SPEEDのメインボーカルとして、島袋寛子さんとともに数々の楽曲を歌ってきた今井絵理子さん。
「Body & Soul」「STEADY」「White Love」などを歌っていた姿を覚えている人も多いでしょう。しかし、そのステージへ立つよりずっと前、今井さんは沖縄で歌うことが大好きな少女として過ごしていました。
5歳で歌手を夢見て、小学2年生で養成所へ。小学6年生になるころには東京で活動する話が動き始め、12歳で親元を離れています。
工藤静香さんの振り付けをまねしていた幼いころ。父親と出掛けた沖縄の海。年下なのに養成所では先輩だった島袋寛子さん。そして初めて入ったテレビ局で驚いたこと。
現在の肩書きから少し時間を巻き戻し、今井絵理子さんがSPEEDとしてCDデビューするまでをたどります。
今井絵理子は昔どんな子だった?5歳で歌手を夢見た沖縄の少女時代
今井絵理子さんは1983年9月22日、沖縄県那覇市で生まれました。
のちに全国的に知られる歌手になりますが、本人の記憶をたどると、歌手になりたいと思った時期はかなり早く、まだ幼稚園に通っていたころまでさかのぼります。
工藤静香や中山美穂に憧れた5歳
5歳ごろの今井さんがテレビで見ていたのは、工藤静香さんや中山美穂さんでした。
華やかな衣装をまとって歌う姿を見て、「こういう世界に行ってみたい」と思うようになります。特に工藤静香さんの歌は、振り付けまでまねして歌っていたそうです。
私が歌手を目指したのは、5歳の時です。
出典:ライブドアニュース「今井絵理子:第1回 5歳で歌手を目指し、12歳の時にSPEEDでデビュー」(2015年4月25日)
家の中で歌っているだけではありませんでした。今井さんは5歳ごろから、沖縄各地で開かれていたカラオケ大会へ何度も参加しています。
「歌うことが大好きだった」と本人が振り返るように、地元で大会が開かれると参加する。そんな時間を重ねていました。
カラオケ大会への参加が小学2年生の転機に
歌手への道が少しだけ現実に近づいたのは、小学2年生のころです。
カラオケ大会で歌う今井さんを見ていた養成所の校長から声を掛けられ、歌とダンスを学ぶ場所へ通い始めました。
テレビを見て歌手に憧れていた少女が、自分自身の歌とダンスを習う側へ移ったのが小学2年生でした。
ただ、本人にとって養成所は「芸能人になるための厳しい専門施設」という感覚ばかりではなかったようです。
先輩が後輩へ歌や踊りを教える環境があり、今井さんは後年、学校の部活動のような感覚だったと振り返っています。
そこには安室奈美恵さんやMAXのメンバーらもいました。今井さんは、先に活動していた人たちから歌やダンスを教わりながら練習を続けていきます。
年下の島袋寛子は養成所では先輩だった
SPEEDで一緒にメインボーカルを務めることになる島袋寛子さんとも、この養成所で出会っています。
島袋さんは今井さんより1歳年下。しかし、養成所へ入った時期は島袋さんのほうが早く、今井さんにとっては先輩でした。
歌もダンスも上手く、ジュニアクラスでもトップクラスだった島袋さん。今井さんは、その背中を追いかけるように練習していました。
私はヒロに追いつきたいと思って、一生懸命頑張りました。
出典:SmartFLASH「今井絵理子、島袋寛子との不仲説一蹴!『ヒロを超えるパートナーは現れない』」(2021年11月10日)
養成所では年に4回ほど発表会がありました。今井さんは少しずつクラスを上がり、ようやく島袋さんと同じチームで踊れるようになります。
そのとき島袋さんから「ダンス一回間違えたらビンタね」と言われたという昔話もあります。
今井さんは怖がりながら必死に練習したそうですが、後年、この話を島袋さん本人へ確認すると「そうだっけ?」という反応だったとか。
現在では長い付き合いとなった2人にも、こんな小学生時代がありました。
今井絵理子の家族構成は?父親・母親・兄・姉とのエピソード
今井さんは父親、母親、兄、姉がいる家庭で育ったとされています。過去の本人SNSでは、自身について「姉と兄の三人兄弟」と答えていました。
父親については、今井さん本人のインタビューから幼少期の具体的な思い出が残っています。
父親に連れられて沖縄本島の海へ
父親は大分県出身です。環境省の広報誌で今井さんが語ったところによると、沖縄の海の美しさに魅せられ、大分から沖縄へ移り住みました。
幼い今井さんは、その父親に連れられて沖縄本島の南部や北部にあるビーチへ出掛けていました。
