早見あかりのももクロ時代は?家族構成や学歴、アイドルになるまでの生い立ち

ひと目でわかるプロフィール
早見あかり
はやみあかり
客席から見ていたももクロに加わり、青のサブリーダーを務めた元アイドル・俳優
生年月日
1995年3月17日
血液型
A型
身長
165cm
出身地
東京都
所属・活動形態
ももいろクローバーZ
活動時代
平成アイドル
アイドル活動開始
2008年
活動開始時年齢
13歳
アイドルになったきっかけ
スカウト

ドラマや映画で俳優として活躍する早見あかりさん。現在の姿から知った人にとっては、かつて「ももいろクローバー」の青を担当し、サブリーダーを務めていた時代があることは少し意外かもしれません。

しかし、その道の始まりはアイドルオーディションではありませんでした。小学1年生のころに一度スカウトされ、小学6年生のとき、母親と妹と池袋を歩いていたところを再び声をかけられています。

早見あかりさんの原点をたどると、家族の中で「自分がしっかりしなければ」と考えていた少女が、偶然のスカウトをきっかけに芸能界へ入り、13歳でももいろクローバーの一員になるまでの流れが見えてきます。

早見さんは1995年3月17日生まれの東京都出身。ここからは、幼少期の家庭での姿、学校生活、芸能界との最初の接点、そして青の「クールビューティ」としてステージに立ったももクロ時代までを順にたどります。

早見あかりの生い立ち!小学生で芸能界入りするまで

早見さんは後年、自分は幼稚園のころから周囲に「しっかりした子」と言われていたらしいと振り返っています。3月生まれで同学年の中では誕生日が遅いものの、家庭でも自然と自分が前に出る意識を持つようになっていました。

芸能界との最初の接点は、まだ小学1年生のころです。このときにもスカウトを受けましたが、父親が芸能界入りに反対したため、そのまま活動を始めることはありませんでした。

幼稚園のころから「しっかりした子」だった

早見さんの少女時代を知るうえで欠かせないのが、家庭での立ち位置です。両親は離婚しており、子どものころは母親と妹との3人で暮らしていました。

母親は早見さんの表現では、ふんわりした大らかなタイプ。そのため早見さん自身は、家の中で自分が前に立たなければという気持ちを強く持っていたそうです。

「家族のことは私が引っ張らなきゃ!」

出典:CHANTO WEB「早見あかり『周りの大人はみんな敵』だった私が丸くなったきっかけ」(2022年3月24日)

「しっかりした子」という言葉は、ももクロ時代になって突然ついたイメージではありません。幼稚園のころからそう見られ、家庭でも母と妹を意識しながら過ごしていたという話が、そのずっと前にあります。

本人の公式Instagramでは、自身の幼いころの写真を公開したこともあります。ももクロで青い衣装を着るより前の、早見さんの少女時代を直接見られる貴重な一枚です。

小学1年のスカウトは父親の反対で見送り

小学1年生のころに受けた最初のスカウトでは、父親の反対によって芸能界入りを見送っています。本人が自分から芸能事務所を探して応募したわけではなく、街で声をかけられたことが最初のきっかけでした。

その時点では芸能活動は始まりませんでしたが、数年後にもう一度、別の形で芸能界との接点が訪れます。場所は池袋。今度は母親と妹も一緒でした。

小学6年、母と妹との池袋で再びスカウト

小学6年生のとき、早見さんは母親、妹と3人で池袋へ買い物に出かけていました。すると、見知らぬ男性がずっと後をついてきます。

早見さんたちは警戒し、わざと店へ入ったり出たりして男性をまこうとしたそうです。それでもついてくるため、「変な人がいる」という感覚だったと、2022年のテレビ出演で振り返っています。

その男性は、現在も早見さんが所属するスターダストプロモーションのマネージャーでした。渡された名刺には所属する有名人の名前が並んでいましたが、母親もすぐには信じず、「詐欺かもしれない」と疑ったといいます。

小学1年では父親の反対で進まなかった芸能界への道が、小学6年の池袋での再スカウトによって再び動き始めました。

このスカウトの経緯は、早見さんが2022年9月18日放送のフジテレビ系「なりゆき街道旅」で語った内容として、RBB TODAYでも報じられています。

小学生のころから明確に「女優になりたい」「アイドルになりたい」と進路を決めていたわけではありません。後年のインタビューでも、スカウトされて芸能界に入った当時は「正直、何も考えていなかった」と話しています。

