高城れには昔どんな子だった?家族構成や学歴、スカウトからももクロになるまで

ひと目でわかるプロフィール
高城れに
たかぎれに
横浜で育った人見知りの少女が、地元駅でのスカウトをきっかけにももクロへ
生年月日
1993年6月21日
血液型
O型
身長
158cm
出身地
神奈川県
所属・活動形態
ももいろクローバーZ
活動時代
平成アイドル
アイドル活動開始
2008年
活動開始時年齢
14歳
アイドルになったきっかけ
スカウト

ももいろクローバーZのメンバーとして、ステージでは観客に笑顔を向け、ときには大きな声で会場を盛り上げる高城れにさん。

そんな現在の姿からは少し意外ですが、子どものころは人前に出るのが得意ではなく、幼稚園では友達に話しかけられても言葉を返せないほどの人見知りでした。

幼稚園時代は友達ができず、先生におんぶしてもらっていたほどの人見知りだったと本人が振り返っています。

横浜で育った一人っ子の少女は、家族と過ごし、学校へ通い、芸能界とは離れた進路も考えながら成長していきます。やがて中学生のとき、母親と一緒にいた地元の駅で声をかけられました。

その偶然のスカウトから、演技のレッスン、ももいろクローバーの結成、川崎での初お披露目、代々木公園の路上ライブへ。高城れにさんがアイドルになるまでを、昔の本人の言葉や具体的な出来事とともにたどります。

高城れには昔どんな子?横浜で過ごした幼少期

高城れにさんは神奈川県出身。本人は後年、公式ブログで横浜について「生まれ育った」場所と書いています。

幼いころから現在のように誰とでも話せる子だったわけではありません。むしろ本人が振り返る少女時代には、かなり強い人見知りだった時期がありました。

幼稚園では先生におんぶされるほどの人見知り

特に人見知りが激しかったのは幼稚園のころです。毎日幼稚園へ通っていてもなかなか友達ができず、ほかの子から話しかけてもらっても、自分から言葉を返すことができませんでした。

そのため、幼稚園では先生におんぶしてもらって過ごすこともあったそうです。集団の中へ入っていくより、安心できる先生のそばにいる時間が長い子どもでした。

私はももクロに入る前は、極度の人見知りだったんですよ。

出典:エンタメOVO「高城れにが語る家出エピソード『私、“家出魔”なんです』」(2024年1月1日)

本人によれば、人前に立つことも得意ではありませんでした。後にももクロとして大勢の観客の前へ出ることになりますが、その原点には、人の輪へ入ることさえ難しかった時期があります。

一人で過ごす時間も苦ではなかったようです。後年のインタビューでは、昔から一人遊びや空想が得意で、自分の中にいろいろな世界を作って遊ぶ子どもだったとも話しています。

習い事と母親手作りのターザン衣装

幼少期には英会話も習っていました。当時の小さな思い出として本人が語っているのが、英会話教室で開かれたハロウィンパーティーです。

裁縫が得意だった母親は、娘のために仮装用の衣装を手作りしました。選んだ題材は、かわいらしいドレスや動物ではなく「ターザン」でした。

ところが幼い高城れにさんは、その衣装でパーティーへ行くのが嫌で仕方ありません。母親が作ってくれた衣装を着て、泣きながら参加した記憶が残っているそうです。

だから嫌で泣いてパーティーに行った記憶ある…

出典:ニッポン放送 NEWS ONLINE「玉井詩織と高城れにが語るももクロコスプレ裏伝説!」(2016年10月16日)

この話には母親の姿もよく表れています。娘に習い事をさせるだけではなく、行事があれば自分で衣装まで作ってしまう。高城れにさんの少女時代には、母親が登場する昔話が数多く残っています。

一人っ子で「もう一人の自分」と会話していた

高城れにさんは一人っ子です。きょうだいがいなかったこともあり、一人で遊ぶ時間には、自分の中に話し相手を作ることがあったといいます。

後年、ソロアルバムについて語ったインタビューでは、幼いころから「自分の中の自分」と会話していたという、少し変わった一人遊びの記憶を明かしました。

私は1人っ子なので、話し相手がいない時とか、小さい頃から自分の中の自分と会話していたんです

出典:USEN encore「高城れに『OTOGIMASHOU』インタビュー」(2025年10月18日)

