=LOVEのリーダーとして、ステージではメンバーを支えながらキレのあるダンスを見せる山本杏奈さん。その歩みは、2017年の=LOVE加入から始まったものではありません。
広島で育ち、5歳でダンスを始め、小学3年生からアクターズスクール広島へ。中学1年生になるころには、スクールの選抜ユニットSPL∞ASHの1期メンバーとして地元でステージに立っていました。
小学生のころに抱いた「東京でアイドルになりたい」という夢から、=LOVEのオーディションに合格するまで、およそ10年。
その間には、学校帰りのレッスン、友人と過ごした広島の街、家族の送迎や手作り衣装、数え切れないほどのオーディション落選がありました。まずは、まだ東京のアイドルになる前の山本杏奈さんからたどります。
山本杏奈は昔どんな子?広島で過ごした少女時代
山本杏奈さんは広島県で育ちました。小学生のころは父親や近所の男の子と野球をしたり、ドッジボールをしたりすることが多く、本人は当時を「活発なほうだった」と振り返っています。
一方で、幼いころから生活の中心にあったのがダンスでした。5歳でダンスを始め、小学3年生からはアクターズスクール広島へ通い始めます。
最初はフリフリのTHEアイドルは好きでなかったんです。
出典:タウンワークマガジン「山本杏奈(=LOVE)インタビュー『周りの人を尊敬することで自分が変わるきっかけになりました』」(2022年5月24日)
当時好きだったのは板野友美さんや後藤真希さん。服も黒やヒップホップ系を好んでいました。
スクールに入ると、チワワの格好をして踊る機会があり、そこから少しずつアイドルを好きになっていきます。歌とダンスを習う場所だったASHは、やがて友人と長い時間を過ごす日常の場所にもなりました。
スクールはレッスン場であり、友達と遊ぶ場所でもあった
中学生になると、土日は朝8時ごろから夕方までスクールの仲間と一緒にいることもありました。歌とダンスのレッスンは合わせて3時間ほど。それ以外の時間にも、仲間とその周辺で過ごしていました。
私にとってはスクールが遊び場でもありました。
出典:SUUMOタウン「=LOVE・山本杏奈『アイドルしかなりたいものがなかった』 憧れ続けた東京の舞台と広島への思い」(2019年1月24日)
レッスン前後には、レッスン着のまま近くのスーパーのゲームセンターへ行ってプリクラを撮ったり、ファストフードを食べたりしていました。1時間しかない休憩に公園で水風船をして遊び、レッスンに遅れそうになって先生に怒られたこともあったそうです。
歌やダンスの練習だけでなく、プリクラや水風船まで含めて、ASHの仲間と過ごす時間そのものが少女時代の日常でした。
広島の本通りへ出かけるときは、友人同士で本通りを「街」と呼び、「今日、街に出る?」と声を掛け合っていたといいます。路面電車に乗り、PARCOやカフェへ出かける時間がレッスンの合間の息抜きでした。
2026年には、地元の友人家族が作ってくれた食事を囲み、小学生のころの自分たちの動画を見て笑ったこともInstagramに残しています。大人になった現在も、子どものころからの人間関係が広島に続いています。
小学校高学年でAKB48に憧れ、卒業文集に夢を書く
小学校高学年になるころにはAKB48を好きになり、特に板野友美さんに憧れるようになりました。広島で歌とダンスを続けながら、目線は次第に「東京でアイドルとして活動すること」へ向かいます。
小学校の卒業文集には「アイドルになりたい」と記しました。まだ=LOVEもSPL∞ASHも知らない小学生の時点で、将来やりたいことはかなり具体的になっていました。
同じASHには、鞘師里保さん、中元すず香さん、中元日芽香さんらも在籍。山本さんは、当時から歌やダンスで目立っていた仲間が東京へ進み、活躍していく姿を身近で見ていました。
後年、山本さんの初ソロ曲「おかえり、花便り」のMVは地元・広島で撮影されました。本人にゆかりの深い場所だけでなく、愛犬のモカや地元の友人も出演しています。
山本杏奈の家族構成は?父親・母親が長い挑戦を支えた
山本杏奈さんの家族について公に語られているエピソードは、父親と母親に関するものが中心です。少女時代の芸能活動では、両親が日常のかなり具体的な部分を支えていました。
ASHへ通っていたころ、父親は毎日のように車で送り迎えをし、レッスンが終わるまで待っていたといいます。小学生のころには一緒に野球をしていた父親が、今度は娘のレッスン生活を車で支えるようになりました。
父親は毎日の送迎からオーディションまで付き添った
東京のオーディションを受けるようになると、広島から移動するだけでも家族の負担は大きくなります。高校時代には何度も東京の審査へ挑戦しており、そのたびに親が付き添うこともありました。
