=LOVEで力強い歌声とダンスを見せ、声優としても活動する野口衣織。ステージ上では鋭い表情や細かな身体表現が目を引きますが、アイドルになる前の時間をたどると、運動場の砂場で何度も跳び、アニメや漫画の話が合う友人たちと過ごしていた少女の姿が見えてきます。
公式プロフィールで出身地として公表されているのは茨城県。子どものころは兄の野球について行き、公園で一人遊びをしているうちにどこかへ行ってしまうほど活発でした。小学生になるとヒップホップを始め、中学では陸上部で走幅跳とリレーに取り組みます。
高校時代に野口衣織が思い描いていたのは、アイドルではなく「歌って踊れる声優」でした。
進路を調べる中で見つけた「声優アイドル」のオーディション。その応募から17歳で=LOVEのステージに立つまでには、本人が後年語った小さな場面がいくつも残っています。
野口衣織は昔どんな子?やんちゃだった少女時代
幼いころの野口衣織は、後年の本人の表現を借りると、かなりの「やんちゃ」でした。兄が野球をしていたため一緒に公園へ行く機会がありましたが、兄たちが練習している間に一人で遊び回り、気づけば離れた場所まで行ってしまうこともあったそうです。
登り棒から落ちてけがをしたこともあり、母親から「おとなしくしなさい!」と叱られていたと振り返っています。サッカー、バスケットボール、バレーボールにも触れましたが、本人は球技があまり合わなかったと話しています。
「手がつけられないくらいやんちゃでした(笑)」
出典:月陸Online「【“陸女”インタビュー】=LOVE(イコラブ)野口衣織さん『時間を惜しまずに追求していました!』」(2021年12月22日)
小学生のころから歌とアニメが好き
歌うことは幼稚園のころから好きでした。兄の野球チームの保護者たちがカラオケへ行くときについて行き、「タッチ」や「キューティーハニー」を歌っていたと本人は話しています。まだ声優やアイドルを意識する前から、人前で歌う時間は身近にありました。
アニメとの距離も早くから近く、幼いころは「プリキュア」を見ていました。兄の影響では「MAJOR」や「犬夜叉」に触れ、小学生になると「うたの☆プリンスさまっ♪」へ。好きな作品をきっかけに、2次元の世界へ深く入っていきます。
「普通にオタクをしてました(笑)」
出典:タウンワークマガジン「野口衣織(=LOVE)インタビュー『悩めるときに悩まないと自分が変われません』」(2019年10月29日)
学校では誰とでもすぐ仲良くなるというより、同じ趣味の友人たちと集まって過ごしていたそうです。アニメや漫画を好きな仲間と過ごす時間は、高校で将来の仕事を考えるころまで続いていきました。
小4ごろから始めたヒップホップダンス
長く続いた習い事の一つがヒップホップです。始めたのは小学校4年生ごろ。テレビアニメのエンディングなどで踊ることにも興味を持ち、中学生になって陸上部へ入ったあとも、週末にはヒップホップを続けていました。
後に=LOVEで踊ることになる野口ですが、当時身につけていたのはアイドルダンスとは違う身体の使い方でした。加入後には、ヒップホップで慣れていた重心と、アイドルらしく見せる動きの違いに戸惑ったことも語っています。
野口衣織の家族構成は?父・母・兄とのエピソード
野口の幼少期を語るうえで、兄との時間は欠かせません。兄の野球について行ったことが外遊びの記憶につながり、兄が見ていた漫画やアニメも、野口が作品の世界へ入る入口の一つになっていました。
父と兄は野球、母は剣道
本人の回想では、父と兄には野球経験がありました。母については「剣道だったと思います」と話しています。父母や兄の氏名、職業などは公表されていません。
野口自身もさまざまなスポーツを体験しましたが、父や兄と同じ野球へ進んだわけではありませんでした。やがて自分で選んだヒップホップと陸上が、放課後や週末の時間を占めていきます。
茨城県出身の野口は、個人Instagramを始めた後、茨城の温泉施設「きぬの湯」を訪れた写真も公開しています。
兄の野球について行った幼少期
兄の練習中、野口は決まった遊びをして待つよりも、公園の中を自由に動き回っていました。登り棒から落ちた話まで残っているのは、家族とスポーツの場へ出かけることが日常の一部だったからです。
一方で、兄から受けた影響は運動だけではありません。「MAJOR」や「犬夜叉」を知ったのも兄がきっかけでした。スポーツとアニメの両方が、同じ家庭の中から野口の子ども時代へ入ってきています。
野口衣織の学歴は?中学の陸上部から代アニ高等部まで
