≠MEで「ももきゅん」の愛称でも親しまれている櫻井もも。ステージでは歌声やアイドルらしい世界観が目を引きますが、アイドルへの憧れが始まったのは≠MEのオーディションよりずっと前でした。
幼いころから歌って踊ることが好きで、幼稚園のころにはすでにアイドルになることを夢見ていました。中学生になると実際にアイドルとしてステージに立ち、≠ME加入前には「ノンスウィート」のメンバーとして活動しています。
櫻井ももの最初の夢は、幼稚園のころから「アイドルになること」でした。
家族と通ったカラオケ、少女時代に好きだったアイドルやアニメ、中学校で夢中になった宇宙の話、高校で再会した幼なじみ。そうした日々の先に、ノンスウィートの解散と新しいオーディションが待っていました。
公式プロフィールでは神奈川県出身とされていますが、出生地まで神奈川県と公表されているわけではありません。また、「櫻井もも」が戸籍上の本名かどうかについても公表されておらず、公式にはこの名前で一貫して活動しています。
櫻井ももの幼少期は?幼稚園からアイドルを夢見た少女時代
櫻井ももがアイドルを意識したのは、芸能活動を始めてからではありません。本人は、幼稚園のころからアイドルが大好きで、その時期に初めて持った夢が「アイドルになること」だったと振り返っています。
幼稚園のころからアイドルが大好きで、そのときに初めて持った夢がアイドルになることだったんです。
出典:イコラブ@プレス「HUSTLE PRESS『≠ME(ノットイコールミー)連載 私服でポン!』6人目 櫻井もも」(2020年4月6日)
ハロプロや小川真奈が好きだった幼稚園時代
幼稚園時代に好きだったのは、ハロー!プロジェクトやNICE GIRL プロジェクト!のアイドルたちでした。アニメ『極上!!めちゃモテ委員長』も好きで、主人公・北神未海を演じていた小川真奈を知ったことから興味を広げていったそうです。
櫻井ももはハロー!プロジェクト出身ではありません。幼少期にハロプロなどのアイドルを好み、≠ME加入前にはノンスウィートで活動していました。
子どものころに夢中になったものはアイドルだけではありません。『フレッシュプリキュア!』では、自分と同じ「もも」が名前に入るキュアピーチがお気に入りでした。
特にエンディング曲「You make me happy!」は、櫻井が歌って踊ることを好きになるきっかけのひとつでした。2024年、プリキュアシリーズの放送1000回記念企画でその曲をアイドルとして踊る機会が訪れています。
夢を叶えアイドルとして踊らせていただけることがとても嬉しいです!
出典:朝日放送テレビ「『プリキュア』シリーズ 1000回放送記念!!スペシャルダンスコラボ!!」(2024年5月27日)
幼いころにテレビの前で見ていた歌やダンスが、後に自分がステージで披露する曲になる。櫻井にとって「歌って踊る」は、オーディションを受ける直前に突然生まれたものではなく、子ども時代の日常にすでにありました。
櫻井ももの家族構成は?父親・母親との音楽エピソード
櫻井ももは、幼少期の思い出を語る中で父親と母親についてたびたび触れています。兄弟姉妹については公表された確かな情報がなく、家族について分かっている範囲では両親とのエピソードが中心です。
1歳ごろから両親とカラオケへ
歌が身近にあった理由のひとつが、父親と母親のカラオケ好きでした。本人によると、まだ自分では覚えていない1歳ごろからカラオケに連れて行ってもらっていたといい、両親が歌うのを聴きながら育ちました。
2人の歌を聴いて育ちました(笑)
出典:イコラブ@プレス「HUSTLE PRESS『≠ME(ノットイコールミー)連載 私服でポン!』6人目 櫻井もも」(2020年4月6日)
家で音楽を聴くだけではなく、幼い時期から家族とカラオケへ出かける環境でした。後に歌唱コンテストの決勝まで進むことになりますが、そのずっと前から、歌うことそのものが生活の近くにありました。
5歳のみなとみらいで両親とはぐれた日
5歳のころには、両親と横浜へ出かけたときの小さな事件もありました。みなとみらいにあった大きなクリスマスツリーを見てはしゃいでいるうちに、父親と母親の姿が見えなくなってしまったのです。
泣いていた櫻井に声をかけたのは、近くにいたカップルでした。一緒に母親を探してもらったところ、実は両親はツリーの反対側にいて、お互いに気づいていなかっただけだったと後年笑いながら話しています。
同じ冬の思い出では、高校生になってからもクリスマスを楽しみにしていたことを明かしています。欲しいものを家族に話していないのに、自分に似合うピンクのバッグが届いた年もあったそうです。
櫻井ももの学歴は?中学校・高校の学生時代