早見あかりの家族構成は?父親・母親・妹との少女時代

早見あかりの家族構成
両親が離婚したことを本人が公表
子どものころ、本人・妹と3人で暮らした
本人
早見あかり
子どものころ、母・本人と3人で暮らした

早見さんの幼少期を語る本人インタビューには、父親、母親、妹が登場します。両親の離婚後は、母親と妹との3人暮らしでした。

一般人である家族の氏名や職業などは公表されていません。一方で、芸能界へ入るまでの場面では、父親と母親がそれぞれ違う形で早見さんの進路に関わっています。

母と妹との3人暮らしで家族を引っ張ろうとした

母親を「大らか」な人と表現する一方で、早見さん自身は幼いころから「自分が家族を引っ張る」という意識を持っていました。本人によれば、家のトップのような立ち位置だった時期もあったそうです。

そこへ小学生のうちから芸能界の仕事が加わります。同世代の友人と学校で過ごしながら、仕事では年上の大人たちに囲まれる生活が始まりました。

早見さんは後年、昔は周囲の大人に対して警戒心を持ち、「何か裏がある」と考えていた時期もあったと話しています。家庭でしっかりしようとしていたことと、早くから大人の世界に入ったことの両方が本人の記憶として残っています。

芸能活動と進路を見守った母親

母親は、小学6年で受けた再スカウトの場にいました。最初は名刺を見ても警戒していましたが、その後は早見さんが芸能事務所へ入る流れを進めています。

さらに高校卒業時の進路でも、母親は「こうしなさい」と道を決める立場を取りませんでした。大学進学を選ぶか、芸能の仕事に進むかを考えていた早見さんに、最終的な選択を本人へ委ねています。

早見さんは、母親から「あれをやりなさい」「これをやりなさい」と言われることはほとんどなく、いろいろなことを自分で選択してきたと振り返っています。

早見あかりの学歴は?中学・高校時代と大学へ進まなかった理由

早見あかりの学歴
小学校
学校名非公表
小学6年生のとき池袋でスカウト
中学校
学校名非公表
在学中にももいろクローバーで活動開始
高校
学校名非公表
卒業時に大学へ進学せず芸能活動を選択
大学
進学せず

早見さんの小学校・中学校・高校について、本人や所属事務所などが正式な学校名を公表した資料は見当たりません。ネット上には具体的な学校名も見られますが、本人や所属事務所から公表されたものではありません。

学校名そのものは非公表ですが、本人インタビューには中学・高校時代の過ごし方が残っています。芸能活動だけの毎日ではなく、地元の友人や学校での何気ない時間も、後年まで大切な記憶になっていました。

中学時代に芸能活動が本格化

小学6年で事務所に入ったあと、早見さんはレッスンや芸能活動を経験していきます。そして2008年、中学生だった13歳のときに、ももいろクローバーへ加わりました。

当時から「将来は必ず女優」と強く決めていたわけではありません。中学生になると取材で将来像を聞かれる機会が増え、所属事務所が俳優を多く抱えることもあり、「女優」と答えていた時期があったと本人は話しています。

中学・高校時代の友人については、後年も実家へ帰るタイミングで連絡を取り、会える相手には次々連絡するほど大切な存在だと語っています。芸能界とは別に、地元で続いた人間関係がありました。

高校で楽しかったのは何気ない学校生活

高校時代の思い出を聞かれた早見さんは、派手な学校行事や特別な出来事ではなく、教室を移動する時間や友人とご飯を食べる時間のような、何をしていたか細かく覚えていない時間のほうが楽しかったと答えています。

中学生のころにはすでにももクロの活動が始まり、高校生の時期には脱退後の俳優活動も進んでいました。それでも本人の記憶に残っているのは、仕事だけではなく、学校で友人と過ごした日常でした。

高校卒業時に大学へ進まず芸能界を選ぶ

高校卒業のタイミングで、早見さんは大学へ進学しない道を選びました。中学・高校時代は芸能の仕事を続けながらも、「一生この仕事で食べていく」という覚悟までは持っていなかったといいます。

「ここが私にとって『この仕事で生きていく』って決意した瞬間」

出典:幻冬舎plus「早見あかり『私が「この仕事で生きていく」って決意した瞬間は…』」(2018年11月7日)

周囲から大学進学を勧める声もあったなか、母親は本人の人生だから自分で決めればいいという姿勢でした。早見さんは、自分にとってどちらが楽しいかを考え、芸能の仕事を続けるほうを選びました。

