≠MEの永田詩央里さんは、音楽やラジオ、本など幅広いものへ関心を向け、自分の「好き」を言葉にしてきたメンバーです。高校生だった2021年には、いつか≠MEを代表してクイズ番組に出たいと話し、勉強にも取り組んでいました。
そんな永田さんがアイドルを意識した原点は、地元・広島で過ごした少女時代にあります。小学生のころからさまざまなアイドルに触れ、中学生になると学校帰りにライブへ足を運ぶようになりました。
家族や友人にも「アイドルになりたい」と話していなかった永田さんは、中学時代にオーディションへ踏み出し、14歳で≠MEのメンバーとしてお披露目されました。
その後は広島から上京して転校し、学業とアイドル活動を並行。高校卒業を控えた時期には大学受験のため活動を休む選択もしています。ここでは、広島でライブを見ていた少女が、実際にステージへ立つまでを時系列でたどります。
永田詩央里は広島でどんな少女時代を過ごした?
永田詩央里さんは広島県出身です。公式プロフィールでは出生地までは示されていないため、「広島県で生まれた」とは言い切れませんが、本人の昔話には地元・広島で過ごした中学時代の景色が何度も登場します。
現在の趣味につながる音楽への興味も早くからありました。ただ、最初から一つのグループだけを追っていたわけではなく、かわいいアイドルから個性的な音楽性を持つグループまで、時期ごとに興味の幅を広げていきました。
小学1〜2年生でAKB48を好きになり、小学6年生でBiSHへ
2020年のHUSTLE PRESSのインタビューで、永田さんは小学1〜2年生のころにAKB48を好きになったことが、自分にとって最初のアイドル体験だったと振り返っています。その後はいったんアイドルから離れる時期がありました。
小1〜2のときにAKB48さんを好きになったのが最初です。
出典:HUSTLE PRESS「≠ME(ノットイコールミー)短期集中連載 私服でポン! 11人目 永田詩央里」(アーカイブ)(2020年4月11日)
再びアイドルへの関心が強くなったのは小学6年生のころです。BiSHを知って好きになり、本人の表現では「アイドル熱」が再燃。AKB48とBiSHという異なる個性を持つグループの両方に惹かれていました。
BiSHではアユニ・Dさんのキャラクターや歌声を好み、特にミニアルバム「GiANT KiLLERS」に収録された「Marionette」をお気に入りの曲として挙げています。有名な表題曲だけでなく、アルバム曲まで聴き込んでいました。
一方で、当時はBiSHのライブへまだ行ったことがありませんでした。=LOVEの佐竹のん乃さんと一緒にライブのチケットを申し込んだこともありましたが、二人とも落選。好きな音楽を追いながら、ライブへ行く機会を楽しみにしていた時期です。
好きなアイドルを見る側だったこの時期には、まだ自分がステージへ立つ未来が具体的に決まっていたわけではありません。大きく変わるのは、中学生になって実際のライブ会場へ足を運ぶようになってからです。
中学生になると学校帰りに広島のアイドルライブへ
中学生のころ、永田さんが放課後に力を入れていたのはアイドルのライブを見ることでした。地元・広島で活動するアイドルだけでなく、広島へリリースイベントで来るさまざまなアイドルのステージにも足を運んでいます。
学校終わりにアイドルのライブを見に行くことに力を入れていたんです。
出典:Bezzy「今は第二の青春真っ只中、≠MEが描く“未来の私”」(2024年3月20日)
本人は、ライブそのものだけでなく会場の空気を楽しみたかったと話しています。中学2年生ごろには、ステージで輝くアイドルの姿に憧れ、客席で楽しそうにしている人たちの表情を自分もステージ側から見たいと思うようになりました。
「見る側」として通っていた広島のアイドル現場が、「自分もステージに立ちたい」という気持ちへ変わっていった時期でした。
このころの永田さんは、学校生活も送りながらライブへ通っています。後年「青春」を聞かれたときに真っ先に思い出したのも、放課後に街へ出てアイドルのキラキラを見に行っていた日々でした。
永田詩央里の家族構成は?姉や家族とのエピソード
永田さんの家族について、一般人である家族の詳しいプロフィールは広く公表されていません。本人の発信から確認できる家族の一人が姉で、日常の中で姉からプレゼントをもらったエピソードを紹介したことがあります。
姉からもらったけん玉を本人公式Xで紹介
2020年2月、永田さんは姉からかわいいけん玉をもらったことを本人公式Xで紹介し、実際に遊ぶ様子も投稿しました。家族の氏名や職業といった情報ではなく、姉妹の日常が見える数少ない本人発信の一つです。