=LOVEのオーディションでは、父親が車を運転して広島から東京へ連れて行っています。所要時間は本人の説明で約12時間。小学生のころの野球からASHの送迎、最後の大きなオーディションまで、父親との具体的な場面がいくつも残っています。
山本さんのInstagramにも、父親に写真を撮ってもらった日の投稿があります。ステージの外でも一緒に過ごす父娘の関係が見える一枚です。
母親はステージ衣装を手作り
母親は、山本さんがステージで着る衣装を作っていました。娘が歌やダンスに向き合う一方、家庭では衣装を用意する人がいたことになります。
親戚も、山本さんが小さいころからアイドルを夢見ていたことや、長くオーディションを受けていたことを知っていました。=LOVEの最終審査の翌日は偶然、親戚の結婚式。合格後、親戚が集まった場で喜びを共有できたと本人は話しています。
兄弟姉妹については公表されていません。
山本杏奈の学歴は?中学・高校・大学時代まで
山本杏奈さんは小学校から高校の時期まで広島でASHのレッスンを続け、学校生活と歌やダンスを並行していました。高校卒業後は大学へ進学しており、=LOVE加入前に大学生だったことを本人が明かしています。
小学校・中学校・高校・大学の具体的な学校名は公表されていません。学校名よりも、その時期の生活については本人が多くの出来事を語っています。
中学1年生でSPL∞ASHの1期メンバーに
中学1年生になるころ、ASHのスクール生による選抜ユニットSPL∞ASHで活動を始めました。2015年のメンバーインタビューでは、志水愛美さんが自分と山本さんを「1期生」と説明しています。
学校が終わるとレッスンへ向かい、土日も長い時間をスクールで過ごす生活でした。中学生の時点で、学校生活、歌、ダンス、地元でのステージ活動が同時に進んでいます。
SPL∞ASHは広島のステージに立つだけでなく、サンフレッチェ広島の応援に関わる活動も行っていました。山本さん自身も現在まで野球やサッカーの観戦を趣味に挙げており、広島のスポーツ文化は少女時代の活動にも重なっています。
高校時代は放課後レッスンと東京のオーディション
高校生になると、東京のアイドルグループを目指す動きがさらに強くなりました。本人は高校時代に「すごい数」のオーディションを受け、書類選考を通過できないことも何度もあったと振り返っています。
いっぱい落ちました。
出典:タウンワークマガジン「山本杏奈(=LOVE)インタビュー『周りの人を尊敬することで自分が変わるきっかけになりました』」(2022年5月24日)
いいところまで進んで落ちたときには、親へ泣きながら電話したこともありました。長くダンスを続けてきた自信がある一方で、本人は後年、その気持ちの強さが審査で出すぎていたのかもしれないと振り返っています。
オーディションでは見せ方も試行錯誤しました。「アイドルは成長過程を見るもの」と聞き、自分は完成されて見えるのではないかと考え、あえて地味な服で審査へ行った時期もあります。カーキとボーダーを合わせたこともあり、本人自身が後に笑い話として語っています。
同じスクールでは、同世代や後輩が次々と東京でデビューしていきました。仲間の合格を喜びながらも、自分より後に入った人が先へ進む状況はつらかったといいます。
高校卒業後は大学へ進学し、短期間のアルバイトも経験
高校卒業が近づくと、周囲の進路が決まるなかで「このまま目指していていいのか」と考えるようになります。それでもオーディションをやめず、高校卒業後は大学へ進みながら挑戦を続けました。
=LOVE加入直前には、ごはん屋でレジを担当するアルバイトもしています。在籍は1カ月弱で、実際に出勤したのは10日ほど。大学生として働き始めた直後に=LOVEのオーディションへ合格し、アルバイトを辞めることになりました。
このころまでには、歌とダンスは子どものころから十数年続けてきたものになっていました。高校卒業後も審査を受け続けた理由について、本人は「アイドルしかなりたいものがなかった」と話しています。
SPL∞ASHで6年4カ月!広島で続けたアイドル活動
山本杏奈さんにとって最初の本格的なアイドル活動は、=LOVEではなくSPL∞ASHです。ASH第16期生として学び、2010年にSPL∞ASHの1期メンバーとして活動を始めました。
SPL∞ASHは、ASHの現役生から選ばれる「元気はつらつ歌って踊れる応援団ユニット」。メンバー卒業時には新たなメンバーが加わる形で世代が受け継がれ、山本さんは初期から長く在籍しました。
2015年のインタビューでは、当時のメンバーが自分たちで振付、歌い分け、ハモリ、立ち位置を考えていたことも語られています。ステージに出られないメンバーがいれば、その場で歌のパートや位置を組み替えることもありました。