櫻井ももの中学校と高校について、学校名は公式には公表されていません。一方で本人は学生生活について具体的な思い出をいくつも語っており、授業で興味を持ったことや友人との出来事から当時の様子を知ることができます。
中学の理科から宇宙に興味を持ちホーキングの本へ
中学生のころ、理科の授業で太陽の核融合反応について知ったことが、宇宙へ興味を持つ入口になりました。それまで太陽は文字通り燃えているように想像していたため、仕組みを知って「何だ、それ?」と引き込まれたそうです。
興味は授業だけで終わらず、車いすの物理学者として知られるスティーヴン・ホーキングの本が分かりやすいと聞き、古本屋で購入しました。理科だけでなく化学や数学も比較的得意で、理数系の点数は良かったと振り返っています。
ステージ上の姿とは別に、中学生の櫻井には、授業で引っかかったひとつの疑問から古本屋へ行き、自分で本を探して読み進める時間がありました。
新聞スピーチで祖母の家へ記事を探しに行った
中学校の冬休みには「新聞スピーチ」という宿題がありました。休み中に新聞記事を一つ選び、原稿用紙3~4枚ほどの内容にまとめ、冬休み明けにクラスで発表する課題でした。
ところが櫻井の家では新聞を取っていませんでした。そのため新聞が必要になるたび、祖母の家へ行って使えそうな記事を探し、切り抜いて持ち帰っていました。
おばあちゃんちで記事を探して、切り抜いていました。
出典:イコラブ@プレス「HUSTLE PRESS『≠ME(ノットイコールミー)連載 私服でポン!(2021年 冬編)』6人目 櫻井もも」(2021年1月7日)
スピーチの題材には、上野のパンダを選んだこともあります。中学1年生のときには、クラス全員の投票で決めるMVPにも選ばれました。本人は当時、人前に立ったり話したりすることが好きだったと振り返っています。
高校で保育園時代の親友と再会
2020年4月、櫻井は高校生になりました。入学直後は休校の影響もあり高校生になった実感が薄かったものの、学校生活が動き始めると友人もでき、夜までLINEをする時間に「JKだな」と感じるようになったそうです。
その友人には、思いがけない縁がありました。もともと同じ保育園で一番仲が良かったものの、相手が年長のころに引っ越して離ればなれになった友人と、高校で偶然再会したのです。
高校でまさかの再会だったんです。
出典:イコラブ@プレス「HUSTLE PRESS『≠ME(ノットイコールミー)連載 私服でポン!(秋編)』6人目 櫻井もも」(2020年10月4日)
櫻井は高校在学中も≠MEとして活動していました。2022年4月には自ら高校3年生になったことをXで報告しており、学生生活とアイドル活動が同時に続いていた時期だったことが分かります。
大学への進学については、本人や公式プロフィールから進学先を示す情報は公表されていません。そのため、大学名を推測して学歴へ加えることはせず、高校までの学生生活を公表されたエピソードからたどるのが適切です。
櫻井ももの昔は?≠ME加入前のノンスウィート時代
「櫻井もも 前世」と検索すると≠ME以前の活動が気になる人も多いようですが、加入前の活動名義として確認できるのがアイドルグループ「ノンスウィート」です。少なくとも2017年には、櫻井もも名義で同グループのメンバーとしてステージに立っていました。
2017年10月8日には、渋谷伝承ホールで開かれた第1回アイドルベストシンガーコンテストの決勝に「櫻井もも(ノンスウィート)」として出場。プロ・アマを問わずアイドル歌手が歌唱力を競う大会で、決勝9位に入っています。
まだ13歳だった時期に、グループでのライブとは別に一人の名前で歌唱コンテストの決勝へ進んでいました。幼少期から好きだった「歌うこと」は、このころには人前で競う活動にもつながっていました。
同年11月にはノンスウィートの松竹芸能所属が告知され、翌2018年もライブ活動が続きます。2018年4月15日には新宿角座で「櫻井もも 生誕祭」が開催されました。
生誕祭は朝9時30分開場、10時開演という早い時間帯の公演でした。公演中には1曲だけ静止画・動画の撮影が認められており、当時のイベント案内にも櫻井の名前が残っています。
しかし、その活動は長く続きませんでした。松竹芸能は2018年8月17日、ノンスウィートが同月26日の朝練ライブをもって解散すると発表。小林萌恵、櫻井もも、一ノ瀬結愛の3人で活動していたグループは、この日で区切りを迎えます。
櫻井にとって、アイドルとして人前に立つ経験は≠MEが初めてではありませんでした。ライブ、生誕祭、歌唱コンテストを経験したうえで一度グループの解散を迎え、その後に別のオーディションへ進むことになります。