姉について本人が詳しいプロフィールを明かしているわけではありませんが、贈り物を受け取った出来事を自分の言葉で発信しているため、姉がいることは確認できます。父親や母親の氏名・職業などは公表されていません。
永田詩央里の学歴は?中学校・高校から大学受験まで
永田さんは中学時代を広島で過ごしたのち、中学生のうちに上京しています。具体的な中学校名や高校名は公表されていませんが、本人のインタビューから部活動、転校、制服、高校での通学スタイルまで確認できます。
中学の吹奏楽部ではファゴットを担当
中学生のころは吹奏楽部に所属していました。担当したのは木管楽器のファゴット。低い音域を担うことの多い楽器で、永田さん自身は難しさを感じながらも、その音色がとても好きだったと話しています。
中学生の頃は吹奏楽部に入っていて、木管楽器の「ファゴット」という楽器を担当していました。
出典:O.C.S.D.「代々木アニメーション学院モデル ≠ME 永田詩央里インタビュー」(2022年4月26日)
中学時代には転校も経験しています。最初に通っていた学校ではジャンパースカートにジャケットという制服で、その後に転校した学校はセーラー服でした。本人には、セーラー服を着るとなぜか緊張してしまった記憶が残っています。
中学生のうちに広島から上京し、新しい学校生活へ
永田さんは別のインタビューで、中学生のときに広島から上京したことを明かしています。地元でアイドルライブに通っていた時期から生活環境が変わり、東京で新しい学校生活を送ることになりました。
私は中学生のときに広島から上京してきたので
出典:QJWeb「チューナーラジオも購入 ≠ME(ノイミー)永田詩央里のラジオ愛」(2022年6月21日)
上京したばかりのころは、身近に気持ちを分かち合える友人がすぐにはできなかったといいます。その後は新型コロナウイルス禍の自粛生活も重なり、人の会話を一方的に聞けるラジオが日々の癒やしになっていきました。
ラジオとの出会いはKing Gnuの井口理さんの番組が入口でした。やがて地方局まで探して聴くほど興味が広がり、2022年にはラジオ雑誌を見て知らない番組を探したり、47都道府県の放送局を検索したりする聴き方も紹介しています。
もともとKing Gnuの曲をよく聴いていて、井口さんのラジオがあると知ったことがきっかけでした。番組を聴いて「ラジオってこんなにおもしろいんだ」と感じ、そこから別の番組にも手を伸ばしていきました。
スマートフォンだけでなく、実際のチューナーラジオにも興味を持っています。家電量販店へ通って探していたものの見つからず、ある日、文房具店に飾られていた小さな緑色のラジオにひと目ぼれして購入しました。
そのラジオにはランプが付いており、落ち込んだ日は部屋の電気を消して、オレンジ色の灯りを眺めながら深夜番組の声や音楽を聴くこともあったそうです。上京後に一人で過ごす時間の中で、ラジオが具体的な居場所の一つになっていました。
高校は私服通学、学生とアイドルを両立
2022年4月、高校3年生になる時期のインタビューで、永田さんは当時「私服の学校」に通っていると話していました。学校名は明かしていませんが、制服のない学校へ通いながら≠MEの活動を続けていたことが分かります。
本人は学生とアイドルを両立することについて、大変だと感じることも多いと話しています。ライブやレッスンだけでなく学校生活が並行していたため、この時期の活動歴を見るときは学業も同時に進んでいたことが欠かせません。
高校生だった2021年には、ORICON NEWSで「将来ノイミーを代表してクイズ番組に出たい」と話し、そのために勉強を頑張っていると明かしました。メンバーからも勉強会で集中していた姿や、勉強アプリを教えてもらった話が紹介されています。
このころの趣味として挙げていたのは、好きな音楽を探すこと、ラジオを聴くこと、本屋巡りでした。気になったものはすぐ調べたり実際に始めたりすることがあり、ペン字、ハーモニカ、絵日記にも一度取り組んだと話しています。
音楽への興味も「聴く」だけでは終わりませんでした。好きなアーティストの曲で鳴っている音が気になったことから、DTMやトラックメイクの動画を見るようになり、機材について調べていた時期もあります。小学生のころから続く音楽への関心が、別の方向へ広がっていました。
大学はどこ?受験のため約7か月活動を休止
高校卒業を控えた2022年、永田さんは学業に集中するため一時的に≠MEの活動を休止しました。≠ME公式は同年7月25日に休止を発表し、8月15日のイベントを最後に活動から離れています。
