櫻井優衣は昔どんな子だった?家族構成や学歴、高校時代からアイドルになるまで

ひと目でわかるプロフィール
櫻井優衣
さくらいゆい
小学生のころから歌とダンスに夢中になり、13歳でアイドルデビュー。FRUITS ZIPPERのミントグリーン担当。
生年月日
2000年2月21日
血液型
B型
身長
157cm
所属・活動形態
FRUITS ZIPPER
活動時代
平成アイドル
アイドル活動開始
2013年
活動開始時年齢
13歳
アイドルになったきっかけ
オーディション

FRUITS ZIPPERのミントグリーン担当として知られる櫻井優衣。2025年にはソロメジャーデビューも果たしましたが、アイドルとしての歩みはFRUITS ZIPPERから始まったわけではありません。

所属事務所は2023年10月20日、櫻井がアイドルデビュー10周年を迎えたと発表しています。さかのぼると、最初のアイドルステージは2013年。まだ13歳の中学生でした。

櫻井優衣が最初にアイドルとしてステージへ立ったのは、13歳のころです。

それより前には、放課後いっぱい遊び、父親と走る練習をし、帰宅するとアイドルの動画を見ながら何時間も踊る小学生時代がありました。中学生になると部活動を辞めたことをきっかけに、遠く見えていた芸能界へ実際に踏み出していきます。

幼いころから何を好きで、家族とどう過ごし、学校生活のなかでどんな道を選んだのか。現在の姿から2013年の最初のステージまで、櫻井優衣の少女時代をたどります。

櫻井優衣は昔どんな子?外遊びと歌・ダンスに夢中だった少女時代

櫻井優衣の子ども時代は、家の中でずっと歌っていたという一面だけではありません。小学生になると、おかえりチャイムが鳴るまで友達と遊び、ピアノや英語、塾にも通っていました。

本人が後年振り返ったところでは、小学3年生ごろから運動、歌、ダンスへの熱が強くなっていきます。土日はスポーツ、平日は外遊び。そこへアイドルの歌とダンスを覚える時間が加わりました。

幼稚園のころから「アイドルになる」と話していた

アイドルという言葉を口にしたのは、芸能活動を始めるずっと前です。ピンク・ベイビーズ卒業直前の公式ブログで、幼稚園のころから母親へ将来の夢を話していたと明かしています。

私 アイドルになる!

出典:ピンク・ベイビーズ オフィシャルブログ「今しか伝えられないこと①芸能生活のはじまりby 櫻井優衣 #ピンク・ベイビーズ」(2017年3月28日)

母親は当時、「そうだね」と聞きながらも、内心では難しいだろうと思っていたそうです。まだ具体的なオーディションや芸能活動があるわけではなく、幼い娘が繰り返していた将来の夢でした。

3歳ごろはアンパンマンの歌などを歌い、ミニモニ。も見ていた記憶があると本人は話しています。本格的にアイドルへ夢中になった入り口は、その後に出会ったAKB48でした。

放課後は外遊び、帰宅後はアイドル動画を何時間も完コピ

小学校では毎日楽しく学校へ通り、6年間リレー選手を務めました。休み時間には友達から「踊って」と頼まれ、覚えたアイドルのダンスをその場で披露することもあったといいます。

家へ帰ると、動画サイトでアイドルを検索。MVや「踊ってみた」の映像を見ながら、誰かに習うのではなく自分で振り付けを覚えていました。2019年のインタビューでは、その時間の長さを具体的に振り返っています。

毎日家で5、6時間

出典:Pop’n’Roll「櫻井優衣[インタビュー]FES☆TIVE姉妹グループ加入への真意『背中を見習って真剣に頑張りたい』」(2019年10月5日)

学校でたっぷり遊んだあと、家ではアイドルの映像を見て歌とダンスを覚える。それが小学生の櫻井優衣の日常でした。

嫌なことがあった日にも、動画を見ながら踊るとその間は忘れられたそうです。最初は音を気にしていた母親も、高学年になるころには床へクッションを何枚も敷き、納得するまで踊れるようにしていました。