この決断は、ももクロを脱退した2011年より後の話です。アイドルを辞めた瞬間に進路のすべてが固まっていたわけではなく、高校生活を送りながら俳優の仕事を重ね、卒業時に改めて職業として芸能界を選んでいます。

早見あかりのももクロ時代!青のクールビューティーとして活動

早見さんがももいろクローバーとして活動を始めたのは2008年11月。13歳でした。のちに「ももいろクローバーZ」となるグループで、早見さんの担当色は青です。

当時のキャッチフレーズは「クールビューティー」。サブリーダーを務めていました。後年の本人は、外から見られる「冷たくてあまり笑わない」という印象に対し、実際はよく笑い、人と話すことも好きだったと語っています。

2023年、ももクロの15周年に際して、早見さんも自身の公式Instagramから節目を祝っています。脱退から長い時間が経っても、グループとのつながりを感じられる投稿です。

13歳でももいろクローバーの活動を開始

ももクロ加入も、本人がアイドルオーディションを探して応募した形ではありませんでした。芸能事務所へ入ったあと、当時のマネージャーから「ももクロ入る?」と声をかけられたことが入口です。

当初から「アイドルになること」を人生の目標にしていたというより、声をかけられた仕事へ飛び込んだ形でした。2009年にインディーズCDデビューし、2010年5月には「行くぜっ!怪盗少女」でメジャーデビューします。

早見さんにとって、ももクロとして過ごした期間は約2年半。短い在籍期間の中に、地方巡業、メジャーデビュー、脱退の決断までが詰まっていました。

「私の人生において、めちゃくちゃ濃い2年半でした。」

出典:CHANTO WEB「早見あかり『前の髪型のほうが良かった』と本音でつい」(2022年3月22日)

8人乗りワゴンで全国を回った下積み時代

現在の大規模ライブのイメージとは違い、早見さん在籍時のももクロには、各地を地道に回っていた時期があります。本人が2022年に振り返った移動風景はかなり具体的です。

6人のメンバーとスタッフ2人で8人乗りのワゴン車へ乗り込み、遠いときには九州まで移動。スーパー銭湯へ入り、そのままライブへ向かうような日程もあったといいます。

2009年のインディーズデビューを経て、翌2010年にはメジャーデビュー。移動やイベントを重ねながら、まだ十代だったメンバーたちがグループを作っていく時期でした。

早見あかりがアイドルになるまで
1995年3月17日
東京都出身
幼稚園年少~小学2年生
クラシックバレエを経験
競技会エアロビクスにも取り組む
小学6年生
池袋でスカウト
スターダストプロモーションに所属
2008年11月
ももいろクローバーで活動開始
青のサブリーダーとして活動
2010年5月5日
「行くぜっ!怪盗少女」でメジャーデビュー
2011年1月16日
グループ脱退を発表
2011年4月10日
中野サンプラザで最後のステージ
公演をもってももいろクローバーを脱退

このころの活動は、早見さんにとって学校生活と並行して進んでいました。仕事では地方へ出かけ、学校へ戻れば同年代の友人がいる。二つの時間を行き来しながら、ももクロの青としてステージに立っていました。

約10年後には、ももクロの4人と早見さんがSOPHISTANCEの広告撮影で再び共演しました。公式YouTubeで公開されたメイキング映像には、別々の道を歩いた5人が再び同じ撮影現場に立つ場面が残されています。

メンバーが語った「しっかり者」のあかりん

早見さんがグループの中でどんな存在だったのかは、当時のメンバーの言葉からも分かります。2010年のCDJournalインタビューで、有安杏果さんは早見さんを、ももクロの中で一番しっかりした存在と紹介しています。

ライブではさまざまなハプニングが起こるものの、早見さんが冷静に対応してくれるとも話していました。一方、テンションが上がると佐々木彩夏さんとはしゃぐ、年相応の一面もあったそうです。

2011年の最後のライブでは、佐々木さんが早見さんと初めて母親抜きで原宿へ行き、プリクラを撮った日のことを回想。玉井詩織さんは、一緒にマクドナルドへ行ったあとビラ配りをした思い出を語りました。

高城れにさんは、MCで困ったときに早見さんが助けてくれたことを振り返っています。サブリーダーという肩書きだけでなく、初期の小さな現場を一緒に回ったメンバーの記憶の中にも、早見さんの役割が残っていました。

2023年には高城れにさんとの共演を自身のInstagramに投稿しています。かつて同じグループで過ごしたメンバーと、俳優として活動するようになった後にも仕事で並ぶ機会が生まれています。

早見あかりがももクロを辞めた理由は?