私が小さいころは、沖縄本島の南部や北部のビーチには良く連れていってもらいました。
出典:環境省「エコジン 2014年4・5月号」(2014年)
養成所で歌とダンスを練習する時間とは別に、父親と海へ出掛ける日常がありました。
今井さんにとって沖縄は、単にプロフィールへ書かれる「出身地」ではありません。家族と暮らし、歌手を夢見て、歌を覚えていった場所でした。
12歳で親元を離れる娘を送り出した両親
家族との暮らしが大きく変わるのは12歳のころです。
東京での活動話を受けた今井さんは、沖縄の親元を離れて上京することになりました。
本人にとっては5歳から思い描いていた夢へ進む機会でしたが、送り出す両親にとっては、まだ12歳の娘を遠く離れた東京へ送り出すことになります。
両親も心配で仕方なかったと思います。
出典:女性自身「今井絵理子氏『どんな時も笑顔でいこう』聴覚障がいを抱きしめ誓った覚悟」(2021年11月13日)
最後に両親から伝えられたのは、本人が自分で決めた道だからという趣旨の言葉でした。
歌手になるという夢を止めるのではなく、本人の決断として送り出した両親。今井さんは後年、自分が親になってから当時の両親の気持ちを振り返っています。
今井絵理子の学歴は?小学校時代から八雲学園高校まで
今井さんの学生時代は、学校生活と芸能活動がかなり早い時期から重なっています。
小学2年生から放課後のような感覚で養成所へ通い、小学6年生になるころには東京で活動する話が進み始めました。
小学生時代は歌とダンスの練習が日常だった
養成所では、レッスンだけでなく定期的な発表会もありました。
先輩から振り付けを教えてもらい、練習し、発表会のチームへ入る。今井さんにとっては、それが小学校生活と並行する日常の一部になっていました。
本人は当時について、沖縄では遊びに行く場所も多くなかったため、養成所で歌ったり踊ったりする時間そのものが楽しかったと話しています。
この段階では、全国的に知られるアイドルではありません。好きだったことを続けながら、先輩に追いつくことを目指していた少女でした。
12歳からSPEEDと学校生活が重なる
東京での芸能活動が始まると、学校生活の形も変わっていきました。
テレビ出演、歌やダンスの練習、レコーディング。一般的な学生生活とは違う時間の使い方になります。
ホームシックになることもありました。
出典:学生新聞オンライン「参議院議員 今井絵理子」(2021年5月17日)
歌手になることは自分で望んだ夢でした。それでも、家族と離れて暮らす寂しさまでなくなったわけではありません。
今井さんは学生新聞のインタビューで、12歳のころからSPEEDとして活動していたため、一般的な学生生活を送ることはできなかったと振り返っています。
八雲学園高校を2002年3月に卒業
高校は八雲学園高校へ進み、2002年3月に卒業しました。
これは首相官邸の公式プロフィールにも記載されている学歴です。
SPEEDのCDデビューは1996年ですから、高校へ通っていたころにはすでに全国的に知られる歌手として活動していました。
首相官邸の公式プロフィールでは「平成14年3月 八雲学園高校卒業」と記載されています。首相官邸・今井絵理子プロフィール
大学への進学歴は、公的プロフィールには記載されていません。
小学6年生で東京行きが現実に!4人で「THE夜もヒッパレ!」へ
沖縄で歌とダンスを続けていた今井さんの生活が大きく動くのは、小学6年生のころでした。
東京から芸能事務所の関係者が養成所を訪れ、今井さんたちはその前で歌とダンスを披露します。
今井さんの記憶では、この時期に4人で東京へ行き、デビューする話が具体的に動き始めたといいます。
本人たちには「東京へ行ってテレビで歌う」という感覚だった
大人たちの間では事務所やデビューについて話が進んでいましたが、まだ小学生だった本人たちの受け止め方はもっとシンプルでした。
今井さんは、親が説明を受けていたため、自分たちは「東京へ行ってテレビに出て歌う」というくらいの意識だったと話しています。
沖縄でいつものようにレッスンをしていた日々。その先に、急に東京のテレビという場所が見えてきました。
初めてのテレビ局で「八百屋みたい」と思った
東京へ出た今井さんが、初めてテレビの収録へ行ったときの記憶も残っています。
テレビ局ではスタッフが大きな声で「お疲れ様です」「おはようございます」と挨拶を交わしていました。