2023年3月31日に活動を再開した際、本人は休止が「受験勉強」のためだったこと、さらに大学受験を経験したことを自ら明かしました。休止期間は約7か月で、その間は再びステージに立つ日を待ちながら机に向かっていたといいます。
昨年の8月16日から受験勉強のため活動をお休みし
出典:ENCOUNT「≠ME永田詩央里、活動再開を発表」(2023年3月31日)
永田詩央里さんが大学受験を経験したことは本人が公表していますが、進学先の大学名や学部は公表されていません。具体的な学校名は断定できません。
復帰コメントでは、大学受験で感じたことや経験したことを、自分の成長にとって大切なものだったとも記しています。進学先を明らかにすることより、学業のために一度グループを離れて受験へ向き合った事実を本人が残しています。
永田詩央里が≠MEのオーディションを受けたきっかけ
話を中学時代へ戻すと、広島のライブ会場で「自分もステージに立ちたい」と思い始めた永田さんには、実際に応募するまでの迷いがありました。もともと自分から前へ出るタイプではなく、アイドル志望であることも周囲には話していませんでした。
≠MEにつながるオーディションを知っても、すぐ応募を決めたわけではありません。本人は後年、締め切りの2日前ほどで「受けよう」と決意し、そこで初めて親にも話したと振り返っています。
オーディションでは、何か印象に残ることをしなければと考え、自己PRにガチ恋口上のリズムを取り入れました。広島で客席から見ていたアイドル文化が、審査の場では自分を表現する材料にもなっています。
2019年1月26日に最終審査が行われ、2月24日に≠MEのメンバーがお披露目されました。永田さんは当時14歳。中学校へ通う年齢で、広島のライブ会場で抱いた憧れがグループ加入という形になりました。
お披露目後は、すぐに完成されたアイドルとして活動できたわけではありません。歌やダンスのレッスンを重ね、グループとして初めてファンの前でパフォーマンスする日へ向けて準備が続きました。
2019年8月には、≠ME公式YouTubeで永田さん個人を追った「Documentary of ≠ME」が公開されました。加入初期の本人の表情や声を残した公式映像で、ステージに立ち始めたころの姿を確認できます。
上京後の永田詩央里!初もんじゃ・初ディズニーを尾木波菜と経験
上京後の生活で永田さんを支えたメンバーの一人が尾木波菜さんです。永田さんにとって東京で初めて経験することのいくつかに、尾木さんが付き添っていました。
上京したての頃、初もんじゃも、初ディズニーも…はにゃだったので
出典:TVガイドWeb「『ノイステコラム』#11」(2023年9月13日)
原宿で初めてタピオカを飲んだときも尾木さんと一緒でした。尾木さんは当時の永田さんを気にかけ、「いろいろとサポートしてあげたい」と思っていたと振り返っています。
後年、尾木さんは一人で行動するようになった永田さんを見て、上京当初の慎重な姿との変化を語っていました。広島から東京へ移った直後の様子を、本人だけでなく近くにいたメンバーの記憶からもたどれるエピソードです。
永田詩央里が初めてアイドルとしてステージに立つまで
≠MEの初ステージは2019年8月4日の「TOKYO IDOL FESTIVAL 2019」でした。2月のお披露目から約5か月後、グループはこの日初めて観客の前でライブパフォーマンスを行っています。
会場となったステージには多くの観客が集まり、≠MEは5曲を披露しました。永田さんにとっては、中学2年生のころ広島で客席から眺めていた「ステージに立つアイドル」と同じ側へ移った瞬間です。
初パフォーマンスの会場には約2,000人が集まったと報じられています。グループ名が発表された2月からレッスンを重ね、夏の大型アイドルフェスで初めてライブを届けるという、加入から半年ほどの準備期間を経たステージでした。
その後、≠MEは2021年4月7日にミニアルバム「超特急 ≠ME行き」でメジャーデビューしました。永田さんはまだ高校生で、学校生活と活動を続けながらグループのメジャーデビューを迎えています。
小学1〜2年生でアイドルを好きになり、中学では放課後に広島のライブ会場へ通い、14歳でオーディションを経て≠MEへ。2019年8月、永田詩央里さんは自分がかつて客席から見上げていたステージに、今度はアイドルとして立ちました。
上京、転校、学業との両立や大学受験を経ても、その最初の入口にあったのは、広島で見たライブの空気と客席の表情でした。現在の活動へ続く最初の一歩は、あの放課後のアイドル現場から始まっています。
































コメントを残す