早見さんがももいろクローバーを脱退したのは2011年4月10日です。「人気が出なかったから」「メンバーと仲が悪かったから」といった単純な理由ではなく、本人は後年、自分とアイドルという仕事との間に感じていた違いを具体的に語っています。

ファンが求めている答えを頭では理解できても、自分が本当にそう思っていなければ言いたくない。ほかのメンバーが自然に返せる言葉を、自分は同じようには返せない。そうした場面を重ねるうちに、自分はアイドルに向いていないと考えるようになりました。

自分が思い描いたアイドルとの違い

早見さんは小学生のころ、モーニング娘。のファンでした。そのため本人の中には「王道アイドル」のイメージがありましたが、自分自身はファンへ期待された言葉をそのまま返すことに違和感を覚えていました。

たとえばファンから髪型を変えたと言われれば、本来なら肯定的な言葉を返す場面でも、前の髪型のほうが良いと思えばそう言ってしまう。本人は、100点の受け答えが分かっているのに、それを言いたくない自分と、自然に100点を返せるほかのメンバーとの違いを感じていたと説明しています。

アイドル活動そのものが嫌いだったわけではありません。ももクロへ入ったときは「楽しそうだからやりたい」と考え、実際に楽しかったとも話しています。ただ、活動を続ける中で別の仕事への興味が大きくなっていきました。

芝居やモデルの仕事へ気持ちが動く

ももクロと並行して、早見さんには芝居やモデルの仕事もありました。その経験を重ねる中で、アイドル以外に「もっとやってみたい」と思えるものが見つかります。

「1人ウソついてやっていけないなと思っちゃって」

出典:スポニチアネックス「早見あかり ももクロ脱退の理由『1人ウソついてやっていけないなと』」(2022年8月31日)

ほかのメンバーが本気で全力を注いでいるなか、自分だけが気持ちに嘘をついた状態で続けることはできない。早見さんが後年説明した脱退理由は、グループへの不満より、自分の進みたい方向とアイドルとしての自分をどう一致させるかという問題でした。

脱退を決めた時点で、俳優として生涯やっていける確信があったわけでもありません。それでも芝居への興味がはっきりし、脱退するころには「一生女優をやっていけたら」という方向へ気持ちが固まっていたと話しています。

2011年4月10日、中野サンプラザ最後のステージ

脱退前、早見さんはメンバーへ自分の意思を伝えました。特に百田夏菜子さんとは「一心同体」と表現するほど近い関係で、脱退を発表した帰りの車の中で二人きりになり、思っていることをぶつけ合ったといいます。

「ももクロを辞めても親友でいてくれる?」

出典:ORICON NEWS「『ふざけんじゃねえよ!』ももいろクローバー・早見あかり脱退の陰に熱く濃密な友情」(2011年4月11日)

百田さんから返ってきたのは「あたりまえじゃん!」という言葉でした。2011年4月10日、東京・中野サンプラザで行われた公演は、6人で立つ最後のステージになります。

第2部「早見あかりFINAL そして…」では、メンバーそれぞれが早見さんとの思い出を語りました。原宿へ行った日、マクドナルドからビラ配りへ向かった日、ライブやMCで助けてもらったこと。初期から一緒に動いてきた時間が、一つずつ言葉になりました。

「これからはももクロの一番のファンになりたい。」

出典:ORICON NEWS「ももクロ、早見の号泣脱退で改名 『ももいろクローバーZ』で再出発」(2011年4月11日)

早見さんがステージを降りたあと、グループは「ももいろクローバーZ」へ改名し、5人で再出発しました。早見さんはグループを離れ、俳優としての道へ進みます。

それから13年後の2024年7月15日、百田夏菜子さんの30歳記念ライブで、早見さんはサプライズ出演しました。2011年の卒業公演で披露した二人のユニット曲を、今度は現在の二人で再び歌っています。

公式Xには、その舞台裏で初めてのイヤモニに苦戦する早見さんの姿も投稿されました。小学6年の池袋で偶然スカウトされた少女は、13歳で青の衣装を着てグループに入り、16歳で自分の進む道を選びました。その後も、当時の仲間との関係は途切れずに続いています。

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