その様子を見た今井さんが思ったのは「八百屋みたい」ということ。夜なのに「おはようございます」と言う習慣も、当時の今井さんには不思議に映りました。
初めてのテレビだからといって、緊張で何もできなくなったわけではなかったようです。本人は「がんばろう」「精一杯表現しよう」という気持ちのほうが強かったと話しています。
1995年10月「THE夜もヒッパレ!」で本格活動開始
SPEED公式プロフィールでは、1995年10月、日本テレビ系「THE夜もヒッパレ!」で本格的な活動をスタートしたと記録されています。
今井さんはこのとき12歳でした。
いきなりCDデビューしたのではありません。まずテレビ番組へ出演し、4人で歌い、その姿が視聴者へ知られていきます。
5歳で工藤静香さんの振り付けをまねしていた少女が、7年ほど後には全国放送のテレビ番組で歌う側に立っていました。
SPEED公式プロフィールでは、1995年10月を本格活動開始、1996年8月5日をCDデビューと分けて記録しています。SPEED公式プロフィール
今井絵理子がSPEEDになるまで!命名から「Body & Soul」デビューへ
「THE夜もヒッパレ!」へ出始めた4人には、最初からSPEEDというグループ名が付いていたわけではありません。
番組ではグループ名を公募。その中から「SPEED」という名前が選ばれました。
今井絵理子さん、島袋寛子さん、上原多香子さん、新垣仁絵さん。沖縄で歌とダンスを学んでいた4人が、一つのグループ名で活動するようになります。
島袋寛子とはライバルからボーカルの相棒へ
小学2年生のころには「追いつきたい先輩」だった島袋さんと、今井さんはSPEEDで並んで歌うことになりました。
後年には不仲説を書かれることもありましたが、今井さん自身は否定しています。
ヒロを超えるパートナーはこれからも現れないと思います。
出典:SmartFLASH「今井絵理子、島袋寛子との不仲説一蹴!『ヒロを超えるパートナーは現れない』」(2021年11月10日)
SPEEDとして忙しくなってからは、同じ部屋で過ごすこともあり、お風呂へ入る順番をめぐってケンカすることもあったといいます。
小学生の養成所時代から始まった2人の関係は、同じ曲の中で声を重ねる関係へ変わっていきました。
12歳で「Body & Soul」CDデビュー
1996年8月5日、SPEEDはシングル「Body & Soul」でCDデビューしました。
今井さんは12歳。5歳で「歌手になりたい」と思ってから約7年後です。
そこまでの間には、沖縄各地のカラオケ大会へ出た時期があり、小学2年生から続けた歌とダンスの練習があり、発表会で島袋さんに追いつこうと必死になった日々がありました。
そして小学6年生で東京から来た関係者の前で歌い、12歳で沖縄の家族と離れ、テレビ番組への出演を経験しています。
それらを経て、初めて自分たちのCDが店頭に並びました。
SPEEDは2026年8月5日、「Body & Soul」のデビューから30周年を迎えています。公式サイトでも30周年企画が展開され、デビュー曲のリマスター版などが公開されました。
今井さん自身も2026年6月、島袋寛子さんが音楽番組でSPEEDの楽曲を歌った際、公式Xで反応しています。
養成所時代には追いかける存在だった島袋さん。その歌声を30年後に聴きながら、今井さんはSPEEDの節目に触れています。
25周年の時期には、SPEEDの楽曲を別のアーティストたちが歌うトリビュート作品も作られました。今井さん自身も公式YouTubeチャンネルでSPEEDについて振り返る動画を公開しています。
5歳のころ、テレビの前で工藤静香さんの振り付けをまねしていた今井絵理子さん。
そこからカラオケ大会へ出て、小学2年生で歌とダンスを習い始め、島袋寛子さんらと練習を続けました。
12歳で沖縄の家族と離れたあと、1995年10月にテレビで本格的な活動を開始。そして1996年8月5日、「Body & Soul」でSPEEDとしてCDデビューします。
ステージへ立つまでの時間をたどると、その始まりにいたのは、歌うことが楽しくて沖縄のカラオケ大会へ何度も出ていた少女でした。
































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