小学校と中学校の正式な学校名は公表されていません。一方、本人のインタビューには、学校生活で何をしていたかがかなり具体的に残っています。とくに中学の陸上部では、練習場所や記録、大会の話まで語っています。
小学校5・6年の陸上記録会がきっかけ
小学校5年生と6年生のころ、地域の小学生が集まる陸上記録会へ参加しました。種目は走高跳とリレー。運動会でも中学生までリレーの選手に選ばれており、走ることは得意な側だったと振り返っています。
小学生のリレーでは、負けるたびに悔しくて泣いていたそうです。中学1年生になると、同じクラスにいた足の速い友人に初めて勝てた日があり、そのときは大きく喜んだと話しています。
中学は走幅跳で茨城県大会へ
中学校では陸上部に入り、走高跳ではなく走幅跳へ進みました。学校には広いグラウンドと砂場があり、本人の記憶では先生から走幅跳を勧められたそうです。リレーではスタートを得意として1走を担当しました。
走幅跳の自己ベストは本人の記憶で約4m77。中学1年生のときには茨城県大会へ出場しています。その後はこの記録をなかなか更新できず、助走や踏切を繰り返し試していました。
雨の日には、校舎のドアの敷居を走幅跳の踏切板に見立てて跳んでいました。
屋外で跳べない日は校内で練習し、職員室の近くで音を立てて注意されたこともあったそうです。夏は暑さが落ち着く時間を待ちながら、下校時刻ぎりぎりまで砂場に残っていました。
「先生から『早く帰れ!』って言われるくらい」
出典:月陸Online「【“陸女”インタビュー】=LOVE(イコラブ)野口衣織さん『時間を惜しまずに追求していました!』」(2021年12月22日)
本人が好きだったのは、走幅跳で踏み切った瞬間の音や、短距離のスターティングブロックへ足がきれいにはまる感覚。一方で、筋力トレーニングや長距離走は苦手だったと話しています。
高校は商業科の時期を経て代アニ高等部へ
高校時代については、2019年の本人インタビューに「高校が商業科だった」という発言があります。パソコンを使って将来の計画を作る授業があり、その課題が声優への進路を具体的に調べるきっかけになりました。
その後、本人は2019年2月10日に公式Xで、同年に代々木アニメーション学院高等部を卒業すると投稿しています。商業科の高校から代アニ高等部へ移った時期や詳しい経緯については、本人から具体的に語られていません。
「今年、代アニ高等部を卒業します」
出典:野口衣織公式X「代アニ高等部卒業についての投稿」(2019年2月10日)
大学への進学は公表されていません。高校時代について本人自身が語っているのは、商業科で将来の進路を考えた時期と、公式Xに残る代アニ高等部卒業前の記録です。
高校では弓道部!アニメ好きから声優を目指す
中学で陸上に打ち込んだ野口は、高校では弓道部を選びました。競技を変えた理由まで本人らしく、アプリゲーム「あんさんぶるスターズ!」で好きだった蓮巳敬人が弓道部だったことがきっかけだったと話しています。
作品への興味は、部活動だけでなく進路にもつながっていきます。幼いころの「プリキュア」、兄から知った作品、小学生で出会った「うたの☆プリンスさまっ♪」に加え、「ラブライブ!」の存在から、歌って踊る声優への憧れを強くしていきました。
推しキャラクターがきっかけで弓道部へ
高校での弓道は、中学陸上のように記録を追う競技とは違いました。それでも「好きなキャラクターが所属している部活だから」という入口は、当時の野口にとってアニメと現実の学校生活が近くにあったことをよく表しています。
放課後は部活、友人とはアニメや漫画の話。芸能界を目指すために学校生活を組み立てていたのではなく、好きなものを追いかけながら、自分に合う将来像を探していました。
うたプリとラブライブ!から「歌って踊れる声優」へ
野口が思い描いたのは、声だけで演じる仕事に限らない声優像でした。作品のステージやライブに惹かれ、「歌って踊れる声優」を目標にします。憧れの一人として名前を挙げているのが、声優の谷山紀章です。
高校の授業で将来の計画を考えることになったとき、声優になる方法をパソコンで調べました。谷山紀章が代々木アニメーション学院の卒業生だと知っていたため、まず代アニを検索します。そこで、予想していなかった募集が目に入ります。
野口衣織が=LOVEのオーディションを受けたきっかけ
野口が代アニについて調べた時期、指原莉乃がプロデュースする「声優アイドル」のオーディションが行われていました。声優になるための道を探していた高校生が、検索の途中でアイドルグループの入口に出会った形です。