山本さん個人もASHの発表会でソロを任されています。2014年のAUTUMN ACTでは奥華子さんの「ガーネット」のソロ合格者として記録されました。グループ活動と並行し、一人で歌う場も経験しています。
SPL∞ASHではリーダーも務め、地元のイベントやステージを重ねました。2016年末の卒業ライブを最後に、長く通ったASHとSPL∞ASHを卒業します。
10年間、SPL∞ASHとしての6年と4ヵ月ありがとうございました。
出典:SPL∞ASH オフィシャルブログ「ラストブログ anna」(公開日記載なし)
最後のブログでは、先生、家族、友達、仲間、メンバー、ファンへ一人ずつ言葉を残しました。SPL∞ASH卒業はアイドルを諦めた節目ではなく、東京での次の挑戦へ向かう直前の区切りになりました。
19歳で最後のつもりだった=LOVEオーディション
山本杏奈さんは、高校時代からオーディションを受けるたび「これで最後にしよう」と考えることがありました。落ちたグループの合格者をテレビで見ることもつらく、後輩が先にデビューしていく焦りもありました。
それでも高校卒業後まで応募を続け、19歳で指原莉乃さんがプロデュースする=LOVEのオーディションへ。本人にとっては「本当の本当にこれが最後」と覚悟した挑戦でした。
父と約12時間かけて広島から東京へ
=LOVEの審査へ向かうとき、父親は車で広島から東京まで運転しました。およそ12時間の移動です。長いオーディション生活の最後になるかもしれない一日も、ASH時代から送迎を続けていた父親と向かいました。
最終審査の翌日は親戚の結婚式でした。親戚は山本さんが幼いころからアイドルを目指してきたことを知っており、偶然みんなが集まるタイミングで合否を迎えることになります。
SHOWROOM審査で指原莉乃の「初恋ヒルズ」を歌う
SHOWROOM審査で選んだのは、プロデューサーである指原莉乃さんのソロ曲「初恋ヒルズ」でした。配信を見に来た指原さん本人から、歌を褒めるコメントも届きました。
それまで何度も審査に落ちてきた山本さんでしたが、このオーディションでは合格。小学生の卒業文集に書いた「アイドルになりたい」という夢が、東京を拠点に活動する形で現実になります。
諦めないでよかったです、本当に。
出典:SUUMOタウン「=LOVE・山本杏奈『アイドルしかなりたいものがなかった』 憧れ続けた東京の舞台と広島への思い」(2019年1月24日)
合格後は広島を離れて上京、最初はホームシックに
合格後は広島を離れて東京へ移ります。それまで一人で新幹線に乗ったことすらなく、路面電車に慣れた山本さんにとって、東京の地下鉄は分からないことだらけでした。
上京直後はホームシックになり、福岡出身の音嶋莉沙さんと一緒に泣くこともありました。どちらかが「地元に帰りたい」と泣くと、もう一人もつられて泣くような時期だったと振り返っています。
そんなときに広島の友人から「新曲かわいいね」「テレビで見たよ」と連絡が届くと、東京で続ける力になりました。故郷から離れたことで、広島の友人や家族とのつながりが別の形で日々の支えになっていきます。
山本杏奈が=LOVEとしてデビューするまで
=LOVEのメンバーとなった2017年、山本杏奈さんは広島で積み上げてきた歌とダンスを、新しいグループで一から合わせていくことになります。ASHでは長く活動してきた一方、=LOVEではメンバー全員が同じスタートラインに立ちました。
=LOVEのメジャーデビューシングル「=LOVE」は2017年9月6日に発売。中学1年生からSPL∞ASHでステージを経験してきた山本さんにとって、東京を拠点とするグループで迎えた新しいデビューでした。
=LOVEの活動は年を重ね、本人のInstagramには6周年をテーマにした投稿も残っています。広島でSPL∞ASHとして過ごした6年余りとは別に、東京で始まった=LOVEの時間も積み重なっていきました。
2021年に広島で行われたコンサートでは、AKB48の「初日」をソロで歌い、自身の公式Xで「小さい頃からの夢はアイドル」と振り返りました。小学校高学年でAKB48に憧れた少女が、同じ曲を故郷のステージで歌うところまで時間が進んでいます。
2023年には、初のソロ楽曲「おかえり、花便り」のMVを広島で撮影しました。地元の友人や愛犬も映る作品で、東京のアイドルとして活動した後に、育った場所そのものが一つの作品になりました。
5歳で始めたダンス、小学3年生から通ったASH、中学1年生からのSPL∞ASH、何度も落ちた東京のオーディション。その先で19歳の山本杏奈さんは=LOVEに合格し、2017年9月、あらためてアイドルとして新しいステージに立ちました。
































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