FRUITS ZIPPERでラベンダー色を担当し、歌唱力でもグループを支える仲川瑠夏。現在の姿だけを見ると、最初からアイドル一本で歩いてきたようにも見えます。
けれど、その始まりはアイドルではありません。3歳から雑誌のスチール撮影やCMなどの芸能活動を経験し、中学進学を機にいったん芸能界から離れています。
3歳から芸能活動を始め、中学では一度休止。高校で再び芸能界へ戻った先に、アイドルという道がありました。
中学時代にはキャビンアテンダントを目指して勉強し、高校と大学では海外留学も経験。FRUITS ZIPPER以前には「仲谷瑠夏」の名で複数のグループに所属し、候補生から正式メンバーを目指した時期もありました。
現在の仲川瑠夏へつながる時間を、幼少期の遊びや家族との海の思い出、学校生活、留学、最初のアイドル活動から順にたどります。
仲川瑠夏は3歳から芸能活動!幼少期は海とギャル文化が身近だった
仲川瑠夏が芸能活動を始めたのは3歳ごろです。小学6年生まで、雑誌のスチール撮影やCM出演などを経験していました。現在のアイドル活動よりずっと前から、撮影やオーディションのある生活を送っていたことになります。
本人は当時の仕事自体は楽しかったと振り返る一方、オーディションを受け続けることには少しずつ疲れを感じるようになりました。中学では部活動にも入りたいという気持ちがあり、進学を境に芸能活動をやめています。
中学では部活も入りたかったので、芸能活動を一度辞めたんです
出典:Billboard JAPAN「<インタビュー>原宿から世界へ、“NEW KAWAII”を発信するFRUITS ZIPPERの野望」(公開日記載なし)
スイミングとサーフィンで海によく通った小学生時代
芸能の仕事とは別に、子どものころはスイミングスクールにも通っていました。父親がサーフィンをしていたことから海へ出かける機会も多く、小学生になると仲川瑠夏自身もサーフィンをするようになります。
小学生の頃から私もサーフィンをやっていて
出典:週プレNEWS「FRUITS ZIPPERの歌姫・仲川瑠夏がグラビアに挑戦 『今、一番欲しいものはカリスマ性です』」(2022年11月7日)
海に通っていたころはかなり日焼けしており、本人いわく体は「真っ黒」。暗い道では目と歯だけが浮かんで見えるようで、周囲から怖いと言われたという、現在の姿からは少し想像しにくい小学生時代の記憶も残っています。
おジャ魔女どれみ、ディズニー、ギャルの従姉妹
家の中で好きだったものも具体的です。幼いころは『おジャ魔女どれみ』の妹尾あいこと瀬川おんぷが好きで、2人の衣装を持っていました。ディズニープリンセスも好きで、ドレスを何着も持っていたと話しています。
一方、小学生の仲川瑠夏が憧れていたのは、プリンセスだけではありません。身近にいた従姉妹たちがギャルで、メイクを教えてもらっていました。学校で使う自由帳にも、ギャルの女の子の絵を何度も描いていたそうです。
従姉妹たちがギャルだったんです。
出典:QJWeb「【FRUITS ZIPPER】仲川瑠夏『“ギャルの私”でアイドルができるなんて!』個性を肯定してくれる場所」(2025年3月12日)
足が速いことを褒められた記憶も残っています。当時は「足が速い子は人気者」という感覚があり、自分も人気者になれたような気がしてうれしかったと後年語りました。撮影現場だけではない、ごく普通の小学生らしい場面です。
仲川瑠夏の家族構成は?消防士の父・母とのエピソード
家族との昔話で特に具体的に残っているのが、海で過ごした時間です。父親は消防士でサーフィンをしており、仲川瑠夏が小学生からサーフィンを始めたきっかけにもなりました。
父は消防士でサーフィン好き
父親の影響で海へ行き、スイミングスクールにも通っていたため、水は子どものころから身近な存在でした。芸能活動でオーディションを受ける生活の一方に、父の影響でサーフィンを楽しむ時間もありました。
父親の氏名や詳しい勤務先などは公表されていません。母親についても、氏名や職業といった個人情報は明らかにされていません。
2020年の旧公式ブログには、家族と久しぶりにショッピングモールへ出かけ、父親に洋服を買ってもらったという一日も記されています。海のような大きな思い出だけでなく、買い物へ出かける日常の場面も本人の昔話に残っています。
大人になっても両親と海へ
海とのつながりは子ども時代だけで終わりませんでした。本人の公式Instagramには、両親と静岡県の下田へ出かけたときの投稿もあります。小学生のころから身近だった海へ、大人になってからも家族と出かけています。
兄弟姉妹については、公表情報だけで家族構成を確定できる材料はありません。過去の公式ブログに「妹、フラちゃん」という表現がありますが、これは愛犬のトイプードルを指すもので、人間の妹を示す情報としては扱えません。
仲川瑠夏の学歴は?中学・高校・大学の学生時代
学校生活では、中学進学が大きな区切りになりました。小学生まで続けてきた芸能活動を休み、3年間は勉強や部活動へ力を向けています。高校入学後には芸能活動を再開し、海外留学も経験しました。
中学校・高校・大学はいずれも学校名が公表されていません。具体的な学校名を断定できる本人・公式情報はなく、候補校の推測は避けるのが適切です。
中学では芸能活動を休み、勉強と部活に集中
中学3年間の目標は、芸能界で成功することではありませんでした。将来は大学へ進み、キャビンアテンダントになることを考えていたため、英語だけでなくほかの科目も学年上位を保とうと勉強していました。
キャビンアテンダントになる目標に向かって勉強していました!