好きだった昔話には「サルカニ合戦」や「カチカチ山」も挙げています。誰かと大勢で遊ぶより、一人で想像を広げる時間を持っていた少女でした。

高城れにの家族構成は?父親・母親との3人家族

高城れにの家族構成
本人が3人家族と語っている
幼少期から習い事や日常を支えた
本人
高城れに
一人っ子

高城れにさん本人はラジオで、自宅について「3人家族」と話しています。父親、母親、高城れにさんの家庭で、一人っ子として育ちました。

うちは3人家族で、私が最後なことが多い。

出典:ニッポン放送 NEWS ONLINE「ももクロ・高城れに、お風呂で『見てて!』母親を呼び出したついでに2人で一緒に入浴」(2021年1月3日)

一般人である父親と母親について、氏名や職業などは公式プロフィールでは明らかにされていません。一方で、高城れにさん自身のブログやラジオには、家族3人の日常が何度も登場しています。

母親との幼少期のエピソード

少女時代の話に特によく登場するのが母親です。英会話教室のハロウィンではターザン衣装を手作りし、成長してからも二人で買い物へ出かける様子が公式ブログに残っています。

幼いころは祖母に預かってもらう時間もありました。本人の昔を振り返ったブログには、祖母との散歩やラジオ体操、母親と自転車で出かけた記憶など、特別な行事ではない日常の場面が書かれています。

横浜という地元も、家族との記憶と切り離せない場所です。大人になってからも本人は横浜をたびたび「地元」と呼び、仕事でも横浜に戻っています。

父親も合流した「毎週末恒例」の家族時間

若いころの公式ブログには、母親と渋谷、原宿、池袋を回って買い物をした一日が残っています。仕事を終え、夜になると父親と合流する予定でした。

そこで本人が書いたのが「高城家の毎週末恒例ドンキからのカラオケ」という言葉です。家族3人でドン・キホーテへ行き、そのままカラオケへ向かうのが週末の定番になっていました。

大きな家族イベントではなく、週末になれば一緒に店へ行き、カラオケを楽しむ。高城家の普段の距離感が見える昔の一場面です。

高城れにの学歴は?小学校・中学校・高校の学生時代

高城れにの学歴
小学校
横浜市内の小学校
6年間通った地元・横浜の小学校
中学校
学校名非公表
中学生のころ地元駅でスカウト
高校
女子校
3年間通学し卒業。本人ブログで学校生活を振り返っている

高城れにさんの小学校・中学校・高校については、インターネット上で具体的な学校名も見られます。ただ、本人や所属先など信頼できる情報から確定できる範囲は限られています。

本人が6年間を過ごした地元・横浜の小学校へ後年の番組で戻ったこと、高校が女子校だったこと、高校を3年間で卒業したことは本人の発言や公式ブログから確認できます。

地元・横浜の小学校で6年間を過ごした

小学生時代も横浜で過ごしました。後年のテレビ番組では、自身が6年間通った小学校を訪れ、地元の少年野球チームと交流しています。

横浜スタジアムにも子どものころから縁がありました。本人は、小学生のころに何度か球場へ行き、そこで踊った経験もあると話しています。

後に大きなステージでダンスを披露するよりずっと前から、地元・横浜で踊る経験をしていたことになります。ただ、このころ本人が将来アイドルになることを目標にしていたという公式な発言は見当たりません。

中学生の14歳ごろ、地元駅でスカウトされた

中学生になると、高城れにさんの生活に芸能界との接点が生まれます。14歳のころ、母親と一緒に地元の駅にいたとき、現在の所属事務所であるスターダストプロモーションの関係者から声をかけられました。

ただし、この場面の詳しいやり取りは後ほど芸能界入りの章で追います。学校生活の途中で突然スカウトされ、芸能活動と学生生活が並行していくことになりました。

高校は友人と先生が支えになった

高校は女子校へ進学しました。後年、高城れにさんは「女子校で育った」ため、女性だけの環境が落ち着くと話しています。

入学する前は、高校へ行くこと自体にかなり抵抗があったようです。それでも実際に通い始めると、先生や友人との関係が深まり、学校が好きになっていきました。

高校に行く前は本当に嫌で嫌でしょうがなかったけど

出典:高城れにオフィシャルブログ「卒業!」(公開日記載なし)

