日へ変わっていったことを、本人自身が印象的な変化として挙げています。
一般人である家族の氏名や職業、生活圏などは公表されていません。音嶋さんの生い立ちを追ううえでは、本人が実際に語った家庭での記憶が手がかりになります。
音嶋莉沙の学歴は?高校時代とアイドルを諦めかけた進路
正式な小学校・中学校・高校名は、本人公式プロフィールや本人インタビューでは公表されていません。一方、高校については本人が「進学校だった」と明かしており、卒業時期も本人の投稿から2017年春と分かります。
高校では一年中マスクをして静かに過ごした
高校時代の学校での姿は、ステージに立つときの音嶋さんとはかなり違っていました。学校にはメイク禁止の校則があり、自分の顔に血色がないことを見られるのが恥ずかしかったため、暑い日もマスクを外さなかったそうです。
1年中、マスクをしていました(笑)。
出典:タウンワークマガジン「音嶋莉沙(=LOVE)インタビュー」(2021年12月15日)
本人はそのころを、学校では「密かに、おとなしくしていました」と振り返っています。校内で目立とうとするより、学校の外で受けるオーディションやアイドル活動に気持ちを向ける高校生活でした。
大学受験を考えるほど心が折れた時期
高校生活の終盤、アイドルへの挑戦は一度大きく止まりかけます。どうしても受かりたかったオーディションには18歳までという応募資格があり、その最後の機会でもあと一歩のところで落選しました。
そのときは「もうダメだ」と思うほど泣き、アイドルを追うこと自体をやめようと考えます。進学校に通っていたこともあり、次の進路として大学受験へ切り替えることを考えました。
ただ、時間がたつと「人生は一度きり」「今しかできないことをやりたい」という思いが戻ってきます。大学への進学を考えたことは本人が明言していますが、大学への入学や中退について本人が確定的に語った一次資料はありません。
高校2年生でiDOL Streetのストリート生へ
何度もオーディションを受けてきた音嶋さんに、初めて継続的なアイドル活動の場ができたのは高校2年生の2015年です。7月12日、エイベックス主催の「Girls Street Audition」でアイドル部門の合格者として名前が発表されました。
音嶋さんはiDOL Streetのストリート生8期生となり、九州を拠点に活動していた「FUKUOKA はかたみにょんsweet★」へ加入します。8期生として福岡地区から入ったのは音嶋さん一人で、同じ期の仲間が近くにいない状態からのスタートでした。
16歳で迎えた初パフォーマンス
2015年8月、TOKYO IDOL FESTIVALの時期に新体制のFUKUOKA はかたみにょんsweet★としてステージへ。本人の最初の公式ブログには、高校2年生の16歳として、ダイバーシティ東京で初めてパフォーマンスを披露した日の記憶が残っています。
最初は、凄く緊張したけど
出典:FUKUOKA はかたみにょんsweet★公式ブログ「初めまして!音嶋莉沙です★!」(2015年8月2日)
客席から声援を受けるうちに緊張がほどけ、最後は楽しかったと書いています。同じ日には初めての握手会にも参加し、ライブとは違う近さでファンから直接気持ちが伝わる体験もしました。
このTIF2015の公式映像では、新加入した音嶋さんを含む4人で「黄昏バイシクル」を披露しています。後に=LOVEとして大きなステージへ立つ前、ストリート生として活動していた時期の姿を確認できる記録です。
歌もダンスも思うようにできず涙した
初めて継続的にステージへ立てるようになった一方、活動は順調なことばかりではありませんでした。周囲には以前から活動していたメンバーがおり、音嶋さん自身は歌もダンスもできないと感じ、なぜ自分が選ばれたのかと思ったこともあったそうです。
レッスンで注意を受け、できない自分に涙した日もありました。小学生からオーディションを受け続けてようやく立てたステージでしたが、合格した瞬間がゴールではなく、そこから歌やダンスを身につける時間が始まりました。
2016年3月、ストリート生を卒業
活動開始から約8か月後の2016年3月15日、音嶋さんは3月21日の全校集会をもってストリート生を卒業すると発表します。福岡で自分だけが8期生だった不安や、レッスンで苦戦した日々を振り返りながら、次の道へ進む決断を伝えました。
私は、新たな夢に向かって頑張ることに決めました。
出典:FUKUOKA はかたみにょんsweet★公式ブログ「大切なお知らせです 音嶋莉沙」(2016年3月15日)
卒業発表では、その選択でいいのか何度も考えたことも明かしています。3月21日まではストリート生としてステージに立ち、その後は自分で決めた道へ進むとしました。