出典:NHK出版デジタルマガジン「『原宿から世界へ』を実現させるFRUITS ZIPPER・仲川瑠夏さん、早瀬ノエルさんの英語学習法とは」(2025年9月6日)
部活動にも取り組みました。後年の旧公式プロフィールでは、学生時代の部活を「ソフトテニス」と紹介しています。撮影やオーディションから離れ、学校の勉強と部活動を中心に過ごす3年間でした。
高校で芸能活動を再開し、2週間の海外留学へ
高校生になると「また芸能活動をやりたい」という気持ちが戻り、活動を再開します。同じ高校時代には2週間の海外留学も経験しました。所属事務所の現在のプロフィールでも、高校時代にアメリカへ留学し、その経験から英語を話せることが紹介されています。
高校時代の留学では、現地でインフルエンザにかかり、脱水症状で病院へ運ばれたこともありました。通された病室はユニコーンと雲の壁紙で、本人は小児科だったのではないかと振り返っています。点滴を受けながら「5歳になった気分」だったという出来事です。
芸能活動へ戻った時点でも、将来の道がアイドルに決まっていたわけではありません。高校生活の中で、事務所からある提案を受けたことが次の入口になります。
大学では4か月留学し、アイドルと学業を両立
大学でも海外へ渡り、4か月間、1学期にあたる期間を留学に使いました。2017年の旧公式ブログでは3月からアメリカへ行き、現地の大学で学ぶことを本人が報告しています。
大学時代の留学先について、本人はアメリカ・ジョージア州の田舎だったと話しています。滞在中にアトランタへ出かけた際、地図を頼りに歩いているうちに雰囲気の違う場所へ入り、知らない人に追いかけられるという怖い経験もしました。
この留学は、当時所属していた東京バイラールの活動準備と重なりました。留学を取りやめることまで考えましたが、事務所の社長、プロデューサー、メンバーから「今しかできない経験」と背中を押され、予定どおり渡米します。
向こうの大学で勉強頑張ります!
出典:東京バイラール公式ブログ「仲谷、留学に行きます!」(公開日記載なし)
2020年3月には大学卒業を本人のXで報告しました。卒業式そのものはなくなったものの、友人と写真を撮り、「アイドルと学生」の両立を終えて、以後はアイドル一本で進むことを伝えています。
学業とアイドル活動を同時に続けた大学生活が終わり、仕事へ使える時間は大きく変わりました。ただし、ここに至るまでにはすでにいくつものグループでの活動がありました。
高校時代の「アイドルやってみない?」から始まった
仲川瑠夏が初めてアイドル活動へ入った直接のきっかけは、高校時代に所属していた事務所からの誘いでした。本人によると、声をかけられたときは深く構えず、「やってみるか」という感覚で始めています。
「やってみるかぁ!」と思ってやってみたことがきっかけです!