本人は当時、アイドルになる未来を具体的に想像していませんでした。「声優アイドル」という言葉のうち、自分の意識に強くあったのは、歌って踊れる声優のほう。募集を見つけても、合格するとは考えていなかったと振り返っています。
谷山紀章をきっかけに代々木アニメーション学院を調べる
進路調査で代アニへたどり着いたのは、谷山紀章への憧れがあったからでした。好きなアニメや声優を追ってきた時間と、高校の授業で考えた将来が、ここで一つの検索先につながります。
募集を見た野口は応募へ進みます。家族や友人が勝手に応募したのではなく、本人が自分で見つけたオーディションでした。応募の段階では「アイドルとして有名になりたい」という話より、声優への憧れが前にあります。
「どうせ受からない」とダメ元で応募
本人が後年語った応募時の感覚は、かなり軽やかです。受かる前提で人生を賭けたというより、「どうせ受からないし」と考えながら挑戦しました。その応募が、2017年4月29日の最終審査へつながります。
歌唱審査では緊張したものの、途中から気持ちを切り替えました。上手に見せることへ意識を寄せすぎるより、自分のまま歌うことを選んだと話しています。
「それでもいいから自分らしくやろう」
出典:タウンワークマガジン「野口衣織(=LOVE)インタビュー『悩めるときに悩まないと自分が変われません』」(2019年10月29日)
審査中は「終わった」と思っていた
ダンス審査では、指原莉乃をはじめ審査員の方向を見ながら踊っていました。ところが目が合わず、自分は見られていないと感じたそうです。手応えがあったから自然体になれたのではなく、むしろ落ちたと思った後に肩の力が抜けました。
「見られてないな。終わったな」
出典:タウンワークマガジン「野口衣織(=LOVE)インタビュー『悩めるときに悩まないと自分が変われません』」(2019年10月29日)
その後の受け答えは、無理に自分を作らず素のまま。最終審査が行われた2017年4月29日、指原莉乃プロデュースのグループは「=LOVE」と名付けられ、野口は初期メンバーの一人になりました。
17歳で=LOVEへ!合格から初ステージまで
合格時の野口は17歳。オーディションを受けるまでアイドルの仕事を具体的に考えていなかったため、加入後は新しいルールや見せ方を一から知ることになります。これまで踊ってきたヒップホップと、アイドルとして求められるダンスの違いもその一つでした。
=LOVEは結成から約3か月、代々木アニメーション学院の講師陣によるレッスンを重ねました。歌やダンスの経験がまったくなかったわけではありませんが、グループの一員としてそろえて見せることは別の課題でした。
2017年4月29日に初期メンバーへ
4月29日の最終審査から、野口の日常は大きく変わりました。学校生活と好きなアニメの延長線上で見つけた募集が、レッスンや撮影、メンバーとの活動へ変わっていきます。
加入直後には、アイドルが何をする仕事なのか分からない部分も多かったと本人は話しています。自分が慣れていたヒップホップの「かっこよさ」と、アイドルとしてのかわいらしい見せ方をどう両立するかも、練習の中で覚えていきました。
レッスンを経て8月5日のTIF2017で初パフォーマンス
初めて一般の観客の前でパフォーマンスしたのは2017年8月5日。「TOKYO IDOL FESTIVAL 2017」のステージでした。結成からおよそ3か月後、声優を目指してオーディションを見つけた高校生が、=LOVEのメンバーとしてアイドルフェスの舞台に立ちます。
この時点ではCDデビュー前です。最終審査、結成、レッスンを経て初ステージへ進んだことで、野口にとって「アイドルになるまで」の時間は、実際に観客の前で歌い踊るところまで到達しました。
2017年9月6日、=LOVEとしてメジャーデビュー
初ステージから約1か月後の2017年9月6日、=LOVEは1stシングル「=LOVE」でメジャーデビューしました。野口衣織にとっては、声優への進路を調べて偶然見つけたオーディションから、約4か月余りで迎えたCDデビューです。
中学で何度も砂場へ向かっていた走幅跳、週末のヒップホップ、高校で選んだ弓道、そしてアニメや声優への憧れ。それぞれ別々だった少女時代の時間が、2017年の春に見つけた募集を境に一つのステージへ集まりました。
現在も=LOVEで歌い踊りながら、声優の仕事にも取り組んでいます。高校時代に思い描いていた「歌って踊れる声優」という言葉は、その後の活動の中でも残り続ける原点の一つです。
































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