卒業時のブログには、先生と仲良くなったこと、友達とふざけたり、ときには喧嘩したりしたことが綴られています。つらい時期には学校そのものが支えになり、悩みを真剣に聞いてくれる先生や友人もいました。

卒業すると、それまで当たり前だった日課も終わります。本人が寂しさを感じていたものの一つが、親友から毎朝かかってきていたモーニングコールでした。

卒業式では、先生から「いつでも帰ってきなさい」と声をかけられています。芸能活動を続けながら通った高校の3年間を、本人は「忘れない」と振り返りました。

介護福祉士を考えていたもう一つの進路

高校時代、高城れにさんにはアイドルとは別に考えていた進路がありました。介護福祉士です。

身近な家族が介護を必要としたことをきっかけに、支えてくれた介護福祉士の仕事を見て、自分もその仕事に関わりたいと考えるようになりました。

中学生のころから勉強を始め、ボランティアにも参加。高校では専門科目も履修していました。芸能活動をしながら、介護の道へ進むための準備も続けていたことになります。

高校3年の夏には、介護の最後の研修と、ももクロのツアー日程が重なりました。そこでどちらへ進むかを考え、最終的にはアイドルとして生きていく道を選びます。

高城れにが芸能界入りしたきっかけは地元駅でのスカウト

高城れにさんが芸能界へ入った直接のきっかけは、自分でオーディションを探して応募したことではありません。中学生のとき、母親といた地元の駅で受けたスカウトでした。

14歳のころ、母親と地元駅にいた高城れにさんをスターダストプロモーションの関係者がスカウトしました。

母親といた駅でスターダスト関係者に声をかけられた

本人が2026年に明かしたスカウトの場面は、かなり具体的です。母親と駅のエスカレーターを上っていたとき、反対方向の下りエスカレーターに男性二人組がいました。

その二人を見た高城れにさんは、母親に「おしゃれでかっこいい」といった内容のことを話しました。本人としては何気ない一言でしたが、どうやら相手にも聞こえていたようです。

上まで行くと、その男性たちが後ろから追いかけてきました。高城れにさんは、自分が何か言ったことで怒られるのではないかと思ったそうです。

しかし、男性たちが名乗ったのは「スターダストプロモーション」。突然の話だったため、本人はすぐには信じられませんでした。

地元の駅でスカウトしていただいた

出典:スポニチ「高城れに 事務所スカウトの意外すぎる裏話」(2026年2月21日)

しかも、その関係者にとって高城れにさんは初めてスカウトした相手だったという後日談もあります。本人が後から聞いたという話では、新人だった担当者に自信をつけてもらう意味もあったという、少し変わった裏話まで残っています。

ももクロ結成前に演技レッスンへ

事務所へ入ったあと、すぐに現在のようなアイドル活動が始まったわけではありません。演技のレッスンなどを経験し、芸能活動へ少しずつ足を踏み入れていきます。

ももクロ結成前のレッスンには、後に同じグループのメンバーとなる玉井詩織さんも参加していました。

ただし、このころの高城れにさんはまだ人見知りが強く、同じレッスンにいても積極的に話すタイプではありませんでした。玉井さんにも、会話より先に服装の印象が残っていたほどです。

幼稚園時代ほどではなくても、知らない人の中へ入る苦手意識は残っていました。その状態で芸能事務所のレッスンへ通い始めたことになります。

「高木」から「高城」へ!2008年にももいろクローバーが始動

2008年に入ると、高城れにさんの芸能活動は具体的に動き始めます。春にはドラマ出演を経験し、5月には後のももいろクローバーZにつながるグループの活動がスタートしました。

検索では「高城れに 本名」もよく調べられています。活動初期には「高木れに」と表記されており、本人自身が15歳の誕生日に「木」が「城」になったことをブログへ書いています。

現在の公式プロフィールは「高城れに」表記です。2008年の本人ブログから活動初期に「高木」表記だったことは確認できますが、現在の戸籍上の姓について公式プロフィールには記載されていません。