服装の好みも年齢とともに変わりました。本人によれば、小学4年生ごろには周囲から「ぶりっ子」と言われるのが嫌になり、小学5年生ではドクロ柄、小学6年生ではギャル風のものに惹かれた時期もあったそうです。

AKB48や鈴木愛理に憧れた小学生時代

小学生のころに強く惹かれたのがAKB48です。楽曲を携帯音楽プレーヤーへ入れ、生写真なども集めていました。テレビや動画の向こうにいるアイドルを見る側だった少女が、自宅で振り付けを覚えていきました。

後年のインタビューでは、ハロー!プロジェクトから表現面で大きな影響を受けたとも話しています。なかでも鈴木愛理は長く憧れてきた存在の一人で、2022年には本人公式Instagramへ一緒に撮った写真を投稿しました。

小学生の櫻井にとって、アイドルは「見るもの」であると同時に、家で何度も真似する対象でした。この時期に積み重ねた独学の歌とダンスは、中学生になってオーディションを受けるときの土台になっていきます。

櫻井優衣の家族構成は?父親・母親・弟とのエピソード

櫻井優衣の家族構成
実業団でスポーツ経験。小学生時代にスタートダッシュを練習
幼少期から歌とダンスを見守り、オーディション挑戦を応援
本人
櫻井優衣
本人が公式SNSやインタビューで存在を公表

櫻井優衣が公に語っている家族には、父親、母親、弟がいます。一般人である家族の氏名や勤務先などは公表情報として扱わず、本人が明かしてきた家庭での出来事を中心に見ていきます。

アイドルになる前から、家族は運動や歌、ダンスを続ける櫻井を身近で見ていました。父親とは走る練習、母親とは自宅でのダンス、弟とは芸能活動を始めた後にも続く日常のエピソードが残っています。

実業団選手だった父と毎日スタートダッシュを練習

小学生時代のリレーには家族の影響がありました。母親が小学生の6年間リレー選手だったと聞き、自分も選ばれたいと思った櫻井は、放課後に父親とスタートの練習を始めます。

父親は実業団でスポーツをしていた経験があり、練習は一日だけの思いつきではありませんでした。本人は2026年のRayインタビューで、目標を達成するまでの様子をこう話しています。

放課後に父と毎日スタートダッシュの練習をして目標を達成しました。

出典:Ray「アイドルをめざす前はスポーツ女子でした♡【櫻井優衣】が語る『小さい頃の将来の夢』とは?」(2026年4月23日)

ドッジボールでは男子の本気の球も取っていたほか、けん玉やオセロも、できるようになるまで家で練習したと振り返っています。歌やダンス以外にも、遊びや運動へ熱中する小学生でした。

娘が踊れるようクッションを敷いて見守った母

自宅で長時間踊る娘に、母親は最初こそ「うるさい」と注意していました。それでも毎日続ける姿を見ているうちに、やめさせるのではなく、階下へ音が響かないよう床にクッションを敷いて見守るようになります。

ピンク・ベイビーズで活動していたころは、早朝なら父母が暗い道を送ってくれ、帰りは迎えに来てくれたとも本人は記しています。芸能活動を始める決断には家族側の迷いもありましたが、始まってからの日々には具体的な支えがありました。

弟との日常は本人のSNSにも登場

弟についても本人がたびたび触れています。ピンク・ベイビーズ卒業時には、活動で家にいない姉のため、コンビニへ行くと「これ優衣ちゃんに」と母親へ託してくれたことを振り返っていました。

2021年には弟の中学校へ行ったことを公式Instagramで報告し、学校の空気に「青春」を感じたと投稿しています。芸能活動の話とは違う、姉としての日常が見える一場面です。

2023年3月には弟の卒業式へ出席。父親が急きょ行けなくなったため、母親と2人で参加したことを公式Xで伝えました。2025年の番組でも「高校生の弟がいて」と話しており、年齢を重ねてからも弟の話題を公にしています。