出典:Aneひめ.net「7日間連続投稿♡【仲川瑠夏さん編】大人気『FRUITS ZIPPER』メンバーに聞く『子ども時代と今のやりがい』」(2025年11月3日)
最初のグループで知ったステージの楽しさ
最初に入ったグループは長く続かず、本人は「すぐ辞めてしまった」と振り返っています。ただ、短い活動の中でステージに立つ楽しさを知りました。自分を応援してくれる人と近い距離で時間を共有することにも魅力を感じ、「またちゃんとやりたい」という気持ちが生まれます。
この最初のグループ名や加入年は本人インタビューでは明かされていません。その後の活動は資料が残っており、2017年にはダンスボーカルユニット「東京バイラール」の公式ブログで「仲谷瑠夏」と名乗っています。
2017年、留学と東京バイラールの準備が重なった
東京バイラールでは、2017年のグループ始動に向けてダンスや歌の準備を進めていました。ところが3月からのアメリカ留学と時期が重なり、本人はお披露目のステージへすぐには立てませんでした。
旧公式ブログには、留学先から戻ったらメンバーに追いつけるよう、ダンスや歌を頑張って東京バイラールへ戻りたいという言葉があります。学校の予定を捨ててアイドルだけを選ぶのではなく、留学へ行き、その後に活動へ戻る選択でした。
なお、FRUITS ZIPPER以前に使っていた「仲谷瑠夏(なかたに るな)」は、東京バイラールの公式ブログで本人が実際に名乗っていた活動名です。ただし、「仲谷瑠夏」が戸籍上の本名であると公表した資料はありません。
仲谷瑠夏として「ちゃんとアイドルをやりたい」と選んだ道
東京バイラールの後も、仲谷瑠夏名義でアイドル活動は続きます。2018年6月30日には、iwiで山領愛里とともに卒業ライブが行われました。その後に進んだのが「空想と妄想とキミの恋した世界」です。
本人は後年の公式ブログで、もともと日本のアイドルには詳しくなく、K-POPが好きだったことも明かしています。3歳から子どもモデルをしていたため、当初は再びモデルの仕事をしたい気持ちのほうが身近でした。
iwiを経て、空想のオーディションへ
所属していた環境でアイドルを勧められて活動するうち、もっときちんとアイドルを続けたいと考えるようになります。そんな時期に「空想と妄想とキミの恋した世界」のオーディション情報を見つけ、自分から応募しました。
オーディションには合格しましたが、合格したその日から正式メンバーとしてステージに立てたわけではありません。待っていたのは「候補生」という段階でした。
デビューですとはいかず候補生からのスタートでした。
出典:「空想と妄想とキミの恋した世界」公式ブログ「1周まわって仲谷です」(公開日記載なし)
ライブ会場で名刺を配り、昇格審査を受けた候補生時代
候補生のころはライブ会場へ足を運び、自分の名刺を配りました。昇格のための審査もあり、ライブでの表現力や盛り上げ方だけでなく、動員数、チェキ数、自主性など複数の項目を見られていたと本人が振り返っています。
候補生として活動し、審査を重ねた先で、2018年12月17日にグループは正式デビューしました。幼いころから芸能のオーディションを経験していた仲川瑠夏にとっても、グループへ合格したあとにもう一段階あるデビューの形でした。
大学生活も並行していたため、2010年代後半は学校、留学、複数のアイドル活動が重なる時期です。2020年3月に大学を卒業すると、学生生活との両立は終わり、アイドル活動へ軸足を移しました。
仲川瑠夏がFRUITS ZIPPERになるまで
以前のアイドル活動は2021年7月まで続きました。その活動を終えたあとも、仲川瑠夏はステージから離れたままにはなりませんでした。新しい場所でステップアップしたいと考え、複数のオーディションを受けていた時期に縁があり、FRUITS ZIPPERへの参加につながります。
FRUITS ZIPPERが始まるまでの期間は、特に歌へ力を入れていました。3歳から芸能活動をしていた一方、東京バイラール時代の自己紹介ではダンスを苦手分野として挙げています。いくつもの活動を経て、次のグループへ向けて磨いていたのが歌でした。
加入を決めた理由については、「今まで以上にアイドルを頑張れる場所」だと思ったからだと話しています。過去のグループでの経験をそのまま繰り返すのではなく、次の環境を選び直した形でした。
「ステージに戻る!」という約束
2022年2月22日、ASOBISYSTEMからFRUITS ZIPPERの7人が発表されました。仲川瑠夏はメンバーコメントで、以前のグループを卒業するときにファンと交わした約束に触れています。
ステージに戻る!
出典:ASOBISYSTEM「新アイドルグループ『FRUITS ZIPPER』7人のメンバーが発表」(2022年2月22日)
卒業後は、またファンの前へ戻るためにレッスンを重ねていました。FRUITS ZIPPERの活動開始は、その約束を実際のステージへつなげる機会になります。
デビュー前の2022年3月には、FRUITS ZIPPER公式YouTubeで仲川瑠夏の自己紹介配信も公開されました。高校から始まったアイドル活動を何度も経験したあと、新しい7人組の一員として自己紹介する時期です。
2022年4月10日「FIRST CONTACT」で新しいステージへ
FRUITS ZIPPERのお披露目ライブ「FIRST CONTACT」は、2022年4月10日に白金高輪SELENE b2で開催されました。2月のメンバー発表から約1か月半後、仲川瑠夏はFRUITS ZIPPERとして最初のステージに立ちます。
同日のデビュー曲は「君の明るい未来を追いかけて」。ここからFRUITS ZIPPERとしての活動が本格的に始まりました。
3歳の撮影現場から始まり、中学では芸能活動を休み、高校では事務所の一言からアイドルを経験。大学留学、仲谷瑠夏名義の活動、候補生審査を経て、何度かステージを離れながらも戻ってきました。
2022年4月10日の「FIRST CONTACT」は、その長い助走の先にあった最初のステージです。仲川瑠夏はそこで、FRUITS ZIPPERのラベンダー担当として新しい活動を始めました。
































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