2008年春にはドラマ出演も経験

スターダストプロモーションの公式プロフィールには、2008年4月12日放送のBS-i「東京少女」への出演が記録されています。

スカウトから芸能事務所へ入り、演技レッスンを受け、テレビドラマへの出演も経験する。アイドルグループへ入る前に、まず女優・タレントとしてカメラの前に立つ機会がありました。

そして2008年5月17日、川崎アゼリアで開かれたスターダスト芸能3部のイベントで、ももいろクローバーが初お披露目されます。

当時のメンバーは高城れにさんのほか、百田夏菜子さん、玉井詩織さん、高井つき奈さん、伊倉愛美さん、和川未優さんの6人。ステージでは「あの空へ向かって」を歌いました。

15歳の誕生日に「木」から「城」へ

ももいろクローバーとして初めて人前に立った約1か月後、2008年6月21日に15歳の誕生日を迎えました。

その日の公式ブログで本人は、自分を「ニューフェイス」と表現し、名前の表記が変わったことにも触れています。

名前も高木の木が『城』になったことだし☆笑

出典:スターダストプロモーション制作3部「School girl BLOG」高城れに投稿(2008年6月21日)

「高木」から「高城」へ。名前の表記が変わった時期は、ちょうど本人の生活も学生中心の日々から芸能活動を含むものへ変わり始めたころと重なります。

代々木公園の路上ライブからアイドルとしての一歩へ

川崎アゼリアで初お披露目されたあと、ももいろクローバーは大きな会場へ進んだわけではありません。2008年夏に始めたのは、代々木公園・けやき通りでのストリートライブでした。

幼稚園では友達に話しかけられても返事ができず、人前へ出ることも苦手だった少女が、今度は屋外で知らない人たちの前に立つことになります。

2008年7月から代々木公園で路上ライブ

ももいろクローバーZ公式のライブヒストリーによると、代々木公園での路上ライブは2008年7月から9月にかけて行われました。

場所は代々木公園のけやき通り。レパートリーには、最初のお披露目でも歌った「あの空へ向かって」のほか、「冷凍みかん」「MILKY WAY」などがありました。

メンバーは自分たちでチラシも作っていました。現在のように会場へファンが集まってくる環境ではなく、まずそこにいる人へ存在を知ってもらうところからのスタートです。

同じ2008年10月からは、飯田橋ラムラで月1回の定期ライブも始まります。駅直結ビルの催事スペースを使ったフリーライブでした。

後年まで続く高城れにさんのアイドル活動は、こうした小さなステージの積み重ねから始まりました。グループの形も固定されておらず、メンバーの加入や卒業を繰り返しながら活動が続いていきます。

高城れにがアイドルになるまで
1993年6月21日
横浜で生まれ育つ
幼稚園時代
極度の人見知りで、先生におんぶしてもらって過ごす
中学生時代
地元の駅でスターダストプロモーションにスカウトされる
2008年4月
BS-i「東京少女」に出演
2008年5月17日
ももいろクローバーとして川崎アゼリアで初お披露目
「あの空へ向かって」を歌唱
2008年6月21日
活動名表記が「高木」から「高城」へ
2008年7月〜9月
代々木公園・けやき通りでストリートライブ
2009年8月
「ももいろパンチ」を発売
2010年5月5日
「行くぜっ!怪盗少女」でメジャーデビュー

「ももいろパンチ」を経てメジャーデビューへ

2009年になると、石丸電気での定期イベントや全国を回るツアーなど、活動範囲が少しずつ広がっていきます。

同年8月にはインディーズシングル「ももいろパンチ」を発売。ライブを中心に活動していたグループが、CDでも楽曲を届けるようになりました。

そして2010年5月5日、「行くぜっ!怪盗少女」でメジャーデビュー。地元駅で偶然スカウトされた中学生は、ももいろクローバーの一員として本格的なアイドル活動へ進んでいきます。

高城れにさんの原点をたどると、最初に見えてくるのは、ステージで堂々と振る舞う少女ではありません。幼稚園では先生の背中にいた、人と話すことが苦手な女の子でした。

母親と歩いていた地元の駅での偶然のスカウトから、レッスン、川崎での初お披露目、そして代々木公園の路上ライブへ。2008年の小さなステージから、高城れにさんのアイドルとしての日々が始まりました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です