櫻井優衣の学歴は?中学校・高校・専門学校まで

櫻井優衣の学歴
小学校
校名非公表
6年間リレー選手。歌とダンスを独学で練習
中学校
校名非公表
中学2年で初めてオーディションに合格
高校
私服で通える高校(校名非公表)
本人公式ブログで学校の服装が自由だったことを公表
専門学校
ヘア&メイク系の専門課程(校名非公表)
18歳時に「専門学生hair&make」と公表

櫻井優衣は小学校・中学校・高校の具体的な学校名を公式に明かしていません。一方で、本人のブログやインタビューには、学校生活や進路を知る手がかりがいくつも残っています。

大学名を断定できる公表情報もありません。18歳当時の本人が明記している進路は、ヘア&メイクを学ぶ「専門学生」です。学校名が分からない部分は推測せず、本人が公表した範囲で整理します。

中学校で部活を辞めたことが芸能界への転機に

中学校へ進学した櫻井は部活動に入り、約1年間続けました。しかし膝を痛め、しばらく休部した後に退部を決断。それまで遊びにも習い事にも全力だったため、急に打ち込むものがなくなり、家にこもりがちな時期があったといいます。

同じころ、周囲ではアイドルや芸能界を目指す友人たちがレッスンへ通い始めていました。スケジュール帳に「レッスン」と書く友人たちを見て、芸能の世界が少しずつ現実のものに変わります。

私も“レッスン”って書きたいし、言いたい!

出典:Ray「【櫻井優衣】厳しい言葉すらも力に…!FRUITS ZIPPERになるまでの“10年間”をフカボリ」(2026年4月29日)

進路相談では、先生から芸能界で成功できるのは一握りだという趣旨の言葉も受けました。櫻井はその言葉を、目の前の目標へ向かう力へ変えようとしたと後年話しています。

高校は私服で通える学校だった

高校名は公表されていません。ただ、17歳当時のピンク・ベイビーズ公式ブログでは、自分の学校について「私服の高校」「私服の学校」と説明し、服装は自由だったとファンへの返信で明かしています。

同じ記事には、イベントで着た制服について「私のリアル制服」と書きながら、最近は私服で学校へ行くため制服をあまり着ないとも記していました。高校生として通学しながら、アイドルのレッスンやイベントにも参加していた時期です。

学校での友人関係や具体的な校名については本人が公表していないため、検索上で挙がる学校名だけを根拠に特定することはできません。

18歳当時はヘア&メイクを学ぶ専門学生

高校卒業後の時期に本人が明かした進路は、ヘア&メイクの専門課程です。2018年4月、再始動後の個人公式ブログでプロフィールを紹介し、「学校👉専門学生hair&make」と記しています。

櫻井優衣の「大学」を調べる人も多いですが、公表情報として確認できるのは、18歳当時にヘア&メイクを学ぶ専門学生だったことです。具体的な専門学校名は公表されていません。

現在の公式プロフィールでも特技にメイクが挙げられ、ASOBISYSTEMのプロフィールにはネイリスト技能検定3級、ジェルネイル検定初級の資格も掲載されています。18歳のころに学んでいた分野は、その後のプロフィールにも残っています。

中学2年でピンク・ベイビーズのオーディションに合格

中学生になって芸能界を意識しても、すぐに活動が始まったわけではありません。小学生のころからオーディションを受けたい気持ちはあったものの、母親からは当初認めてもらえませんでした。

部活動を辞めたあと、目標を失ったようになった娘の様子を母親も感じ取っていました。櫻井が改めて「オーディションを受けたい」と伝えると、ようやく「いいよ」と許可が出ます。

母親からようやくもらえたオーディションの許可

許可を得た櫻井は、一つに絞らず複数のオーディションを受けました。大規模なオーディションでは1次審査を通過したものの2次で落選。別の審査も進むなか、ピンク・ベイビーズでは最終審査まで残ります。

2026年のインタビューでは、初めてオーディションに受かったのは中学2年生だったと振り返っています。幼稚園から口にしていた「アイドル」が、この時期に初めて具体的な所属先と結びつきました。