HKT48 4期生としてお披露目後に合格取り消し
ストリート生を卒業した2016年、音嶋さんはHKT48の4期生オーディションに進み、一度は4期生としてお披露目されました。しかし7月21日、HKT48運営から音嶋さんの合格を取り消すという公式発表が出ます。
発表された理由は、応募資格にあった「プロダクションに所属していない」という条件に反し、他のプロダクションに所属していることが判明したためでした。予定されていたHKT48のツアーにも参加しないことになりました。
HKT48の公式発表は同時に、音嶋さんがHKT48メンバーとして活動することはなくなったものの、「同じ世界で活躍していく」と記しています。ここで芸能界そのものから離れたわけではありませんでした。
高校卒業を控えるころには、別のオーディションでも年齢制限ぎりぎりの最後の機会に落選します。何度も続いた不合格のあと、進学へ気持ちを切り替えようとした時期が訪れました。
最後と決めた=LOVEオーディション
2017年、指原莉乃さんがプロデュースする新しい声優アイドルグループのオーディションが始まります。音嶋さんが応募した一番の理由は、指原さんのプロデュースだったことでした。
それまでに何度も落選し、大学受験まで考えていた音嶋さんにとって、この募集は何度でも受け直せる一つの審査ではありませんでした。自分の中で、アイドルになるために受ける最後のオーディションと決めていました。
これが本当に最後と決めていて
出典:タウンワークマガジン「音嶋莉沙(=LOVE)インタビュー」(2021年12月15日)
「ハート型ウイルス」を歌い、ダンスまで覚えて審査へ
審査では、AKB48の「ハート型ウイルス」を選びました。歌だけを準備したのではなく、指原さんの目に留まるためにダンスもすべて覚え、すでにファンの前で披露するような気持ちで審査へ向かったと話しています。
ストリート生時代に「歌もダンスもダメダメ」と感じていた16歳から約2年。最後と決めた審査では、歌う曲の振り付けまで自分で準備して見せるところまで来ていました。
指原莉乃が応募書類で音嶋莉沙を見つけた
指原さんはHKT48に在籍していたため、前年に4期生として一度お披露目された音嶋さんの経緯も知る立場でした。=LOVEの選考で応募者の中に音嶋さんの名前を見つけ、再びアイドルを目指していることを知ります。
2017年9月のデビューイベントで音嶋さんは、募集を見つけたときの気持ちをこう振り返りました。
チャンスを与えてくれたんだなと思って受けました
出典:日刊スポーツ「指原莉乃『すごい根性』=LOVEに元同僚音嶋莉沙」(2017年9月5日)
指原さんも同じ場で、HKT48の一件があってもアイドルを目指して応募してきた姿勢に触れています。音嶋さんは最終審査を通過し、2017年4月29日に=LOVEのメンバーとして発表されました。
後年、結成2周年の日には、4月29日を「12人での活動が始まった大切な日」と本人が振り返っています。何度もオーディション会場へ向かった少女にとって、この日から初めて=LOVEとしての時間が始まりました。
=LOVE加入後の合宿から最初のステージへ
合格すると、憧れていた世界の空気はすぐに現実へ変わりました。音嶋さんは「やっとアイドルになれた」と喜んだものの、ほどなく合宿が始まり、ステージで輝くために必要な練習量を目の前にします。
合宿では多くのメンバーが泣いたり、心が折れそうになったりしたと本人は話しています。音嶋さん自身もへこたれやすい面があるとしながら、それまで何度もオーディションに落ちてきた時間を思い出し、好きなことをできている今を選びました。
2017年8月にはTOKYO IDOL FESTIVALへ=LOVEとして出演し、9月6日に1stシングル「=LOVE」でCDデビュー。2015年のTIFではFUKUOKA はかたみにょんsweet★の新メンバーだった音嶋さんが、2年後には新しいグループの一員として同じアイドルフェスの舞台へ戻りました。
幼稚園のころに書いた夢から、小学5年生で始めたオーディション、高校時代のストリート生、合格取り消しと進路の迷いを経て、音嶋莉沙さんは19歳で=LOVEとしてCDデビューを迎えました。
最初のステージで緊張しながら声援を聞いていた16歳から、最後と決めた審査を越えて=LOVEのステージへ。その後の活動は、何度も入口を探し続けた少女時代の先に始まっています。
































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