櫻井ももが≠MEオーディションを受けたきっかけは齋藤樹愛羅
ノンスウィートの活動を終えたあと、新しい入口になったのが指原莉乃プロデュースの=LOVEでした。櫻井はもともと=LOVEが好きで、その中でも齋藤樹愛羅に強く惹かれていました。
本人によれば、=LOVEが誕生し、齋藤樹愛羅の顔を見た瞬間に「かわいい!」と思ったのが始まりでした。ダンスにも惹かれ、=LOVEを好きになったことが姉妹グループのオーディションへ進むきっかけになります。
一度アイドルグループの解散を経験したあと、大好きになった=LOVEが次のオーディションへの入口になりました。
櫻井は中学2年生でオーディションを受けています。幼稚園からアイドルを夢見て、実際にノンスウィートとして活動したあとも、ステージに立つ道はそこで終わりませんでした。
オーディションの最終審査は2019年1月26日に行われました。そして2019年2月24日、指原莉乃がプロデュースする=LOVEの姉妹グループとして≠MEのメンバーがお披露目され、櫻井もその一人として名前を連ねます。
グループ名「≠ME(ノットイコールミー)」もこの日に発表されました。ここからは新しいグループのメンバーとしてレッスンを重ね、観客の前で初めてパフォーマンスする日を待つことになります。
齋藤樹愛羅との縁は、オーディションのきっかけだけで終わりませんでした。2025年には、=LOVEの齋藤と櫻井が一緒に文化放送のラジオ番組でパーソナリティを務めることになっています。
ずっと夢だったラジオのパーソナリティを、大好きな樹愛羅先輩と務めることができて本当に幸せです!
出典:文化放送「#C-pla presents =LOVE齋藤樹愛羅・≠ME櫻井もものしーぷらじお スタート!」(2025年3月31日)
中学生のころ、画面で見た齋藤をきっかけに応募した少女が、後には同じマイクの前に並ぶことになりました。オーディション当時の「好き」が、その後も本人の活動の中に残っている関係です。
TIF2019で≠MEとして初ステージへ
≠MEとして最初の大きなステージは、2019年8月4日の「TOKYO IDOL FESTIVAL 2019」でした。会場はお台場のSMILE GARDEN。集まった約2,000人を超える観客の前で、グループとして初めてパフォーマンスを披露します。
セットリストは=LOVEの「スタート!」「届いてLOVE YOU♡」「部活中に目が合うなって思ってたんだ」「探せ ダイヤモンドリリー」の4曲と、完成したばかりの≠ME初のオリジナル曲「≠ME」の計5曲でした。
2月のお披露目から約5カ月。メンバーはレッスンを続け、真夏の野外ステージで初パフォーマンスの日を迎えました。ノンスウィート解散から数えると約1年後、櫻井は新しいグループの一員として再びアイドルのステージに立っていました。
≠ME公式YouTubeでは、この時期の櫻井を追った『Documentary of ≠ME』episode1も公開されています。お披露目から初ステージへ向かう時期の姿を、映像で見ることができます。
初パフォーマンスを終えた2019年秋、櫻井は「将来何になりたい?」という質問にも迷わずアイドルと答えていました。幼稚園のころに持った夢は、職業としてステージに立つようになったあとも変わっていませんでした。
アイドルが大好きなので、いつも動画とかを見ています!
出典:YOUTH TIME JAPAN project web「指原莉乃プロデュースアイドル≠ME(ノットイコールミー)ってどんなグループ?」(2019年10月2日)
その後、≠MEは2021年4月7日にデビューミニアルバム『超特急 ≠ME行き』を発売します。ただし、櫻井自身のアイドル生活はこのCDデビューから始まったのではなく、2017年にはすでにノンスウィートとしてステージに立っていました。
幼稚園で思い描いたアイドルという夢は、両親と歌ったカラオケや少女時代の憧れを経て、10代で実際のステージへつながりました。一度グループが解散したあとも、=LOVEとの出会いから≠MEのオーディションへ進み、2019年8月4日に新しいグループで最初のステージを迎えています。
現在の櫻井ももの前には、ハロプロを見ていた幼稚園児、宇宙の本を読む中学生、ノンスウィートで歌っていた13歳の時間がありました。そこから続いた道の先で、今度は自分が「アイドル」としてステージに立っています。
































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