複数の審査を受け、最初に届いた合格通知

ピンク・ベイビーズの最終結果を待つころ、もう一つの大きなオーディションからも2次審査の案内が届いていました。そちらへ進もうとしていたとき、先にピンク・ベイビーズの最終合格通知が届きます。

もう一方の審査へ挑戦する選択肢も残っていました。櫻井は迷った末、先に合格をくれたピンク・ベイビーズを選択。「縁」だと思ったことを、卒業前の公式ブログで明かしています。

母と泣いて喜び「縁」で加入を決めた

合格通知が届いたとき、そばにいた母親と一緒に泣いて喜びました。小学生のころはオーディションに反対していた母親が、家で何時間も踊り続ける娘を見守り、中学生になって挑戦を認め、その合格を一緒に喜ぶところまで来ていました。

ただし、合格した瞬間から何でもできたわけではありません。初めてメンバーと顔を合わせると、周囲は可愛く、ダンスも上手に見え、自分には何もできないと感じて毎日のように泣いたと本人は振り返っています。

せっかくもらった機会を無駄にしないと決め、フォーメーションに入った後も練習を続けました。家で好きなアイドルの振りをコピーしていた時間から、メンバーと同じステージを作るためのレッスンへ変わっていきます。

2013年10月20日、13歳で初めてアイドルのステージへ

2013年10月20日、東京・下北沢GARDENでピンク・ベイビーズのプレデビュー単独ライブが開かれました。当時の記事には、オーディションで選ばれた櫻井優衣を含む14人が出演し、9曲を披露したことが記録されています。

2023年10月20日、ASOBISYSTEMは櫻井の「アイドルデビュー10周年」を公式に発表しました。この日付を10年前へ戻すと2013年10月20日となり、下北沢GARDENのプレデビューライブの日と重なります。

下北沢GARDENで14人のピンク・ベイビーズとして初ライブ

初めての顔合わせからステージまで、櫻井は周囲との差を感じて何度も泣いていました。それでも本番でステージへ上がると、それまで抱えていた不安が飛び、歌って踊る時間を楽しめたと後年書いています。

やっぱり私は歌とダンスが好きなんだな

出典:ピンク・ベイビーズ オフィシャルブログ「わたちのちっちゃいころは、こんなでちゅ♡笑by 櫻井優衣 #ピンク・ベイビーズ」(2017年3月29日)

家の動画の前で一人で踊っていた少女が、観客のいる会場でグループの一員として歌い踊った日でした。その後、応援してくれる人や「パフォーマンスが好き」と声をかけてくれる人が少しずつ増え、自信もついていったと振り返っています。

上の映像は、ピンク・ベイビーズ公式YouTubeチャンネルが2014年11月に公開した櫻井優衣の面接企画です。デビューから約1年後、10代半ばだったころの表情や話し方を残す公式映像になっています。

2014年に配信デビュー、2016年に初CDシングル

ピンク・ベイビーズは2014年7月16日、ピンク・レディーの「ウォンテッド(指名手配)」をカバーして配信デビュー。2016年8月31日には「渚のシンドバッド」で1stシングルを発売しました。

ライブやイベントを重ねる一方、高校へ通う生活も続いていました。最初のステージから約3年半後の2017年3月、櫻井はピンク・ベイビーズを卒業します。その時点では、芸能活動へ戻るかどうか気持ちが定まっていないとも書いていました。

櫻井優衣がアイドルになるまで
2000年2月21日
誕生
公式プロフィールでは東京都出身。
幼稚園時代
アイドルになる夢を母に話す
幼稚園のころから母親へ「アイドルになる」と話していた。
小学生時代
歌とダンスを独学で練習
放課後は遊び、帰宅後はアイドル動画を見ながら歌とダンスを覚えた。
中学生時代
部活動を辞め、オーディションへ
膝を痛めて部活動を退部した後、母親の許可を得て複数のオーディションを受けた。
2013年
ピンク・ベイビーズに合格
中学2年で初めてオーディションに合格し、ピンク・ベイビーズへ加入。
2013年10月20日
13歳で初ステージ
下北沢GARDENのプレデビュー単独ライブでアイドルとして初ステージに立った。
2014年7月16日
配信デビュー
ピンク・ベイビーズ「ウォンテッド(指名手配)」を配信。
2016年8月31日
1stシングル発売
ピンク・ベイビーズ「渚のシンドバッド」を発売。

ここまでが、幼いころの「アイドルになる」という言葉から、オーディション合格、そして最初にアイドルとしてステージへ立つまでの流れです。FRUITS ZIPPER加入までには、このあともいくつかの活動を経験します。

櫻井優衣の昔のアイドル歴!FRUITS ZIPPERに入るまで

FRUITS ZIPPER以前の櫻井優衣には、ピンク・ベイビーズだけでなく、ソロ活動、MyDearDarlin’、BlooDye、momograciなど複数の活動歴があります。「昔」「前世」と検索されることもありますが、本人にとっては途切れながらも続いてきた芸能活動の時間です。

この章ではデビュー後の経歴を網羅するのではなく、2017年に最初のグループを離れてから、2022年にFRUITS ZIPPERへ入るまでの主な変化だけを追います。

ピンク・ベイビーズ終了後、18歳で再始動

2017年3月、ピンク・ベイビーズ卒業時の本人は、芸能へ戻るか気持ちが定まっていないと率直に記していました。ただ、「芸能界引退」とは言わず、再会できる可能性を残してブログを終えています。

翌2018年4月、個人公式ブログは「櫻井優衣再始動後blog初更新」という言葉で始まりました。当時18歳。ヘア&メイクを学ぶ専門学生でありながら、ソロでイベントへ出演し、音楽活動を再開していました。

2019年には新たなアイドルグループのオーディション企画を経て、2020年1月にMyDearDarlin’のメンバーとして活動を開始。同年7月ごろ、個人として新しい挑戦をしたいという意向から卒業しました。

MyDearDarlin’、BlooDye、momograciを経験

2020年12月には、ヴォーカル&パフォーマンスユニットBlooDyeへ新メンバーとして加入しました。2021年4月には新体制初のシングルを発売し、同年9月のアルバムとその後のツアーを最後に、当時のメンバーでの活動を終えています。

同じ2021年、momograciには期間限定コラボメンバーとして参加しました。10月1日のTOKYO IDOL FESTIVAL 2021でお披露目されることが発表され、再びアイドルのステージにも立っています。

アイドル、ソロ、ヴォーカル&パフォーマンスユニットと、その時々で活動の形は変わりました。2013年に初めてステージへ立ってから、一直線に一つのグループだけで進んできたわけではありません。

「私は、アイドルがやりたい」と気づきFRUITS ZIPPERへ

BlooDyeでの活動が終わったあと、櫻井は「アイドルをやらないか」と声をかけられます。以前にアイドルを経験していたからこそ、もう一度戻ることには自信が持てず、本人はかなり悩んだと話しています。

それでも、事務所スタッフやこれから一緒に活動するメンバーが本気で準備する姿を間近で見て、自分の気持ちに気づきました。

私は、アイドルがやりたいんだな

出典:Pop’n’Roll「櫻井優衣(FRUITS ZIPPER)[インタビュー]世界を目指す新星が見せる大きなポテンシャル『このグループは、天才の集まり』」(2022年3月27日)

2022年、櫻井はFRUITS ZIPPERのミントグリーン担当として新しい活動を始めます。4月24日の初ライブ後には、その日のステージ写真を本人公式Instagramへ残しました。

幼稚園で母親へ話した夢、小学校で何時間も続けた振りコピ、中学2年で届いた最初の合格通知。その先で13歳の櫻井優衣は初めてアイドルのステージへ立ち、活動の形を変えながら再びFRUITS ZIPPERでアイドルを選びました。

2023年10月20日にはアイドルデビュー10周年を迎えました。現在の活動だけを切り取ると見えにくいその始まりには、放課後に遊び、家へ帰れば動画を流して踊り続けていた一人の少女の時間があります。

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